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第10章:死をもたらす者


[ Quest Failure Detected ]

[ Penalty Activated ]

[ Initializing Penalty Process : Entity ID_S01_047 ]


「――っ!?」


次の瞬間。


俺の右腕が、勝手に動いた。


まるでシステムに体の主導権を奪われたかのように。


止められない。


抵抗もできない。


伸びた右手は、そのままヴェインリーヴァーを突き出し――


赤黒い刀身が、ヴィオナの腹部を深々と貫いた。


[ Error_System : 999,999,999 Damage ]


「……え……?」


ヴィオナの瞳が揺れる。


唇の端から、赤い血が静かに零れ落ちた。


「シ……グ……?」


掠れた声だった。


彼女のHPバーが、一瞬で消し飛ぶ。


0。


絶対的な死の数値が、そこに表示されていた。


システムの制御がようやく解除された時、俺の手は激しく震えていた。


信じられなかった。


目の前で起きた現実を、俺の心は受け入れられずにいた。


涙が溢れる。


喉が詰まり、息が苦しい。


ショックも、後悔も、悲しみも。


そのすべてが胸の中で渦を巻き、俺から言葉を奪っていた。


だが――


死の淵に立たされてなお、ヴィオナは微笑んでいた。


彼女はそっと手を伸ばし、俺の頬を伝う涙を優しく拭う。


「…………」


俺は何も言えなかった。


次の瞬間。


彼女の体は光の粒子となって崩れ始める。


舞い上がる無数の光。


そして、その姿は静かに消えていった。


「俺は……何をしてしまったんだ……?」


俺はその場に膝をついた。


震える両手には、まだヴィオナの血が残っている。


うつむいたまま手を見つめる。


視界が滲んだ。


頬を伝って落ちていくのは涙――ではなかった。


血だ。


まるで呪いのように、赤い雫が地面へと落ちていく。


長い沈黙が流れた。


そして。


「……ハ」


乾いた笑いが漏れる。


「ハハ……ハハハ……」


自嘲だった。


守りたかった。


助けたかった。


なのに――


殺した。


この手で。


他の誰でもない。


俺自身の手で。


「ハハハ……」


胸の奥で何かが壊れる音がした。


気づけば、俺はヴェインリーヴァーを握り直していた。


その切っ先を、自分の腹へ向ける。


そして、躊躇なく突き立てた。


ドスッ。


続けてもう一度。


そして、もう一度。


「ハハ……ハハハ……」


腹部から血が溢れ出す。


それでも止まらない。


Undying Willが発動する。


死を拒絶するシステムが、無理やり俺を生かし続ける。


だが、そんなものは関係なかった。


俺は再び剣を握り締める。


さらに深く。


もっと深く。


血飛沫が舞う。


それでも笑いだけは止まらなかった。


「フハハ……ハハハハ……」


痛みはもう感じなかった。


俺は何度も、自分の体を傷つけ続けた。


システムは俺を生かし、傷を塞ぐ。


だが、それは俺が再び自分を傷つけるための猶予でしかなかった。


俺は狂ったように剣を振るった。


何度も。


何度も。


何度も。


自分自身を罰するように。


やがて、Undying Willは限界を迎えた。


スキルはクールダウンへ移行し、俺のHPは1で固定される。


あと一撃。


それで、本当に終わりだ。


「ヴィオナ……」


震える声が漏れた。


「俺も、すぐそっちに行くよ」


グサッ――


ヴェインリーヴァーの冷たい刃が、最後にもう一度俺の腹を貫いた。


HPバーがゼロになる。


視界の中で、赤いシステムウィンドウが点滅した。


[ ユーザーの死亡を検知 ]


[ モード《Future Sight》を3秒後に強制終了します ]


