第28章:殺意
ラゼリア視点
***
ヘルブロン市街の外れ。
戦闘の爪痕が生々しく残り、建物は見る影もなく崩れ落ちていた。血の臭いが舞い上がる埃に混じり、肌を刺すような冷気の中に漂っている。
私はコートの左袖で、頬に付いた血を拭い取った。
「退屈ね……」
ぽつりと呟く。
「これだけのプレイヤーを殺して、おもちゃみたいにバラバラにしておいて、その感想かよ?」
チームメイトのノアが、武器を肩に担いだまま尋ねてきた。
私は二本の剣の刀身に残った血を振り払い、冷ややかな目を彼に向けた。
「もっと長く楽しませてくれると思ってたのよ。少なくとも、首を落とされたくらいであっさり死ぬような相手じゃないってね」
「いや、首を落とされても生きてたら、そっちの方がよっぽど怖えよ。もう人間じゃねえだろ」
ノアは呆れたように首を振った。
「むしろ、そういう相手を期待してたんだけど」
私は淡々と言い放った。
「そうすれば、何度だって殺して楽しめるもの」
私は二本の剣を流れるような動作で同時に鞘へ収めた。
カチリ、とロック機構が噛み合う音が響く。
一方的な殺戮は、あっけないほど静かに終わった。
ノアは大きく息を吐いた。
「はあ……ラゼリア、お前が殺した相手にも少しは敬意を払ってほしいもんだぜ。神の使者から、他のプレイヤーを殺してもPKペナルティを受けないっていう恩恵を授かったとはいえ、俺たちの本来の目的は、エクリプスの計画に反対する連中を排除することだからな」
私は鼻で小さく笑った。
「私は任務を果たしただけよ。プレイヤーを殺す。それが私の役目だもの。それに、あの神の使者の言葉をすべて信じているわけじゃないわ。そもそも、あの男は自分の名前すら明かそうとしなかったもの」
私は、ピクセル状の光となって崩れ始めた死体を跨ぎ、そのまま歩き続けた。
死んだプレイヤーの身体は、システムによって徐々に消去されていく。完全に消え去る直前、光の粒が最後の瞬きのように輝き、やがて跡形もなく消えた。
「お前の気持ちも分からなくはねえよ。黒いローブで全身を隠してるうえに、素顔すら見せないんだからな。相当な秘密主義だぜ」
ノアは短く息を吐き、続けた。
「だが、どうしようもねえだろ? うちのギルドマスターが、あいつの計画に賛同しちまったんだからよ」
残された戦利品の中から、私は雪の上に転がっていた革製のストレージポーチを足先で蹴った。
ポーチが転がり、中から金貨と高価なドロップアイテムが、血に染まった雪の上へとこぼれ落ちた。
「もうヘルブロンにも飽きてきたわ。私たち、害虫駆除でもしてるみたいじゃない」
私はノアに視線を向け、そう言った。
倒されたプレイヤーたちの装備やドロップアイテムを拾い集めていたノアが、顔を上げた。
「飽きたって? 報酬がもらえるうちは、こういう楽な仕事も悪くねえぜ」
「私はお金を稼ぎたいわけじゃないの。求めているのは、戦うことそのものの快感よ」
「俺だって、まだ本気で戦ったことなんてねえよ」
ノアはさも当然のように言った。
「……はあ?」
「俺が本気を出しちまったら、髪が金色に変わっちまうからな」
「私を馬鹿にしているの?」
「いや、いつかこの世界でカッコいい二つ名が欲しいだけさ。『ワンパン・プレイヤー』とか『二刀流の伝説』とかな!」
「はあ……勝手にして」
呆れながら、私はその場を離れようとした。
そのとき、不意に違和感を覚えた。
雪原に散らばる死体。その中に一つだけ、まだピクセルの欠片へと変わっていないものがあった。
私は足を止めた。
「……まだ生きているの?」
そいつは雪の上に横たわったまま、死んだふりを続けていた。
だが、指先がかすかに震えた。
そんな小さな動きを、私が見逃すはずもなかった。
私はゆっくりとそいつに近づいた。
偽装が見破られたと気づいた瞬間、プレイヤーは狼狽し、か細い声で呪文を唱え始めた。
「マジックスキル――テレポート……!」
そいつの体の下に、淡い青色の魔法陣が浮かび上がった。
「チッ……!」
魔法が発動しきる前に、私は反射的に動いた。襟首を掴み、そいつの体を力任せにノアの方へ投げ飛ばす。
ストレージポーチに金貨を詰め込むのに夢中だったノアは、飛んできた人影に気づいて振り返った。
「ぐあっ――!」
ズシンッ!
