第7章:クエスト
――シグ視点
***
どれくらい眠っていたのか分からない。
最後に覚えているのは、全身を焼くような激痛と、赤く点滅するシステムウィンドウ。
……けど。
今は、あの痛みもかなり引いていた。
重いまぶたを、ゆっくり開ける。
ぼやけた視界の中に、薄暗い部屋の明かりが映った。
少しずつ焦点が合っていく。
そこで――俺は固まった。
目の前に、ヴィオナの顔があった。
近い。
息がかかるほど近い。
しかも――
彼女の唇は、あと少しで俺の唇に触れそうな距離だった。
頭が真っ白になる。
なに、この状況。
「ヴィ、ヴィオナ……?」
思わず、かすれた声が漏れた。
突然響いた俺の声に、ヴィオナはビクッと肩を震わせた。
ぱちり、と目を見開く。
数秒、俺たちはそのまま固まった。
至近距離で見えた彼女の顔が、みるみる赤くなっていく。
次の瞬間――
ヴィオナは弾かれたように俺から飛び退いた。
「っ!?」
慌てすぎたせいで、後ろのナイトテーブルにぶつかる。
「よ、よかった……気がついたのね、シグ……」
彼女は明らかに動揺した様子で、しどろもどろに言った。
「ずっと目を覚まさないんじゃないかって、心配してたんだから……」
視線が全然合わない。
落ち着きなく目を逸らし続けている。
俺はゆっくり体を起こし、ベッドのヘッドボードにもたれかかった。
まだ頭が少しぼんやりしている。
確か俺は、あのデスゾーンの部屋にいたはずだ。
なのに、なんでこんな柔らかいベッドの上に……?
「心配かけてごめん……ヴィオナが、俺をここまで運んでくれたのか?」
俺がそう聞くと、ヴィオナは小さく咳払いした。
「え、ええ……私のパーティーメンバーにも手伝ってもらったけど」
どこか落ち着かない様子で答える。
それから彼女は、俺の顔をじっと見つめた。
「ねえ、シグ……もしよかったら、どうしてデスゾーンの部屋にいたのか教えてくれない?」
ヴィオナは不安そうな目で俺を見つめていた。
俺は小さく息を吐く。
11階で起きた、あの最悪な出来事。
あれを話すべきか――少し迷った。
「それは……」
だが、俺が答えようとしたその時だった。
ギィ、とドアが開く。
「ヴィオナ、もうキスし――」
最後まで言わせなかった。
ヴィオナが信じられない速度で飛び出し、ピンク髪の女の口を両手で塞いだからだ。
「むぐっ!?」
目の前で繰り広げられた光景に、俺は思わず瞬きをした。
「……キス?」
聞こえた単語を、そのまま聞き返す。
「あ、いや、その……何でもないわ!」
ヴィオナは引きつった笑みを浮かべながら、ものすごい勢いで首を横に振った。
「この子、たまに変なこと言うだけだから!」
なおも口を塞がれたままのピンク髪の女は、苦しそうにもがいている。
だがヴィオナは気づいていないのか、必死な様子で押さえ込み続けていた。
「あ、そうそう! この子、私のパーティーメンバーのルーシー!」
ヴィオナは慌てたようにそう言って、話題を強引に逸らした。
俺が状況を理解する間もなく、ヴィオナはさらに畳みかける。
「シグはまだ目を覚ましたばかりなんだから、ちゃんと休んでて!」
「私たち、ちょっと外で話してくるから!」
そう言うなり、ヴィオナはルーシーを半ば引きずるように部屋の外へ連れていった。
バタンッ――と勢いよく扉が閉まる。
部屋に残された俺は、ただ呆然と瞬きをした。
「……何だったんだ、今の」
途端に、部屋はしんと静まり返った。
俺はベッドの上に一人取り残されたまま、11階で起きた出来事を思い返す。
あの光景が脳裏によみがえり、無意識に息を吐いた。
……まずは、自分の状態を確認しないと。
「ステータス」
小さく呟いた瞬間、青い光の粒子が宙に集まり、半透明のウィンドウが目の前に展開された。
表示されたステータスを見た瞬間――
俺は言葉を失った。
[ プレイヤーステータス ]
レベル: 28
クラス: ノービス
HP: 1.056/1.056 | MP: 240/240 | スタミナ: 70/70
ATK: 105 (+5) | DEF: 176
クリティカル率: 5% | クリティカルダメージ: 50%
属性ダメージ: 0%
魔法ダメージ: 0%
ボーナスダメージ: 0%
通常スキル: -
ユニークスキル: Authority Glitch.
