↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/31

第7章:クエスト

――シグ視点



***



どれくらい眠っていたのか分からない。


最後に覚えているのは、全身を焼くような激痛と、赤く点滅するシステムウィンドウ。


……けど。


今は、あの痛みもかなり引いていた。


重いまぶたを、ゆっくり開ける。


ぼやけた視界の中に、薄暗い部屋の明かりが映った。


少しずつ焦点が合っていく。


そこで――俺は固まった。


目の前に、ヴィオナの顔があった。


近い。


息がかかるほど近い。


しかも――


彼女の唇は、あと少しで俺の唇に触れそうな距離だった。


頭が真っ白になる。


なに、この状況。


「ヴィ、ヴィオナ……?」


思わず、かすれた声が漏れた。


突然響いた俺の声に、ヴィオナはビクッと肩を震わせた。


ぱちり、と目を見開く。


数秒、俺たちはそのまま固まった。


至近距離で見えた彼女の顔が、みるみる赤くなっていく。


次の瞬間――


ヴィオナは弾かれたように俺から飛び退いた。


「っ!?」


慌てすぎたせいで、後ろのナイトテーブルにぶつかる。


「よ、よかった……気がついたのね、シグ……」


彼女は明らかに動揺した様子で、しどろもどろに言った。


「ずっと目を覚まさないんじゃないかって、心配してたんだから……」


視線が全然合わない。


落ち着きなく目を逸らし続けている。


俺はゆっくり体を起こし、ベッドのヘッドボードにもたれかかった。


まだ頭が少しぼんやりしている。


確か俺は、あのデスゾーンの部屋にいたはずだ。


なのに、なんでこんな柔らかいベッドの上に……?


「心配かけてごめん……ヴィオナが、俺をここまで運んでくれたのか?」


俺がそう聞くと、ヴィオナは小さく咳払いした。


「え、ええ……私のパーティーメンバーにも手伝ってもらったけど」


どこか落ち着かない様子で答える。


それから彼女は、俺の顔をじっと見つめた。


「ねえ、シグ……もしよかったら、どうしてデスゾーンの部屋にいたのか教えてくれない?」


ヴィオナは不安そうな目で俺を見つめていた。


俺は小さく息を吐く。


11階で起きた、あの最悪な出来事。


あれを話すべきか――少し迷った。


「それは……」


だが、俺が答えようとしたその時だった。


ギィ、とドアが開く。


「ヴィオナ、もうキスし――」


最後まで言わせなかった。


ヴィオナが信じられない速度で飛び出し、ピンク髪の女の口を両手で塞いだからだ。


「むぐっ!?」


目の前で繰り広げられた光景に、俺は思わず瞬きをした。


「……キス?」


聞こえた単語を、そのまま聞き返す。


「あ、いや、その……何でもないわ!」


ヴィオナは引きつった笑みを浮かべながら、ものすごい勢いで首を横に振った。


「この子、たまに変なこと言うだけだから!」


なおも口を塞がれたままのピンク髪の女は、苦しそうにもがいている。


だがヴィオナは気づいていないのか、必死な様子で押さえ込み続けていた。


「あ、そうそう! この子、私のパーティーメンバーのルーシー!」

ヴィオナは慌てたようにそう言って、話題を強引に逸らした。


俺が状況を理解する間もなく、ヴィオナはさらに畳みかける。


「シグはまだ目を覚ましたばかりなんだから、ちゃんと休んでて!」

「私たち、ちょっと外で話してくるから!」


そう言うなり、ヴィオナはルーシーを半ば引きずるように部屋の外へ連れていった。


バタンッ――と勢いよく扉が閉まる。


部屋に残された俺は、ただ呆然と瞬きをした。


「……何だったんだ、今の」


途端に、部屋はしんと静まり返った。


俺はベッドの上に一人取り残されたまま、11階で起きた出来事を思い返す。

あの光景が脳裏によみがえり、無意識に息を吐いた。


……まずは、自分の状態を確認しないと。


「ステータス」


小さく呟いた瞬間、青い光の粒子が宙に集まり、半透明のウィンドウが目の前に展開された。


表示されたステータスを見た瞬間――


俺は言葉を失った。


[ プレイヤーステータス ]

