TASMANIA LOVE STORY ⑤
どうしてこんな暗い所に僕はいるのだろう。
あたりを見渡すと一か所だけ薄明かりが灯されている場所があった。恐る恐る地面を確かめるようにして歩き、その場所へ向かった。
カツン、カツン、カツン…という音が聞こえるので止まる。
後ろを振り向くとただの暗闇だ。もう一度歩きだす。するとまた聞こえてくる。何度か繰り返すうちにこれは自分の足跡だと気づき胸を撫でおろした。
薄明かりが灯されている場所には、一本のロウソクがあり、弱々しく燃えていた。そんなかすかな灯火でも暖かさを感じ、さっきまで緊張していた顔も綻びかけた。
すると突然、ガタンという大きな音と共に扉が閉まり、ロウソクの火も消えた。とにかくこの部屋を出ようと、慌てて扉を開けようとしたら、どうやって開ければいいのか分からない。ノブもないから引くことは出来ないし、押してもびくともしない。悪戦苦闘していると何やら笑い声が聞こえたような気がした。動きを止め、耳を澄ましても何も聞こえない。再び扉を開けようと試みると、また笑い声が聞こえてきた。その音源を確かめるべく振り向くと、さっきまでロウソクがあった場所に、丸坊主で頭だけの像みたいなものが空中に浮かんでいた。しばらくの間それを見ていると、その丸坊主頭は目を見開いたのだ。僕は腰を抜かす同時に、
「うわぁ~!!!」
と、叫んでいた。
ベッドから勢いよく起き上がった。着ているTシャツは汗で濡れていた。
「……夢か」
身体からだるさが抜けていた。どうやら一晩眠っただけで風邪は治ったらしい。大きな伸びをして、ベッドを出た。いつ閉めたか覚えていないカーテンを開けに窓側まで歩いた。どこかの元野球選手じゃあないけど絶好調だ。窓から眩しい光が差し込む。昨日のどんよりした雲は、もうどこかへ行ってしまったのだろう。
そう、葵ちゃんと出会ってから、天気も何もかもがうまくいっているようだ。ツアーが終わると、葵ちゃんは僕の為に風邪薬をとりにいってくれた。僕は横になっているかも知れないので部屋の鍵を渡しておいた。完璧に彼女を信頼していたのでそのことに対して不安はなかった。それから今起きるまでの記憶は、あの嫌な夢だけだ。でもそんな悪夢も、ソファで眠っている葵ちゃんを見つけた時にふっとんでしまった。
「葵ちゃん。そんな所で眠ってたら風邪ひくよ」
僕は彼女を揺すり起こした。
「……眠っちゃったんだね、私」
目を擦りあくびをしている葵ちゃんは、可愛かった。きっと僕たちは何かの運命でつながっていたのだと、勝手にサクセス・ラブ・ストーリーの結末を自分の都合のいいように想像して夢見心地だった。
「どう?体の調子は」
「おかげさまで良くなりました。お礼に何か…」
「今日帰るんだけど、それまで付き合ってくれない?」
「よろこんで」
夢のようだった。だから後ろに手をやり、尻をつねってみた。痛い。今起こっていることは現実のことだと実感し、僕は幸せいっぱいだった。
一時間後、ホテルのロビーで落ち合った。葵ちゃんは装いも新たに、髪をおろし麦わら帽子をかぶっていた。
「さぁ、どこに行こうか?」
と僕が聞くと、すかさず、
「タスマニアタイガー!」
そう言って僕に背を向け、歩きだしたのだ。
彼女の後を黙ってついて行く僕は、?マークが何個も頭を周り旋回していた。どうも目的の場所が、僕の想像している荒野だとか草原ではないみたいだった。だって幻の動物を探しに行くのに、地図を見ながら街中をうろちょろしているからだ。たまりかねた僕は、
「ねぇ……タスマニアタイガーってさ、もうこの世に…」
「あった!」
地図と目の前の建物とを何度も交互に見た後、
「間違いないわ。やっと見つけた。行こう!公平君」
葵ちゃんが階段を駆け上がっていくのを目で追いかけ、その勢いでそのまま視線を上に向けると『Tasmanian Museum and Art Gallery』という文字が浮き彫りになっていた。このくらいの英語は僕にでも理解できる。
「なるほど、博物館ね」
感心している場合ではなく、慌てて彼女の後に続いた。
中に入ると、博物館だけにいろんなものが展示されていた。僕達の目的はタスマニアタイガーだけだったので、他は見向きもせず、歩いていった。そもそもここホバートに来て、幻の動物を探すことで一攫千金を狙っていた僕にとって、心臓がドキドキしていることはまぎれもない事実だった。
