第8章:アンダーガーデン
ダンジョン第20階層。
ボスエリアに足を踏み入れた瞬間、空気が重く変わった。
この部屋を支配しているのは、階層主――オークロード。
二本足で立つ巨大な豚の怪物。
その巨体は五メートル近くあり、俺たちを見下ろすように立っていた。
右手には、馬鹿みたいに巨大な大剣。
鈍く光る刃が、不気味な威圧感を放っている。
[ HP: 28,000/28,000 ]
ヴィオナたちはすぐに前へ出た。
無駄のない動きで陣形を組み、オークロードを迎え撃つ。
一方、俺は後方でその様子を見守ることしかできなかった。
「いつもの通りだ、ヴィオナ」
ドミニクが低い声で合図を送る。
「ん」
ヴィオナは短く頷いた。
そのまま滑らかな動きで剣を抜き放つ。
次の瞬間には、二人とも武器を構えていた。
自分の縄張りを荒らされたことに気づいたのか。
オークロードが低く唸った。
「グァァァァァッ!!」
鼓膜を震わせるような咆哮。
次の瞬間、巨体が地面を踏み砕きながら突進してきた。
「今だ!」
ドミニクが叫ぶ。
同時に、彼は真正面から駆け出した。
ヴィオナもその後ろを追うように走る。
距離が一気に縮まる。
次の瞬間、オークロードが大剣を振り上げ、ドミニクへ叩きつけた。
だが、ドミニクは避けない。
真正面から、自分の剣で受け止めた。
「ッ――!」
ガキィィィン!!
凄まじい衝突音。
火花が散る。
ドミニクはそのまま剣を滑らせ、重い斬撃を横へ受け流した。
その瞬間、オークロードの体勢がわずかに崩れる。
「スイッチ!」
ドミニクが叫ぶ。
一瞬で前後を入れ替わり、ヴィオナが前へ飛び出した。
「はぁぁっ!」
鋭い踏み込み。
振り下ろされた剣が、オークロードの腹部を斬り裂く。
ザシュゥゥッ!!
2,450 ダメージ。
[ HP: 25,550/28,000 ]
だが、ボスクラスのモンスターは止まらない。
腹を斬られた直後、オークロードは咆哮を上げ、大剣を横薙ぎに振り払った。
ガキィィィン!!
ヴィオナが即座に剣で受ける。
「くっ……!」
凄まじい力。
押し負けそうになりながらも、ヴィオナはなんとか斬撃を弾き流した。
「スイッチ!」
叫ぶと同時に後方へ下がる。
入れ替わるように、今度はドミニクが前へ出た。
「ハァァァッ!!」
踏み込みと同時に体を捻る。
勢いを乗せた一撃が、再びオークロードの腹を斬り裂いた。
ザシュゥゥッ!!
2,550 ダメージ。
続く二撃目も直撃した。
オークロードの腹に、深い斬撃が刻まれる。
二人の連携によって生まれた傷跡は、まるで“X”字のようだった。
[HP:23,000 / 28,000]
立て続けに傷を負わされ、オークロードが怒り狂う。
「グォォォォッ!!」
次の瞬間、標的をドミニクへ切り替えた。
だが、ドミニクは冷静だった。
振り下ろされる大剣を見切り、後方へ跳ぶ。
PERFECT DODGE!
轟音。
空振った一撃が石床を粉砕し、破片が周囲へ飛び散る。
武器を引き戻そうとしたオークロードの隙を突き、ドミニクとヴィオナが同時に踏み込んだ。
「ソードスキル――」
二人の声が重なった。
瞬間。
ドミニクの剣が青い雷光を纏い、ヴィオナの刃は純白の輝きに包まれる。
「ライトニングスラッシュ!」
振り下ろされた斬撃が、オークロードの右腕を斬り飛ばした。
CRITICAL HIT!
5,500 ダメージ
「スプリット・フラワー・ペタルズ!」
ほぼ同時に、ヴィオナの白刃が閃く。
鋭い軌跡が走り、今度は左腕が宙を舞った。
CRITICAL HIT!