プレイヤーの体がノアに直撃し、二人まとめて雪原に転がった。
ノアの手からストレージポーチが弾け飛ぶ。中に詰め込まれていた金貨が宙を舞い、雪の上へとばらばらに散らばった。
「おい、ラゼリア! なんで死体を俺に投げつけるんだよっ!?」
ノアが苛立った声を上げた。
私はその叫びを無視した。
視線は、自分の足元に釘付けになっていた。
さっきまでプレイヤーが倒れていた場所。そこに展開された魔法陣の上に、今は私一人が立っていた。
「……まずい」
気づいたときには、もう遅かった。
青い光が急速に強まり、私の体を包み込んでいく。
「ラゼリア!?」
ノアの焦った叫び声が響く。
次の瞬間、濃密な青い光が視界を覆い尽くし、私の意識はその場から切り離された。
目を開けると、見知らぬ場所に立っていた。
足元の感覚が戻ると同時に、骨まで凍りつきそうな冷気が肌を刺した。鼻をついたのは、凍てついた松の木の匂い。
周囲には、静まり返った雪の森が広がっていた。私は巨大な古木のそばに立っていた。
表情を変えずに辺りを見回す。一面の雪と、密集した松の木々。それ以外に目立ったものはない。
「はあ……面倒くさいこと」
私はインターフェースを開き、マップで現在地を確認した。
どうやら、オルニムス市のはるか北まで飛ばされたらしい。
「冗談でしょ……。ヘルブロンまで戻るのに、二日も歩かなきゃいけないじゃない」
うんざりしながら息を吐くと、白い吐息が目の前に広がった。
私はしばらく雪の森に立ち尽くしていたが、やがてオルニムスへ続く道に目を向けた。
「もういいわ……。ヘルブロンにも飽きてきたところだし、このままオルニムスに行きましょう」
雪に覆われた森の中を、私は足音を立てずに進んでいた。
歩き始めて数分もしないうちに、森の静寂を破る轟音が耳に飛び込んできた。何かが激しくぶつかる音に続き、魔法の爆発音が響く。
乱闘?
私は近くの木に飛び上がり、太い枝に軽やかに着地した。
息を潜め、音のする方へ意識を集中させる。
発生源を突き止めると、私はすぐさま枝から枝へと飛び移った。雪をかぶった枝を揺らすこともなく、音も立てずに距離を詰めていく。
やがて、古い神殿の廃墟が見えてきた。
私は境内を見渡せる高い枝の上で、ぴたりと動きを止めた。
眼下の光景に、思わず目を細める。
戦闘はすでに終わっていた。
雪原には血痕が広がり、黒いローブや髑髏の仮面、持ち主を失った武器があちこちに散乱している。
そして、その惨状の中心に、一人のプレイヤーが立っていた。
漆黒のローブをまとっているが、あちこちが裂け、ボロボロになっている。顔を覆うのは、髑髏の仮面ではなく、無機質な白い仮面だった。
『PKプレイヤー……?』
私は枝の上から動かず、遠く離れた場所に立つその人物をじっと観察した。
その人物の周囲には、ひどく重苦しい空気が漂っていた。
この凍てつく季節の寒ささえ、さらに冷たく感じられるほどに。
古代のモンスターを思わせる圧倒的な威圧感と、底知れない殺気が全身から溢れ出している。その気配に当てられ、私の額に冷や汗がにじんだ。
――これは、ただのPKプレイヤーなんかじゃない。
危険すぎる存在だ。
それなのに、恐怖よりも先に喜びが込み上げてきた。
私は思わず笑みを浮かべた。
ようやく見つけた。
これこそ、私が求めていた相手だ。
私の戦闘本能が、一気に目を覚ます。
時間をかけるつもりはなかった。私は腰の二本の剣を抜き放つと、全身の身体能力を限界まで引き上げた。
そして、音もなく木の枝から飛び降りる。
狙うのは、仮面の男の背後にある死角。
一気に距離を詰め、二本の剣を交差させながら、その首を刎ね飛ばす勢いで斬り込んだ。
全速力で背後に迫った、その瞬間。
仮面の男が、不意にこちらを振り返った。
奇妙なことに――彼は避けようともしなければ、攻撃を受け流そうともしなかった。
スパッ!
