第95話 過去との対峙
「この依頼を受ける」
俺がそう告げた瞬間、宿屋の共有スペースは水を打ったように静まり返った。
テーブルの上に置かれた依頼書。その文字が、重苦しい沈黙の中でいやに際立って見える。
「正気か、ナオキ!」
最初に沈黙を破ったのはヒルダだった。彼女は椅子から立ち上がり、信じられないという目で俺を見つめる。
「あんな奴らと一緒に行動するなんて、冗談じゃねえ! しかも、セーラがあんなに苦しんでるってのに……!」
「だからこそだ」
俺は静かに答える。
「このままじゃ、セーラは前に進めない。あいつらの顔を見るたびに、悪夢にうなされることになる。この過去を清算しない限り、俺たちのパーティは本当の意味で一つになれない」
俺の視線は、セーラの部屋のドアに向けられていた。中からは、もう嗚咽は聞こえない。だが、その静けさがかえって痛々しかった。
「しかし、ナオキさん。これは罠である可能性が高い」
ライアンが冷静に、しかし強い懸念を込めて言った。
「彼らは我々を危険なダンジョンに誘い込み、何らかの形で陥れようとしている。セーラさんにしたことと同じように……あるいは、それ以上に卑劣な手を使ってくるでしょう」
「わかってる。だから、逆に利用するんだ」
俺は仲間たちの顔を順に見回す。
「あいつらは、自分たちの判断が『正しかった』と証明したい。そのために、俺たちを同じ舞台へ引きずり出した。なら、その思い上がりを叩き潰してやる」
俺の言葉に、ヒルダとライアンは息を呑んだ。
「……」
壁に寄りかかっていたバルクが、ゆっくりと目を開ける。その瞳には、静かな闘志が宿っていた。
俺は静かに立ち上がり、セーラの部屋のドアを軽くノックした。
「セーラ、俺だ」
返事はない。俺はもう一度、今度は少しだけ強くノックする。
「……話がある」
しばらくの間があって、中からか細い声が聞こえた。
「……入って」
俺は一人で部屋に入る。セーラはベッドの縁に腰掛け、俯いていた。その顔は涙の跡で濡れ、目は赤く腫れている。
俺は彼女の前に立ち、テーブルに置かれていたのと同じ依頼書を差し出した。
「……これは……」
セーラは依頼書を見て、ハッと息を呑んだ。
「俺たちは、この依頼を受ける」
「……!」
セーラは顔を上げ、震える瞳で俺を見つめた。その瞳には、恐怖と、困惑と、そしてほんのわずかな光が揺らめいていた。
「でも、セーラが行きたくないなら、無理強いはしない。これは、俺たちの問題であると同時に、何よりセーラの問題だからだ。決めるのは、セーラ自身だ」
俺は彼女の答えを待った。彼女が「行きたくない」と言えば、俺はこの依頼書を破り捨て、カイトたちの顔など二度と見なくて済む別の道を選ぶつもりだった。
セーラは、俺の手の中にある依頼書をじっと見つめていた。その小さな肩が、小刻みに震えている。過去の悪夢と、今ここにある仲間たちの存在。その間で、彼女の心が激しく揺れ動いているのがわかった。
やがて、彼女はゆっくりと顔を上げた。その瞳から、涙は消えていた。代わりに宿っていたのは、ガラス細工のように脆く、しかし芯の通った強い光だった。
「……行くわ」
絞り出すような、だが確かな声だった。
「私も、行く。……今度は、逃げない。あいつらからじゃなくて、過去の自分から」
彼女は震える手で、俺が差し出した依頼書をそっと受け取った。
「一人じゃないから……あなたたちが、いてくれるから」
その言葉に、胸が熱くなった......。俺は必ずセーラの力になると改めて心に誓い、大きく頷いた。
翌朝、俺たちはアルテナの冒険者ギルドを再び訪れた。昨日とは打って変わって、俺たちの間には張り詰めた決意の空気が流れている。
受付カウンターへ向かうと、昨日と同じ受付嬢が対応してくれた。俺が『呪われた坑道』の依頼書を差し出すと、彼女は眉をひそめる。
「……この依頼を、本当に受けられますか?」
「ああ」
「念のため申し上げますが、この依頼は現在、ギルドが最も危険視しているものの一つです。ここ数週間で被害が急増しており、派遣した調査隊のほとんどが消息を絶っています」
受付嬢は、深刻な表情で続けた。
「数少ない生還者の証言も、要領を得ません。『見たこともない魔物だった』と繰り返すばかりで……その多くが、ひどい精神錯乱状態に陥っているのです」
その言葉が、セーラのトラウマと重なる。彼女の肩が微かに震えるのを、隣にいて感じた。
「そのため、この依頼は複数パーティでの合同攻略が義務付けられています。単独での受注は許可できませんが、よろしいですね?」
「わかっている」
俺が頷いた、その時だった。
「よう。遅かったじゃねえか」
