表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/7

第5章:ゴブリンスレイヤー


ヴィオナ視点。

シグと出会う前の、少しだけ昔の話。



***



ゆっくりと吐いた息が、唇からこぼれ、ダンジョン32階の冷たい空気の中で白く滲んだ。


目の前にそびえ立つのは――ラフレシア。

巨大な肉食植物型のモンスターだ。


高さはおよそ七メートル。

カミソリのような棘が並ぶ大口は、人間一人など容易く呑み込める。


長い根の蔓が、狂ったようにうねる。

まるで飢えた蛇の群れのように、シューシューと音を立てていた。


視線をわずかに上げる。

頭上――HPバー。


緑のゲージは、すでに半分まで削れていた。


[ HP: 4.200 / 8.400 ]


「あと少し……」と、私は呟いた。


一人で相手をして、もう十五分以上。

HPを半分削るだけでも、想像以上に骨が折れる。


誇れる結果どころか――これは、これまでで最悪のペースだ。


『集中しなきゃ』


小さく息を整え、意識を引き締める。


剣を構え直す。

次の一撃に、すべてを込めるために。


そのとき――


「頑張って、ヴィオナ……あなたならできる!」


遠くから、ルーシーの声が飛んできた。


パーティーの仲間たちは、アリーナの境界で見守っている。


私のパーティーが、私を一人で戦わせているなんて――奇妙に聞こえるかもしれない。

でも、これはすべて私自身が望んだことだ。


別に、傲慢になりたいわけでも、強がりたいわけでもない。

ただ――今の自分の限界を、確かめたかった。


一人で、このモンスターを倒せるのかどうか。


きっかけは、とあるプレイヤーへの興味だった。


彼が強くて有名なプレイヤーだと思うなら――それは違う。

彼はただ、ダンジョン二階でゴブリンと戦っているだけの、どこにでもいる普通のプレイヤーだった。


それでも――


私は、彼の姿に目を奪われた。


たった一人で。

自分より強い相手に向き合いながら。

誰にも頼らず、ただひたすらに戦い続けるその姿に。


私の意識は、すぐに目の前の脅威へと引き戻される。


ラフレシアが動いた。

長い根が、電光石火の速さでこちらへ放たれる。


ヒュンッ――!


「っ……!」


私は咄嗟に身を翻し、すれ違いざまにその根を斬り払った。


「たぁっ!」


キンッ――!!


空中に表示される。


[ 0 ダメージ ]


「……やっぱり」


小さく息を吐く。


いくら斬っても、意味がない。

この根は本体じゃない。


切り裂いたはずの部分も、すぐに再生していく。

まるで最初から何もなかったかのように。


――ダメージは、一切通っていない。


不意に、足元が揺れた。


ドゴォォッ!!


地面を突き破り、太い根が現れる。

次の瞬間、私の右足に絡みついた。


「しまっ――!」


反応する間もなく、体が宙へと引き上げられる。


そのまま、岩壁へ――叩きつけられる。


「――ユニークスキル、エフェメラル・ブルーム」


発動と同時に、私の体は光にほどけた。

無数の白い花びらとなって、空中に散る。


ひらひらと舞いながら、花びらは岩壁に触れ――

衝撃を、すべて受け流した。


そのまま、流れるように。


花びらの渦が、ラフレシアへと向かっていく。


モンスターも黙ってはいない。

口を開き、数十の鋭い棘を放ってきた。


ドスッ……ドスッ……


だが――

そのすべてが、花びらの渦をすり抜けていく。


やがて、渦がモンスターの目前に到達した瞬間――


花びらが収束する。


空中で、私は元の姿へと戻った。

剣はすでに手の中にある。


「ソードスキル……フローズン・ムーン・スラッシュ」


キィィィン――!