 3。


 2。


 1。


最後の数字が消えた瞬間。


俺の意識は激流に呑み込まれるように引きずられた。


視界が歪む。


世界が砕ける。


そして――


気づけば、俺はエイデンの店の中に立っていた。


右手を前に突き出したまま、硬直している。


「あのスキルは発動しなかったみたいだな……ほら、まだ突っ立ったままだ」


エイデンが肩をすくめながら言った。


「発動条件があるのかもしれないわ」


ヴィオナがなだめるように言う。


「時間系のスキルって、だいたい複雑だしね」


――その声を聞いた瞬間。


俺は凍りついた。


ゆっくりと振り向く。


そこには、ヴィオナがいた。


生きている。


間違いなく。


涙が頬を伝った。


「シグ……?」


ヴィオナは戸惑ったように瞬きをする。


「大丈夫?」


心配そうな表情だった。


その声が、胸を締めつける。


ついさっきまで、二度と聞けないと思っていた声だったから。


一言も言えなかった。


俺はゆっくりとヴィオナへ歩み寄る。


一歩。


また一歩。


目の前の光景があまりにも現実離れしていて、瞬きをした途端に消えてしまう気がした。


そして。


気づけば俺は、彼女を強く抱き締めていた。


「シ、シグ?」


ヴィオナが小さく声を上げる。


突然のことに戸惑っているのだろう。


だが、俺は腕を緩めなかった。


「ヴィオナ……」


「うん、シグ?」


「ヴィオナ」


もう一度、その名前を呼ぶ。


まるで離した瞬間、再び消えてしまうかのように。


抱き締める腕に力が入った。


「ええ、私はここにいるわ」


ヴィオナは優しく答えた。


少しだけためらった後、彼女もそっと俺の背中に腕を回す。


その温もりが、本物だと教えてくれた。


先ほどから様子を見ていたエイデンが、静かに口を開いた。


「シグ。お前、今未来を見たのか?」


その問いに、俺はゆっくりとヴィオナから離れる。


頬に残った涙を拭い、エイデンへ視線を向けた。


「ああ」


短く答える。


「未来を見てきた」


ヴィオナが死ぬ未来を。


「えっ……?」


ヴィオナが目を見開いた。


「本当なのか?」


エイデンの眉がわずかに上がる。


俺は黙って頷いた。


すると、エイデンの口元にゆっくりと笑みが浮かんだ。


「なるほどな」


彼は興味深そうに顎を撫でる。


「どうやら、とんでもねえもんを手に入れたらしいな」


「Sランクスキル――その類だろうな」


ヴィオナはしばらく俺の顔を見つめていた。


「シグ……もしよかったら教えて」


少し躊躇うようにして、彼女は尋ねる。


「どんな未来を見たの?」


その声には、隠しきれない不安が滲んでいた。


突然泣き出した俺を見て、何かがおかしいと感じたのだろう。


俺は視線を逸らした。


彼女の目を見ることができない。


見た未来を話すことなんてできなかった。


ヴィオナが死ぬ未来を。


そして――


俺自身の手で、彼女を殺す未来を。


「……ただの未来だ」


俺は短く答えた。


「大したものじゃない」


「……そう」


ヴィオナは静かに頷く。


だが、その表情はどこか納得していないように見えた。


俺が何かを隠していることに気づいているのかもしれない。


重くなりかけた空気を変えようとするように、ヴィオナは無理に笑顔を作った。


「仕方ないわね。その話はまた今度にしましょう」


彼女は明るい声を作る。


「今はアンダーガーデンの探索を続けましょうよ。ちょうどシグに見せたい場所もあるし」


俺は目を伏せた。


そして、少し間を置いて答える。


「ごめん、ヴィオナ」


「……え?」


「今は、一人になりたい」


その言葉に、ヴィオナは小さく息を呑んだ。


ほんの一瞬だけ、悲しそうな色が瞳をよぎる。


だが、彼女は何も言わなかった。


「……そう」


静かに頷く。


「分かったわ」


そして少しだけ笑った。


「それじゃあ私はみんなのところに戻るわね」


「何かあったら、キャンプまで来て」


「ああ」


俺は短く頷いた。


ヴィオナはゆっくりと背を向ける。


そのまま店の出口へ向かって歩き始めた。


一瞬だけ。


呼び止めそうになった。


だが、声は出なかった。


彼女の足取りは少し重く見えた。


不安と心配からなのか。


それとも――


俺が何かを隠していることを察していたからなのか。


ヴィオナの姿が見えなくなると、俺はエイデンへ視線を向けた。


そして、そのままカウンターの上に置かれたヴェインリーヴァーを見る。


「エイデン」


「ん?」


「そのヴェインリーヴァー、借りてもいいか?」


エイデンは黒い包帯に巻かれた剣を持ち上げた。


「これか?」


「ああ」


エイデンは少しだけ目を細める。


「お前がどんな未来を見たのかは知らねえ」


そう言いながら、軽く剣を放り投げた。


「だが、その剣は俺が持ってるより、お前が持ってる方が役に立ちそうだ」


俺は飛んできた柄を掴む。


冷たい感触が掌に伝わった。


――今度は違う。

 