背後から、聞きたくもない声が響いた。
* * *
振り返ると、案の定、カイト率いる『蒼き流星』のメンバーが、腕を組んでこちらを見下していた。その顔には、獲物を追い詰めた捕食者のような、醜い笑みが浮かんでいる。
「やっぱり来たか。逃げ出す腰抜けじゃないと信じてたぜ、セーラ」
カイトは棘のある口調で言った。その言葉に、ヒルダの眉がぴくりと動いたが、俺の視線を受けて、ぐっと堪えた。
「ちょうどいい。俺たちも今、手続きをするところだ。姉ちゃんよぉ、こいつらと俺たちで、合同パーティを組ませてくれ」
受付嬢は俺たちとカイトたちを交互に見比べ、困惑した表情を浮かべた。ギルド内の険悪な空気を感じ取っているのだろう。
「……承知いたしました。では、『呪われた坑道』深層調査依頼、ナオキ様パーティ、及びパーティ『蒼き流星』の二組で、正式に受注といたします」
手続きが完了し、依頼の詳細が記された羊皮紙と、坑道周辺の最新の地図が渡される。
「せいぜい、足を引っ張るなよ」
カイトは俺の肩を馴れ馴れしく叩き、下卑た笑みを浮かべて仲間たちの元へ戻っていく。
俺はそんな彼らを一瞥もせず、ライアンに向かって言った。
「ライアン、情報を」
「はい」
ライアンはすぐに地図と資料をカウンターに広げ、他の冒険者たちの喧騒などまるで意に介さない様子で、冷静な分析を始めた。
ライアンの落ち着いた態度が、かえってカイトたちの苛立ちを誘っているようだった。
「……なるほど。坑道の構造自体は、三年前のセーラさんの記録と大きくは変わっていません。ですが、受付の話にあった通り、最近の調査隊がマーキングした危険地帯がいくつか追加されています」
ライアンは地図上の数カ所を指で示す。
「特にこのエリア……深層に繋がる大空洞ですが、ここで複数のパーティが消息を絶っている。おそらく、例の『未知の魔物』の巣が近い」
「攻略ルートはどうする?」
「未知の敵を相手にする以上、最優先すべきは退路の確保です。最短ルートは避け、この旧坑道を利用した迂回ルートを提案します。距離は伸びますが、不測の事態でも撤退しやすく、奇襲の危険も抑えられます」
ライアンの的確な分析に、俺は頷く。
「よし、それでいこう」
「おい、ヒルダ。矢の数は足りるか?念のため、これも持っていけ」
俺はアイテムボックスから、予備の矢筒を取り出してヒルダに渡す。
「おう、サンキュ。これだけありゃ十分だ」
ヒルダはぶっきらぼうに受け取ると、手際よく自分の装備に装着した。
「バルクは、いつも通り前衛の要だ。セーラを頼む」
「……承知」
ライアンが静かに頷いた。
「ナオキさんも居ますし物資の心配はありません。警戒すべきは未知の魔物だけです」
「……だな」
バルクは短く頷き、静かにセーラの隣へ立った。
「ポーションと解毒薬は各自で管理してくれ。本当に危険な時は俺が何とかする。遠慮なく声を上げろ」
「「「了解」」」
俺たちの間で交わされる、短いけれど信頼に満ちたやり取り。それは、昨日今日で出来上がったものではない。何度も死線を潜り抜けてきた俺たちだけの、阿吽の呼吸だった。
遠巻きにその様子を見ていたカイトの仲間、盗賊のジンが唾を吐き捨てるのが見えた。
「チッ、なんだよあいつら。リーダー気取りで指示しやがって」
「いいじゃない、ジン。好きにさせておけば。どうせ、あのダンジョンに入れば、リーダーが誰かなんてすぐに分かるわ」
魔法使いのリナが、クスクスと意地の悪い笑みを浮かべる。
彼らの視線など気にも留めず、俺たちは黙々と準備を終えた。
これから始まるのは、ただのダンジョン攻略じゃない。
セーラの過去と向き合う戦いだ。
「準備はいいな?」
俺の問いに、全員が力強く頷いた。
「行くぞ」
* * *
坑道へ向かう道は、アルテナの活気ある街並みとは対照的に、寂れていた。道行く人の姿はまばらで、すれ違う者たちは皆、俺たち冒険者風の一団を見ると、憐れむような、あるいは不吉なものを見るような目で、足早に去っていく。
「また行くのかね、あの坑道に……」
「命がいくつあっても足りないだろうに……」
どこからともなく聞こえてくるひそひそ話が、空気を重くする。
坑道に近づくにつれ、周囲の景色から色彩が失われていくようだった。木々は不気味にねじ曲がり、鳥や虫の声も一切聞こえない。支配しているのは、ただただ重苦しい静寂だけだ。
俺の数歩後ろを歩くセーラの呼吸が、浅くなっていることに気づいた。顔は青白く、その瞳は焦点が合っていない。彼女の脳裏に、再びあの日の記憶が蘇っているのだ。
'ザリ……ザリザリ……'
幻聴が、彼女の耳元で不快な音を立てる。
'セーラ! お前が時間を稼げ!'