5,250 ダメージ
完璧な連携だった。
ドミニクとヴィオナの斬撃によって、オークロードの両腕が宙を舞う。
[HP:12,250 / 28,000]
「グルルルルァァァァッ!!」
両腕を失ったオークロードが、苦痛に狂ったような咆哮を上げた。
だが、ドミニクは止まらない。
「ギル!」
その声に、後方で待機していたギルが鋭く笑った。
「アーチャースキル――ユニコーン・ラミング」
ギルが矢を放つ。
緑色の光を纏った一矢が、両腕を失ったオークロードへ一直線に飛んだ。
その瞬間。
空中で光が弾ける。
緑の軌跡は巨大なユニコーンの幻影へと変わり、そのまま猛然と突進した。
「グォォォォッ!?」
鋭い角がオークロードの胴体を貫く。
CRITICAL HIT!
6,200 ダメージ
体勢を崩したオークロードへ、今度はドミニクが駆け出した。
「ソードスキル――ホライゾンスラッシュ!」
横一閃。
振り抜かれた剣閃が、オークロードの首を斬り飛ばす。
CRITICAL HIT!
6,100 ダメージ
オークロードのHPバーが一気にゼロまで削り切られる。
次の瞬間。
巨大な肉体に亀裂が走り、砕け散った。
無数の光の粒子となって、宙へ溶けるように消えていく。
――討伐完了。
後衛から戦いを見ていた俺は、素直に感心していた。
ドミニクとヴィオナを中心にした連携は見事だった。
誰が何をするべきか、全員が完璧に理解して動いている。
リフェリー最強クラスのパーティーと呼ばれている理由が、少しわかった気がした。
第20階層の守護ボスが倒され、先へ続くルートが解放される。
そして俺たちは、その先にある第21階層――《アンダーガーデン》へ向かった。
***
アンダーガーデン――第21階層。
そこへ足を踏み入れた瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
今までのダンジョンとは、景色がまるで違う。
視界いっぱいに広がるのは、青々とした草原と緑豊かな木々。
湿った岩肌ばかりだった下層とは別世界だった。
さらに頭上を見上げれば、巨大な発光結晶が天井一面を覆っている。
それらは太陽のような柔らかな光を放ち、この空間全体を明るく照らしていた。
空気は澄み切っていて、風さえ心地いい。
ここがダンジョンの内部だなんて、とても信じられなかった。
「……すごい」
思わず声が漏れる。
《アンダーガーデン》。
その名前に偽りはなかった。
まるで地下に存在する楽園のようだった。
アンダーガーデンの中央には、《ファレリー》と呼ばれる小さな街が存在していた。
ダンジョンから地上へ戻らず、そのまま休息を取るプレイヤーたちの拠点らしい。
「どう、シグ? 綺麗でしょう?」
後ろから聞こえた声に振り向く。
ヴィオナが、ルーシーと一緒にこちらへ歩いてきていた。
「ああ……すごい場所だな」
俺は素直にそう答えた。
もう一度、アンダーガーデンを見渡す。
どこまでも続く緑の景色。
穏やかな風。
ここが危険なダンジョンの内部だなんて、今でも信じられなかった。
ヴィオナは嬉しそうに微笑んだ。
「シグ……よかったら、私とルーシーでこの辺りを案内しようか?」
「ああ、もちろん」
俺はすぐに頷いた。
「せっかくここまで連れてきてもらったんだ。断る理由なんてないよ」
すると突然、ルーシーが意味深な笑みを浮かべながら口を挟んできた。
「それじゃ、私は先にドミニクに許可をもらってくるわ。二人は先に行ってて」
「ありがとう、ルーシー。なんだか気を遣わせちゃってごめんね」
「気にしなくていいわよ」
ルーシーは軽く手を振り、それから俺たちを交互に見た。
「せっかくのデートを邪魔するのも悪いしね♪」
からかうようにそう言い残すと、彼女はくるりと背を向け、そのまま軽い足取りで去っていった。
俺は思わず固まる。
「……デート?」
思わず聞き返してしまった。
「ち、違っ……そういう意味じゃなくて!」
隣でヴィオナが慌てて否定する。
顔を真っ赤にしながら、焦ったように俺を見上げてきた。
そんなヴィオナを見ているうちに、なぜか俺まで妙に意識してしまう。
気まずそうに、ヴィオナはぷいっと顔を背けた。
「ごめんなさい、シグ。あの子、昔からこういうことで私をからかうの好きなの」
ヴィオナは小さな声でぼそっと呟いた。
「ああ……そうなんだ」
俺も短く返す。
頭の中が妙に真っ白で、どう反応すればいいのかわからなかった。
「えっと……じゃ、行こっか」
ヴィオナはまだ少し照れた様子のまま、ぎこちなくそう言った。
俺たちは並んでファレリーの街へ歩き出す。
だけど――。
無言のまま歩いているせいか、妙に落ち着かない空気が流れていた。
ルーシーの言った『デート』という言葉が、なぜか頭から離れなかった。
「デート、か……」
気づけば、無意識に小さく呟いていた。
妙に落ち着かない気分を誤魔化すように、俺は視線を上へ向ける。
アンダーガーデンの天井では、無数の発光結晶が黄金色の光を放っていた。
だが、その時だった。
俺の視線がぴたりと止まる。
結晶の隙間に、赤く点滅する何かが見えたのだ。
それは周囲から浮いて見えるほど異質だった。
しかも、その横には――
• ERROR •
赤い警告文字が浮かんでいる。
心臓がどくりと跳ねた。
なんだ……あれ?
