↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/31

第15章:狩



【クエスト:死をもたらす者】

目標:制限時間720時間以内に〈Inquisitors〉を1名殺害せよ。

ペナルティ:失敗した場合、特別な罰が執行される。


「インクイジター……?」


俺は目の前に浮かぶ赤いシステムウィンドウを見つめた。


今回のターゲットは、もはや無作為に選ばれたプレイヤーではない。


俺が今まで一度も耳にしたことのない組織――〈Inquisitors〉のメンバーだった。


「新しいターゲットか……」


「冗談じゃない」


俺はシステムウィンドウを手で払った。


赤い画面は光の粒子となって砕け散り、そのまま空気へ溶けていった。


俺は何事もなかったかのように歩き出し、街の広場を後にした。


しばらく歩き、街の郊外にある酒場街へ差しかかった。


何気なく一軒の酒場へ視線を向けた瞬間、鋭いデジャヴが脳を突き刺した。


そこで騒ぎを起こし、テーブルや椅子を壊した――そんな光景が、不意に脳裏へ流れ込んできた。


後々面倒にならないよう、中に入って弁償だけは済ませておくべきか――そんな考えが一瞬よぎった。


だが、俺は足を止めた。


理性が、その考えを否定する。


「違う。これは俺の記憶じゃない」


小さく呟きながら、俺は額に手を当てた。


「またか……」


この現象は、少しずつ深刻さを増していた。


プレイヤーを殺しすぎた代償だ。


奴らの記憶が俺の意識に溶け込み始め、互いに重なり合って混乱を引き起こしている。


俺にとって奴らの記憶など、神経を侵すデジタルノイズでしかない。


「はぁ……少し休む必要がありそうだな」


精神的な疲労も限界に近かった。


今はただ、一人になれる場所で休みたい。


そんな時、不意に一つの記憶が頭をよぎり、俺はリフェリー郊外のスラム街へと足を向けていた。


やがて、朽ちかけた古い建物の前で足が止まる。


全身に妙な違和感が走った。


「ここは……俺の家じゃない」


事態は俺が予想していたよりも深刻だった。


積み重なったプレイヤーたちの記憶が、俺自身の基本的な認識にまで干渉し始めている。


このまま精神状態を立て直せなければ、自分が何者なのかさえ見失うかもしれない。


選択肢はなかった。


俺は古びた建物の扉を押した。


本来の帰り道を探すには、もう疲れすぎている。


ただ身体を休めるだけなら、この空き家でも十分だ。


ヒュッ――。


耳元で風を切る音が響く。


考えるよりも早く、俺の左手が瞬時に動いた。


振り下ろされた木の棒を、そのまま掴み取る。


「クソプレイヤー! あんたたち、弟を返して!」


荒い息を吐きながら、憎しみに満ちた目をした少女が俺の前に立っていた。


俺は何も答えない。ただ虚ろな目で少女を見つめ返す。


その瞬間――見覚えのない「記憶」が、強引に俺の脳裏へ流れ込んできた。


この部屋で、一人の少年が無理やり引きずられ、奴隷として売り飛ばされるぼやけた光景。


「弟を返して! どこに隠したの!」


少女は再び叫ぶ。その声は怒りで掠れていた。


俺は目の前の少女を無表情に見つめたまま、その叫びを無視する。


今の俺にとって、彼女の声は不安定な記憶の同期を乱す、ただのノイズでしかなかった。


左手を強く引くと、木の棒は彼女の手から弾き飛ばされ、埃まみれの部屋の隅へと転がった。


少女はよろめいて後ずさりし、怒りと恐怖が入り混じった表情で息を呑む。


「叫ぶな」


俺は冷え切った声で、淡々と言った。


「お前の弟は……」


その瞬間、映像が再び脳裏をよぎる。


この建物の隅でうずくまる少年。冷たい鉄格子。そして暗がりで交わされた取引。


コインが相手の手へ渡る瞬間、元の記憶の持ち主の歪んだ満足感まで、俺ははっきりと感じ取った。


「地下の商業区へ連れて行かれた。商品として売られたんだ」


少女は目を見開いた。顔から血の気が引いていく。


「やっぱり……! あんたたち、本当に最低なプレイヤーだ!」少女は涙を流しながら叫んだ。


俺はその叫びを無視した。


「泣くな」


俺は感情のない声で言う。


「弟を取り戻したいなら、俺の邪魔をするな。頭の中を整理するために、静かな場所が必要なんだ」


少女は歯を食いしばった。


「どうしてあんたなんか信じなきゃいけないの? あんたも弟をさらったプレイヤーの仲間なんでしょ?」


「……はぁ」


俺は小さく息を吐き、そのまま背を向けた。


「だったら、自分で探せ」


「ま、待って……!」


足が止まる。


「……もう、他に頼れる人なんていないの」


俺は少しだけ後ろを振り向いた。


少女は両手を強く握り締め、こぼれそうになる嗚咽を必死に堪えていた。


やがて――

その膝がゆっくりと床につく。


「お願い……」


震える声でそう呟くと、少女は深く頭を下げた。


「弟を助けて……。何でもするから……お願い、あの子を連れ戻して」


俺は何も答えず、しばらく黙っていた。


(クソ……なんで毎回こうなる)