一閃。


刃がラフレシアの体を真っ二つに断ち切る。


次の瞬間――

切断面から氷が広がった。


結晶が一気に侵食し、巨体を内側から凍りつかせていく。


やがて。


凍てついたその体は――音を立てて砕け散った。


――違う。


何かがおかしい。


ラフレシアは倒したはずなのに――

ダークストーンが落ちない。


それだけじゃない。


名前が赤く点滅している。

HPバーも……減っていない。


半分のまま、止まっている。


「ヴィオナ、周囲を見ろ!」ドミニクの鋭い声が飛んだ。


「気を抜くな!」ギルが続く。


「……地面の下、何かいる」トールが低く呟いた。


次の瞬間――


地面が揺れた。


ドゴォォォン!!


足元が割れ、深い亀裂が走る。

さっき倒したはずの残骸、その真下から――


“それ”は現れた。


ゆっくりと、しかし圧倒的な存在感を伴って。

先ほどの個体を遥かに上回る、巨大なラフレシア。


――いや。


別物だ。


空中に表示される名称が書き換わる。


《 ラフレシア → ラフレシア・クイーン 》


HPバーが膨れ上がる。


[ HP: 16.800/16.800 ]


ラフレシアの頭部が、花のようにゆっくりと開いていく。


その中心――


現れたのは、“女”。


腰から下は花弁と一体化し、上半身だけが外へと露出している。

青白い肌。

そして、根のようにうねる緑の長い髪。


――まるで、この怪物そのものの核。


[ システムアラート:ユニークモンスター《ラフレシア・クイーン》フェーズ2移行 ] [ エンレイジ発動:速度・攻撃力 +50% ]


「ヴィオナ!援護いる!?」ルーシーの声が飛ぶ。


私は目を細めたまま、女王を見据える。

剣を握る手に、力がこもる。


「いらない」


短く、言い切る。


「――私がやる」


追い詰められているのは分かっている。

でも――


思考は、止まっていない。


どう崩すか。

どこが弱点か。

どうやって殺すか。


答えは、もう出ている。


女王は間を置かなかった。


耳をつんざく咆哮。

次の瞬間――無数の根が一斉に襲いかかる。


ビュンッ!!


地面が抉れ、石と土が吹き上がる。


私は跳ぶ。

そのまま空中へ。


だが――


ラフレシア・クイーンが腕を伸ばした。


狙いは、私。


放たれるのは、鋭い棘の連射。


――速い。


空中で逃げ場はない。


それでも。


目の前に迫った瞬間、剣を前に出す。


キィンッ! キィンッ! キィンッ!


火花が散る。

軌道を逸らし、次々と弾く。


連続する衝突音が、ダンジョンに響き渡った。


すべて――捌いた。


ただ一撃だけ。


かすめる。


左腕に浅い傷。


[ HP -1 ]


「……問題ない」


小さく息を吐く。


空中で足場を失った私を見て、女王が動く。

残った根が一点に収束し、一斉に突き出された。


――来る。


深く息を吸う。

冷たい空気が肺を満たす。


「フロスト・ステップ」


足元で水蒸気が凍りつく。

氷の足場が、空中に生まれた。


踏み込む。


前へ。


影のように、隙間を抜ける。

迫る根を、刃で弾く。


キィンッ――!


着地。


女王の目前。

あの“核”と、正面から向き合う。


剣を振り上げる――


その瞬間。


――動かない。


体が、凍りついたように止まる。


視界の端で、アイコンが点滅する。


麻痺パラライズ


「……っ」


遅かった。


あの棘に――毒が仕込まれていた。


左腕の、かすり傷。


たったそれだけで――十分だった。


「……動けない」


わずかに眉をひそめる。


女王が、それを見逃すはずがない。

ゆっくりと花弁が閉じていく。


――このまま、押し潰す気。


息を整える。


まだ、終わっていない。


意識を刃へと集中させる。

空気が凍りつく。


温度が、一気に落ちた。


「エフェメラル・ブルーム……セカンドフォーム」


次の瞬間。


刃から、無数の白い花びらが溢れ出す。

それは氷でできた花弁。


吹雪のように渦を巻き――


私の周囲を包み込む。


触れたものすべてを、切り裂き、凍てつかせる防壁。


340 ダメージ。

340 ダメージ。

340 ダメージ。


その数字が連続して20回表示され。


HPが一気に削れる。


[ HP: 10,000 / 16,800 ]