「ヴィオナ、あれって何だ?」
俺は赤い点を指差しながら尋ねた。
ヴィオナは足を止め、俺と一緒に上を見上げた。
「ああ、あれ? ただのバグよ」
ヴィオナはあっさりと答える。
その様子を見る限り、特に危険視はしていないらしい。
「数日前から、ずっとあそこに出てるの」
俺はもう一度、赤く点滅する光を見つめた。
このヴォルレスティアでは、説明のつかないシステム異常や奇妙な現象を、プレイヤーたちはまとめて『バグ』と呼んでいる。
「ただのバグ……ね」
そう呟きながら、俺は視線を前へ戻した。
妙な話題だったが、不思議とさっきまでの気まずい空気は薄れていた。
俺たちは再び歩き出す。
今度は、さっきより自然に会話ができた。
***
ファレリーの街。
しばらく歩くと、俺たちは街の入り口へ辿り着いた。
地下に作られた小さな街――そんな印象だったが、中は想像以上に活気に満ちていた。
石畳の通りには、装備屋や飲食店、宿屋が並んでいる。
プレイヤーたちの話し声や笑い声もあちこちから聞こえてきた。
行き交っているのは、ほとんどがプレイヤーたちだ。
どうやらこの街を拠点にしている連中も多いらしい。
第21階層は安全地帯になっているから、わざわざ上層のリフェリーまで戻る必要がないのだろう。
街の通りを歩いていると、不意にヴィオナが足を止めた。
「シグって、ナイフと剣ならどっちが好き?」
突然の質問に、俺はきょとんとする。
「え? 俺?」
「うーん……どっちも嫌いじゃないけど、強いて言うなら剣かな。ナイフよりリーチがあるし」
そう答えると、ヴィオナはどこか満足そうに微笑んだ。
「剣、ね」
次の瞬間。
ヴィオナは俺の腕を掴み、そのままぐいっと引っ張る。
「ほら、行くわよ」
「えっ!? ど、どこ行くんだよ!?」
俺は慌てて声を上げながら、半ば強引に連れて行かれた。
「ここにね、モンスターのドロップ品の武器を専門に扱ってるプレイヤーがいるのよ」
ヴィオナはどこか楽しそうに説明した。
俺は思わず足を止める。
「あー、気持ちは嬉しいんだけどさ、ヴィオナ……俺、新しい武器を買えるほど金持ってないんだ」
少し気まずそうにそう言うと、ヴィオナは振り返って俺を見た。
その顔には、柔らかい笑みが浮かんでいる。
「そんなの気にしなくていいわ」
ヴィオナはそう言って、再び俺の腕を引っ張った。
俺たちはそのまま、賑わうファレリーの市場を進んでいく。
***
俺とヴィオナは、アンダーガーデンの片隅にある古びた店の前で足を止めた。
他の店は明るく賑わっているのに、この場所だけ妙に薄暗い。
まるで骨董屋みたいな、不思議な空気が漂っていた。
朽ちかけた木の看板には、
『エイデンズ・トレード(Aiden's Trade)』
と書かれている。
「ここか?」
俺が尋ねると、ヴィオナは小さく頷いた。
「店主はNPCじゃないわ。ここにある商品は全部、プレイヤーが持ち込んだドロップ品か、裏取引で流れてきたものなの」
ヴィオナは店の扉を見ながら続ける。
「たまに掘り出し物もあるけど……その分、変なガラクタも多いわね」
ドアを押し開けると、頭上の小さなベルがからん、と掠れた音を鳴らした。
店の奥。
傷だらけの木製カウンターの向こうに、ボサボサの黒髪をした男が立っていた。
鋭い目つきの男だった。
気だるそうに立っているのに、その視線だけは油断なく俺たちを観察している。
「ヴィオナか……」
男は低い声で呟いた。
「珍しいな。今日は何の用だ?」
「エイデン。この人に合う剣を探してるの」
ヴィオナがそう言うと、エイデンの視線が俺へ向く。
細められた目が、頭の先から足元までじろりと俺を見た。
まるで装備も実力も全部見透かされているような感覚だった。
「……新人か?」
エイデンは探るように尋ねた。
「名前はシグ。アンダーガーデンに来るのは今日が初めてよ」