レベル: 28

クラス: ノービス

HP: 1.056/1.056 | MP: 240/240 | スタミナ: 70/70

ATK: 105 (+5) | DEF: 176

クリティカル率: 5% | クリティカルダメージ: 50%

属性ダメージ: 0%

魔法ダメージ: 0%

ボーナスダメージ: 0%

通常スキル: -

ユニークスキル: Authority Glitch.

パッシブスキル: -

実績スキル: Watcher on Death's Edge.

特性スキル: Abyssal Pain Denial.

アルティメットスキル: -


俺の視線は、ステータスの数字に釘付けになった。


レベル28。


……前は、10だったはずだ。


デスゾーンで殺した三人。

その経験値で、一気に十八レベルも上がっていた。


普通じゃありえない。


こんなの、まともなプレイヤーなら絶対に辿り着けない上がり方だ。


けど――


俺が引っかかっているのは、レベルの高さじゃない。


その“方法”だった。


俺は、自分の手を見る。


震えていない。


人を三人殺した直後だっていうのに、心臓も妙に落ち着いていた。


罪悪感も。

後悔も。


……何もない。


その事実が、一番気味悪かった。


俺の中で、何かが変わり始めている。


この世界に、壊されているのか。


それとも――


最初から、俺はこうだったのか。


その時だった。


――バチッ。


突然、視界がノイズ混じりに歪む。


「っ……!?」


開いていたステータスウィンドウが激しく明滅した。


青い画面が崩れ、赤いグリッチが滲み出していく。


耳障りなノイズ音。


頭の奥を引っかき回されるような不快感。


次の瞬間――


真っ赤なシステムウィンドウが強制的に展開された。


[クエスト:死をもたらす者]


目的:24時間以内に、他プレイヤーを最低1人殺害せよ。


ペナルティ:失敗した場合、特別な罰を執行。


アクティブバフ:

クエスト中、ユニークスキル『デスゾーン』を付与。


俺は息を呑み、赤く点滅するウィンドウを見つめた。


モンスターを倒せ――じゃない。


このシステムは、俺にまた人を殺せと言っている。


[ 残り時間:23:59:45 ]


カウントダウンは無情にも減り続けていた。


頭が混乱する。


他のプレイヤーを殺すなんて、街の中で簡単にできることじゃない。


PK認定を受ければ、レッドプレイヤー扱いだ。


そうなれば街にも入れなくなるし、無理やり侵入すればペナルティまで食らう。


……なのに。


このクエストにもペナルティがある。


しかも制限時間は、たった24時間。


……誰を殺せばいい?


もしやるしかないなら、相手は選ばないといけない。


PK。

人殺し。

ダンジョンで初心者を狙うクズ。


そういう連中なら――


少なくとも、少しはマシだ。


俺はステータスに表示された新しいスキルへ視線を向ける。


『デスゾーン』。


さっき、三人を殺したあの部屋と同じ名前だった。


……まさか。


このスキルで、あの隔離エリアを作り出せるのか?


カチャッ。


突然のドアノブの音に、心臓が跳ねた。


「っ……!」


赤いクエストウィンドウは、まだ俺の目の前に浮かんでいる。


普通のシステム画面なら、他人には見えない。


けど――


このグリッチまみれの異常なウィンドウまで、本当にそうなのか?


