第91話 もう一人じゃない
ライアンの静かな、しかし鋼のような決意を宿した声が、墓地の夕闇に響き渡る。
「偶然とは思えない。俺は、この帝国のどこかに全ての元凶がいると思っている」
その言葉は、俺たち全員の胸に重く突き刺さった。三年前の悲劇と、シルドの地下で繰り広げられた地獄。二つの点が、帝国という巨大な悪意によって一つの線で結ばれた瞬間だった。
「ふざけやがって……」
ヒルダが、骨が軋むほど強く拳を握りしめ、低く唸る。
「そんなクソみてえな組織があるってんなら……あたしが根こそぎぶっ潰してやる!」
その瞳は、獲物を見つけた獣のように獰猛な光を放っていた。彼女の怒りは、ライアンの過去へではなく、彼の尊厳を踏みにじり、三年もの間彼を苦しめ続けた見えない敵へと真っ直ぐに向けられていた。
「ライアン……あなた、ずっと一人で……こんな重荷を……」
セーラが、零れ落ちそうな涙を必死に堪えながら、震える声で言った。彼女の目には、深い同情と、そして同じように静かな怒りの炎が燃えている。
バルクは何も言わない。ただ、握り締めた拳がわずかに震えていた。
その無言の行動が、彼の内心の激情を何よりも雄弁に物語っていた。
皆、同じ気持ちだった。ライアンの過去を非難する者など、ここには一人もいない。ただ、彼の三年間の孤独と苦しみに、自分たちのことのように心を痛め、どうしようもない怒りを覚えていた。
ライアンは、そんな俺たちの様子を、どこか信じられないというような目で見つめていた。まるで、理解できない光景を目の当たりにしているかのように。そして、ぽつりと、心の奥底から絞り出すように本心を漏らした。
「……怖かったんだ」
彼の告白に、俺たちは息を呑む。
「また、仲間を作るのが……怖かった。あの日みたいに、俺の力が及ばない場所で、目の前で全てを失ってしまうことが……」
彼の声は、ひどくか細く、震えていた。それは、俺たちが知る冷静沈着な分析官のものではなく、癒えない傷を抱えた、一人の男の魂の叫びだった。
「だから、誰とも深く関わらないようにしてきた。冒険者ギルドの仕事も、必要最低限。一人で完結できるものばかり選んで……」
彼は自嘲するように、力なく笑う。
「『裏切り者』、『臆病者』……そう呼ばれる方が、ずっと楽だった。誰にも期待されなければ、誰かを失う恐怖に怯えることもない。俺は……また一人になるのが、何よりも怖かったんだ……」
三年間、彼はずっとこの見えない檻の中に自分を閉じ込めてきたのだ。仲間を失った悲しみと、何もできなかった無力感。そして、再び同じ痛みを味わうことへの恐怖。その全てが、彼を孤独という名の深い闇に縛り付けていた。
彼の言葉が、俺の心の奥にある古傷を、鈍く疼かせた。
* * *
重い沈黙が、墓地を支配する。俺は、ライアンの痛々しい告白を聞きながら、忘れていたはずの自分の過去を思い出していた。
「……俺も、誰も信じていなかった」
俺の唐突な言葉に、仲間たちの視線が集まる。ライアンも、不思議そうに俺を見つめていた。
「ライアン。一つ、お前に話しておきたいことがある」
俺は一度だけ深く息を吐いた。
「これは、今までセーラ達とクローウェル辺境伯にしか話していない。お前にも知っておいてほしい」
ライアンの表情が少し引き締まる。
「俺は――この世界の人間じゃない」
静寂が訪れた。
ライアンの思考が止まった。
何を言われたのか、一瞬理解できなかった。
その瞳は、大きく見開かれていた。
「……は?」
かろうじて漏れた声は、それだけだった。
「どういう……意味ですか?」
俺は静かに頷く。
「俺は別の世界から、この世界へ来た」
「俺がいた世界で、会社の上司に裏切られ、同僚にも見捨てられた。信じていた妻にも最後は裏切られ、何もかも失った」