吹き荒れる氷の嵐の中で、閉じかけた花弁が凍りつき――砕け散った。


女王が咆哮する。

耳を裂くような音波が、氷の嵐を吹き飛ばす。


空間が、開く。


その瞬間。


女王の腕が、ゆっくりと持ち上がった。

狙いは――動けない私。


でも。


――まだ終わっていない。


散らされた氷の粒子が、空中に残っている。


それで、十分。


「グレイシャル・フォーフォールド・ストライク」


粒子が収束する。


空中に、四本の巨大な氷剣が形成される。


狙いはただ一つ――核。


次の瞬間。


ズバァァァン!!!


四つの刃が、同時に突き落とされた。


抵抗はない。


そのまま――


コアを、貫く。


CRITICAL HIT!

2.500 ダメージ。

2.500 ダメージ。

2.500 ダメージ。

2.500 ダメージ。

[ HP: 0/16.800 ]


――時間が、止まったように感じた。


氷の剣が突き刺さった四点から、凍気が一気に広がる。

巨体を包み込み、瞬く間に凍結させていく。


女王は、かすれた悲鳴を漏らした。


そして――


パリーン!!


次の瞬間、氷像と化したその巨体が砕け散る。

無数の青い光の粒子となって、空中へと消えていった。


……静寂。


遅れて、体の感覚が戻る。


[ 麻痺解除 ]


膝から崩れ落ちるように着地した。

荒い息が漏れる。


額には、冷たい汗。


視界の前に、いくつものウィンドウが重なる。


[ ユニークモンスター討伐! ]

+1,680 EXP

LEVEL UP!


[ 新スキル解放:パラライズ・スティング ]


ドロップアイテム:

