第83話 地下最深部
ドンッ! ドンッ! ドンッ!
地獄の釜の蓋を叩くような衝撃が、足元から脳天まで突き抜ける。巨大な扉が内側から絶え間なく殴りつけられ、その都度、亀裂から溢れ出す赤い光が禍々しさを増していく。
「まずい! 扉が破られるぞ!」
ライアンの悲鳴が、崩れ落ちる天井の土砂の音に混じって響いた。
赤い光の向こうに蠢く無数の影。扉の向こうに広がる地獄が、今まさにその顎をこじ開けようとしていた。
その絶望的な光景を背に、俺は通路の奥から現れた男――クラウスを睨みつけた。
「クラウス……! なぜお前がここに……!」
「おやおや、随分と賑やかですね」
銀髪の諜報員は、まるで劇場で芝居でも鑑賞しているかのように優雅な笑みを崩さない。その余裕綽々な態度が、俺の神経を逆撫でする。
「てめえ、何しに来やがった!」
俺よりも早く、ヒルダが動いた。彼女は剣を抜き放ち、弾丸のようにクラウスへと突進する。
だが、クラウスは予測していたかのように半歩だけ横にずれ、柳のようにその一撃を受け流した。ヒルダの剣先が空を切る。
「おっと、血気盛んなのは結構ですが、今は内輪揉めをしている場合ではないでしょう?」
「この野郎……!」
「待て、ヒルダ!」
俺は即座にヒルダを制した。こいつはただの諜報員じゃない。今の一瞬の攻防で、その実力が底知れないことを肌で感じ取ったからだ。
「ナオキさん、ようやく話が通じる方がいらっしゃいましたか」
クラウスは肩をすくめ、俺に視線を向けた。
「全く……遅かったですね。あなた方がもう少し早くここにたどり着いていれば、私も楽ができたのですが」
「どういう意味だ」
「言葉通りですよ。あなた方が地上で『失敗作』と戯れている間に、こちらの状況は悪化してしまった。その結果が、これです」
クラウスは顎で、今にも砕け散りそうな巨大な扉をしゃくった。
ゴゴゴ……バギィィィンッ!
ついに、扉の中央に刻まれた帝国の紋章が、耳障りな断末魔を上げて砕け散った。そこから、凄まじい圧力を伴った殺意の奔流が、物理的な力となって俺たちに襲いかかる。
「ぐっ……! なんだ、このプレッシャーは……!」
セーラが顔を青ざめさせ、後ずさる。
「あれは、この施設の『本当の主役』たちですよ。あなた方が知りたい真実の、ほんの一欠片だ」
クラウスは心底楽しそうに呟いた。
「あなた方には少々期待していたのですが……まあいいでしょう。まだ利用価値は残っている」
「何が言いたい」
「取引です、ナオキさん」
クラウスの目が、初めて愉悦以外の光――冷徹な評価者の光を宿した。
「このままでは、あなた方はあれらの餌食になる。それは、私にとっても面白くない。貴重な観察対象を、こんな場所で失いたくはありませんからね」
「……助けてくれるとでも言うのか?」
「いいえ。私はただ、あなた方に道を示すだけです」
ドンッ! ドガアアアアン!