ヴィオナがそう説明すると、エイデンは薄く口元を吊り上げた。
「シグ、ね。アンダーガーデンへようこそ」
そう言ってから、彼は意味ありげに続ける。
「ちょうど面白いモンがある」
エイデンは店の奥――一番薄暗い場所へ歩いていった。
棚に並ぶ埃まみれの武器を指先でなぞり、その途中でふと手を止める。
そして戻ってくると、一本の剣をテーブルの上へ置いた。
鞘はない。
刃には黒ずんだ包帯のようなものが巻き付いていた。
魔力の光もなければ、特別なオーラも感じない。
まるで失敗作みたいな剣だ。
――なのに。
包帯の隙間から覗く血のように赤い刃だけが、妙に目を引いた。
気づけば、俺はその剣に視線を奪われていた。
ヴィオナが眉をひそめる。
「……これだけ?」
エイデンは剣をそれ以上こちらへ押し出そうともせず、そのままテーブルに置いていた。
「匿名のプレイヤーから買い取ったモンだ。ユニーク級にしちゃ、妙に安かったんでな」
「どうしてそんな値段だったの?」
ヴィオナが怪訝そうに尋ねる。
すると、エイデンは口元を歪めた。
「自分で見てみろ」
ヴィオナは眉をひそめながら、その埃まみれの剣の柄へ手を伸ばした。
直後、半透明のシステムパネルが表示される。
「ATK+1……会心率+45%?」
ヴィオナは表示を読み上げながら、途中でぴたりと止まった。
「呪い……最大HP−90%!?」
空気が一瞬で静まり返る。
「……これ、武器じゃないわ」
ヴィオナはエイデンを鋭く睨みつけた。
「ただの自殺道具よ」
だが、エイデンは気にした様子もなく腕を組む。
「みんなそう言う」
「じゃあ、なんでこんなモン残してたのよ?」
ヴィオナが呆れたように言う。
「そりゃ――」
エイデンはゆっくりと視線を俺へ向けた。
その目は、まるで俺の反応を試しているみたいだった。
「こういうイカれた性能を欲しがる奴が、そのうち現れる気がしてたからだ」
その言葉に、俺は思わず興味を引かれた。
俺はゆっくりと手を伸ばし、剣の柄へ触れる。
瞬間、半透明のシステムパネルが空中に浮かび上がった。
[ Veinreaver ]
レアリティ:不明
種類:剣
基本ステータス:+1 ATK
サブステータス:+45% クリティカル率
呪い:使用者の最大HPが90%減少
ユニークアフィックス — 「Blood Omen」:
ターゲットにクリティカルヒットが命中する度、Blood Omenが発動する。
Blood Omenは敵に5スタックの出血を与える。
各スタックは1分間につきターゲットの最大HPの5%に相当する継続ダメージ(DoT)を与える。
持続時間:1スタックにつき1分(更新可能)。スタックはクリティカルヒット毎に更新される。
スタックメカニクス:獲得した各スタックはDoTの持続時間を延長するのみ。
1分間あたりの最大DoTダメージは敵の最大HPの5%を超えない。
特殊効果:Blood Omenを受けたターゲットはかすかな血の跡(Bleeding)を残し、絶対的な生命力低下の指標となる。
出血状態にある間、ターゲットへのすべてのHP回復効果は50%減少する。
ロア:この剣は肉を斬るのではない——生命の流れそのものを引き裂く。
死を拒む古代の存在の血の精髄から鍛造された「Veinreaver」は、躊躇いなく攻撃する者の手の中でのみ覚醒する。
全ての斬撃は、逃れられぬ死の始まりである。
フレーバーテキスト:「一度血を吸えば、決して止まることはない。」
俺は説明欄を一行ずつ読み進めた。
「クリティカルごとに……『ブラッド・オーメン』付与。5スタック到達で、1分間……最大HPの5%ダメージ……」
思わず小さく呟く。
目を細めながら、俺は頭の中でこの武器の性能を計算した。
ATK+1。
最大HP−90%。
一見すると、完全なハズレ武器だ。
だが、本当に危険なのはそこじゃない。
「……なるほどな」
