居候生活 ④
この日は朝と昼兼用の食事、その後は水しか口にしていないので咽喉から手が出るほど飢えていた。何か食べようにも、
「今日は四時すぎぐらいにバーベキューパーティーだから、食べないで我慢しようよ」
と、お姉ちゃんに言われた。が、僕とお兄ちゃんはグーグーと胃が楽器と化し、合奏を始めていた。勇気を出しお兄ちゃんが食料調達に台所まで向かうと、
「我慢我慢」
そう言ってお姉ちゃんが冷蔵庫の前に立ちはだかるのだ。お姉ちゃんはいい。ちょっとしたものをパーティーに持って行くといって、何やら作っているので味見とかなんとか言ってつまみ食いしているに違いない。お腹と背中がくっつきそうな僕たち二人は、ピクリとも動かず、頭の中はバーベキューパーティー一色だった。
「ねぇ、ちょっと味みてくれない?」
天使の声が聞こえると同時にお兄ちゃんと僕はボウルの中のポテトサラダに食いついた。
「おいしい!」
絶賛している僕たちに満足そうな顔をお姉ちゃんは浮かべていた。その瞬間、グーとお腹が鳴る音がした。
「そろそろ行こう」
お姉ちゃんは恥ずかしそうに台所へ戻って行った。
僕らはお互いの顔を見つめ同じことを考えていたのだと思う。さっきまで抜け駆けしたと思っていたことは大間違いだったのだ。そしてそんなふうにお姉ちゃんのことを疑っていた僕たちは、罪悪感で一杯になった。だから罪滅ぼしにお姉ちゃんが部屋へ着替えに行っている間、台所に残っていた洗い物を二人で片づけたのだ。
パーティーは戦争花嫁(どうやらいろんなことを含めて戦争がきっかけで各国へと嫁いで行った人のことを言うらしい)で、日系オーストラリア人の家で行われた。一軒家の裏手(玄関から入ると)に大きな庭があり、そこでバーベキューが行われていた。
そのパーティーに集まる、かれこれ数十年前にこの国に移住して来たおばさんたちには驚かされてばかりだった。僕の頭の中では、おばさんという人種には英語ほどの天敵はないと思い込んでいるため、日本語と英語とを巧みに使いこなしているおばさんたちを見ていると、思わずほっぺたをつねってしまいたくなる。自分の子供、孫?と同じぐらいだろうこの僕に、陽気に話しかけてもくれた。
「そう?遊びに来たの。…それでここの他にどこか行くの?」
そう聞かれ、エアーズ・ロックに行くと答えると、
「あそこはいいわよ。でもすごく暑いから、帽子とかかぶってた方がいいわね」
と、気を使ってくれている。このパーティーで一番若そうな(それでも僕のお袋ぐらい)の人も、話に加わってきて、
「あの岩に登る時は軍手を持っていった方がいいわよ。最初は急な登りだから鎖を伝うのよ」
この人も戦争花嫁なのかなぁと、ちょっと疑問に思っている時に、お姉ちゃんからこの集まりの詳しい説明を聞いた。
ようするにこの土地に住んでいる日本人たちが、だいたい月に一回のペースで集まり、お喋りをしようと言うのがこのパーティーの趣旨らしい。
最初は金魚の糞のようにお姉ちゃんの後ろをついて回り、その度に紹介され、同じような質疑応答を繰り返した。同年代がいないこともあって、退屈でしょうがない。頼りの二人も一通り紹介を終えると、この集まりの趣旨であるお喋りを、異国に住む母国の人達と大和魂と言っては語弊があるだろうけどその国にしかわからないことを話している(愚痴をこぼしている)と、お兄ちゃんは後で教えてくれた。日本が居心地悪くて、雅樹なんかは飛び出した口だろうから、外国に住んでいる人はみんなそうだと思っていたけど、そうじゃない人もいるみたいだ。別な意味で何かあった時、母国の人との繋がりがあれば、という保険みたいなものも含まれているらしい。それは、お姉ちゃんがこんなことを言っていたからだ。
「一人でもいいから、日本人と付き合っておけば、最悪の時って…例えば病気とか。そんな時やっぱりとっさに出るのは自分の国の言葉なのよね。だからそういう時のためにってわけじゃないけど、それが外国に住むこつよ。私たち日本人は、どこへ行っても日本人社会からは離れられないの。もし日本が嫌でとか、あの国が嫌いでとか言って日本を飛び出してきたとしたらもっと嫌ってほど日本を味わうことになるのよ」
と、来て間もない頃聞かされた。その時はなんとなく右の耳から左の耳へ通り過ぎたけど、今、左の耳から頭の中へその言葉が戻ってきて、朧げにだけどわかってきたような気がする。