「人なんて、もう二度と信じない。あの頃の俺は、本気でそう思っていた」
ライアンは言葉を失い、驚きと困惑の入り混じった表情で俺を見つめる。今まで聞いたことのない話を、必死に理解しようとしているようだった。
「誰かを信じれば裏切られる。だから、一人でいる方が楽だった」
「……お前と同じだ」
俺はライアンを真っ直ぐ見つめた。
「この世界へ来た時も、どうせすぐ死ぬと思っていた。でも違った」
俺はセーラ、ヒルダ、バルクへ視線を向ける。
「こいつらと出会って、何度も死線を潜り抜けて……気付けば、背中を預けることが当たり前になっていた」
もう一度ライアンを見る。
「だから今度は――」
「俺たちがお前を信じる」
「そして、お前にも俺たちを信じてほしい」
ライアンは何も言えなかった。
異世界人という衝撃的な告白。そして、その秘密を自分にも打ち明けてくれたこと。
その意味を理解した瞬間、彼の瞳がわずかに揺れた。
俺はセーラ、ヒルダ、バルク、そしてライアンの顔を順に見回す。
「過去に何があったかなんて、どうでもいい。酒場の噂も、三年前の事件も、俺には関係ない。俺がこの目で見てきたのは、俺たちのために的確な分析をして、何度も窮地を救ってくれた、頼れる分析官としてのライアンだ」
そうだ。俺たちが知っているのは、それだけだ。そして、それだけで十分だった。
「お前は、一人で逃げたんじゃない。ガイルっていう隊長が、お前を『生かした』んだろ。生き延びて、真実を伝えろってな。それは、裏切りなんかじゃない。託されたんだよ、仲間の想いを」
「……!」
ライアンの目が、大きく見開かれる。
俺はゆっくりと一歩前に出て、彼に向かって手を差し伸べた。
「だから、今度は俺たちが信じる番だ。お前のことも、お前が託された想いも、全部まとめて俺たちが背負ってやる」
俺の言葉に、嘘偽りは一切なかった。
「お前はもう一人じゃない。俺たちがいる」
差し出された俺の手を、ライアンはただ呆然と見つめている。彼の瞳が、激しく揺れていた。希望と、拭いきれない恐怖。信頼と、長年染み付いた疑念。その全てが、彼の心の中で渦巻いているのがわかった。
「ナオキの言う通りだぜ、ライアン。ごちゃごちゃ考えんな。あたしたちは、もう仲間だろ?」
ヒルダが、ニッと歯を見せて笑う。その笑顔に迷いはない。
「そうよ。一人で抱え込むなんて、水臭いじゃない。あなたの背中なら、いくらでも預けてあげるわ」
セーラも、優しく微笑んだ。
「……どこまでも」
バルクの短く、しかし力強い言葉が、その場にいる全員の覚悟を代弁していた。
ライアンの頬を、一筋の涙が伝った。それは、三年間、彼の心に凍り付いていた悲しみと孤独が、ようやく溶け出した証だった。
彼は震える手で、ゆっくりと、本当にゆっくりと、俺の差し出した手を握った。その手は、ひどく冷たく、そして弱々しく震えていた。
「……ありがとう」
絞り出すような声だった。
「……ありがとう……っ!」
握られた手に、力がこもる。その瞬間、俺たちの間に、言葉以上の確かな絆が生まれたのを、確かに感じた。
* * *
「そういえば、一つだけいいか?」
俺が言うと、ライアンが首を傾げた。
「何でしょう?」
「ライアンを鑑定してもいいか?」
一瞬、墓地に沈黙が流れた。
「……は?」
ライアンが素っ頓狂な声を上げる。
「今ですか?」
「今だ。」
「いや、普通そういうのって、もっと早くやりません?」
「忘れてた。」
俺が真顔で答えると、ヒルダが吹き出した。
「ぷっ! おいナオキ、お前忘れてたのかよ!」
「仕方ないだろ。今思い出したんだから。」
ライアンは額に手を当て、大きくため息をつく。
「……もう好きにしてください。」
「よし。」
俺はライアンへ意識を集中させた。
'鑑定!'