心の中で小さく舌打ちする。


本気で休もうと思った時に限って、厄介事の方から勝手に転がり込んでくる。


「はぁ……」


深く息を吐き、乱れた思考を押し殺す。


ゆっくりと振り返ると、土下座したまま必死に頭を下げ続ける少女を見下ろした。


「頭を上げろ」


「見ず知らずの相手に、そこまで頭を下げるもんじゃない。利用されるだけだ」


少女はゆっくりと顔を上げた。


「泣き止むなら手伝ってやる」


「今の俺に必要なのは、頭を整理するための少しの静けさだけだ」


少女は唇を噛んだ。頬にはまだ涙が伝っていたが、今度は慌てて両手で口を押さえ、しゃくり上げる声を必死に飲み込もうとしていた。


ようやく静かになったのを確認すると、俺は再び歩き出し、人気のない空き部屋を探す。


埃をかぶった古びたソファに腰を下ろし、俺は静かに目を閉じた。眠るためじゃない。彼女の弟へと繋がる記憶を探り当てるためだ。


俺の頭の中には、殺してきたプレイヤーたちの記憶が幾重にも積み重なり、無数の糸が絡み合ったような状態になっていた。


そのせいで、彼女の弟に繋がる一本の糸を見つけ出すだけでも、途方もない労力が必要だった。


しばらく集中を続けた末、俺はようやく取引に関わったプレイヤーの記憶の断片を見つけ出した。


記憶を辿ると、取引の直前、そのプレイヤーが何者かへメッセージを送っていたことが分かった。


俺はゆっくりと目を開く。


すぐにシステムウィンドウを呼び出し、記憶の中にあった買い手のプレイヤー名を入力すると、短いメッセージを送信した。


ウィンドウを閉じると、俺は静かに立ち上がり、少女の待つ場所へ向かった。


戻ってきた俺の姿を見て、少女は目を丸くした。


俺は何も言わず、そのまましゃがみ込むと、小柄な体をひょいと抱え上げる。


「えっ!? な、何するの!? 離して、離してよ!」


少女は悲鳴を上げ、必死にもがきながら小さな拳で何度も俺の胸を叩いてきた。


俺はその抵抗を意に介さず、建物の奥へと歩いていく。


そして、そこにあった頑丈な鉄格子の檻の中へ、少女を押し込んだ。


「出して! ここから出してよ!」


少女は再び叫び、頬を涙で濡らす。


俺は懇願も叫び声も無視したまま、鉄格子の扉に鍵を掛ける。


そして、そのまま暗闇に少女を残し、背を向けた。


***


張り詰めた沈黙の中、数時間が過ぎた。


やがて、古びた建物の扉を激しく叩く音が響く。


俺はソファから立ち上がり、静かに正面扉へ向かった。


扉を開けると、派手なピエロの仮面を被った三人のプレイヤーが立っていた。


「あのガキはどこだ?」


「中にいる」


俺は振り返り、彼らを建物の奥へ案内する。


檻の前まで来ると、俺と見知らぬ仮面のプレイヤーたちを見た少女の顔は、一瞬で恐怖に染まった。


