忘れない ①
沖田公平、最大の目的であるエアーズロックの旅が始まった。
旅へ行く前にある計画を実現するために公平はある提案をお兄ちゃんにする。
果たして結果は!?
そしてエアーズロックの旅ではどんな出会いが待っているのか!?
僕はもうくたくただった。一日の内に二回も飛行機に乗ってしまったからだ。
たどり着いた場所は、アリス・スプリングスと呼ばれる街。ここで三泊、そして最終目的地のエアーズロックで二泊、合わせて五泊六日の旅の予定だ。でももうすでに初日は移動だけで疲れ果てていたので、ホテルに直行して寝ようと思っている。
話には聞いていたけど、暑い。
飛行機を降りると、空港内へ入るのに歩かなければいけないが、その短い間直射日光を浴びただけで汗が流れ落ちた。これから先が思いやられる。けれど空港内は冷房完備されていて涼しく、この先の不安はどこかに吹き飛んでいた。
ぞろぞろと乗客が入って来ると、待ってました!と言わんばかりに民芸品売り場の前で店員が笛のようなものを吹き歓迎してくれた。それはどうやら木で出来ているモノのようで、何人かは興味を持ったらしく立ち止まり話をしていた。僕は本当に疲れていたので、さっさと荷物を手に空港を出てタクシーを拾った。
けっこう僕も度胸がついたようで、タクシーの運転手ともちょっとした世間話ならごまかしごまかしだけれども出来るようになっていた。人間、誰しも窮地に立たされると普段持っていない力も発揮できるもので、僕の英会話コンプレックスもなくなってきているようだ。開き直りともいうかもしれない。
ホテルにチェック・イン。部屋に直行し、ベッドにぐったりしてしまった。今日はもうここを一歩たりとも出る気はない。ゆっくり休んで明日にでもこの街の繁華街に行こうと思っている。アリス・スプリングスにもいろいろ観光名所があり、ツアーが沢山あるらしいが、とにかくメインであるエアーズロックに全てをかけたいと思っているので、ここはお金を倹約しなければいけない。それほどまでに僕の懐は寂しくなっていた。だったら最初からエアーズロックだけ行けばいいと言うかもしれないが、これにはちゃんとした理由がある。僕が乗ってきた航空会社が創立何周年か何十周年で、ホテルと航空チケットを一緒にして安く旅行が出来るパッケージを全面的におしていたらしい。らしいというのはお姉ちゃんが全ての手続きをしてくれたからだ。このパッケージで行く方が確かに安いとお兄ちゃんも薦めてくれた。それで今にいたっている。
お兄ちゃんとお姉ちゃんと言えば、例の計画だが、僕はちゃんとこの旅行に来る前に決着をつけてきた。そのことを雅樹に伝えると奴はびっくりしていたが、僕もやるときはやると大威張りだった。後は、ちなみさんとうまくやってくれるだろうから、僕はとりあえず一安心、旅を楽しめるわけだ。
どうやってお兄ちゃんを口説いたかというと、それはそれで長い話になる。
その日僕は、昼間のうちに帰りの飛行機を決めていた。ちなみさん家に遊びに行ったあたりからそろそろ帰ることも考えなければと思っていたから、実行に移したのだ。そのことは夕食の後にでもお兄ちゃんとお姉ちゃんに話すつもりでいた。そんな矢先、
『公平!』
スーツ姿のお兄ちゃんが突然僕の前に現れた。
『お前、怖い顔して歩いてたぞ』
『そう。……お兄ちゃんこんなところで何やってんの?仕事は?』
『それはこっちのセリフだよ。俺は今昼休みで、飯でも…そうだ一緒に飯でも食うか?』
頷くと同時に僕のお腹が鳴った。
お兄ちゃんはチャイナタウンに僕を連れていってくれた。
『ヤムチャって知ってるか?』
その店ではウエイトレスさんが、駅弁を売っている人や、野球観戦など行くとビールやおつまみを売っている人のように、いろんな料理をワゴンに乗せ歩いていた。その中の料理から僕たちは欲しいものだけを選んで取って食べる。どれが美味しいかとかがよくわからない僕は、お兄ちゃんの勧めるものを黙って食べた。
『あんな所うろついて、何してたんだ?道に迷ってたのか?』
『あんな所って?』
『俺が働いてる免税店の周りは航空会社しかないし、それにお前が行くようなところもないと思うんだけど』
『いや、そのぉー、航空会社に用があったんだ。…そろそろ帰ろうかなって思ってて、あまり長居しても迷惑だろうし、…それに学校も始まっちゃうしね』
『そうか……えっ?』
お兄ちゃんはさっきまで活発に動いていた箸をテーブルに置いた。
『ほら、僕って三か月オープン持ってるから…』
『三か月以内に帰ればいいんだろ。まだ二か月もいないだろ。確かおまえが来たのは』