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[名前:ライアン・フォン・ラグナー]
[年齢:27]
[性別:男]
[種族:人間]
[職業:探索士]
[LV:22]
[HP:430/430]
[MP:90/90]
攻撃力:140
守備力:115
力:120
素早さ:190
知力:150
運:85
【スキル】
剣術 LV3
危険察知 LV5
気配察知 LV4
地形把握 LV4
交渉術 LV3
【ユニーク】
鋼の精神[瀕死状態からの生存率上昇/危険察知補正/精神耐性上昇]
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『……なるほど』
表示されたステータスを見て、俺は小さく頷いた。
突出して高い攻撃力や防御力はない。だが、『危険察知』『気配察知』『地形把握』――生き残るための能力だけは、どれも一流だった。
「ライアン」
「何でしょう?」
「思ったより慎重派なんだな」
ライアンは少し眉をひそめた。
「慎重で悪いですか?」
「いや。その慎重さが、お前の強さなんだろう」
ライアンは少し驚いたように目を瞬かせる。
ヒルダが不思議そうに俺を見る。
「また一人で納得してんのか?」
「鑑定した」
「で?」
「ライアンの強さは、仲間を危険から遠ざけ、生きて帰すことだ。」
ヒルダはライアンを見てニヤリと笑った。
「なるほどな。確かに、お前らしい」
ライアンは苦笑する。
「褒められている気がしませんね」
「あっははは!」
ヒルダが豪快に笑う。
「十分褒めてるって!」
セーラも微笑んだ。
「ふふ、本当にライアンらしいわ」
ライアンは困ったように肩をすくめた。
「……ひどい言われようですね」
ライアンは、困ったように眉を下げながらも、ついに、はにかむように笑った。それは、俺たちが初めて見る、彼の心からの自然な笑顔だった。三年間、彼が失っていたもの。ようやく、彼はそれを取り戻したのだ。
俺は、そんな彼の笑顔を見て、満足げに頷いた。
俺はライアンのステータスを見終えると、ふと彼の顔に視線を向けた。
そういえば、シルドで割れた眼鏡のままだったな。
「ライアン」
「はい?」
「少し待ってろ」
俺はマリエクを開き、眼鏡を検索した。
━━━━━━━━━━━━
商品名:スクエア型メタルフレーム眼鏡(度付き)
価格:20,500円
送料:2,000円
合計:22,500円
━━━━━━━━━━━━
[現在のマリエク残高:13,586,000円]
俺は届いた眼鏡ケースをライアンへ差し出した。
「これを使え」
「……これは?」
「眼鏡だ。前のやつ、シルドで割れただろ」
ライアンは一瞬だけ言葉を失い、それから静かにケースを開けた。
新しい眼鏡を掛けると、彼は何度か瞬きをした。
「……驚きました。以前のものより、視界がはっきりしています」
「それならよかった」
「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
ライアンは深く頭を下げた。
その仕草は控えめだったが、声には確かな感情がこもっていた。
* * *
俺たちは、夕闇が完全に夜の闇に変わった墓地を後にした。もうここには用はない。
「さて、行くか。まずは次の町だな。」
俺が言うと、全員が力強く頷いた。
宿場町を出て、街道を歩き出す。これからの戦いは、今までとは比較にならないほど巨大な敵が相手だ。だが、不思議と不安はなかった。むしろ、体の奥底から力が湧いてくるのを感じる。
「次の町で、一度しっかり補給と情報収集をしておきたいわね」
セーラが前を見据えながら言った。その時、彼女がふと思い出したように呟いた。
「そういえば……次の町、もしかしたら昔の知り合いがいるかもしれないわ」
セーラのその一言で、俺は以前聞いた話を思い出した。
「……まさか、昔のパーティか?」
セーラは少しだけ驚いたように目を丸くし、それから苦笑する。
「覚えてたのね。」
「忘れるわけないだろ。」
「ええ。まあ……あまりいい思い出ばかりじゃないけど」
セーラはそう言って、少しだけ遠い目をした。
『セーラの過去、か』
俺は彼女の横顔を見つめた。
元パーティ。
以前聞いた話では、それほど良い別れ方ではなかったはずだ。
……嫌な予感がする。
だが、それも避けては通れないのだろう。
俺たちはもう仲間だ。
セーラの過去も、俺たち全員で向き合っていこう。
『また、過去と向き合う旅になりそうだな』
そう心に決め、俺は夜空を見上げた。
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