FARM STAY ②
「あとどれくらい?」
「もう着くと思うけど」
信号で止まる度に地図を見て首を傾げている雅樹の言葉は信用できない。だからといって僕自身が地図を見たところで雅樹以下なのは分かっていたので、辛抱するしかなかった。
僕たちがちなみさん家に遊びに行く道中での話だ。
タスマニアから戻ってくると、雅樹が迎えにきてくれていた。オーストラリアに来て初めて奴の顔を見た。そして家に帰る途中の車の中で、『おまえにも一役買って欲しいんだけど』とある計画を持ち出してきたのだ。
その計画とはお兄ちゃんとお姉ちゃんの結婚式。僕は詳しくは知らなかったけれど、お兄ちゃんは籍だけ入れればいいと言っているが、お姉ちゃんはそうでもなく、密かにウエディングドレスに憧れているらしい。そんなお姉ちゃんの気持ちを察し、お節介にも雅樹が結婚パーティーをと提案すると、逆に意固地になったお兄ちゃんが『そんなものはしなくていい』と言いだし、その話はなかったことに。最悪の結果になってしまった。こういう時の頑固なお兄ちゃんには、お姉ちゃんは逆らえなく落胆したらしい。
それは僕が来る少し前の出来事なんだそうだ。
実際に計画とやらは名だけのもので、何も決めてないに等しい。それをこれからちなみさん家で決めるのだ。タスマニアから帰ってきてすぐのことだったから、少し家でゆっくりしたかったが、雅樹の休みの都合もあるし、僕のエアーズロックの旅の予定もある。贅沢を言っている場合じゃなかった。
そして、今にいたっている。
雅樹はちなみさん家に行くことをファームステイと呼んでいた。別にちなみさん家がファーム(農場)なわけではない。周りが何処を見ても草原で農場と言った方が想像しやすいからだそうだ。確かに時間が経つにつれ辺りは木々が多くなり、草原では牛や馬を見つけることが出来た。
「なるほど、ファームステイね」
そんな景色を眺めて僕は納得してしまったが、横で運転している雅樹は僕の言葉など聞きやしないで、いつだか遊びに来た時の記憶を必死で蘇らせようとしている。そして突然、車を左に寄せとめると、
「ちょっと休憩」
と、シートを倒し横になってしまった。ちょうどここから登り坂というところで車は止まっている。この先がどうなっているか分からないので、僕は車を降り、坂を上がっていった。
太陽はさんさんと輝き、暑い。
咽喉が渇いていたのでいったん車に戻り、缶ジュースを手にし、また坂を上がっていった。別にこれといって景色も変わらない。ましてや森の中にいるみたいなので家なども見当たらない。本当にここらへんにちなみさん家があるのか首を傾げてしまう。
でも何かこう、のんびりしたこの時間と空間はよかった。こういう何でもないところにもオーストラリアを見つけたようで、気持ちが良かった。僕は流れる雲をしばらく見つめていた。
雲から目線を車に下ろすと、運転席側の窓からタバコ煙が上がっている。
僕は車に戻ることにした。ゆっくりとした足取りで。
空を眺めながら歩いていたので、間抜けな僕は何かに躓いた。転びはしなかったが、ジュースをこぼしてしまった。車からは雅樹の笑い声が聞こえてくる。まったく腹が立つ奴だ。
「あーあ、もったいない」
と、こぼれたジュースを惜しみ、車に戻ろうとした時、何かおかしいことに僕は気づいた。もう一度こぼれたジュースを見ると、こぼした地点から車の方向、下へ流れるはずのジュースがその逆、坂を上がっているように見えるのだ。何かの錯覚だとは思ったが、おかしい。ものは試しに残り少ないジュースをその場でこぼしてみた。するとウソのようだが、こぼれたジュースは坂を上がって行く。
「まっ、雅樹!ちょっと来いよ!」
視線は地面にくぎ付けのまま僕は大声を出していた。
「なんだよ」
「いいから来いよ!」
雅樹はしぶしぶ僕の所へ来た。
「これ見てみろよ」