・女王の活力の根 ×1

・森の君主の指輪レア ×1


小さな笑みが、私の唇に浮かんだ。

やった……一人で。


背後から、拍手と駆け寄ってくる足音が聞こえた。


「ヴィオナ!今の、ほんとにすごかったわ!」


目を輝かせながら、ルーシーが駆け寄ってくる。


トールも満面の笑みで後に続いた。

「ハハハ!無謀だが……ちゃんとやり遂げたな!」


パーティーのリーダーであるドミニクは、ゆっくりと歩み寄り、誇らしげに微笑んだ。

「よくやった、ヴィオナ。どうやら自分の限界を見つけて……それを超えたみたいだな」


遅れることなく、ギルも口を開く。

「ますます強くなってるな、ヴィオナ」


私は、まだアドレナリンでわずかに震えている手を見つめ、それから先ほど拾い上げた高レベルのダークストーンへと視線を移した。


あのゴブリンと戦っていた謎のプレイヤー——きっと、彼が私に影響を与えたのだろう。

そして今、私は理解した。ソロで戦うことが、どれほど過酷なのかを。


ほんのわずかなミス——さっきの麻痺のような判断の遅れだけで、命を落としていてもおかしくなかった。


ソロプレイヤーは、すべてを自分一人で背負う。

誰もミスをカバーしてくれない。助けてくれる仲間もいない。HPが危険域に入っても、回復してくれる者はいない。


……それでも生き延びている彼に、私は素直に感心していた。


***


帰り道、ダンジョン二階層の薄暗い空気が、私たちを包み込んだ。

その時——視界の端に、見覚えのある姿が映った。


ずっと気になっていた、あのプレイヤーだ。


私は反射的に足を止めた。

少し離れた場所から、彼の様子をじっと見つめる。


彼は一人でゴブリンと戦っていた。

誰の助けも借りずに。


どうしてだろう。

この階を通るたび、私は無意識に彼の姿を探してしまう。


「どうしたの、ヴィオナ?」


ルーシーが不思議そうに振り返る。


「ごめん、ルーシー。先に帰ってて」


小さくそう答えながらも、私は目の前の戦いから視線を外せなかった。


「……少し、見ていたいの」


同じく興味を持ったのか、ルーシーも私の視線の先を追った。

「ああ、彼ね。あの“ゴブリンスレイヤー”」


からかうように、くすっと笑う。

「ほんと、好きよね。彼の戦いを見るの」


私たちは、あのプレイヤーのことをそう呼んでいた。

本名は知らない。ただ、いつもゴブリンと戦っているから——それだけの理由だ。


ギルもちらりとそちらを見やり、舌打ちした。

「チッ……あいつの何がいいんだか」


その声音には、はっきりとした苛立ちが混じっていた。


その一言に、胸の奥がわずかにざわつく。

けれど、私は何も言わなかった。


しばらく彼の戦いを見届けてから、

私たちは再び、リフェリーの街へと歩き出した。


***


リフェリーの街に戻ると、私たちはそれぞれ宿へと向かった。

ダンジョンでの長時間の探索で、さすがに疲れていたからだ。


少しだけ休んだ後、私はギルドへと足を運んだ。

ラフレシアを単独で討伐した際に手に入れた、高レベルのダークストーンを換金するためだ。


ギルドの中は広く、どこか高級なロビーのような雰囲気が漂っている。

私はカウンターへ向かい、受付のエルフの女性の前に立った。


――けれど。


私の心臓を強く打たせたのは、手にしたダークストーンではなかった。


予想外なことに、彼がいた。


“ゴブリンスレイヤー”。


すぐ隣――ほんの一メートルほどの距離で、彼も換金をしていたのだ。


平静を装いながら、私はインベントリから拳大のダークストーンを取り出す。

そして、それを静かにカウンターの上へと置いた。


視界の端で、あの“ゴブリンスレイヤー”がこちらを見ているのが分かった。

……気のせいじゃない。ずっとだ。


その視線に、わずかに胸がざわつく。


「これを換金してください」


できるだけ平静を装って、私はカウンター越しのエルフの女性に声をかけた。


「かしこまりました。少々お待ちください」


彼女はにこやかに頷き、ダークストーンを受け取る。

数秒ほどシステムで査定したあと、顔を上げた。


「こちらのダークストーンは、金貨六枚になります」


カウンターの上に、澄んだ音を立てて金貨が並べられる。


私はそれを見つめ、わずかに眉をひそめた。

……思っていたより、少ない。


あれだけの強敵を、消耗しきるまで戦って倒したというのに。


「たったの金貨六枚か……」


思わず、小さくこぼれた。


手にした金貨を見つめながら、胸の奥に小さな不満が広がった。


……これだけ?


そう思った瞬間、視線を感じる。

あの“ゴブリンスレイヤー”が、まだこちらを見ていた。


落ち着かない。

胸のざわつきが、少しずつ大きくなる。


これ以上ここにいるのは無理だ。

私は金貨を受け取り、足早にカウンターを離れた。


本当は――

少し、話してみたかった。


けれど、どうしても一歩が踏み出せない。

……ただ、恥ずかしかった。


そのままギルドの出口へ向かう。

あと少しで外、というところで——


「あの、待ってください......!」


背後から、声がかかった。


私は足を止める。

ゆっくりと振り返った。


やはり——彼だった。

“ゴブリンスレイヤー”。


平静を装いながら、私は口を開く。


「はい、何ですか?」


「これ……落としたぞ」

そう言って、彼は手のひらの金貨を差し出した。


「え?本当ですか?」


視線を落とすと、確かに一枚足りない。

さっきの動揺で、気づかないうちに落としてしまっていたらしい。


「ありがとうございます」

私は慌てて受け取り、素直に頭を下げた。


気づいていなかった。

それなのに、わざわざ拾って届けてくれるなんて——


……この世界では、珍しいことだ。


少しだけ、胸が温かくなる。


「い、いえ、どういたしま――」

彼が言いかけた、その瞬間——


ぐぅぅぅぅ……!