遠ざかっていく、仲間たちの背中と松明の灯。
「……っ」
セーラの足がもつれ、よろめいた。その体を、隣を歩いていたヒルダが咄嗟に支える。
「おい、大丈夫か、セーラ!」
「……ごめん。なんでも、ない」
セーラは力なく首を振る。だが、その額には冷や汗がびっしょりと浮かんでいた。
俺は足を止め、彼女の前に回り込んだ。
「セーラ」
俺が彼女の目線を合わせるように屈むと、セーラの瞳が怯えたように揺れた。
「……大丈夫か?」
「……大丈夫じゃ、ないわ」
彼女は正直に告白した。その声は、消え入りそうに震えている。
「怖い……。また、あの場所に、戻るのが……」
「だろうな」
同じ事を目の当たりにする事で、過去の出来事が呪いのように思い出されて、あの日の恐怖が蘇る......
過去の経験がある俺には、その恐怖が痛いほど分かった。
だからこそ、他人事にはできない。当事者意識だ。
俺は静かに頷いた。
「だが、お前はもう一人じゃない」
俺はセーラの震える肩に、そっと手を置いた。
「俺たちがいる。ヒルダも、ライアンも、バルクも。全員、お前と一緒にいる」
俺の言葉に、セーラはハッとしたように顔を上げた。彼女の視線の先には、心配そうにこちらを見守るヒルダとライアン、そして、どんな時も俺たちの盾となるべく静かに佇むバルクの姿があった。
「……そう、ね」
セーラの瞳に、少しずつ力が戻ってくる。
「そうだったわ。私はもう……一人じゃ、ない」
彼女は自分の両頬をパンと叩き、深く息を吸い込んだ。
「ありがとう、ナオキ。みんな。……もう、大丈夫」
その顔には、まだ恐怖の色は残っている。だが、それ以上に強い、過去と向き合うという決意の光が宿っていた。彼女は震える足を叱咤するように、再び自分の力で、まっすぐに立った。
覚悟を決めたセーラを見て、俺は静かに頷くと、再び前を向いて歩き始めた。
そんな俺たちの様子を、少し先で待っていたカイトが、鼻で笑うのが見えた。
「お姫様のお守りは終わったか? さっさと行くぞ」
その言葉に反応する者は、俺たちの中にはもう誰もいなかった。
* * *
やがて、俺たちの目の前に、小高い丘の中腹にぽっかりと口を開けた、巨大な穴が現れた。
『呪われた坑道』の入口だ。
真昼の太陽が燦々と降り注いでいるというのに、その穴の周りだけは、まるで夜の闇が凝り固まったかのように、光を一切通さない。中からは、じっとりとした冷気が絶えず吹き出し、肌を刺す。そして何より、音が、ない。風の音も、木々のざわめきも、この場所では全てが死に絶えていた。
「……着いたな」
先に到着していたカイトが、不気味な笑みを浮かべて振り返る。
「準備はできたかよ、腰抜け共」
俺はその挑発を無視し、セーラに視線を向けた。彼女は入口の暗闇を、ゴクリと息を呑んで見つめている。その体は小刻みに震えていたが、瞳はまっすぐに前を見据えていた。
「ここが……」
セーラの唇から、震える声が漏れた。
「あの日の、坑道……」
俺は彼女の隣に立ち、その肩をもう一度、今度は力強く掴んだ。
「行こう」
俺の静かな一言が、合図だった。
俺たちパーティは、誰一人ためらうことなく、坑道の暗闇へ一歩足を踏み入れた。
肌を刺すような冷気が全身を包み込む。
まるで坑道そのものが、侵入者を待ち続けていたかのように、静かな闇が俺たちを飲み込んでいった。
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