僕は残り全部のジュースを地面にこぼした。結果はさっきと同じ、ニュートンが発見した万有引力やその他の今現在みんなが疑いも持たないモノは上から下へという常識がここでは通用しないらしい。それにどう見てもここが坂であることは疑う余地がない。僕は驚きのあまり言葉を失ってしまっている。
「あっ、思い出した!」
「何だよ突然」
「ここ、前にロバートに連れてきてもらったことがある」
「まじかよ」
「嘘じゃねえよ。家の近くに不思議な坂があるって散歩ついでに来たんだよ」
「でもここらへん、何も見当たらなかったぞ」
「こっちの人は規模が違うんだよ。家の近くに散歩するんだって車使うんだから」
雅樹は車に乗ると、サイドブレーキを外した。すると車は坂をゆっくりとだが上っていく。エンジンはかけていない。
「すごいだろうこの坂」
雅樹は自分が最初に発見した人みたいに得意になっている。
「はいはい。で、もうわかるんだろうね、ちなみさん家」
「おう」
僕たちはこの不思議な坂のおかげで、ちなみさん家に無事着けるらしい。まだ雅樹を信用しているわけではなかったが、なんとかなりそうな気がしていた。
それにしても不思議な坂だった。僕は坂を通りすぎたあとも、見えもしないのに何度も後ろを振り向き首を傾げた。それにしてもへんてこりんな国だ、オーストラリアは。僕の横には腹が減ったと騒ぎ出す馬鹿が一人いる。もう雅樹はこんな驚きには慣れているのかもしれない。僕はまだこんな不思議な体験ができるのか?と期待や不安がごちゃ混ぜになってしまっていた。坂を上りきりしばらくすると、
「そう、ここだ。えーと、それでここを右に…」
と、雅樹は一人の世界に入っていた。
景色は一転し、街というよりも村のようなたたずまいがさっきまでの不安を消してくれた。家は点々と立っていた。一人一人の土地が広いためにお隣が数十メートルは離れているのなど珍しくない。雅樹は車の速度を落とし、ちなみさん家を探していた。
「ここだ。着いたぞ」
住所と郵便ポストの番号を確認して、その家の敷地に入っていった。
車のエンジン音を聞きつけてか、ちなみさんはアルを抱っこして出てきた。
「いらっしゃい」
「お久しぶりです。いやー、道に迷っちゃって予定より遅れたよ」
「そう?予定通りだと思うけど。私は迷うことも計算に入れてたから」
「そりゃないよ、ちなみさん。あっ、そうこいつが…」
「公平君でしょ。前に一回会ってるから。いらっしゃい」
「どうも…」
本当にちなみさんはかっこいい。ポロシャツにジーンズもさまになっていて、子供がいるなんて嘘のようだ。アルは寝起きらしく、指をくわえ何度も目をパチクリさせていた。
「アル。にーにたちが来たよ」
と、ちなみさんが教えると、しばらく目を擦り、鼻をほじくり、
「ちがう!にーにない!」
どうやら機嫌が悪いようだ。雅樹はアルに近づき、
「なんだ、覚えてないのか?アル、にーにだよ」
「にーにちがう!にーにあっち」
と僕の方を指差した。僕は雅樹に勝ち誇った顔を見せ、アルに近づき、
「元気だったかアル?」
「にーにNO!…」
アルはちなみさんの首すじに顔をうずめた。それを見て今度は雅樹が笑っていた。ちなみさんも笑っていた。そしてアルに、
「アル。二人ともにーになんだよ」
アルは少しの間考えて、こういう結論に達した。まず僕を指差し、
「にーに?」
するとちなみさんが頷く。そして次に雅樹を指差し、
「にーに?」
もう一度ちなみさんは頷き、
「Good boy」
と、アルの頭を撫でた。アルは笑顔になり、拍手をしだした。これでとりあえずひと段落でき、僕も雅樹もちなみさんもほっとしていた。
「さぁ入って、お腹すいてるでしょ?ロバートは遅いだろうから、先に食べましょう。腕によりをかけて作ったのよ」
「はい!」
僕たちは声を合わせて返事した。
まだ外は明るいが、六時をまわろうとしていた。それに僕と雅樹の腹時計は、とっくに明日になっている。
僕も雅樹も食べることだけしか頭にはなかった。