パッシブスキル: -
実績スキル: Watcher on Death's Edge.
特性スキル: Abyssal Pain Denial.
アルティメットスキル: -
俺の視線は、ステータスの数字に釘付けになった。
レベル28。
……前は、10だったはずだ。
デスゾーンで殺した三人。
その経験値で、一気に十八レベルも上がっていた。
普通じゃありえない。
こんなの、まともなプレイヤーなら絶対に辿り着けない上がり方だ。
けど――
俺が引っかかっているのは、レベルの高さじゃない。
その“方法”だった。
俺は、自分の手を見る。
震えていない。
人を三人殺した直後だっていうのに、心臓も妙に落ち着いていた。
罪悪感も。
後悔も。
……何もない。
その事実が、一番気味悪かった。
俺の中で、何かが変わり始めている。
この世界に、壊されているのか。
それとも――
最初から、俺はこうだったのか。
その時だった。
――バチッ。
突然、視界がノイズ混じりに歪む。
「っ……!?」
開いていたステータスウィンドウが激しく明滅した。
青い画面が崩れ、赤いグリッチが滲み出していく。
耳障りなノイズ音。
頭の奥を引っかき回されるような不快感。
次の瞬間――
真っ赤なシステムウィンドウが強制的に展開された。
[クエスト:死をもたらす者]
目的:24時間以内に、他プレイヤーを最低1人殺害せよ。
ペナルティ:失敗した場合、特別な罰を執行。
アクティブバフ:
クエスト中、ユニークスキル『デスゾーン』を付与。
俺は息を呑み、赤く点滅するウィンドウを見つめた。
モンスターを倒せ――じゃない。
このシステムは、俺にまた人を殺せと言っている。
[ 残り時間:23:59:45 ]
カウントダウンは無情にも減り続けていた。
頭が混乱する。
他のプレイヤーを殺すなんて、街の中で簡単にできることじゃない。
PK認定を受ければ、レッドプレイヤー扱いだ。
そうなれば街にも入れなくなるし、無理やり侵入すればペナルティまで食らう。
……なのに。
このクエストにもペナルティがある。
しかも制限時間は、たった24時間。
……誰を殺せばいい?
もしやるしかないなら、相手は選ばないといけない。
PK。
人殺し。
ダンジョンで初心者を狙うクズ。
そういう連中なら――
少なくとも、少しはマシだ。
俺はステータスに表示された新しいスキルへ視線を向ける。
『デスゾーン』。
さっき、三人を殺したあの部屋と同じ名前だった。
……まさか。
このスキルで、あの隔離エリアを作り出せるのか?
カチャッ。
突然のドアノブの音に、心臓が跳ねた。
「っ……!」
赤いクエストウィンドウは、まだ俺の目の前に浮かんでいる。
普通のシステム画面なら、他人には見えない。
けど――
このグリッチまみれの異常なウィンドウまで、本当にそうなのか?