俺が、この運命を変える。


「ありがとう、エイデン」


「気にするな」


エイデンは肩をすくめた。


「返さなくていい」


「え?」


「俺からの贈り物だと思っとけ」


「ああ……ありがとう」


これ以上立ち止まっている暇はない。


俺はヴェインリーヴァーを装備すると、踵を返してエイデンの店を後にした。


通りを歩きながら、ステータスパネルを開く。


そして、あの未来を見せた新スキルの詳細へと視線を落とした。


《マジックスキル:Time Leap 》

タイプ: 非ダメージ

効果:スキルが発動されると、ユーザーは次の瞬間に自動的に「Future Sight」モードに入る。

Future Sight: ユーザーが最大24時間の制限まで未来の流れを見るために引き込まれる絶対的なモード。

「Future Sight」のタイムライン内でユーザーの肉体が死亡した場合、このモードは自動的にキャンセルされる。 ユーザーは「Future Sight: OFF」のコマンドを使用して手動でキャンセルを行うこともできる。

持続時間: 1秒

マナコスト: 50 MP

クールダウン: 24時間


「フューチャーサイトは最初から発動していた……そして俺の死によって強制的に終了したんだ」


残酷な仕組みだ。


だが、おかげで俺は未来を見ることができた。


「問題は――」


俺は視界の端に浮かぶ赤いタイマーへ目を向けた。


[ 02:29:45 ]


その数字は容赦なく減り続けている。


あと二時間半もしないうちに、システムは俺にこのエリアのプレイヤーを殺せと命じてくる。


狂っている。


まるで俺を追い詰めるために用意されたようなクエストだった。


俺の手を、プレイヤーキラーの血で染めようとしている。


さらに厄介なのは、失敗した場合だ。


クエストのペナルティによって、俺の体はシステムに支配される。


そして勝手に動き出し――


近くにいる誰かを殺してしまう。


あれを繰り返すわけにはいかない。


ヴィオナを。


俺自身の手で殺した、あの未来を。


俺はそれから、『死をもたらす者』で付与されたスキルの詳細を開いた。


《 ユニークスキル:Death Zone 》

タイプ: 非ダメージ

効果:スキルが発動されると、ユーザーおよびユーザーから半径30メートル以内のすべてのターゲットは、「Death Zone」と呼ばれる特別なドメインに自動的に引きずり込まれる。

Death Zone: このドメイン内にいるすべてのプレイヤーは、彼らが持っているいかなるスキルも発動できなくなるというペナルティを受ける。 この効果はユーザーには適用されない。

特殊効果: Death Zone内では、他のプレイヤーを殺してもプレイヤーキラー(PK)マークは付与されない。 ユーザーがDeath Zoneドメイン内で他のプレイヤーの殺害に成功した場合、ターゲットのすべてのEXPと記憶はユーザーに移行する。