もしヴィオナに見られたら。


そう考えた瞬間、背筋が冷えた。


「閉じろ!」


俺は慌てて空中を払う。


ドアが開く直前、赤いウィンドウは消え去った。


残ったのは、視界の端で動き続けるタイマーだけ。


冷や汗が頬を伝う。


俺は急いで息を整え、何事もなかったように表情を作った。


部屋に戻ってきたのはヴィオナだった。


今度はルーシーの姿はいない。


どうやら、本当に追い払ったらしい。


ヴィオナは木のトレーを抱えたまま、こちらへ歩いてくる。


上には水の入ったコップと、湯気の立つスープ。


彼女の顔にはまだ少し赤みが残っていて、どこか落ち着かない様子だった。


けれど、俺と目が合った瞬間、その表情が不安そうに変わる。


「シグ? 大丈夫?」


ヴィオナはトレーをナイトテーブルに置きながら聞いてきた。


「顔色悪いし、汗もすごいよ? まだどこか痛むの?」


そう言うと、ヴィオナは自然な動作で身を乗り出し、俺の額に手を当てた。


柔らかくて、温かい感触。


その瞬間――


さっきまで“誰を殺すか”なんて考えていた自分が、急に気持ち悪く思えた。


「だ、大丈夫だよ、ヴィオナ」


俺は慌てて答え、少しだけ顔を引く。


「ただ……その、長く気絶してたせいで、ちょっとクラクラしてるだけだ」


ヴィオナはそっと手を離し、ほっとしたように息をついた。


それから椅子を引き寄せ、ベッドのすぐ横に腰を下ろす。


彼女はスープの入った器を持ち上げると、少しだけ視線を逸らした。


「まだ本調子じゃなさそうだし……その、私が食べさせてあげる」


そう言って、ヴィオナはスプーンでスープをすくう。


ふー、ふー、と軽く息を吹きかけて冷ますと、そのまま俺の前へ差し出してきた。

 

「えっ……?」

 