もしヴィオナに見られたら。
そう考えた瞬間、背筋が冷えた。
「閉じろ!」
俺は慌てて空中を払う。
ドアが開く直前、赤いウィンドウは消え去った。
残ったのは、視界の端で動き続けるタイマーだけ。
冷や汗が頬を伝う。
俺は急いで息を整え、何事もなかったように表情を作った。
部屋に戻ってきたのはヴィオナだった。
今度はルーシーの姿はいない。
どうやら、本当に追い払ったらしい。
ヴィオナは木のトレーを抱えたまま、こちらへ歩いてくる。
上には水の入ったコップと、湯気の立つスープ。
彼女の顔にはまだ少し赤みが残っていて、どこか落ち着かない様子だった。
けれど、俺と目が合った瞬間、その表情が不安そうに変わる。
「シグ? 大丈夫?」
ヴィオナはトレーをナイトテーブルに置きながら聞いてきた。
「顔色悪いし、汗もすごいよ? まだどこか痛むの?」
そう言うと、ヴィオナは自然な動作で身を乗り出し、俺の額に手を当てた。
柔らかくて、温かい感触。
その瞬間――
さっきまで“誰を殺すか”なんて考えていた自分が、急に気持ち悪く思えた。
「だ、大丈夫だよ、ヴィオナ」
俺は慌てて答え、少しだけ顔を引く。
「ただ……その、長く気絶してたせいで、ちょっとクラクラしてるだけだ」
ヴィオナはそっと手を離し、ほっとしたように息をついた。
それから椅子を引き寄せ、ベッドのすぐ横に腰を下ろす。
彼女はスープの入った器を持ち上げると、少しだけ視線を逸らした。
「まだ本調子じゃなさそうだし……その、私が食べさせてあげる」
そう言って、ヴィオナはスプーンでスープをすくう。
ふー、ふー、と軽く息を吹きかけて冷ますと、そのまま俺の前へ差し出してきた。
「えっ……?」
思わず変な声が漏れた。
なんでここまで優しくしてくれるんだ。
そう思うと、妙に心臓がうるさかった。
けれど――
「あーん……」
ヴィオナが少し照れたようにそう促してきて、俺の思考は止まった。
「……あ、あーん」
観念して、俺は口を開けた。
ヴィオナに食べさせてもらうたび、俺の顔はどんどん熱くなっていった。
一口。
また一口。
温かいスープが、冷えていた身体にゆっくり染み込んでいく。
……なんだか、妙に落ち着く。
気づけば、器の中は綺麗に空になっていた。
「どう? 少しは楽になった?」
「ああ、もうだいぶ平気だ。ありがとな、ヴィオナ」
「どういたしまして。元気そうでよかった」
ヴィオナはほっとしたように微笑む。
そして空になった器を、そっとナイトテーブルへ置いた。
ヴィオナはじっと俺を見つめた。
腕を組み、その表情が少しだけ真剣になる。
「ルーシーはギルドに戻ったわ。だから今は、誰にも邪魔されない」
そう言って、ヴィオナはまっすぐ俺の目を見た。
さっきまでの優しそうな雰囲気は消えている。
今の彼女は、強敵相手でも一歩も引かない上級プレイヤーそのものだった。
「……説明して、シグ」
静かな声。
けれど、その視線は鋭い。
「どうしてあなたが11階のデスゾーンで倒れてたの?」
「2階でゴブリン狩りをしてたソロプレイヤーが、あんな場所にいるなんて普通じゃないわ」
「誰に連れて行かれたの?」
俺は小さく唾を飲み込んだ。
喉がやけに渇く。
ヴィオナはじっと俺を見ていた。
まるで、嘘を見抜こうとしているみたいに。
本当のことなんて言えるわけがない。
あの部屋で、俺はただ襲われただけじゃない。
……三人を、この手で殺した。
しかも、そのせいでレベルまで一気に上がったなんて――
そんなこと、ヴィオナに話せるはずがなかった。
だから、嘘をつくしかない。
彼女を納得させられるくらい、ちゃんとした嘘を。
胸の奥が少し痛んだ。
けど、仕方ない。
……いや。
本当は違う。
俺は怖いんだ。
もしヴィオナが真実を知ったら。
きっと、軽蔑される。
「それは……」
