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第14章:ジャスティス・ギルド

シグ視点



***



湿ったレンガの壁の間に、俺の足音だけが静かに響く。


俺は人目のない路地裏へ戻ると、周囲を警戒しながら、ゆっくりと左手の手袋を外した。


布が外れた瞬間、あり得ない光景が再び目に飛び込んでくる。


俺の左手は、もう普通の人間の手とは呼べるものではなかった。


皮膚は不規則に揺らぐグリッチに覆われ、赤く燃えるようなピクセルがその表面を這い続けている。


まるで、俺の左手そのものが致命的なシステムエラーに侵されているかのようだった。


痛みはない。


だが、皮膚の下では、奇妙な静電気のような感覚だけが絶えず流れ続けていた。


時間を無駄にすることなく、俺はこの異常(アノマリー)の限界を確かめることにした。


目に入ったのは、路地に転がる古びた木の棒だった。


左手の指先が触れた直後は、何も起こらない。


俺はその粗い表面をじっと見つめた。すると――


次の瞬間、木の棒は不自然な瞬きを挟むように劇的に縮み、気づけば爪楊枝ほどの大きさになっていた。


「……思った通りだ」


俺は小さく呟く。


ただ縮むイメージを思い描いただけで、左手は即座に反応し、対象の構造そのものを書き換えたのだ。


そのポテンシャルに好奇心をそそられ、俺は意識を切り替えた。今度は、爪楊枝ほどの大きさになった棒が大きくなる姿を思い描いた。


バン――!!


激しい爆発音が狭い路地に響き渡った。


一瞬のうちに、左手の中の棒は異常な勢いで巨大化した。


その大きさは何倍にも膨れ上がり、両端が路地の壁を同時に突き破る。


亀裂が走り、土煙が舞い上がる。


俺は目の前の破壊跡を見つめながら、小さく呟いた。


「コントロールはかなり難しいな……だが」


一瞬にして、巨大な棒は俺の手から消え去った。


まるで世界そのものから削除されたかのように、その存在は跡形もなく消滅する。


「扱い自体は簡単だな……」


バン……。


元に戻れと念じた瞬間、棒は最初に拾った時と同じ大きさで、再び俺の左手に現れた。


「オブジェクトの構造を操作する力……あるいはそれ以上か?」


俺はその棒を横へ放り投げ、まだ赤いグリッチに覆われた左手を見つめた。


この力を手に入れたからといって、自分が強くなったとは思えなかった。むしろ――これはまだ完全には目覚めていない呪いのように感じられた。


「ふぅ……」


俺は深くため息をつく。この馬鹿げた実験も、もう十分だ。


すぐに手袋をはめ直す。この左手は隠さなければならない。見つかれば、不審に思われ、余計な注目を集めるだけだ。


左手を隠し終えると、俺は路地裏を後にした。


だが、リフェリーの街の広場へ足を踏み入れた、その時だった。


人々の喧騒がぴたりと止み、俺の視線はある光景へと引き寄せられた。


広場の中央には、大きな木製の処刑台が堂々と築かれていた。


そこは普段、サンクト・オーダー・ギルド(Sanct Order Guild)が、この街で罪を犯したと見なしたプレイヤーやNPCを公開処刑するために使っている場所だ。


奴らは権威を誇示することに異常なまでに執着していた。


人前で罪人を裁き、その最期を見世物にする。


傲慢な装いをまとったギルドの連中は、それをさも正義であるかのように振る舞っていた。


そんな「聖なる裁判」と称した私刑を繰り返してきたせいで、世間ではいつしか奴らを『ザ・ジャスティス・ギルド(The Justice Guild)』と呼ぶようになっていた。