持続時間: 30分

マナコスト: 0 MP

クールダウン: 1時間


他のプレイヤーを殺すための殺戮の闘技場だ。


俺は覚悟を決め、通りを歩き始めた。


だが、足取りは重い。


一歩進むたびに、意識があの光景へ引き戻される。


ヴィオナが死んだ未来。


頭では、まだ起きていない未来だと分かっていた。


それでも――


あの時の血の感触だけは、まだ指先に残っている。


思い出すだけで胸が締め付けられた。


気づけば、ヴェインリーヴァーの柄を握る手が震えている。


誰かを救うためには、俺は殺人者にならなければならない。


選択肢はない。


殺すか、殺さないかじゃない。


どう殺すかだ。


自分の意志で殺すのか。


それとも、システムに操られたまま殺すのか。


「どうせ殺さなきゃならないなら……」


俺は小さく呟く。


「誰を殺すかは、俺自身が決める」


その覚悟を決めた瞬間、不思議と指の震えは止まった。


俺はヴェインリーヴァーの柄をさらに強く握り締める。


犠牲になるのが誰であろうと――


もう気にするな。


そう自分に言い聞かせた。


俺は深く息を吸う。


迷っている時間はない。


時間は容赦なく過ぎていく。


動かなければならなかった。


***


俺は喧騒を離れ、ファレリーの裏路地へと足を踏み入れた。


薄暗く、人通りも少ない。


辺りを見回しながら進んでいると、やがて路地の奥から誰かの怒鳴り声が聞こえてきた。


俺は物陰からそっと様子を窺う。


そこには二人のプレイヤーと、一人のヒーラーがいた。


どうやら揉めているらしい。


「話が違うだろ! 三〇%もらえる約束だったはずだ! なんで五%しかないんだよ!?」


「うるせぇな」


青銅の鎧を着たウォリアーが吐き捨てる。


「後ろで回復してただけだろ。五%でも多いくらいだ」


「ふざけるな! 俺だって命懸けで戦ってたんだぞ!」


「気に入らねぇなら消えろ」


「お前らがここまで連れてきたんだろ!? 今さら見捨てる気かよ! 俺はヒーラーなんだぞ!」


「知るか」


ウォリアーは鼻で笑った。


「拾ってくれるパーティーでも探すんだな」


俺は影に身を潜めたまま、三人の様子を見つめていた。


この呪われたシステムは、一人の命を要求している。


そして目の前の二人は、そのための標的としては十分だった。


俺は静かに、ヴェインリーヴァーに巻かれた黒い包帯を解いた。


だが、一歩踏み出そうとしたその瞬間――


背後から聞こえた声が、俺の動きを止めた。


プレイヤーたちで賑わう大通りへと続く路地の入口から、その声は聞こえてきた。


「シグ、こんなところで何してるの?」


俺の手は空中で止まった。


その声はルーシーのものだった。彼女は俺を追って、この静かな路地へ入ってきたらしい。


俺は振り返った。


一瞬だけ、理性が戻る。


俺はすぐに武器をインベントリへしまった。


胸の奥で渦巻いていた殺意が、わずかに薄れる。


「俺は……ただ散歩していただけだ」


震える声を悟られないようにしながら、俺は答えた。


「こんな人気のない場所で?」


ルーシーは目を細めた。


「ただ道に迷って、方向がわからなくなっただけだ」


俺は咄嗟に嘘をつき、顔を背けた。


今の自分を見られたくなかった。


ルーシーはすぐには何も言わなかった。


薄暗い路地の奥へ視線を向け、誰かを探すように辺りを見回す。


「それじゃ、ヴィオナは? さっきまでシグと一緒にいたでしょ?」


その名前を聞いた瞬間、胸の奥が鋭く痛んだ。


「彼女は……もうキャンプに戻ったよ」


俺は静かに答えた。


「二人で喧嘩でもしたの?」


ルーシーは心配そうに眉を寄せる。


「違う。俺が一人にしてくれって頼んだんだ」


これ以上追及されたくなくて、俺はできるだけ冷たく言った。


ルーシーは深いため息をついた。


俺のぶっきらぼうな態度に呆れているようだった。


「はぁ……理由は後で聞くわ。とにかく、こんなところにいたら危ないでしょ」


そう言って、ルーシーは俺の手を掴んだ。


「ほら、行くわよ」


俺の返事を待たず、彼女は強引に俺を引っ張った。


ルーシーの手の温もりが、冷え切った俺の体には妙に鮮明に感じられた。


他にするべきことも見つからず、俺は大人しく彼女に引かれるまま歩き出した。


路地の奥にいた獲物は、そのまま置いていく。


俺たちが狭い路地を抜け、大通りへ出たその時だった。


ドンッ!!