俺は言葉を詰まらせ、視線を落とした。
毛布を握る。
頭の中で、必死に言い訳を組み立てた。
「2階で……ベテランプレイヤーのパーティーに声をかけられたんだ」
なるべく弱々しく聞こえるように声を出す。
「11階で戦利品を運ぶポーターが足りないって。報酬もかなり出すし、安全は保証するって言われた」
ヴィオナは何も言わずに聞いていた。
鋭かった視線が、少しずつ揺らいでいく。
「俺、ちゃんとした装備を買える金が欲しくてさ……だから、ついて行ったんだ」
そこで俺は言葉を止めた。
肩を小さく震わせ、口元を押さえる。
「でも……あの部屋に入った瞬間……っ」
ヴィオナがハッとしたように立ち上がった。
「も、もういいわ、シグ!」
彼女は慌てたように首を振る。
「ごめんなさい……無理に思い出させるようなこと聞いちゃって」
俺は内心で固まった。
どうやら、演技はうまくいきすぎたらしい。
ヴィオナは完全に、俺を“被害者”だと思っている。
——だが、本当は違う。
胸の奥がチクリと痛む。
それでも、もう後戻りはできなかった。
「こ、怖いんだ、ヴィオナ……」
俺は弱々しく声を絞り出す。
「ダンジョンって、俺には残酷すぎる場所みたいで……」
すると突然、ヴィオナが俺の右手を握った。
温かい。
その手は、驚くほど優しかった。
「ダンジョンは確かに残酷よ」
ヴィオナはまっすぐ俺を見つめる。
「でも、死とかモンスターばかりじゃないわ」
「明日、私たちと一緒に来ない?」
「……え?」
思わず間抜けな声が漏れた。
「どこに?」
「ダンジョン21階にある、“アンダーガーデン”よ」
ヴィオナは安心させるように小さく微笑んだ。
俺が不思議そうな顔をしていたからか、彼女はそのまま説明を続ける。
「21階はちょっと特別なの。アノマリー階層って呼ばれてるわ」
「モンスターが出現しない、広いセーフゾーンになってるの」
「そこには発光水晶で照らされた地下庭園が広がっていて……プレイヤーたちが小さな街まで作ってるのよ」
「ダンジョンの中に街があるのか?」
思わず聞き返した。
今のは演技じゃない。
本気で驚いていた。
ヴィオナはこくりと頷く。
「ええ」
「あなたに、ダンジョンの別の一面を見せてあげたいの」
彼女は優しく笑った。
「あんな怖い思い出だけで、ダンジョンを嫌いになってほしくないから」
「……だから明日、一緒に来ない?」
ヴィオナの笑顔を見ていると、心が少し揺らぐ。
握られた手も、まだ温かかった。
……けど。
脳裏では、あの赤いクエスト画面がちらついている。
残り時間は、もう24時間もない。
もし明日ヴィオナたちと行動すれば、ほとんどの時間を21階のアンダーガーデンで過ごすことになる。
そんな場所で、プレイヤーを殺せるはずがない。
俺はゆっくり目を閉じた。
デスゾーンで剣が人を貫いた感触が、まだ手に残っている気がする。
あの瞬間の、妙な虚無感も。
……嫌だった。
まるでシステムに操られているみたいで。
このままじゃ、本当におかしくなりそうだった。
……くだらない。
あんなクエスト、知るか。
システムに命令されるまま、人殺しなんてしてたまるか。
俺は心の中で吐き捨てた。
赤い警告画面も、ペナルティも。
全部まとめて無視してやる。
少なくとも今は――
ヴィオナと過ごす時間を、こんな狂ったシステムなんかに邪魔されたくなかった。
俺はゆっくり目を開ける。
そして、ヴィオナへ小さく笑い返した。
「わかった」
「明日、一緒にアンダーガーデンへ行くよ」
そう答えると、ヴィオナはぱっと表情を明るくした。
心から安心したみたいに笑う。
……彼女は知らない。
俺が今、システムの警告を無視したことも。
そのせいで、どんな代償を払うことになるのかも。
***
次回、第8章 「アンダーガーデン」
新しい章の更新は毎週土曜日です。