それはガラスでさえぎられた暗闇の中、しましま模様の犬のような狼のような、タイガーというのだから虎なのだろう幻の動物に、出会えることができた。はく製ではあったけど。葵ちゃんは顔をガラスに擦りつけるようにして、しばらくのあいだ熱心に観察していた。飽きっぽい性格の僕は、たまたま近くにベンチを発見したので、そこでただ座っていた。明日帰る僕にとって、一攫千金の夢は見事に砕け散ってしまったのだ。せめてもの救いは、ここへ来てはく製を拝めたことだ。一応、人にはあのタスマニアタイガーをこの目で見たと自慢できるだろう。
「もう本当に絶滅しちゃったのかなぁ」
いつのまにか葵ちゃんは、僕の横でそんなことを言っていた。
「うーん。わかんないけど、もしまだ生き残っているとしたら…」
「一攫千金。有名人。その他いろんな特典がついてくる…そう思ってる?」
あまりにも図星なことを言われたので、
「そんなこと思ってないよ。そっとしといてやりたいね」
と、心にもないことを言っていた。少しの間の静寂の後、
「そろそろでよっか?」
「そうだね」
そんな会話を交わし、僕たちは博物館を後にした。
何かまずいことを僕が言ったかどうか分からないが、博物館を出てからというもの葵ちゃんは黙ったままだった。
腕時計も腹時計もお昼の時間だと僕に知らせていたので、思い切って沈黙を破ることにした。
「ねぇ。お昼にしよう」
彼女はただ頷くだけ。とにかく、腹が減っては戦はできぬとトンチンカンなことを考えていた僕は、海岸沿いに立ち並ぶ飲食店の中から安そうなところを選んだ。もちろんオーダーは葵ちゃん任せだ。
テイクアウトにしてもらい、海の見えるベンチに腰掛け、昼食をとった。いまだに葵ちゃんは無口で、何か話しかけても軽くあしらわれていた。僕はこの雰囲気をなんとかしなければと、巧みにボケたりしていた。
「ねぇ、これなに?」とピザの上に乗っていた黒い物体を手でつまむと、ただ簡潔に、
「オリーブ」と答える葵ちゃん。
「あぁ!それって、歌いすぎると喉か何処かにできるんじゃなかったっけ?」
「それはポリープ」
「童話を書いた人…」
「イソップ」
「噂話だよね?」
「ゴシップ」
と、こんな調子だ。次の言葉を僕が必至に考えていたら、突然彼女は笑いだした。僕は唖然と笑顔の葵ちゃんを見たまま黙ってしまった。
「ごめんね、突然笑い出したりして」
そして笑いが収まると、僕の顔を見ないまま喋りだした。
「公平君って、どこか似てるのよね。…くだらないとことか…」
そんな出だしだった。
はっきりと言わないまでも、葵ちゃんに彼氏がいることに疑いはない。僕が想像していたタスマニア・ラブ・ストーリーでのハッピーエンドは、この時点で存在することのないフィクションになってしまったのだ。もちろん僕にはその男が誰なのか、どんな奴なのかなどは聞く元気もなく、ただ勝手に振られた気分に浸っていた。でもとにかく平静を装い、彼女の話を聞いているふりをしていた。聞いているふりをしているとは、悲劇のヒーローを演じているようで、そんな自分に酔っていたりもする。でも葵ちゃんの話の中で、「喧嘩して、一人でここにやってきた」とか、「あいつ、ほんっとうに腹が立つから…」という時は、僕の中の悪魔が、
(公平!今がチャンスだぞ!)
と、僕に囁いたりもしていた。
さっきまでの葵ちゃんからは想像も出来ないくらい喋りまくっていた。僕はただ圧倒されて聞いていただけなのに、彼女は全てを話し、スッキリした表情を見せ、
「公平君って、いい人だね」
という結論を彼女の中で出していた。そして、
「私、タスマニアに逃げてきたんだと思う。だからメルボルンに戻ったら、ちゃんと言いたいこと全部言って、ハッキリ、スッキリさせようと思うんだ」
そう意気込んでいる。
「もし僕に出来ることがあったらなんでも言ってよ。まだメルボルンに居るつもりだから」
そう言って家の電話番号を渡した。それが僕の精一杯のあがきだった。そして希望だった。
「ありがとう」
葵ちゃんはそう言うと、帰り支度や何やらがあるということで、大きく手を振りながら僕の前から消えていった。
しばらくの間、僕はそこに座り、彼女の残像を眺めていた。
僕の失恋物語が幕を閉じたのだった。