ルーシーが前から歩いてきた三人組のプレイヤーとぶつかった。


彼女の体がよろめき、半歩ほど後ろへ弾かれる。


倒れそうになったその瞬間、俺は咄嗟に腕を伸ばし、彼女の肩を支えた。


「おいコラ、前見て歩けや!」


三人組の一人が苛立った声を上げる。


「あっ、ご、ごめんなさい……! わざとじゃないの」


ルーシーは慌てて頭を下げた。


その騒ぎに何人かのプレイヤーが振り返ったが、興味を失ったようにすぐ視線を戻して歩き去っていく。


ファレリーのような市では、この程度の小さな揉め事など珍しくもなかった。


俺たちの前に立つ大柄な男は、値踏みするような視線をルーシーへ向けた。


その目は顔から胸元、そして体つきへとゆっくり滑っていく。


やがて男の口元がいやらしく歪んだ。


「お前、結構可愛いじゃねえか。どうやら謝るだけじゃ済まなそうだな」


そう言うなり、男はルーシーの手首を乱暴に掴んだ。


「っ! 離して!」


ルーシーは驚きながら手を振りほどこうともがく。


俺は一歩前へ出て、その男の腕を強く掴んだ。


「その手を離せ。もう謝っただろ」


俺は冷たく言った。


男は苛立ったように振り返る。


「お前、誰に口利いてんだ?」


男の顔が険しく歪む。


次の瞬間、拳が俺の顔面へ向かって一直線に振り抜かれた。


ほんの一瞬で、システムがその攻撃の軌道を視界に映し出す。


本来なら避けるのは簡単だった。


だが今の俺には、次の行動を正当化するための口実が必要だった。


ドゴォォォッ!!!


拳は俺の顔面にまともに炸裂した。


俺の体は勢いよく吹き飛ばされ、道端に積まれていた木材の山へ激突する。


ガシャァァァン!!