不意に、はっきりとした音が響いた。

彼の腹の音だ。


思わず、私は目を瞬かせる。

……どうやら、かなり空腹らしい。


一瞬、沈黙が落ちた。


……ダメだ。

笑いそうになる。


慌てて顔をそらし、口元を押さえる。

けれど——


「っ……ふっ」


こらえきれず、笑いが漏れた。


見ていると、余計におかしくなってしまう。

その無防備な様子に、思わず頬が緩んだ。


気づけば、さっきまでの緊張は嘘みたいに消えていた。


もう一度彼を見ると、

彼は顔を伏せ、腹を押さえている。

……きっと、恥ずかしいのだろう。


「ごめんなさい…...」


小さく謝る。

笑うつもりなんてなかったのに。


「ごめんなさい。あなたを笑うつもりじゃなかったの」


そう言いながら、私は目元を軽く拭った。

笑いすぎて、少しだけ涙が滲んでいた。


目の前でぎこちなく立つ彼を見て、胸の奥が少しだけ高鳴った。


……今しかないかもしれない。


深く考える前に、私は口を開いた。


「もしよかったら……」


一瞬だけ言葉を区切り、彼の目を見る。


「私と一緒に食事しませんか?」


少しだけ視線を逸らしながら、続けた。


「金貨を返してくれたお礼、ということで」


と私は付け加え、彼が私の誘いを断らないように合理的な理由を与えた。


言い終えた、その直後——


ぐぅぅぅぅ……!