しばらくして子供をしかりつける声が聞こえてきた。振り返ると泣きながら全身を使ってこっちに突進してくる男の子と、その後ろをどうやら親らしい男女がゆっくりと歩いてきた。みんなが一斉に注目すると、
「遅くなってすいません」
と女の人が、
「ゴメンナサイ」
と男の人。お姉ちゃんが子供を抱え、彼らの所へ行きなにやら話していた。ちらちらっと僕の方を見ては会話が弾んでいるらしい。
「公平!ちょっと来て」
待ってましたとばかりに僕はお姉ちゃんの所へと駆け付けた。最初のうちはもてはやされていたが、次第に聞き手にまわっていた僕は、少しばかり暇を持て余していたからだ。
「なに?」
普通の顔をして何気に近づいた。女の人はお姉ちゃんと同年代かそれより少し年上と言った感じで、男の人はそれよりもまだ上に見える。
「紹介するわ。こちらがちなみさんで、それでこちらがロバートさん」
外人をさんづけで呼ぶのはおかしかったが、それはあえて口にせず、
「公平です」
僕はすかさず自己紹介した。
「はじめまして。雅樹君のお友達なんだって?」
「そうです」
ちなみさんは笑顔を絶やさなかった。綺麗というよりかっこいいと言った方があっているような感じの人だ。
「ハジメマシテ、ロバートデス」
ちょっとビール腹のロバートさんは、片言の日本語がわかるらしい。まだ外人なれしていない僕にとっては、それはありがたいことでほっとしていた。
「アル!お兄ちゃんにはじめましては?」
「にーにちがう!」
「そうか。雅樹君もお兄ちゃんだった。……アル。お兄ちゃんはもう一人いるのよ」
「にーに、もうひとり?」
「そう」
「ハロー!にーに」
子供は物分かりがよい。
アルが来てからというもの退屈だった時間が一変した。子供の行動は謎だ。いつ見ても不思議なもので、それを観察していると面白い。
すっかり暗くなってもパーティーは盛り上がっていた。
活発なアルは、もごもご何か怒鳴りながら、僕に体当たりしてくる。どうやら悪者退治をするヒーローにでもなりきっているのだと思い、「やられたー」とかいって死んだふりをして芝生の上に横になったりしていた。何度か繰り返したら、ある時僕のお腹にアルではなく、何か他の冷たい物がのっかるような感じがしたので、慌ててアルを抱きかかえ、お尻を触ってみた。案の定お漏らしをしていたのだ
「ちなみさん…ちょっと」
まだ物心ついていないまでも、僕は大きくなってからの彼の事を考え、他の人にお漏らしのことをばらさぬようにしていた。僕はアルの恩人だなと勝手に思い込み、満足していた。
「助かったわ」
第一声にそう言うと、ちなみさんは手際よくおむつを取り替えている。
「あそこの人。ほらっ、なんか頭が鳥の巣みたいな人」
目くばせでそれが誰なのかわかった。確かに鳥の巣みたいだ。ちなみさんのその表現が可笑しくて、思わず笑ってしまった。
「笑いごとじゃないのよ。…あの人には困ったもんだわ」
そう言って、ちなみさんは話しだした。もうおむつは取替え、ひと段落した後に。
「いつもそうなんだけど、簡単に言うと自慢話を語らせたら世界一なの。見てよあれ、ネックレスだとか指輪を。すごいでしょ。これはどこで買って高かったとかだらだらと話すのよ。それだけならまだ許せるけど、今日みたくこういう集まりをあの人の家でやるとするでしょ。それで、ちょっとしたワインとか持っていくじゃない。そうするとこう言うの『あーら、私だったらもっと高いワイン持ってくるけど』って、そう言うのよ。あったまきちゃうわよね。それからね…」
永遠と続きそうだった。話も面白かったけど、横でそれを聞きながら目では鳥の巣おばさんの手振りや動作を見て話してる内容がちなみさんの言っているようなことなんだろうなと思うと副音声で野球中継をみているみたいで楽しかった。
「マミィなに?」
今までおとなしくしていたアルが、空を指さして何度もそう繰り返していた。僕とちなみさんがその方向に視線を向けると、大きな花火が咲き乱れていた。
「そっか今日からムーンバのお祭りだわ」
そう呟いてからアルに花火というものを説明していた。その語り口調は、さっきのOLの世間話みたいなのとは違い、母親のちなみさんに変わっていた。家族っていいなと、その場面を見ていてふと感じている僕だった。