俺は小さく息を漏らした。
「この武器、本体の攻撃力なんて最初からどうでもいいんだ」
その瞬間、ヴィオナとエイデンの視線が同時に俺へ向く。
「シグ……?」
ヴィオナが怪訝そうに眉をひそめた。
「ダメージ参照が“敵の最大HP”になってる」
俺は冷静に続ける。
「つまり、相手のHPが高ければ高いほど、この武器は危険になるってことだ」
一瞬、店の空気が静まった。
そして――。
エイデンが薄く笑う。
「……初めてだな。説明を最後まで読んだ奴は」
「でも、HP−90%なんて無茶苦茶よ!」
ヴィオナが信じられないという顔で反論した。
「範囲攻撃を一発でも食らったら、そのままゲームオーバー直行なのよ!?」
俺は黙ったまま、そのリスクを頭の中で計算する。
もし最大HPの10%しか残らないなら、戦い方は変えなければならない。
被弾は許されない。
回避ミス一つで終わる。
だが――。
俺には、即死級の一撃を一定回数まで無効化できる呪具がある。
それに。
この剣の効果なら、HPが極限まで削られた時点で『死の淵の監視者』の条件も満たせる。
「……致命傷さえ避けられれば」
気づけば、俺は小さく呟いていた。
「このペナルティは、そこまで問題じゃない」
俺がその自殺じみた剣に興味を示した瞬間、ヴィオナはすぐにインベントリを開いた。
白い光が弾け、純白の鞘に収められた剣が彼女の手の中に現れる。
ヴィオナはVeinreaverをさりげなく俺の手元から遠ざけ、その白い剣を差し出した。
「こっちを使いなさい」
有無を言わせない口調だった。
「そんな呪われた武器に命を預けるくらいなら、私の予備武器の方がずっとマシよ」
すると、カウンターの向こうでエイデンが呆れたように鼻を鳴らした。
「おいおい。せっかく成立しそうだった取引を邪魔するなよ、ヴィオナ」
「危険物を押しつけようとしたあんたが悪いのよ」
ヴィオナは冷たく言い返す。
エイデンは肩をすくめ、呆れたようにため息を吐いた。
「……お前、あいつの保護者か何かか? 過保護すぎるだろ」
二人の言い合いを横目に、俺はヴィオナから渡された白い剣のステータス画面へ視線を向けた。
[ Angel Wings Cutter ]
レアリティ:★★★★ (ランクA)
種類:剣
基本ステータス:+105 ATK
サブステータス:+50% HP
ユニークアフィックス — 「Healing Angel」:
使用者のクリティカル率が+25%増加する。
クリティカルヒット毎にHealing Angelが発動し、10スタックのヒールを与える。
効果:各スタックは10秒ごとに最大HPの2.5%を回復する。
持続時間:1スタックにつき10秒(更新可能)。
スタックメカニクス:獲得した各スタックはヒールの持続時間を延長するのみ。
重ねることができるスタック数は最大40回。1分間あたりの最大ヒールは使用者の最大HPの15%を超えない。
特殊効果:40スタックのヒールがある時、使用者の背後にかすかな光の翼が現れ、この効果は30分間、追加で最大HPを40%増加させる。
(クールダウン:効果発動後30分)。
ロア:天の門番が持つ古代の武器。戦闘のあらゆる傷を生命の流れへと変える。
前線で戦う者たちを保護する。
フレーバーテキスト:「血が流れる場所には、天使が応える。」
性能の方向性があまりにも極端だった。
Veinreaverは使用者の最大HPを九割も削る代わりに、強力な追加ダメージを与える呪剣。
それに対して、Angel Wings Cutterは継続的なHP回復と強力な再生効果を持つ防御寄りの武器だった。
まるで正反対だ。
「ヴィオナ、本当にこんなランクAの剣を俺に貸してくれるのか?」
「いいから使いなさい」
ヴィオナは短く言った。
「その武器、今はインベントリの肥やしになってるだけだし。少なくとも、その再生効果があれば、あなたも簡単には死なないわ」