彼の腹が、またしても大きく鳴った。


思わず、肩がわずかに揺れる。


彼は少し黙り込んでから、ぎこちなく頷いた。


「……ああ」


その返事に、小さく笑みがこぼれる。


私はくるりと背を向けた。


「それじゃあ、ついてきて」


そのままギルドを出て、彼を先導する。


***


リフェリーの街の中心にあるレストランは、温かな雰囲気と食欲をそそる香りに満ちていた。

テーブルを挟んで、私は彼と向かい合って座る。


気づけば、テーブルの上は料理で埋め尽くされていた。

彼の好みが分からなかったから、思いつく限りいろいろ注文してしまったのだ。

これだけあれば、どれか一つくらいは口に合うはず――そう思って。


目の前の光景に、彼は目を丸くする。

「これ…全部、俺たちの分か?」


私は小さく微笑み、メインの皿をそっと彼のほうへ差し出した。

「ええ。どうぞ、召し上がって」


「……いただきます」


そう言うと、彼はすぐにナイフとフォークを手に取った。

迷いなく料理に手を伸ばす。


あまりにも美味しそうに食べるものだから、思わず声をかけてしまう。

「どう?美味しい?」


彼は頷きながら、口いっぱいに食べ物を詰めたまま無理に喋ろうとした。

「おれ、しゅごくおいひぃ…」


当然ながら、何を言っているのかほとんど分からない。

頬をいっぱいに膨らませて、まるでリスみたいだった。


その様子があまりにも可笑しくて、思わずくすっと笑ってしまう。

「食べてる間は、無理に話さなくていいのよ」


「んぐっ……」


彼は何か言おうとしたけれど、うまく言葉にならない。


そんな様子を見ているだけで、なぜか楽しくて。

胸の奥に、じんわりとした温もりが広がっていく。


しばらくの間、静かな時間が流れ――

やがて、私が口を開いた。


「あなたって、面白いわね」


からかうように、そう言う。


その瞬間、彼の動きがぴたりと止まった。

「お、面白い?」

少し顔を赤らめながら、戸惑ったように聞き返してくる。


私はくすっと笑って、軽く頷いた。


この穏やかな空気に背中を押されて、私は小さく息を吸う。

そして、思い切って口にした。


「もしよかったら……名前、教えてくれる?」


彼はしばらく黙り込んだ。

どうやら、口の中のものを全部飲み込もうとしているらしい。


「俺はシグだ」


そう言った今度の声は、さっきよりもずっとはっきりしていた。


――シグ。


ようやく、彼の名前を知ることができた。

これまで遠くから見ているだけだったのに、今はこうして向かい合って話している。名前だって、呼べる。


……なんだか、少しだけ嬉しい。


「シグ、ね……」


名残を確かめるみたいに、そっとその名前を口にする。

それ以上は踏み込みすぎないように、自分を抑えながら。


「私はヴィオナ」


短く、そう名乗った。


一瞬だけ間を置いてから、私は意を決する。


「シグ…...私と、友達になってくれる?」


できるだけ自然に聞こえるようにしたつもりだけど、胸の奥は少しだけ高鳴っていた。


「ああ、もちろん」


シグは、あっさりと頷いた。


「それじゃあ……」


私は右手を軽く持ち上げる。


「オープンメニュー」


――バンッ。


次の瞬間、青く発光する半透明のパネルが空中に展開された。

プレイヤーにしか見えない、システムのインターフェース。


私はフレンドタブを開き、検索欄に指を走らせる。

すぐにホログラフィックキーボードが現れた。


「S H I G」と入力。


わずかな間のあと、彼の名前がリストに表示される。

そのままアイコンをタップし、フレンド申請を送信した。


――同時に。


シグの前に、通知が浮かび上がる。


[ヴィオナからフレンド申請が届きました]


彼は迷うことなく[承認]を押した。


次の瞬間、シグの名前が私のフレンドリストに追加される。


「ありがとう」


私はそう言って、画面を閉じた


それから、別の話題を探す。

沈黙が長く続くと、少し気まずい。


「ところで、シグ」


さっきのギルドでのことを思い出しながら、私は声をかけた。


「ん?」


「さっき、ずいぶん小さいダークストーンを換金してたわよね?」


できるだけ自然に、そう尋ねる。


シグは苦笑して、後頭部をかいた。

「ああ……俺、そんなに強いプレイヤーじゃないからさ」


少しだけ目を逸らしながら、続ける。


「キル数も少ないし、ドロップも全然出なくてさ。一個手に入れるのに、ほぼ一週間狩りっぱなしって感じだ」


――一週間。


その言葉に、思わず息が詰まる。


私とはまるで違う。

同じ世界にいるはずなのに、その重さがまるで別物みたいで。


「一匹に一週間、ね……」


小さく呟いて、彼を見る。


「気になるわ。どうやって、ここまで生き延びてきたの?」


純粋な疑問だった。

同時に、少しだけ――驚きも混じっていた。


彼は肩をすくめて、どこか諦めたように笑う。


「正直……俺にもわからない」


その答えに、思わず笑ってしまう。


気づけば、彼も同じように笑っていた。

二人の笑い声が、店内のざわめきに溶けていく。


しばらくして、テーブルの上の皿はすっかり空になっていた。


「ごちそうしてくれて、本当にありがとう」


シグは腹をさすりながら、心からそう言った。

「こんなに満たされたの、久しぶりだ」


私は小さく微笑む。


「お礼よ。金貨、返してくれたでしょ」

「クエスト報酬だと思って」


冗談めかしてそう言うと、シグも少しだけ笑った。


ふと、視界の端に時刻表示が入る。

――そろそろ時間だ。


私はゆっくりと席を立った。


「そろそろ行かなくちゃ。ギルドで用事があるの」


少しだけ名残惜しさを感じながら、そう告げる。


シグも立ち上がり、軽く頷いた。

「ああ。気をつけてな」


「あなたもね」


優しく返してから、もう一度だけ彼を見る。


「この世界、ソロにはちょっと厳しいから。何かあったら、遠慮しないでメッセージ送って。いい?」


少しだけ真剣な声で伝える。


軽く手を振って、私は踵を返した。

そのまま店を出て、人混みの中へと歩き出す。


やがて、私の姿はリフェリーの街の喧騒に紛れていった。




***





次回、第6章 「予期せぬ出来事」

新しい章の更新は毎週土曜日です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