「いくらだ?」


「金貨二十枚だ」


「……連れて行け」


男は懐から革袋を取り出して俺へ渡した。


俺は無言でそれを受け取り、代わりに檻の鍵を男へ渡す。


三人は素早く少女を檻から引きずり出し、外で待たせていた馬車へ押し込んだ。


だが、彼らがその場を離れようとした、その時――


「マジックスキル……ヴォイドシェイド」


俺の足元の影が音もなく伸び、三人のうち一人の影へと静かに潜り込んだ。


まるで何事もなかったかのように、すべてが俺の思惑通りに進んでいるかのように、俺は再び建物の中へ戻り、古びたソファへゆっくりと腰を下ろした。


この位置なら、奴らの動きはすべてリアルタイムで把握できる。


それだけじゃない。


今や奴らの足元に潜む俺の影のおかげで、交わされる会話まではっきりと聞き取ることができる。


奴らが自ら隠れ家まで案内してくれるのを待ちながら、俺は静かに足を組んだ。


それから間もなく、古い建物の扉が外から激しく蹴り破られ、静寂は唐突に破られた。


「アイラ……!」


俺には聞き覚えのある声が建物の中に響く。


案の定、様子を見ようと奥の部屋から出ると、息を切らしながら駆け込んでくるルーシーの姿が目に入った。


「ルーシー?」


「シグ?」


俺たちは同時に、驚きの声を漏らした。


尋常ではない焦りを浮かべたルーシーが、真っ直ぐ俺のもとへ駆け寄ってきた。


「シグ、この辺りで金髪の女の子を見なかった!?」


俺は彼女を淡々と見つめ、少しの沈黙のあと、何でもないことのように答えた。


「ああ、あの子か……もう売った」


「え……?」


ルーシーの目が大きく見開かれる。


見る見るうちに顔から血の気が引いていった。


「シグ……どうして、そんなこと……」


震える声は最後まで続かなかった。


「バカ……シグのバカ! どうしてあの子を売ったりしたの!?」


抑えきれなくなったルーシーは、俺の胸を両手でポカポカと叩き始めた。弱々しく、乱れたその拳にはほとんど力がない。行き場のない感情をぶつけるような、そんな叩き方だった。


その必死な様子を見ているうちに、数時間前に俺へ同じように食ってかかってきた少女の姿が脳裏をよぎる。


ルーシーが本格的に泣き出し、俺の思考をさらに乱す前に、俺は彼女の両手首をそっと掴み、その動きを止めた。


「落ち着け。説明する」


俺は涙で潤んだ彼女の目を真っ直ぐ見つめ、感情ではなく理性で聞くよう静かに告げた。


俺は彼女に誤解を抱かせたままにはしなかった。


買い手を誘き出すために仕組んだ偽装取引のこと。そして、馬車の下へ潜り込ませた影を追跡役として使い、奴らのアジトを突き止めるつもりでいることまで――俺は起きた出来事を簡潔に説明した。