ついに扉の蝶番が限界を迎え、巨大な鉄の塊が内側へと倒れ込む。闇の向こうから、無数の赤い瞳と、言葉にならない冒涜的な咆哮が濁流のように溢れ出してきた。
「さあ、選びなさい。ここで死ぬか、私と来るか。この先の舞台に、興味があるのなら」
クラウスはそう言うと、背後の何もない壁に手を触れた。
* * *
クラウスが壁に手を触れ、何かを呟く。すると、石でできているはずの壁が水面のように静かに波打ち、人一人が通れるほどの黒い通路が出現した。
「なっ……!?」
「隠し通路か!」
「時間はありませんよ」
クラウスは俺たちを促し、躊躇なくその闇の中へと足を踏み入れる。
「行くぞ!」
俺は即座に決断し、叫んだ。
「ナオキさん!?」
「こいつを信用するのか!?」
ライアンとヒルダが同時に反論する。
「信用なんかするか! だが、ここにいても死ぬだけだ! 生き残る可能性がある方に賭ける!」
俺の言葉に、仲間たちは一瞬ためらったが、背後から迫るおぞましい気配に促されるように、次々と隠し通路へと飛び込んだ。
「バルク、殿を頼む!」
「承知!」
最後に残ったバルクが、通路の入り口で巨大な斧槍を構え、扉の向こうから伸びてきた黒い触手を一薙ぎで両断した。
俺も通路に飛び込み、振り返る。バルクが飛び込んでくるのと同時に、クラウスが再び壁に触れると、通路は音もなく閉じていった。最後に見たのは、閉じていく壁の隙間からこちらを覗き込む、無数の赤い瞳だった。
通路は完全な闇に包まれたが、すぐにクラウスの手のひらから青白い光が放たれ、周囲を照らし出す。
「さて、これで当座の危機は去りましたね」
「ここはどこだ。どこに繋がっている」
俺が問い詰めると、クラウスは楽しそうに口の端を上げた。
「さあ?構造は知っていますが、実際に通るのは初めてですので」
「ふざけるな! お前の目的は何だ!」
「目的、ですか。強いて言うなら、この施設の調査と……関係者の確保、でしょうか」
クラウスは曖昧に笑う。その目は何も語っていない。
通路は下り坂になっており、先ほどまでの人工的な通路とは明らかに造りが違った。より古く、巨大な岩盤をくり抜いて作られたような、荒々しいものだ。
「この施設は、バルトリ伯爵が作ったものじゃないな」
俺が断定的に言うと、クラウスは面白そうに目を細めた。
「ほう。なぜそう思われます?」
「規模が違いすぎる。それに、あの扉の二重封印。古代の遺物に、帝国が後付けで鍵をかけた。つまり、帝国は元々ここにあったものを『再利用』しているに過ぎない。違うか?」
「……素晴らしい推察力ですね、ナオキさん」
クラウスは感心したように頷くが、それ以上は何も語らない。肯定も否定もしないその態度が、逆に俺の確信を深めさせた。
「……最低だな」
ヒルダが、先ほど見つけた実験の痕跡を思い出したのか、吐き捨てるように言った。その拳は、怒りで白く変色していた。
* * *
やがて、長い通路は唐突に終わりを告げた。目の前に、信じがたい光景が広がる。
そこは、巨大な地下空洞だった。ドーム状の天井は遥か高く、その広さは街一つが丸ごと収まってしまいそうなほどだ。そして、その広大な空間には、おびただしい数の檻、拘束具、そしておぞましい手術台のようなものが整然と並べられていた。
中央には、ひときわ巨大な円筒形の水槽があり、その中で正体不明の青い液体が不気味な光を放ちながら循環している。施設の動力炉のようにも見えた。
「な……なんだ、ここは……」
ライアンが絶句した。
ここは、帝国の非道な行いの全てが凝縮された、悪魔の研究室そのものだった。
「さて、ナオキさん」
クラウスはゆっくりとこちらに振り返った。
「あなた方が知りたがっていた『真実』の一端が、ここにあります。どうです? 満足されましたか?」
俺は奥歯を噛み締めた。
こんなものを作った張本人はどこにいる。
「バルトリはどこだ」
俺は、この惨状を作り出した元凶の名を口にした。
「奴はこの施設の責任者のはずだ。どこに隠れている!」
クラウスは俺の問いに答えず、ただ静かに、中央の巨大な水槽へと視線を向けた。その目に、初めて冷たい光が宿る。
「伯爵閣下、ですか。さあ、どこでしょうね。もしかしたら……」
ゴウンッ!
クラウスの言葉を遮るように、施設の中枢にある巨大水槽が重たい音を立てて振動した。水槽を照らす青い光が、一瞬だけ赤く明滅する。
「……もう、時間切れのようですね」
クラウスは、まるで待ち人が来たかのように、小さく笑った。
「何が時間切れだ。答えろ、クラウス!」
「私の役目は、ここまでです。あとはあなた方次第ですよ。どうやら、向こうから出迎えに来たようです」
その言葉と同時に、水槽の中の青い液体が激しく泡立ち始めた。そして、その中心、水槽の底から……巨大な『何か』の影が、ゆっくりと浮上してくる。
それは、人型だった。
だが、その大きさは常軌を逸している。水槽の向こう側が歪んで見えるほど巨大な、人の形をした影。
「なんだ……あれは……」
俺が息を呑んだ、その瞬間。
影が、ピタリと動きを止めた。
そして、水槽のガラス越しに、こちらを見つめる一つの巨大な瞳が、爛々と赤く輝いた。
「お楽しみは、これからですよ」
クラウスの愉悦に満ちた声が、崩壊を始める地下空洞に、不気味に響き渡った。
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