正義の執行者――。


……はっ。


あいつらの偽善を見ていると、その呼び名だけで笑えてくる。


この壊れた世界に正義なんてものはない。


あるのは、名声を得るための道具だけだ。


だが、彼らの人を惹きつける力だけは否定できなかった。


まるで精神を支配する魔法にでもかけられたかのように、ギルドの連中があの裁きのステージへ上がるたび、人々は蟻のように群がってくる。


そして今日もまた、その傲慢な見世物が始まろうとしていた。


注目を集める木製ステージの上では、サンクト・オーダー・ギルドのメンバーたちが、一人の哀れなプレイヤーを中央へ引きずり出した。


「このドブネズミを見ろ!」


一人の男がそう叫び、そのプレイヤーの膝を蹴りつけて無理やり跪かせる。


「こいつは無力な住民から物を盗み、この街の平和を汚した! これがお前たちの言う冒険者か!?」


正義に酔った観衆の怒号が、リフェリーの広場全体に響き渡る。


「そいつは有罪だ!」


「処罰しろ!」


「処刑……処刑……」


群衆から賛同の歓声が爆発した。俺はただ冷ややかな目で、その光景を見つめていた。


この世界では、悪と正義の境界など、結局は誰がステージに立っているかで決まる。


重々しい足音が広場に響く。


ステージの幕の奥から、サンクト・オーダー・ギルドのリーダーが姿を現した。


目も眩むような金の装飾が施された純白のローブ。


俺が殺したプレイヤーの記憶のおかげで、こいつの本名がガレンだということは知っている。


「皆の者、静粛に!」


その一声だけで、広場全体は一瞬にして静まり返った。


ガレンは、今や涙で顔を濡らしながら平伏して許しを乞う盗人を見下ろした。


その目に慈悲はない。


彼にとってこれは裁きではない。


権力を誇示するためのショーに過ぎないのだから。


「法はこの世界の秩序の土台である……」


「他人のものを奪うために使われたその手は、強欲に染まった手だ」


「リフェリーの街の秩序と、サンクト・オーダーの名誉のために……」ガレンの声が広場全体に重く響き渡る。


「判決を下す――断手刑だ」


それを見物していた群衆から、再び賛同の歓声が爆発した。


「今すぐその左手を切り落とせ!」


裁判官であるガレンが、反論を許さない冷徹な口調で命じた。


鎧をまとった二人の処刑人が、すぐにそのプレイヤーの腕を押さえつける。


鞘から大剣が引き抜かれ、照りつける陽光を鋭く反射した。


銀色の閃光が空気を切り裂き、続いて生々しい「ザシュッ」という音が木製のステージに響く。


鋭い悲鳴が広場に響いた。


だがその声は、見世物に酔いしれる観客たちの歓声と拍手に、あっという間にかき消されていった。


遠くから、俺は何の感情もなく、その光景を冷ややかに見つめていた。


おそらく、これより遥かに腐りきった記憶を何度も見てきたせいだろう。こんな光景さえ、今の俺には日常と変わらなかった。


切り落とされた左手が、木製のステージに鈍い音を立てて転がる。その持ち主は激痛と失血に耐えきれず、すでに意識を失っていた。


俺にとって、これは正義ではない。


見世物に飢えた群衆へ向けた、ただの権力のデモンストレーションに過ぎなかった。


二人の処刑人は、抵抗する力すら失ったプレイヤーを無造作にステージから引きずり下ろす。


木の床には、長く引きずられた血の筋だけが残った。


やがて舞台が片付くと、裁判官――ガレンが再び前へ歩み出る。


彼は両腕を大きく広げ、まるで世界を救った英雄であるかのように、民衆の歓声を受け止めた。


「先ほどの行為は、ほんの小さな清掃に過ぎない!」


彼の声が轟き、再び群衆を静まり返らせる。


「本日! 我々は遥かに大きな成果を成し遂げた! 恐怖の中で生きるすべてのプレイヤーにとっての勝利である!」


彼はステージ後方の大きな幕へ向かってゆっくりと歩いた。


空気が一変する。


観客たちは息を呑み、その場は張り詰めた静寂に包まれた。


「我々は皆、誰もが恐れるその名を知っている。影に潜み、音もなく命を奪う。容赦を知らぬ冷酷な殺人鬼――」


彼は劇的な間を置き、群衆を鋭く見回した。


「ヴォイドフェイス……」


その名が告げられた瞬間、観客の間に恐怖のざわめきが広がる。


裁判官がロープを引くと、ステージ奥の幕がゆっくりと開いた。


そこには、薪がピラミッド状に高く積み上げられていた。


しかし、その頂上に縛りつけられた人物の姿に、人々は息を呑む。


一人のプレイヤーが木柱に縛りつけられ、口には白い布を詰め込まれていた。


恐怖に見開かれた瞳からは涙が止めどなく流れ、何かを必死に訴えようとするように、口を塞がれたまま激しく身をよじっていた。


「これが奴らの一味だ!」ガレンは片手で囚人を指さした。


「我々はまだヴォイドフェイス本人を捕らえることはできていない。だが——今日こそ、奴らの終わりの始まりだ!」


ガレンは声を張り上げ、ステージ下の群衆を見渡した。


「我々は奴らを一人ずつ追い詰め、この場で裁きを下す! お前たち全員、その目で見届けるがいい!」


歓声が瞬く間に爆発した。


「あんなPKども、この街に生きる価値なんてない!」


「絶滅させろ!」


罵声が飛び交い、薪の山に縛りつけられた囚人へ次々とゴミが投げつけられる。


「処刑しろ!!」


「そのクソ野郎を焼き殺せ!!」


俺の唇の端に薄い笑みが浮かんだ。


〈Voidface〉のメンバー?


……笑えてくる。


いつから俺にメンバーなんていたんだ?