木材が派手な音を立てて崩れ落ちた。


「ハッ、この負け犬が。そこで大人しく転がってろ!」


男は満足そうに嘲笑った。


この瞬間を、俺は待っていた。


三人の男たちが、ルーシーを人気のない路地裏へ引きずっていく。


ルーシーは激しくもがきながら、必死に拘束から逃れようとしていた。


俺はゆっくりと立ち上がり、口の端から流れる血を手の甲で拭う。


そしてそのまま奴らの後を追い、薄暗い路地へ足を踏み入れた。


背後から近づく足音に気づいたのか、三人は足を止める。


「まだ痛い目を見てぇのか?」


男の一人が振り返り、嘲るように言った。


「もう十分よ、シグ! 早くドミニクかヴィオナを呼んできて!」


俺が三人に勝てるはずがないと思ったのだろう。


ルーシーは不安そうな声で叫んだ。


だが俺は答えず、そのままゆっくりと歩み寄る。


「へぇ……なかなか度胸があるじゃねぇか」


大柄な男は口元を歪めた。


「お前ら、その女を押さえとけ。このガキは俺がぶちのめしてやる」


そう言って一歩前へ出る。


ルーシーは残る二人に取り押さえられ、身動きが取れなくなっていた。


迷うことなく、俺は能力を発動した。


「ユニークスキル……デスゾーン」


その名を口にした瞬間、世界がゆっくりと軋んだ。


景色が歪む。


俺の足元から黒い影が広がり、波紋のように周囲を侵食していく。


影は瞬く間に路地全体を飲み込み、俺たち五人を《Death Zone》と呼ばれる異空間へ引きずり込んだ。


「はぁ!? なんだここは!?」


男が狼狽した声を上げる。


周囲を見回しても、そこにあるのは暗闇に閉ざされた闘技場だけだった。


俺はゆっくりと右手を前へ差し出す。


するとインベントリから呼び出されたヴェインリーヴァーが、一瞬で俺の手の中に現れた。


「俺を恨むなよ」


俺は血のように赤い刀身を構えながら言った。


「全部、お前らが始めたことだ」


厳密に言えば、これは殺人ではない。


――正当防衛だ。


「何わけのわかんねぇこと言ってやがる」


男は吐き捨てるように言った。


しかし次の瞬間、その表情が凍りつく。


「はぁ……? なんでだ?」


男は慌ててステータスを操作し始めた。


「なんでスキルが全部ロックされてる!?」


「おい、俺もだ!」


「な、何が起きてるんだよ!?」


三人の顔から余裕が消えていく。


ようやく気づいたのだ。


この領域では、奴らのスキルはすべて封印される。


彼らに残されたのは、自分自身の力だけだ。


そんな惨めな表情を眺めながら、俺は静かに口元を歪めた。


「チッ」


スキルを封じられた大柄な男は舌打ちすると、半ばやけになったように剣を抜き放った。


そしてそのまま俺へ向かって突進してくる。


「くらえ、このクソがぁっ!!」


怒声と共に、剣が勢いよく振り下ろされた。


だが俺は微動だにしない。


「オーソリティ……グリッチ」


静かにそう呟く。


瞬間、俺の輪郭がノイズ混じりに歪んだ。


男の剣は俺の体を捉えることなく、そのまま空を切る。


まるでそこに最初から何も存在していなかったかのように。


「なっ――」


驚愕に目を見開く男。


その隙を逃さず、俺は一歩踏み込んだ。


赤い刀身が閃く。


ドスッ――


ヴェインリーヴァーは男の腹部へ深々と突き刺さった。


CRITICAL HIT!

160 ダメージ


[ ステータス:Blood Omen 発動 ]

[ (DoT) — 1分間、最大HPの5%を継続損失 ]

[ DoTスタック:5 ]


「ギャアアアアッ!!!」


男は絶叫した。


そのまま前のめりに倒れ込み、震える手で血まみれの腹を押さえる。


だが、その傷がもたらしているのは単なる出血だけではない。


Blood OmenによるDoTが発動し、内側から神経を焼くような激痛が全身を駆け巡っていた。


「言い忘れていたな」


俺は淡々と言った。


「俺の攻撃じゃ、お前らはすぐには死なない」


ヴェインリーヴァーを軽く持ち上げる。


「その代わり、凄まじい痛みと一緒にHPをゆっくり削っていく」


だが男にその言葉を聞く余裕はなかった。


彼は地面にうずくまり、体を蝕む激痛に耐えることで精一杯だった。


俺は躊躇なく一歩踏み出す。


そして再びヴェインリーヴァーを突き立てた。


ドスッ――


今度は背中だ。


CRITICAL HIT!

[ DoT スタック: 9 ]


「どうだ?感じるか?」


俺は口元を歪めた。


「ゆっくり死んでいく気分は」


返ってきたのは、耳をつんざく悲鳴だけだった。


いつからだろう。


そんな悲鳴が、心地よく聞こえるようになったのは。


俺の中で何かが渦巻いていた。


慈悲や同情を少しずつ削り取り、俺をどこか間違った場所へ引きずり込もうとする何かが。


気づけば、俺の手は勝手に動いていた。


 一回。


 二回。


 三回。


ヴェインリーヴァーが肉を貫く鈍い感触が伝わる。


それでも俺は止まらなかった。


「お、おい! やめろ!」


残る二人が悲鳴混じりに叫ぶ。


「それ以上やったら、この女を殺すぞ!」


二人の剣は今、ルーシーの首元へ突きつけられていた。


俺はゆっくりと視線を向ける。


そして冷たく言った。


「やってみろよ」


男たちの顔が引きつる。


「ただし――」


俺は薄く笑った。


「お前ら二人が無事にこのドメインから出られる保証はしない」


その言葉に、二人の手が目に見えて震え始めた。


俺は、目の前でなお苦痛にのたうち回る大柄な男を見下ろし、小さく息を吐いた。


「ふぅ……感謝しろよ」


ヴェインリーヴァーを構える。


「今、楽にしてやるからな」


俺は剣を振り下ろした。


スパッ――


男の首が宙を舞う。


次の瞬間、鮮血が噴き上がり、その飛沫が俺の顔の半分を赤く染めた。


地面に転がった首は数度跳ねた後、動かなくなる。


そして男の体は、そのまま光の粒子へと分解されて消えていった。


[ クエスト《死をもたらす者》:成功 ]

+656,059 EXP

LEVEL UP!

[ 新スキル解放 ]