やがて、最後まで話を聞き終えたルーシーの荒かった呼吸は、少しずつ落ち着きを取り戻していく。


強張っていた肩から力が抜け、その表情には安堵と深い罪悪感が入り混じっていた。


「そうだったのね……ごめんなさい。ひどいこと言っちゃって」


ルーシーは視線を逸らし、小さく頭を下げた。


「謝る必要はない。気にしていない」


俺は彼女の手首から手を離し、淡々と答えた。


「むしろ、どうしてお前はあの子をそこまで気にかける?」

「どういう関係なんだ?」


「それは……」


ルーシーは少しの間黙り込み、不安そうに指を絡ませていた。


やがて小さく息をつくと、ぽつりと話し始める。


「実はね、リフェリーの街の大聖堂が運営してる孤児院で、ときどきシスターたちのお手伝いをしてるの」


どこか照れくさそうに、小さく笑う。


「最初は暇つぶしのボランティアだったんだけど……気づけば、あそこの子たちと仲良くなってて」


その笑みはすぐに寂しげなものへと変わった。


「でも私はプレイヤーだから、ずっとあの子たちのそばにはいられない。ダンジョン攻略で何日も街を離れることだってあるし……」


ルーシーは視線を落とした。


「だから普段は、大聖堂のシスターたちに任せてるの」


彼女の声は次第に弱くなり、深い後悔だけを滲ませていった。


「でも、それから……あの事件が起きたの」


彼女の表情は一瞬で曇る。


「孤児院の警備の隙を突いて、腐ったプレイヤーたちが子供を何人も誘拐したの。その中の一人が……さっきの女の子、アイラの弟だったわ」


ルーシーは俯き、自分の服の裾をぎゅっと握り締めた。


「だから、アイラが一人で弟を助けに行ったって知った時、放っておけなかったの。本当は、相手について確かな情報が手に入るまで待っていてって言ってあったのに……」


彼女は自嘲するように小さく笑い、それから静かに首を振る。


「でも、私が何も連絡しないまま、あの子を待たせすぎたのかもしれない。だから結局、自分一人で弟を助けに行くって決めちゃったのよ」


「なるほどな……事情は分かった」


俯いたルーシーへ手を伸ばし、その額を軽く弾いた。


パチン!


「痛っ……! 何するのよ、シグ!?」


額を押さえたルーシーが慌てて後ずさりし、不満げな目で俺を睨む。


「ルーシー……お前、自分がどれだけ危険なことをしたか分かってるのか? そのアイラって子供と同じくらい危険なことをしてるんだぞ」


「え?」


「お前はヒーラーだろ、ルーシー。前衛(フロントライナー)もタンクも連れず、一人でこの郊外のスラム街まで来た」


俺は鋭い視線を向けたまま言葉を続ける。


「もしここがグレーゾーンで獲物を狙う腐ったプレイヤーどもの巣だったら、お前なんてあっという間に連中の餌食だ。二度とこんな馬鹿な真似はするな……まだ自分の体と命が惜しいと思うならな」


厳しい言葉を受け、ルーシーは自分の軽率さをようやく理解したのか、頬を赤く染めながら恥ずかしそうに俯いた。


「う、うん……ごめんなさい……」


蚊の鳴くような声だった。


「はぁ、もういい」


これ以上説教を続けるつもりはなかった。


「あとは全部俺に任せろ。必ずその子供たちを連れ戻してやる」


その迷いのない言葉を聞き、ルーシーはゆっくりと顔を上げた。


彼女の瞳を曇らせていた不安は少しずつ薄れ、代わりに信頼の色が浮かんでいた。


「分かったわ……本当にありがとう、シグ」


***


夜になると、古びた建物は闇に沈んでいた。


俺は静まり返った部屋の中央に一人で立ち、五感を極限まで研ぎ澄ますため、ゆっくりと目を閉じる。


敵の拠点に埋め込んだ影の糸を通じて、向こうの音が鮮明に耳へ届き始めた。仮面を被ったプレイヤーたちの乾いた笑い声、鉄の鎖が擦れる音、そして何かの準備を進める慌ただしい足音。


ターゲットは全員、一か所に集まっている。


「どうやら俺が動く時間のようだな」


誰に聞かせるでもなく、俺は闇へ向かって冷たく呟いた。


ローブの内側から、俺は目元だけが漆黒に染まった白い仮面――〈Voidface〉を取り出した。


それを顔に着けた瞬間、濃密な冷気がローブの隙間から這い出し、足元の埃がふわりと舞い上がる。凄まじい殺気が、一気に解き放たれた。


シャキッ!


俺は赤い刀身の剣を呼び出し、右手で静かに握る。


脈打つようなその刃が、月明かりを鈍く反射した。


「ユニークスキル……アンブラル・ドリフト」


スキル名を口にした瞬間、俺の身体は輪郭を失い、漆黒の霧となって砕け散った。


冷たい夜風に溶け込むように霧は扉の隙間をすり抜け、そのまま街の闇へと消えていく。


〈Voidface〉の狩りが始まった。



***

次回、第16章 「名もなき者」


新しい章の更新は毎週土曜日です。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。