二本の剣が、彼の首をあっさりと切り裂いた。
……はずだった。
刃が首を通り抜けた瞬間、仮面の男の身体が一瞬だけ歪んだ。
輪郭が乱れ、黒いローブの一部がノイズのように明滅する。続いて、その身体が無数の小さなピクセルへと崩れかけた。
まるで、映像そのものがグリッチを起こしたかのように。
私の身体もまた、何の抵抗もなく彼をすり抜け、そのまま前方へと滑り込んでいった。
「……」
攻撃を当てることに固執せず、私は足を軸に身体を百八十度回転させ、背後から彼の首を刎ね飛ばすべく、剣を水平に薙ぎ払った。
だが――
彼はすでにこちらを向いていた。
常識外れの柔軟性で、上半身をC字型に反らしていたのだ。私の剣は彼の胸元すれすれを通り抜け、虚しく空を切った。
私は間髪入れずに体勢を立て直し、二本の剣を同時に突き出す。狙いは心臓。
彼は驚異的な反射速度で宙へと跳ね上がった。
身体を弓なりに反らし、両足を真上へと突き上げる。逆立ちのような姿勢になった彼は、片手を私の頭に軽く置いた。
次の瞬間、その手を支点に鮮やかに宙返りし、私の頭上を飛び越えていく。
ほとんど抵抗を感じさせない、流れるようなアクロバティックな動き。
彼は空中で身を翻し、私の背後へと軽やかに着地した。
「チッ……!」
私は苛立ちを込めて舌打ちした。
足を軸に身体を百八十度回転させ、その勢いのまま剣を振るう。容赦なく空間を斬り裂く一撃。
だが、またしても彼は後方へ飛び退き、私の攻撃をかわした。
彼が距離を取ったのを見て、私の血がさらに沸き立った。
私はそのまま彼を追い、一直線に突進する。
一方の彼は、ようやくインベントリから剣を取り出した。
――まるで、今になってようやく私の攻撃を本気で受け止め始めたかのように。
私は間髪入れず、二本の剣を連続で振るった。精密かつ致命的な連撃を、一気に叩き込む。
キンッ! キンッ! ガキーンッ!
今度は、彼も避けようとしなかった。
手にした剣で、私の斬撃をことごとく受け流していく。
凄まじい速度で、私たちの剣が幾度も交錯した。
凍てつく吹雪の中、甲高い金属音が響き渡り、刃がぶつかるたびに火花が散った。
そして、ある瞬間。
彼は私の左手の剣に狙いを定め、正確無比な一撃を叩き込んだ。
凄まじい衝撃に握力が耐えきれず、私の手から剣が弾き飛ばされる。宙を舞った剣は、そのまま雪原に突き刺さった。
「はっ……!」
思わず息が漏れた。
彼はその隙を逃さなかった。
破壊的な勢いで、剣を私に向かって真っ直ぐに振り下ろす。
反射的に身体を横へと傾け、私は間一髪でその一撃をかわした。
ドンッ!
彼の剣が大地を打ち据えた。
凄まじい衝撃が雪原を揺るがし、私のすぐ脇の地面が砕け散る。深い亀裂が雪の下へと走った。
――だが、ここがチャンスだ!
強烈な一撃を放った直後の彼には、大きな隙が生まれていた。
私は右手に残った剣を振るい、彼の首を刎ね飛ばすべく鋭い一閃を放った!
ザシュッ!
鮮血が空中に飛び散った。
彼の首は見事に斬り落とされ、宙を舞った末に雪の上へと転がり落ちた。
勝利を確信した、その直後。
首筋に、耐え難い激痛が走った。
骨の奥まで焼かれるような熱と痛み。まるで、今斬り飛ばしたのが彼の首ではなく、私自身の首だったかのような感覚だった。
「ああっ……!」
視界が急速にかすんでいく。
激痛に身体がぐらつき、意識が遠のきかけた。
その痛みに耐えながら、私は目の前の光景を見た。
あり得ないことが起きていた。
首を失ったはずの彼の身体が、突如として動き出したのだ。
冷たい左手が素早く伸び、私の首をがっちりと掴む。
そして彼は、何の苦もなく私の身体を空高くへと持ち上げた。
私は、自らの首を締め上げる首のない身体を見つめていた。
鉄のように硬い握力が首に食い込み、狂いそうなほどの激痛が走る。
それなのに、私の唇には笑みが浮かんでいた。野性的で、抑えきれない満足の笑みが。
この痛みは……想像していたよりも、ずっと心地いい。
首を失った彼の身体。その断面の上で、光の粒が次々と集まり、ピクセルとなって再構築されていく。
やがて、それらは再び形を成し、完全な頭部を形成した。
首を刎ねられても死なず、わずか数秒で自己再生を遂げる。
――化け物だ。
再構築された顔に浮かんでいたのは、あまりにも冷徹な表情だった。
その眼差しは深く、底知れない。そこには感情の欠片すら見当たらず、まるで底の見えない氷の湖を覗き込んでいるかのようだった。
なぜだろう。
私は確信していた。
この男こそ、私がずっと探し求めていた存在なのだと。
彼がもたらす痛みに身を委ねるうち、純粋な陶酔感が全身を満たしていく。心臓は激しく高鳴り、意識さえも遠のいていった。
そしてついに、私の視界は暗転した。
意識が途切れる寸前、私は闇と痛みの快楽に身を委ね、その深淵へと沈んでいった。
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次回、第29章 「曖昧な存在」
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