その直後だった。


男の記憶が、激流のように俺の頭の中へ流れ込んできた。


これまで奴が行ってきた数々の腐った行為。


欲望。


暴力。


裏切り。


胸糞の悪くなるような記憶が次々と脳裏を駆け抜ける。


だが、その中に一つだけ価値のあるものがあった。


――この世界に関する知識と経験だ。


「この化け物め!!」


一人の男が青ざめた顔で叫んだ。


俺は血まみれの顔のまま、二人を見据える。


「それで、お前らの答えは?」


静かに問いかけた。


「この男の後を追うか――」


俺は足元に残る血溜まりへ視線を落とした。


「それとも、ルーシーを離すかだ」


二人の顔が引きつる。


「クソッ……!」


舌打ちと共に、ついにルーシーへの拘束が解かれた。


「賢明な判断だ」


俺は小さく指を鳴らした。


パチン――


瞬間、Death Zoneが崩壊する。


暗黒の闘技場は消え去り、俺たちは元の路地へと戻っていた。


二人の男は振り返ることすらしない。


まるで化け物から逃げるかのように、一目散にその場から駆け去っていった。


Death Zoneのドメインから出た瞬間、頭を支配していた熱がゆっくりと引いていった。


何かがおかしい。


あのドメインの中にいる間、俺は人を殺すことに何の抵抗も感じていなかった。


それどころか――楽しいとさえ思っていた。


正気に戻ってみると、自分がどうしてそんな感情を抱いていたのか理解できなかった。


胸の奥に薄い嫌悪感が広がる。


その時だった。


「シグ、さすがにやりすぎじゃないかな」


ルーシーが静かに口を開いた。


その言葉に、俺の思考は中断される。


そして俺は反射的に、自分の行動を正当化する理由を探していた。


「奴らにはお灸を据える必要があったんだ」


俺はヴェインリーヴァーをインベントリへしまった。


「そうでもしなきゃ、あいつらはまた同じことを繰り返す」


そう言いながらも、その言葉がどこか言い訳じみて聞こえた。


他のプレイヤーを殺したことについて、ルーシーはPKペナルティのことを聞いてくると思っていた。


だが、俺の予想は外れた。


ルーシーは俺の前まで歩み寄ると、ポーチからハンカチを取り出した。


「でも、ありがとうシグ……助けてくれて」


優しくそう言いながら、彼女は俺の頬についた血を拭い始める。


白いハンカチが赤く染まっていった。


「俺が他のプレイヤーを殺すのを見て、怖くなかったのか?」


確認するように俺は尋ねた。


ルーシーは首を横に振る。


「ううん、全然」


そして小さく微笑んだ。


「だって、シグにはちゃんと理由があったんでしょう?」


その言葉に、俺は黙ったまま彼女を見つめた。


「他の人を守るために誰かを傷つけるなんて、残酷なことなのかもしれない」


ルーシーはそう言って少しだけ視線を落とす。


「でもね……私はそういうの、嫌いじゃないわ」


どこか照れくさそうな笑みだった。


その告白を聞いて、俺は小さく鼻を鳴らす。


「ヒーラーにしては、悪趣味だな」


「失礼ね」


ルーシーはくすりと笑った。


俺の顔についた血を拭き終えると、ルーシーはハンカチをポケットへしまった。


それから、にこりと笑って俺を見上げる。


「わざわざ助けてくれたお礼に、一緒にご飯でもどう? 私が奢るわ」


ルーシーが目を輝かせながら提案した。


俺は断ろうと口を開く。


「気にするな。俺はまだ――」


グルルゥゥ……


小さいが妙にはっきりとした音が、俺の言葉を途中で遮った。


音の正体は、俺の腹だった。


ルーシーは吹き出しそうになるのを堪えながら、肩を小さく震わせる。


そして、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「どうやら、あんたの口よりお腹の方が正直みたいね。冷血な殺人鬼さん」