「……わかった。大事に使わせてもらうよ」
俺は白い剣を受け取りながら答えた。
これほど優秀な防御向けの装備があれば、今の俺の生存率はかなり上がるはずだ。
エイデンは深いため息をつき、呆れたような顔で俺たちを見た。
「そういうお人好しごっこは外でやってくれ。買わないなら帰った帰った」
彼はヴィオナに向かって追い払うように手を振りながら言った。
ヴィオナは銀貨十枚を木製カウンターの上に置いた。
チャリン、と硬貨のぶつかる音が店内に響く。
「ガチャスキルの巻物を二つ」
支払いを見た瞬間、エイデンの態度が露骨に変わった。
「毎度あり。ほらよ、ガチャスキルの巻物二つだ」
そう言って、彼は羊皮紙の巻物を二本カウンターへ滑らせた。
「ガチャスキル? 一体どんなシステムなんだ?」
ヴィオナがエイデンから巻物を受け取るのを見て、俺は驚いて尋ねた。
「ランダムなスキルを獲得できるアイテムよ。ランクFからSまであるわ。簡単に言えば、ただの運試しね」
ヴィオナはさらっと説明した。
「こんなの、どこで手に入るんだ?」俺は思わず聞き返した。
「第25階層に特定の時間だけ現れる特殊モンスターのドロップ品よ」
そう言うと、ヴィオナは巻物の一つを俺へ差し出した。
「これ、あげる」
俺は巻物を受け取り、手の中で軽く眺めた。
古びた羊皮紙のような質感で、表面には見慣れない紋様が刻まれている。
「……どうやって使うんだ?」
「見てて」
ヴィオナは簡潔に答えた。
彼女は巻物を開き、羊皮紙に描かれた魔法陣を見せた。
躊躇うことなく、ヴィオナは親指を軽く噛んで血を滲ませ、その血を魔法陣の中央になぞる。
瞬く間に魔法陣が眩く発光し、羊皮紙は火もないまま光の粒となって消え去った。
ヴィオナは、自分にだけ見えているシステム画面へ視線を向ける。
だが、すぐに少し残念そうに目を細めた。
「あー……ハズレっぽいわね」
ヴィオナは小さくため息をつく。
「攻撃系じゃないわ。ただの微妙な補助スキルみたい。たぶん銅貨十枚の価値もないかも」
そう言って、彼女は俺へ視線を向けた。
「シグ、あなたもやってみて。私より運がいいかもしれないわよ」
「ああ、わかった」俺は頷いた。
俺も先ほどのヴィオナと同じように巻物を開き、親指を軽く傷つけて、その血を魔法陣へとなぞる。
直後、羊皮紙は光に包まれ、光の粒となって静かに消滅した。
同時に、システムメッセージが視界に浮かび上がる。
《 マジックスキル:Time Leap 》
タイプ:非ダメージ
効果:[ NULL ]
持続時間:[ NULL ]
マナコスト:50 MP
クールダウン:[ NULL ]
「……なんで、ほとんどの項目が空欄なんだ?」
俺は眉をひそめながら尋ねた。
「それがガチャスキルの特徴なのよ」とヴィオナは説明する。
「ガチャ産のスキルって、最初はシステム側も完全に情報を解析できてないことが多いの。だから、種類とか消費MPみたいな基本データしか表示されないわ」
「残りの情報は、実際に使った後で自動的に補完される仕組みよ」
そこまで説明してから、ヴィオナは少し気になったように俺を見た。
「……それで、シグ。よかったら、そのスキルの名前、教えてくれない?」
「タイムリープだ」俺は短く答えた。
ヴィオナの目がわずかに見開かれる。
「時間系スキル……? 少なくとも攻撃タイプじゃなさそうね」と、彼女は小さく呟いた。
それからヴィオナは、カウンターの向こうにいるエイデンへ視線を向けた。
「エイデン、あんたはどう思う? これって高ランク系かしら?」
エイデンは興味深そうに顎を撫でる。
「タイムリープ、か……聞いたこともない名前だな」
彼は目を細めた。
「だが、もし本当に時間干渉系の能力なら、とんでもない代物だ。下手すりゃSランク級かもしれん」
「ここで一度使ってみろ、シグ。実際の効果を見てみたい」
