TASMANIA LOVE STORY ④
悪夢は朝起きても続いていた。
どうやら昨日より風邪がひどくなっているようだ。
頭はぼーっとして、寒気もする。観光バスがホテルまで迎えに来てくれる…はずだ。頼りない話だが、僕の英語力にかけてみるしかない。約束の時間まであと約一時間、シャワーを浴び、着替えをし、観光の準備を整え、下のロビーへと向かった。
今一番頼りがいのあるガイドブックによると、ポート・アーサーとは監獄の街として有名な所で、悪人の中の悪人がぶちこまれる監獄があり、その流刑場跡が今では観光地になっているようだ。そうやって予備知識をもうろうとする頭にたたき込んでいる最中に迎えのバスがやってきた。
「Kohei Okita!」
“こへい”じゃなく、“こうへい”だと文句でも言ってやりたかったが、
「Yes!」
と、元気よく返事をし、しかも作り笑いで添乗員らしい人の所へ行くのは、僕らしい。
バスに乗り込むと人はまばらだった。僕はちょうど真ん中ぐらいの窓側の席に腰掛けた。あとは目的地まで勝手に連れて行ってくれるのだろう。
気分が悪い僕はすぐに眠る体勢を整えた。
さっきの添乗員さんらしき人は運転手も兼任らしく、さっそうと運転席に座ると陽気に喋りだしていた。そんなDJのような運転手と、まばらだがそれに受け答えている観光客のやり取りが段々と遠のいていった。車酔いするタイプではない僕は、バスの揺れがゆりかごのように気持ちがよく、少なくても乗っている間は風邪のことなど忘れられる気がしてきた。いいことだ。気がついた時には、もうメルボルンに戻っていればいいな…なんてことも少し考えていた。
しばらくして目が覚めると、まだバスは走っていた。いつの間にか流れる景色はいかにもタスマニアタイガーが潜んでいそうな、自然豊かだが危機を妄想できる場所に変わっていた。そんなふうに外の景色にひたっていると、バスがスピードをだんだんと落としているのが分かった。ガイドブックに載っている写真と今僕の目の前に広がる眺めはどう見ても違うような気がしてならない。正直言って焦った。英語力のない僕は、僕が行きたかった場所ではないツアーを申し込んだのかもしれない、と。けれど、もうこうなったらどうしようもないので、このツアーに参加するしかない。腹をくくりバスを降りようと席を立った。
「あっ!」
思わず声を出していた。僕の席の反対の窓側に、運命なのか空港で見かけた女の子がいた。この間(とは言っても昨日だけど)と髪型は同じ僕好みのポニーテールだ。心臓はドキドキしている。自分の英語力のなさに感謝しながら、スキップしそうなほどの足取りでバスを降りた。運転手さんが僕の胸の所に何やらシールを貼ってくれた。汽車の絵が描かれていて『THE BUSH MILL』と書いてあった。なにがなんだか分からないし、彼女に話しかける絶好のチャンス。僕は勇気を出して彼女に近づいた。もし日本人じゃなかったらという不安はなかった。舞い上がっているせいか、それとも熱のせいかそれはどっちでもいい。
「あの~すいません」
「はい」
日本語が返ってきたことで僕の幸せは天国に登るほどだった。
「どうしてよいのかよく分からないんですけど。これからどうするんですか?」
「あっ…えーと、あそこに汽車がありますよね。ランチをここで個人的にとったあと、汽車に乗って行くんです。そしたらその場所にバスは待機してますから、またそのバスに乗って、次はポート・アーサーに…」
「やっぱりポート・アーサーに行くんですか!」
「ええ」
彼女は不思議な顔をしていた。風邪をひいていることなど忘れて、この調子で一緒にお昼をと思い、話しかけようとしたら、
「それじゃあ」
と言って、さっさと行ってしまった。後をつけていくのも女々しいので、僕は彼女と反対方向を目指した。
説明されたとおり汽車が待機していた。食欲は風邪のせいでない。ポニーテールの女の子と一緒なら別だと思ったが、もうその希望もない。でもまだチャンスはあると自分を慰めていた。何気なく汽車を見ていると、一人また一人と乗り込んでいた。だんだんと席が埋まっていたので、もうそろそろ出発なのだろうと僕も汽車に乗り込んだ。あの人はもう乗ったのだろうかと、少し気になったが、怪しい雲も気になっていた。どうやら雨が降りそうなのだ。憂うつな気分に浸りながらも、汽笛の音が響き渡り、今にも走りだそうとした。
その時、彼女が僕の方にはしってきたのだ。
すぐに出来の悪い恋愛小説みたいなことが起こるんじゃないかと期待してしまった。
「今ならまだまにあうよ!」
完璧なシナリオだと思っていた。けれど彼女には恋愛よりもサスペンスと言った顔つきで、
「あっ、違うの!次の汽車に乗るのよ!」
「えっ?…そんなこと言われても…」