思わず変な声が漏れた。


なんでここまで優しくしてくれるんだ。


そう思うと、妙に心臓がうるさかった。


けれど――


「あーん……」


ヴィオナが少し照れたようにそう促してきて、俺の思考は止まった。


「……あ、あーん」


観念して、俺は口を開けた。


ヴィオナに食べさせてもらうたび、俺の顔はどんどん熱くなっていった。


一口。

また一口。


温かいスープが、冷えていた身体にゆっくり染み込んでいく。


……なんだか、妙に落ち着く。


気づけば、器の中は綺麗に空になっていた。


「どう? 少しは楽になった?」


「ああ、もうだいぶ平気だ。ありがとな、ヴィオナ」


「どういたしまして。元気そうでよかった」


ヴィオナはほっとしたように微笑む。


そして空になった器を、そっとナイトテーブルへ置いた。


ヴィオナはじっと俺を見つめた。


腕を組み、その表情が少しだけ真剣になる。


「ルーシーはギルドに戻ったわ。だから今は、誰にも邪魔されない」


そう言って、ヴィオナはまっすぐ俺の目を見た。


さっきまでの優しそうな雰囲気は消えている。


今の彼女は、強敵相手でも一歩も引かない上級プレイヤーそのものだった。


「……説明して、シグ」


静かな声。

けれど、その視線は鋭い。


「どうしてあなたが11階のデスゾーンで倒れてたの?」


「2階でゴブリン狩りをしてたソロプレイヤーが、あんな場所にいるなんて普通じゃないわ」


「誰に連れて行かれたの?」


俺は小さく唾を飲み込んだ。


喉がやけに渇く。


ヴィオナはじっと俺を見ていた。


まるで、嘘を見抜こうとしているみたいに。


本当のことなんて言えるわけがない。


あの部屋で、俺はただ襲われただけじゃない。


……三人を、この手で殺した。


しかも、そのせいでレベルまで一気に上がったなんて――


そんなこと、ヴィオナに話せるはずがなかった。


だから、嘘をつくしかない。


彼女を納得させられるくらい、ちゃんとした嘘を。


胸の奥が少し痛んだ。


けど、仕方ない。


……いや。


本当は違う。


俺は怖いんだ。


もしヴィオナが真実を知ったら。


きっと、軽蔑される。


「それは……」


俺は言葉を詰まらせ、視線を落とした。


毛布を握る。


頭の中で、必死に言い訳を組み立てた。


「2階で……ベテランプレイヤーのパーティーに声をかけられたんだ」


なるべく弱々しく聞こえるように声を出す。


「11階で戦利品を運ぶポーターが足りないって。報酬もかなり出すし、安全は保証するって言われた」


ヴィオナは何も言わずに聞いていた。


鋭かった視線が、少しずつ揺らいでいく。


「俺、ちゃんとした装備を買える金が欲しくてさ……だから、ついて行ったんだ」


そこで俺は言葉を止めた。


肩を小さく震わせ、口元を押さえる。


「でも……あの部屋に入った瞬間……っ」


ヴィオナがハッとしたように立ち上がった。


「も、もういいわ、シグ!」


彼女は慌てたように首を振る。


「ごめんなさい……無理に思い出させるようなこと聞いちゃって」


俺は内心で固まった。

どうやら、演技はうまくいきすぎたらしい。


ヴィオナは完全に、俺を“被害者”だと思っている。


——だが、本当は違う。


胸の奥がチクリと痛む。

それでも、もう後戻りはできなかった。


「こ、怖いんだ、ヴィオナ……」


俺は弱々しく声を絞り出す。


「ダンジョンって、俺には残酷すぎる場所みたいで……」


すると突然、ヴィオナが俺の右手を握った。


温かい。


その手は、驚くほど優しかった。


「ダンジョンは確かに残酷よ」


ヴィオナはまっすぐ俺を見つめる。


「でも、死とかモンスターばかりじゃないわ」


「明日、私たちと一緒に来ない?」


「……え?」


思わず間抜けな声が漏れた。


「どこに?」


「ダンジョン21階にある、“アンダーガーデン”よ」


ヴィオナは安心させるように小さく微笑んだ。


俺が不思議そうな顔をしていたからか、彼女はそのまま説明を続ける。


「21階はちょっと特別なの。アノマリー階層って呼ばれてるわ」


「モンスターが出現しない、広いセーフゾーンになってるの」


「そこには発光水晶で照らされた地下庭園が広がっていて……プレイヤーたちが小さな街まで作ってるのよ」


「ダンジョンの中に街があるのか?」


思わず聞き返した。


今のは演技じゃない。


本気で驚いていた。


ヴィオナはこくりと頷く。


「ええ」


「あなたに、ダンジョンの別の一面を見せてあげたいの」


彼女は優しく笑った。


「あんな怖い思い出だけで、ダンジョンを嫌いになってほしくないから」


「……だから明日、一緒に来ない?」


ヴィオナの笑顔を見ていると、心が少し揺らぐ。


握られた手も、まだ温かかった。


……けど。


脳裏では、あの赤いクエスト画面がちらついている。


残り時間は、もう24時間もない。


もし明日ヴィオナたちと行動すれば、ほとんどの時間を21階のアンダーガーデンで過ごすことになる。


そんな場所で、プレイヤーを殺せるはずがない。


俺はゆっくり目を閉じた。


デスゾーンで剣が人を貫いた感触が、まだ手に残っている気がする。


あの瞬間の、妙な虚無感も。


……嫌だった。


まるでシステムに操られているみたいで。


このままじゃ、本当におかしくなりそうだった。


……くだらない。


あんなクエスト、知るか。


システムに命令されるまま、人殺しなんてしてたまるか。


俺は心の中で吐き捨てた。


赤い警告画面も、ペナルティも。


全部まとめて無視してやる。


少なくとも今は――


ヴィオナと過ごす時間を、こんな狂ったシステムなんかに邪魔されたくなかった。


俺はゆっくり目を開ける。


そして、ヴィオナへ小さく笑い返した。


「わかった」


「明日、一緒にアンダーガーデンへ行くよ」


そう答えると、ヴィオナはぱっと表情を明るくした。


心から安心したみたいに笑う。


……彼女は知らない。


俺が今、システムの警告を無視したことも。


そのせいで、どんな代償を払うことになるのかも。



***




次回、第8章 「アンダーガーデン」


新しい章の更新は毎週土曜日です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。