「私も気になるわ」ヴィオナも頷いた。
俺は小さく息を吐く。
「……わかった。試してみる」
俺は軽く息を整え、右手を前へ掲げた。
体内のマナを集中させながら、意識をあのデスゾーンに閉じ込められる前へと向ける。
もしこのスキルが、本当に時間を巻き戻す力なら――。
「マジックスキル……タイムリープ」
詠唱した瞬間、俺の視界が一瞬だけ淡く輝いた。
だが、それだけだった。
空間が歪むこともなければ、景色が変わる気配もない。
気づけば、俺は相変わらずエイデンの店の中で、右手を掲げたまま立っていた。
「……どうやら、何も起きなかったみたいだな」
俺は気まずそうに呟きながら、後頭部を軽く掻く。
「なんだ、ハズレスキルかよ」
エイデンは露骨にがっかりした様子で肩をすくめた。
「もしかしたら、発動条件があるタイプのスキルなのかもしれないわね」
ヴィオナは気遣うような声で言った。
「時間系のスキルって、たいてい癖が強いものだし」
「……そうか」俺は小さく呟く。
「だから、そのスキルは今後また試してみればいいわ」
ヴィオナはそう続けてから、ふっと微笑んだ。
「それより、アンダーガーデンの案内を続けましょう? ちょうどシグに見せたい場所があるの」
***
エイデンの店を後にした俺たちは、その後もしばらくファレリーの街を歩き回った。
いくつかの区画を案内してもらった後、ヴィオナは街外れの川まで俺を連れてきた。
ファレリーからそれほど離れていない場所だ。
川の水は驚くほど澄んでいて、流れも穏やかだった。
思わず飛び込みたくなるような、そんな綺麗な場所だ。
俺とヴィオナは川辺に並んで立ち、膝辺りまで水に浸かる。
ひんやりとした冷たさが心地いい。
透き通った水の中では、小さな魚たちが足元を泳ぎ回っていた。
しかし、俺が夢中になって魚を眺めていると、不意に水しぶきが顔にかかった。
「うわっ……!」
顎を伝って流れ落ちる冷たい水に、俺は驚いて顔を上げる。
見ると、ヴィオナがくすくすと笑っていた。
俺の反応がよほど面白かったのか、彼女は楽しそうに笑みを浮かべている。
「くらえっ!」
ヴィオナはそう叫ぶと、再び両手で水をすくい、俺に向かって勢いよくはねかけてきた。
もちろん、俺もやられっぱなしではいられない。
「お返しだ!」
俺も川面を払うようにして、水をヴィオナへ投げ返した。
「きゃっ、冷たっ!」
水を浴びたヴィオナは小さく悲鳴を上げる。
けれど、その笑顔はますます楽しそうに弾けていた。
ほんのひととき、この場所で生き残るという重圧を忘れられた気がした。
まるで俺たちは、ただ川遊びを楽しんでいる普通の恋人同士みたいだった。
だが、笑い合っていたその時、不意にヴィオナの足が滑った。
濡れた岩場にバランスを崩し、彼女の体が後ろへ倒れかける。
反射的に、俺は前へ踏み出していた。
ヴィオナが川底へ倒れる前に、その体をしっかりと抱き止める。
勢いのまま距離が一気に縮まり、互いの顔がすぐ目の前まで近づいた。
彼女の温かな吐息が、かすかに肌へ触れる。
俺の腕の中で、ヴィオナも固まっていた。
気づけば、俺たちは無言のまま見つめ合っていた。
近すぎる距離のせいで、彼女の体の柔らかさがはっきりと伝わってくる。
思わず息を呑んだ。
あれほど前線で戦っている剣士なのに、抱き寄せた感触は驚くほど華奢で、普通の女の子そのものだったからだ。
俺はヴィオナの淡い水色の瞳を見つめた。
透き通るほど綺麗なその瞳には、俺の姿が小さく映り込んでいた。
まるで魔法にかけられたみたいに、俺は呆然としていた。
時間が止まったような感覚だった。
白く滑らかな肌。
ほんのり赤い唇。
それを見つめているだけで、心臓の鼓動がどんどん速くなる。
――キスしたい。
そんな衝動が、不意に頭をよぎった。
「お前たち、ここで何をしている?」
低く冷たい声が、突然その空気を切り裂いた。