俺の視線は、ステージの上で恐怖に震えているプレイヤーへと移った。


サンクト・オーダー・ギルドは本物の犯人を捕まえたわけではない。ただ、ギルドの名声を高めるための見せしめが欲しかっただけだ。


そして今日――何千もの歓声に包まれながら、その嘘を正義として振りまいている。


「我々はこの最初の成果を、浄化の炎で祝うとしよう!」


ガレンが手を挙げた。


一人のNPC衛兵が、あらかじめステージ脇に用意されていた松明を手に、すぐさま前へ出る。


俺はすぐに彼らの意図を理解した。


処刑を行うのはプレイヤーではない。NPCだ。


そうすれば、PKペナルティを受けることなく標的を殺せる。


俺の口元に薄い笑みが浮かんだ。


サンクト・オーダー・ギルドは、俺が想像していた以上に腐っている。


だが、NPC衛兵が手にした松明が薪の山へ触れようとした、その時――


「やめなさい!!」


鋭い女性の声が、広場中に響き渡った。


群衆が一斉に左右へ割れる。


俺は、その姿を一目で認識した。


ヴィオナだ。


「どうしてあなたたちは、有罪だと証明されてもいない人を裁き続けるの!?」彼女はサンクト・オーダー・ギルドのメンバーへ向かって怒鳴った。


広場が突然、静まり返った。


「チッ……」ガレンは露骨に顔をしかめ、ヴィオナを睨みつけた。


「何度も言ったでしょう? 明確な証拠もないまま人を裁くのはやめなさい」ヴィオナは鋭く言い放つ。


「皆の者、見るがいい!」ガレンは片手を掲げ、ヴィオナを指さした。


「この女はPKを庇おうとしている!」


群衆がざわつき始める。


「我々の予想通りだな……ヴォイドフェイスのメンバーが一人捕まれば、他のメンバーが必ず救出に現れるというわけだ」


俺はすぐに彼らの狙いを悟った。


彼らはヴィオナを同じ罠へ引きずり込もうとしているのだ。


リフェリーの広場の空気が、突然重くなった。


ガレンがヴィオナを「PKを庇っている」と非難したことで、それまでステージ上の囚人へ向けられていた民衆の視線が、一斉にヴィオナへと集まる。


しかし、ヴィオナは一歩も引かなかった。


「私はPKを庇っているわけじゃない」


「私はただ、有罪とも限らない人をあなたたちが処罰するのを望まないだけよ」


ヴィオナはサンクト・オーダー・ギルドの面々を鋭く見渡した。


「だったら、証拠を見せなさい。彼が本当にヴォイドフェイスのメンバーだという証拠があなたたちにあるの?」


「証拠だと?」ガレンは冷笑した。


「我々はこの目で見たのだ。こいつが他のプレイヤーを殺すところをな」


「そう言うと思ったわ」


ヴィオナはステージの上の囚人を指さした。


「もし彼が本当にPKなら、どうして彼の頭の上にPKマークがないの?」


群衆がざわつき始める。


ガレンは即座に答えた。


「それは奴らがNPCを使っているからだ」


彼の口元に薄い笑みが浮かぶ。


「奴らはプレイヤーを瀕死まで追い込み、その後NPCにとどめを刺させる。そうすればシステムはPKペナルティを与えない」


それを聞いた群衆が再びざわつき始めた。


「それこそが、ヴォイドフェイスが安全地帯内で多くのプレイヤーを殺害できた理由だ」


ガレンは部下へ向かって手で合図した。


「お前たち、こいつと共謀したNPCをここへ連れてこい」


彼は勝利を確信した笑みを浮かべながら、ヴィオナへと視線を向けた。


「ヴィオナお嬢様自身に、その証拠を見ていただこう」


彼の部下はすぐに、両手を縛られた一人のNPCをステージへと連れてきた。


「街中の者どもに、お前自身の口で真実を語れ」


ガレンはNPCの肩を強く掴んだ。