「……」


「ほら、行くわよ。街の中心に美味しい焼肉屋があるの」


そう言って、ルーシーは楽しそうに歩き出した。


これ以上断る理由もなく、俺は諦めたように小さくため息をついた。


結局、ルーシーについて行くしかない。


クエスト《死をもたらす者》を達成したことで、肩の荷が少しだけ下りたような気がした。


だが、その一方で――


Death Zoneの中で感じたあの異様な感覚が、まだ頭の片隅に残り続けていた。


人を殺すことが楽しいと感じてしまった自分。


あの時の感情を思い出すたびに、胸の奥がざわつく。


だが、今それについて考えたところで答えは出ない。


俺は一度息を吐き、その考えを頭の隅へ追いやった。


そして前を歩くルーシーの後を追った。


***


俺たちは『The Rusty Boar』へと到着した。


ファレリーの街の一角にある、評判の食堂だ。


セーフゾーンということもあって、店の周囲は多くのプレイヤーで賑わっていた。


それぞれが談笑しながら行き交い、店内からはグラスの触れ合う音や笑い声が絶え間なく聞こえてくる。


焼肉とエールの香ばしい匂いが空気に漂い、俺の空腹を容赦なく刺激した。


しばらくして、こんがりと焼き上がった肉料理が運ばれてきた。


香ばしい匂いと食欲をそそる見た目に、思わず視線が引き寄せられる。


「ルーシー、もしよかったら聞きたいんだが……これ、何の肉なんだ?」


俺が尋ねると、ルーシーはあっさり答えた。


「モンスターの肉よ」


「えっ!?」


思わず肉を見つめ直した。


「ダンジョンのモンスターって食べられるのか?」


「食べられるわよ。ほら、食べてみなさい。美味しいから」


そう言われても、すぐには箸が伸びなかった。


俺は皿の上の肉を見つめたまま固まる。


「まさか……」


嫌な想像が頭をよぎる。


「いや、待て。どうやって調理するんだ? モンスターって倒されたら崩壊して、ダークストーンだけ残すんじゃなかったのか?」


「ああ、そういう意味じゃないわ」


ルーシーは苦笑した。


「私たちが普段戦ってるモンスターじゃなくて、ダンジョンの中に生息してる動物のことよ」


「動物?」


「そう。プレイヤーたちはまとめてモンスターって呼んでるけどね」


「なるほどな……てっきり本物のモンスターの肉を食べるのかと思った」


「ハハハ……食べるわけないじゃない」


ルーシーは肩を揺らして笑った。


食事中、ルーシーはたくさん話しかけてきた。


時折、俺のクラスについて専門的な質問もしてきたが、俺は短く答えるか、頷くだけで返した。


不思議なことに、彼女は俺の素っ気ない態度をまったく気にしていないようだった。


ルーシーと話している間だけは、あのクエストが現れてから続いていた張り詰めた緊張を、ほんの少しだけ忘れられた気がした。


だが、その束の間の平穏は長く続かなかった。


バリバリッ――ドッカァァァン!!!


突如、巨大な雷が街の中央広場へ落ちた。


耳をつんざくような爆音が響き渡り、激しい衝撃が地面を揺らす。


テーブルが吹き飛び、店の窓ガラスが粉々に砕け散った。


「きゃああっ!?」


「なんだ今の!?」


周囲から悲鳴が上がる。


俺とルーシーは反射的に立ち上がり、そのまま店の外へ飛び出した。


外では、巨大なクレーターから濃い煙が立ち昇っていた。


舞い上がる土煙と瓦礫の向こう側で、巨大な影がゆっくりと立ち上がる。


その異様なシルエットを見た瞬間、周囲のプレイヤーたちの顔から血の気が引いた。


同時に、ファレリーの街にいるすべてのプレイヤーの視界に、血のように赤い警告パネルが強制表示された。


[ SYSTEM WARNING! ]

ワールドイベント発生:《 アンダーガーデン陥落 》

超大型ボス出現:《 Titan of the Abyss 》

[ 警告:セーフゾーン設定が解除されました ]


――ついに現れたか。


タイタン。


俺が未来でその出現を目撃したモンスターだ。


「あ、あれ……何のモンスター!? どうして街の中にいるの!?」


隣でルーシーの声が激しく震えた。


顔を青ざめさせながら、彼女は巨大な怪物を見上げていた。


タイタンは巨大な腕を振るい、目の前の建物をまるで砂の城のように次々と吹き飛ばしていく。


「ルーシー、離れろ。安全な場所へ逃げるんだ」


俺は遠くにそびえ立つタイタンから目を逸らさず、ゆっくりと前へ歩き出した。


インベントリからヴェインリーヴァーを呼び出す。


一瞬で、その柄が俺の手の中に収まった。


「あのモンスターは……」


俺は赤い刀身を握り締める。


「俺の獲物だ」


***

次回、第11章 「始まりの終わり」


新しい章の更新は毎週土曜日です。


ここまで第10話を読んでいただき、本当にありがとうございます。

もし少しでも楽しんでいただけたなら、感想やコメントなど、何か一言でも残していただけると嬉しいです。

皆様の反応は、今後の執筆の大きな励みになります。

これからも『ヴォルレスティア・オンライン』をよろしくお願いいたします。


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