『一月十八日。だから丸々二か月の三月十八日に帰ることにした。……いろいろと考えたんだ。ギリギリまでいようか、でも学校も始まるし、帰った後少しゆっくりもしたい。で、ぴったり二か月がいいかなって』
『……そっか』そして一息つき『公平。別におまえがいて迷惑だって思ったことはない…とだけ言っとくよ。雅樹は知ってるのか?』
『まだ話してない…って言っても今さっき決めたことだし、でもこういうことはお兄ちゃんとお姉ちゃんに話すのが最初だと思っていたから』
いずれこういう話をしなければいけない時が来るのは分かり切っているくせに、やっぱり嫌なもんだ。何だか今から寂しくなっていく自分がいる。
『それじゃあ、みんな呼んでパーティーでも、そうだ!バーベキューパーティーってのはどう?』
『それは嬉しいな』
『でも、もし何か他にいいアイデアがあるんだったら言ってみな』
この時僕はふとひらめいた。だから慎重に言葉を選んで…たかは分からないが、じれったくもじもじと、
『あのう……そのぉー……バーベキューパーティーもいいけど……』
『いいけどなんだよ』
『仮装パーティーってのはどう?』
突拍子もない僕の提案に言葉もないお兄ちゃん。
『そう。それで僕からリクエストがあるんだけど』
それにつけ込むように僕は喋った。そしてお兄ちゃんの言葉を待った。
『一応聞いとくよ。そのリクエストってやつを。で?』
僕がためらう番だった。でもここは思い切った。
『新郎、新婦…の恰好』
お兄ちゃんは箸を口にくわえたまま、しばらく動かなかった。その間僕の心臓はドキドキしていた。少し強引過ぎたかと、もっと別な角度でアプローチすればよかったのかとか、悪い方に悪い方に考えてしまっていた。お兄ちゃんが出した答えは、
『考えとく』
その後ぎこちない会話の後、お兄ちゃんとは店で別れた。僕は不安のまま家に帰ったのだった。
夕方、お姉ちゃんがいつも通りにご飯支度をしていると、お兄ちゃんが返ってきた。
『お兄ちゃん早いじゃない』
お姉ちゃんはびっくりしている。僕も違う意味でドキッとしていた。
『ちょっと今日は仕事が早く片付いたもんだから。飯ってまだだよな?』
『当たり前よ。見ればわかるでしょ』
横で泣きながら玉ねぎの皮をむいている僕も頷く。冷蔵庫から麦茶を取り出しコップに注いで一気に飲み干した後、お兄ちゃんはニコニコしながら、
『公平。打ちっぱなしに行くか?』
とゴルフのスイングをして見せた。
『そう言えば近いうちにゴルフコンペがあるって言ってたね』
お姉ちゃんが付け加える。ゴルフと言えば、歩き疲れてお腹が空いた…ぐらいの記憶しかない。でも日本に帰っても出来るスポーツじゃない。もう一度チャンスがあればやっておきたかったことだ。その前に練習に行くってのもいいかなと思ったりした。けれど手には中途半端に皮を剥いた玉ねぎが一つ。それをもて遊んでいると、
『いいよ。行ってきなよ。ご馳走作ってとくから』
お姉ちゃんは本当に気の利く人だ。僕とお兄ちゃんはそうと決まったらと慌てて支度をし、家を跳びだした。
ゴルフ練習場は郊外にあった。家から車で二、三十分走ると街並みも閑散としてきて広大な大地が目の前に現れる。何もない所だなぁと思っていると、ゴルフ練習場があるのだ。
日本のようにネットで覆われている場所の中で打つわけではなく、ずーっと向こうまで何もない荒れた土地に向かって打つだけの練習場で、ボールも大小どちらかのバケツの中に入っているものを買う。大きなバケツ8ドル、小さいのは5ドルと、日本の相場は知らないけど安いと思う。やる気満々で来たものの、飽きっぽい僕はすぐにひたすらボールを無くすことを考えだし、ただ機械的に打っていた。お兄ちゃんの方はというと、一球一球真剣に、打った後もホームのチェックやボールの跳んだ方向を見、首を傾げたり頷いたり練習熱心だ。
『ちょっと休憩』
と僕は後ろにあったベンチに腰掛けた。夕方と言ってもまだ日差しがかなり強い。運動不足の僕にはけっこう答える。
『なぁ、公平』
お兄ちゃんは打つのを止めずに話しかけてきた。
『昼間の件だけど…』
すっかり昼間のことなど忘れていた僕は、再度心臓の動きが速くなった。
『お姉ちゃんにはおまえから説明するんだぞ』
『それって、仮装パーティーOKってこと?』
『条件つきでな』
『で、条件って』
『明後日から旅行行くだろ。エアーズロックに登ると思うんだ。あれは昇った方がいい、その価値がある。で、あの岩のかけらをお土産に持ってきてもらいたい。どうだ、それが条件だ』
僕は何度も頷き、お兄ちゃんは練習を続けている。これで一つ解決したと、僕は胸を撫でおろしたのだった。