「わ、私はあのプレイヤーに脅されて協力させられたのです……」


NPCの声は恐怖で震えていた。


「他のプレイヤーを殺すのを手伝えと、彼に脅されたのです……」


群衆がざわつき始める。


「彼は本当に人殺しなんです……私を利用して、すべてをやらせたんです……」


ガレンの口元に、薄い笑みが浮かんだ。


だが、俺にとってこれは単なる無意味な茶番に過ぎなかった。


彼らは自分たちのすべての行動が正当化されるように、様々な準備をしておいたのだ。


俺は静かに息を吐いた。


次の瞬間、俺の足元の影がゆっくりと動き始めた。


観客たちの足元を黒い蛇のようにうねりながら、誰にも気づかれることなく進んでいく。


その影は滑るように進み続け、ステージの真ん前でぴたりと止まった。


あとは、タイミングを待つだけだ。


「見るがいい……今、どちらが正しいか?」


ガレンが声を張り上げ、再び群衆を煽ろうとした――その時。


ステージ前まで伸びていた影が、不意に動いた。


〈Voidface〉の仮面をつけた男が、亡霊のように暗闇から姿を現す。


「なっ――!?」


一瞬で薪の山へ跳び上がる。


シュッ!


縄は一太刀ですべて断ち切られた。


囚人の体が地面へ落ちるより早く、仮面の男は宙でその体を受け止める。


「ヴォイドフェイスだ!!」


「捕まえろ!!」


群衆は一瞬で大混乱に陥った。


立ち去る直前、〈Voidface〉の姿をした者がガレンへ向けて一本の苦無を放った。


「何っ!?」


ガキィン!


ヴィオナの方が一歩早かった。彼女の剣が、ガレンの目の前でその苦無を弾き飛ばす。


ほんの一瞬、広場全体が静まり返った。


ヴィオナは、つい先ほどまで自分を〈Voidface〉の仲間だと非難していた男を、今この瞬間に守ったのだ。


俺の狙い通り、その小さな行動だけで彼女の潔白を証明するには十分だった。


その瞬間、〈Voidface〉の体から黒い霧が一気に噴き広がる。


全員の視界が完全に遮られた。


そして霧が晴れた時には――二人の姿はすでに消えていた。


俺の影は、囚人を連れ去ることに成功したのだ。


「クソッ! 出し抜かれたか!」


ガレンは怒りで歯を食いしばった。


「早く奴らを探せ! まだ遠くへは行っていないはずだ!」


俺は薄い笑みを浮かべたまま、その混乱を眺めていた。


そして誰にも気づかれないよう、静かに広場を後にする。


今、彼らは俺の影を追うのに必死だ。


そして確信している……彼らがそれを捕まえることなど絶対にできないと。


しかし、黒いローブをまとい、透ける黒布で顔を隠した一人の女性プレイヤーの横を通り過ぎた、その時――


俺の左手が突然ドクンと跳ねた。


手のひらを覆う赤いグリッチの奥で、微かな電流が走る。


まるで俺に何かを警告しようとしているかのようだった。


俺は何事もなかったかのように歩き続ける。


一歩。


二歩。


そしてついに足を止め、振り返った。


そこに、あの女性の姿はもうなかった。


ほんの数秒前まで、確かにそこに立っていたはずなのに。


俺は一瞬だけ目を細めた。


だが、今は他の奇妙なことを気にしている場合じゃない。


再び歩き出した、その瞬間――


システム通知が視界に表示された。


【クエスト:死をもたらす者】

目標:制限時間720時間以内に〈Inquisitors〉を1名殺害せよ。

ペナルティ:失敗した場合、特別な罰が執行される。



***

次回、第15章 「狩り」


新しい章の更新は毎週土曜日です。


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