居候生活 ①
沖田公平のオーストラリア生活が本格的に始まった。
お兄ちゃんとお姉ちゃんの愛の巣での居候生活だ。
果たして、どんな日常が待っているのか!?
新年早々、テニスファンはオーストラリア・メルボルンを注目する。
この時期、全豪オープンが開催されるからだ。
僕はテニスというものにそれほど興味はもっていない。だけれど、海外に遊びに来た自慢話に花を添えるつもりで、カメラを手にコートに一番近い席を陣取っていた。選手の姿はまだ見えない。観客もまばらだ。どうやら早く来すぎてしまったみたいだ。季節は夏のくせに肌寒く、ブルブルと震えながら誰もいないコートに「寒い!」と文句を言っていた。
空は雲の流れが速く、壊れたライトがチカチカしているように太陽が見え隠れしている。雲の流れからして、雨雲らしきものが僕の真上を通ることはほぼ間違いないだろう。そういうことの自信だけは人よりある。「歩く気象衛星」と呼ばれるほどの的中率を今まで維持し続けているからだ。だからちゃんと傘を持っているのは言うまでもないが、どんなことよりも雨という自然現象が嫌いな僕だけに、気分も天気のように晴れない。
自分自身「雨男」だとは考えたこともないが、何かのイベントが僕の周りであるごとに、雨が降っていた記憶がある。何かの記念写真や年中行事の写真にはよく傘が写っていた。それもこれも僕が雨を必要以上に嫌いだからか?だったらいっそ雨を大好きになれば「雨男」のレッテルを貼られなくても済むかもしれないと一時期考えたこともあったけれど、楽天家の僕にとってどうでもいいことにいつの間にかになってしまったいた。ただ雨が降ることを予想したことに満足している。それだけだった。
だんだんと人も集まってきていた。ここまで待って雨で中止なんて言わせないためにも、早く始めて欲しいもんだ。それにしても老若男女がいるのが不思議だ。今日は祝日でも祭日でもないはずなのに、良く言うと穏やかな国民性が学校や仕事よりもこの大イベントに参加させるのかな?なんてつくづく考えてしまう。まだ序盤戦と聞いていたのに、このコートはすごいひとだかりになってきた。よくよくテニスが好きな国だと感心する。しっかりテレビカメラもスタンバイし始め、さながら決勝戦のようだ。
ぼんやりとコートを眺め、準備している人たちの様子をなんとなく伺っていると、僕の隣の空いている席にお姉ちゃんが座った。
「遅かったね。何処ほっつき歩いてたの?」
お姉ちゃんは興奮しているようだ。
「公平。あんたラッキーよ。女子世界ランキング一位が見れるんだから!!」
その後、その世界ランキング一位の何とかという選手について説明をしてくれたが、僕はだからこんなに人が集まるんだとしか思わなかった。
僕がお姉ちゃんと呼ぶこの女性は、あの空港で声を掛けられた眼鏡の男の人の許婚だ。二人の愛の巣に僕は居候している。
二人が空港まで迎えに来てくれた時は、何故彼らが僕の名前を知っているのか頭が混乱したもので、「やっぱりそうだったね、お兄ちゃん」「お姉ちゃんの言う通りだったよ」と言った会話もさらに僕をパニックの中に引きずり込んだのだった。【WHY】と言う単語が僕の頭を占領し、【何故】じゃないところが外国に来た醍醐味だ!とふと考えてしまっているのが僕らしかった。
あの時の状況を鮮明に覚えているわけではないので、お兄ちゃんとお姉ちゃんの二人の第一印象というのは朧げにしか浮かんでこない。雅樹の友達である僕をここでの生活の手段がないからと親切にも部屋を提供してくれた人達だ。こんなありがたいことはないので僕なりに良い子でいるよう、雅樹の顔に泥を塗らないようつとめてはいる。
二人との生活はちっとも退屈しない毎日であった。たとえ昼間まで起きず、遅い昼食をとった後また昼寝。そしてお兄ちゃんが仕事から帰って来る前にディナーの準備のためお姉ちゃんと買い物へ。三人での晩餐が終わるとテレビを見ながらデザートを食べ、いつの間にか欠伸の合唱が始まり、眠りにつく。そんななんでもない一日でもだ。
雅樹はと言うと、突然シドニー出張を命ぜられ、僕が日本を発った日に出発していた。どっちみち二人にお世話になることに変わりはなかったが、いきなりこういう状況になるとは誰が予想したろう。いったん出張するといつ帰って来るか分からないのが雅樹やお兄ちゃんが勤めている免税店らしい。シドニーに支店を出すため今が一番忙しい時期で、こっちから指導員を送ることがしょっちゅうあり、今回は雅樹がその役を務めている。そんな訳で、まだ雅樹とはここメルボルンに来てから一度も会っていない。それにしてもあいつはちゃんと仕事をしているのだろうか?『人の事より自分の事を心配しろ』と言われてもおかしくないけど、お兄ちゃんとお姉ちゃんに世話になっているからそれほど不安はない。僕は二人に頼りきっている。
来て間もない頃、と言ってもついこの間だけれど、旅行計画を二人に打ち明けた。僕はあの世界一大きな一枚岩に登ってみたいのだ。エアーズ・ロック、オーストラリアの原住民たちの聖地。そこへ行っておきたい。エアーズ・ロックが世界一大きな一枚岩であるとか、原住民の聖地であるというようなことはお兄ちゃんが教えてくれた情報だ。お兄ちゃんは一度登ったことがあり、あそこはお勧めの場所だと言っている。
早速旅行代理店に行き、もちろんお姉ちゃんも同伴だが、五泊六日の旅が決まった。いろいろと英語で書いてはいるが、二月の末からの旅なので慌てることはなく、行く日に近づいた時に考えれば良いと思っている。あと一か月以上も後の話なのでそんなことより、それまでをどうするかが問題だった。
その問題を少しだけ解決してくれたのがこの全豪オープンだ。僕はなんて日頃の行いが良いんだろうと勝手に思い込んでいる。けれど、テニスの試合を見るのは初めてなので、それが楽しいものかはまだ不安の真っただ中だ。今にも雨が降りそうな天気がより一層不安を誘う。
「まだかなー?」
さっきからずっと座っていた僕はしびれを切らしていた。お姉ちゃんは何やらバッグから取り出している真っ最中で、人の話を聞いている様子はない。
「はい、これ」
そう言ってサンドウィッチを僕にくれた。
「それと、水ね。ぬるいかもしれないけど」
よくよく考えてみると、慌てて家を出てきた僕は何も食べてなかった。横でお姉ちゃんもサンドウィッチを食べ始めている。遅い朝食は、僕のイライラを和らげてくれるみたいで、これから何時間でも待てそうな気さえしてきた。
「バナナもあるよ」
次はデザートだ。まぁたまにはこんな所での朝食も悪くない。だけれどバナナが咽喉につっかかり、慌てて水を流し込み、とんだ目にあってしまった。
視界に広がる無人のテニスコートをただぼんやりと見つめていると、食後ということもかさなって瞼が重くなってきた。周りのざわめきも、僕には耳慣れない言葉なのか、なぜか眠気をそそられる。待たされる時というのはどんなに短い時間であってもそれ以上に永く感じてしまうものだ。だからいつも僕は待ち合わせをすると、時間ギリギリまでその場所に行かないことにしている。僕は雨の次に待たされることが大嫌いなのだ。そんなことを思いながら、ひたすら眠気と戦っていたような気がする。