ギルが川岸に立ち、険しい表情でこちらを睨んでいた。
俺はハッとして、すぐにヴィオナから離れる。
ヴィオナの頬も、うっすら赤く染まっていた。
俺たちは揃ってギルの方へ視線を向ける。
「どうしたの、ギル?」
ヴィオナは平静を装うように尋ねた。
「ドミニクたちがお前を待ってる。パーティーで話したいことがあるらしい」
ギルは“パーティー”という言葉をわずかに強調した。
まるで、俺はその輪の外だと言いたげに。
「……そう。わかった、すぐ戻るわ」
ヴィオナは小さく頷いた。
ギルは踵を返し、その場を立ち去ろうとした。
だが、歩き出す直前――。
彼はわざわざ俺の方を振り返り、鋭く冷たい視線を向けてくる。
「チッ……あの時、お前なんか死んでればよかったんだ」
吐き捨てるような声だった。
その呟きは妙に小さく、まるで俺にだけ聞かせるつもりだったかのように。
ギルが去った後も、その言葉だけが嫌に耳に残る。
……あいつ、俺のことを明らかに敵視している。
ヴィオナと一緒にいる時になると、特に露骨だった。
もしかすると、ヴィオナに好意を抱いていて、俺たちが親しくしているのが気に入らないのかもしれない。
――だが。
さっきの言葉には、それだけじゃない妙な引っ掛かりがあった。
まるでギルは、あの時俺の身に何が起きたのかを知っているみたいだった。
「ごめんなさい、シグ。私、もう戻らないと」
ヴィオナの声に、俺は意識を引き戻された。
「気にするな」
俺は静かに首を振った。
「むしろ、アンダーガーデンを案内してくれて感謝してる。すごく楽しかった」
「……うん。私も、すごく楽しかった」
ヴィオナは少し照れたように微笑んだ。
だが、俺たちがその場を離れようとした――その瞬間だった。
頭上のクリスタル群が、不気味に赤く明滅する。
先ほど見かけた[ • ERROR • ]の赤い光点が、突然激しく点滅し始めた。
バヂィィッ――!!
次の瞬間。
ドォォォンッッッ!!!
巨大な雷撃が空気を裂き、ファレリーの街の中心へと叩き落ちた。
衝撃は地面を震わせ、俺たちの足元にまで伝わってきた。
続いて、雷が落ちた場所から大量の土煙が巻き上がる。
視界を覆うほどの煙だった。
やがて風に流されるように、その煙が少しずつ薄れていく。
――そして。
その奥から、巨大な影が姿を現した。
街の中心に立っていたのは、規格外の巨体を持つモンスターだった。
「っ……!」
俺は息を呑み、その場で凍りつく。
隣では、ヴィオナも顔を青ざめさせていた。
彼女でさえ、目の前の光景が信じられないようだった。
その直後。
血のように赤い警告パネルが、アンダーガーデン中の全プレイヤーの視界へ強制表示された。
同時に、不気味な機械音のアラームが街中に鳴り響いた。
[ SYSTEM WARNING! ]
ワールドイベント発生:《 アンダーガーデン陥落 》
超大型ボス出現:《 Titan of the Abyss 》
[ 警告:セーフゾーン設定が解除されました ]
「……ワールドイベント」
ヴィオナの表情が強張る。
「さっきのバグ、ただの異常表示じゃなかったのね」
彼女は険しい目で街の中心を見つめた。
「まさか、本当に発生するなんて……」
いつの間にか、あの赤い光点は消えていた。
その代わりに――。
ファレリーの街の中央には、巨大な怪物が悠然と立っていた。
高さは十五メートルを超えている。
鎧もない。
武器も持っていない。
だが、その規格外の巨体そのものが、圧倒的な凶器だった。
《 Titan of the Abyss 》
本来なら、第六十階層に封印されているはずのボスモンスター。
リフェリーのプレイヤーですら、まだ誰一人として遭遇したことのない存在が――今、俺たちの目の前にいた。
***
次回、第9章 「ワールドイベント」
新しい章の更新は毎週土曜日です。