だんだんと彼女は小さくなっていった。どうしよう。どうしたらいいだろう。僕の中で動揺菌が繁殖し、少し肌寒いのに汗(ただの冷や汗だけど)を掻いている。汽車からは何やらアナウンスが流れているが、そんなのを聞いている余裕などはない。ましてや景色を堪能することなんてもっての他だ。汽笛を何度か鳴らすと、ゆっくり速度が落ちていった。そして前方に小屋みたいな建物が見えた。どうやら終点らしい。その横にバスも見えたが、どう見てもさっきまで乗っていたバスとは違う。と言うことは今乗っている人達は違うツアーの人たちなのだろう。冷静にと思い、一回深呼吸をした。あたりを見渡すとその小屋のようなものしかない。ここでずっと同じツアーの人を待っているのはつらいだろう。ましてや雨が降ってきて体がぶるぶる震えだしてきた。風邪をひいているというのにこんな所で待っていたら肺炎にでもなってしまう。解決策はあるだろうか…もう誰もいなくなった汽車に乗って考えていた。すると汽車の操縦士兼車掌さんのような人が僕を見つけて何やら話しかけている。
「あー、……」
一生懸命説明しようとしたが、頭の中はパニックだ。何やら言っていたが、僕が降りずにいても怒る様子がなく、笑っていたので大丈夫なのだろう。多分胸のシールを指差して納得していたようなので、彼は理解してくれたのだろう。汽車は僕一人を乗せ、もと来た線路を戻っていった。
無事に元いた場所にたどり着き、ほっと一息ついた。すぐにまた人だかりが汽車に乗り込んできたので、僕は降りようとした。するとポニーテールの彼女が乗り込んできた。
「もう、びっくりしたよ。私、変な事教えたかなって」
「そんなことないです」
頭を掻きながら僕は言った。そしてこれを機会に自己紹介した。
「私は大空葵。あなたより一つ年下です」
ニコッと笑った笑顔がまた可愛い。僕はこれまでの旅の経過を語り、彼女はそれを黙って聞いてくれた。風邪の事を話すと、
「私、ホテルに戻れば日本の風邪薬があるから」
と、優しすぎるほど優しかった。
楽しく、幸せいっぱいな気持ちで、目的地ポート・アーサーへたどり着いた。雨はシトシト降っている。葵ちゃんは、僕がホバートに来てからほとんど栄養をとってないことを知ると、
「風邪をひいた時は、ビタミンをとらなきゃ」
と、流刑場跡を目の前にしているのに、近くにあるちょっとしたお土産屋みたいなところのちょっとした食堂のようなところで、オレンジジュースとサンドウィッチを買ってきてくれた。本当に優しい子だ。今まで英語力のなさでまともな食べ物を食べていない僕は心で嬉し泣きし、風邪をひいているので味覚はないが、心で味わって胃を満足させた。何もかもが良い方向に転がっているようだ。外を見ると雨も止んでいたのだ。このまま葵ちゃんとうまくいけそうな予感までして、心は弾み、流刑場跡目指して歩いていった。
外見はしっかりしているようなメインの建物(違うかもしれないけどここの紹介で写真が載っている建物はこれだ)も近づくにつれ、今にも崩れそうな廃墟という言葉がぴったりの建物だということが分かってきた。なかには今でもしっかり建物と呼べるものもあったが、ほとんどが映画のセットのように、中からベニヤ板で支えているようなそんな頼りなさを感じた。
「ここは火事でこんな風になったんだって」
そう葵ちゃんは僕に説明してくれた。彼女の英語力は信用していいだろう。まるで専属の添乗員さんみたいだ。しかも僕のタイプときているから、ポート・アーサーどうのこうのというより、彼女と一緒にいれることが幸せで、僕には何でもない流刑場跡も天国のように思えてくる。
極めつけは、囚人が設計した教会だ。
葵ちゃんが説明してくれていたが、右の耳か左の耳へ。でもすごく素敵な建物で、なんて表現したらいいか分からないが、女の子がこんな教会で結婚式を挙げたいと思うのは当然だと思う。ずっと眺めていても飽きない。僕はメインの流刑場跡よりも、もしここタスマニアへ来るなら、ポート・アーサーのこの教会は絶対見てくれと、これから必ず人に薦めるだろう。ましてや横には葵ちゃんがいる。彼女が純白のウエディングドレスを着ている姿を想像すると、それだけでよだれが出てきそうだ。
「もしこんな教会で結婚式をあげられるなら、幸せだろうな~」
僕は大きく頷き、
「予行練習してみる?」
我ながら思い切った台詞を口にした。大きな瞳を輝かせ、葵ちゃんは恥ずかしそうにうつむいた。しかし、ピピッと彼女のデジタル腕時計がすまなそうに、控えめに、四時になることを知らせた。
「いけない。もう、集合の時間だわ」
やっぱり恋愛小説のようにはいかないもんだ。早く行こうと手招きしている葵ちゃんを見ながら、しみじみと思う今日この頃であった。




