第82話 帝国の闇、その胎動
――ゴン。
扉の向こうから響いた、鈍く重い音。それは、この巨大な地下施設の静寂を切り裂く、異質な響きだった。
「……なんだ、今の音」
俺は乾いた喉で呟き、扉を睨みつけたまま動けない。仲間たちもそれぞれ武器に手をかけ、あるいは息を殺し、音の発生源である巨大な扉に全神経を集中させていた。
――ゴン。
再び、同じ音が響く。今度は先ほどよりも僅かに大きく、そして近く感じられた。まるで、分厚い扉の向こうで、何かがゆっくりとこちらへ近づいてきているかのようだ。
「……バルク、下がってろ」
俺は静かに制し、一歩前に出た。この扉、そしてこの施設そのものが、俺たちが追うべき謎の中心に違いない。まずは、この鉄の塊の正体を暴く。
俺は扉にそっと手を触れた。ひやりとした金属の感触。だが、その奥から微かだが確かな魔力の脈動が伝わってくる。俺は意識を集中させ、鑑定スキルを発動させた。
'鑑定!'
脳内に、半透明のウィンドウが展開される。
[名称:古代封印ゲート]
[状態:二重封印稼働中]
[第一封印:古代魔術式『永劫の牢獄』(劣化・一部機能不全)]
[第二封印:魔力工学式多重ロックシステム(ガルダ帝国製・現行モデル)]
[解析:古代の強力な封印術式の上に、後世の帝国が物理的・魔術的なロックシステムを重ねて補強している。二つの異なる時代の技術が複雑に絡み合っており、正規の解錠手段以外での突破は極めて困難。第一封印の劣化により、封印対象からの内部干渉に対する強度が著しく低下している可能性あり]
「……ちっ、最悪の組み合わせか」
俺は舌打ちした。古代の遺物に、現代技術を被せた代物。互いのシステムが干渉しあい、何が起きるか予測不能だ。
「どうした、ナオキ?」
ヒルダが訝しげに声をかける。
「この扉、二重の鍵がかかってる。それも、古代の魔法と帝国の最新技術のだ。素人がどうこうできる代物じゃねえ。正規の解錠手段以外での突破は極めて困難だってよ!」
俺は仲間たちに鑑定結果を簡潔に伝えた。
「つまり、俺たちじゃ開けられないってことかよ」
「ああ。正規の鍵か、解錠コードみてえなもんがなけりゃ、手も足も出ない」
「では、別の道を探すしかありませんね」
ライアンが冷静に周囲を見回す。その通りだ。この鉄壁を前にしていても仕方ない。俺たちは扉から一旦離れ、別の手がかりを探すことにした。
* * *
俺たちは、巨大な扉がある広間から伸びる、別の細い通路へと足を踏み入れた。おそらく管理用の通路だろう。先ほど私兵たちが去っていった方向とは逆だ。
しばらく進むと、少し開けた小部屋があった。机や棚が乱雑に置かれ、床には羊皮紙の書類が散乱している。私兵たちが慌てて退避した際に、重要なものだけを持ち出し、残りを放置していったのだろう。
「……何か見つかるかもしれん。手分けして探そう」
俺の言葉に、仲間たちは無言で頷き、部屋の中を調べ始めた。俺も床に散らばった書類の束を手に取る。そのほとんどは資材の搬入リストや、意味不明な記号の羅列だったが、その中に、俺の目を引く一枚の断片があった。
『……実験体No.73、精神崩壊により『処分済』……』
『……No.81、獣化因子への適合率12%。素体強度不足のため、保留……』
『……被検体、故郷の村の名を呼び錯乱。鎮静剤投与量を……』
「ナオキさん、これを」
ライアンが、別の書類の束から抜き出した一枚を差し出した。そこには、殴り書きのような文字でこう記されていた。
『新規素体、アッシュベルク領近辺の村より獣人族50名確保。移送完了』
「アッシュベルク領……」
その地名に、俺は息を呑んだ。帝国との最前線。レナードが暗躍していた場所だ。
そこで、帝国は非道な『素体狩り』を行っていた?
偶然なのか。
それとも、あいつが掴んでいた情報は、この地下施設にも繋がっているのか。
嫌な予感がした。
「おい、ナオキ、こっちだ」
今度は、棚を調べていたヒルダが低い声で俺を呼んだ。彼女が指さす棚の奥、木箱の中に、無造作に放り込まれた数本のアンプルと注射器があった。
セーラが震える手でその一つを手に取る。アンプルの中には、禍々しい輝きを放つ、粘り気のある紫色の液体が満たされていた。
「これ……ポーションじゃないわ。こんな邪悪な魔力を感じる液体、見たことない……」
書類に書かれていた『鎮静剤』か? 'いや、違う。これはもっと……。'
俺はアンプルを受け取り、再び『鑑定』を発動した。
[名称:組成不明薬物]
[状態:危険]
[解析:肉体を強制変異させる薬物。成功率低。精神汚染リスク大。]
「……なんだこれ」
俺は思わず息を呑んだ。
体を無理やり作り変える薬。
しかも失敗すれば、精神まで壊れる。
脳裏に、地下で暴れていたあの怪物が浮かぶ。
「これ……あの怪物を作った薬かもしれん」
「どうやら、鎮静剤じゃねえらしい。こいつは……人間や獣人を、あの怪物に無理やり変えるための薬だ」
俺の言葉に、セーラは悲鳴を押し殺し、ヒルダは怒りで奥歯をギリリと噛みしめた。この地下施設は、俺たちの想像を遥かに超えた、地獄そのものだった。
* * *
その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!
施設全体が、崩壊するのではないかと思うほどの激しい揺れに襲われた。先ほどまでの比ではない。天井から土砂がパラパラと降り注ぎ、壁の照明石が明滅を繰り返す。
「うわっ!?」
「今度のは、でかいぞ!」
俺たちが壁に手をついて体勢を整えるのとほぼ同時に、遥か頭上、地上へと続く方向から、金属が引き裂かれるような轟音と、あのキメラの断末魔のような絶叫がくぐもって響いてきた。
ガシャン! ドゴオオオオン!
何かが崩れ落ち、道を塞ぐような音が連続して聞こえる。
「まさか……あの化け物、私兵どもにやられたのか?」
ヒルダが天井を見上げながら呟く。
「いや、違う!」
俺は叫んだ。俺の視線は、今しがた出てきた巨大な扉へと釘付けになっていた。
扉が、脈動するように、禍々しい赤色の光を放ち始めている。表面に刻まれた古代文様が激しく明滅し、中央の帝国の紋章が、まるで溶け出すかのように揺らめいていた。
「ナオキさん! 封印の魔力が……急速に弱まっています!」
ライアンが絶叫する。
そうだ。
地上の怪物を倒したこと、そのものが問題じゃない。
まさか……
奴は、この地下施設の魔力制御と繋がっていたのか?
怪物が死んだことで、制御システムに異常が発生し、その影響が封印にまで及んでいる――そんな嫌な予感がした。
そして俺は気づいた。
揺れは、上からだけじゃない。
足元から、そして目の前の扉の『内側』からも、共振するように伝わってきている。
「まずい……」
俺は巨大扉を睨む。地上の騒ぎは弱まった。なのに封印は弱まり続けている。
つまり原因は外じゃない。
「……中だ」
扉の向こうにいる何かが、この状況を利用して動き始めてる。
再び。――ゴン。
重い音が響いた。
* * *
「どうすんだよナオキ! ここももうお陀仏だぞ! 撤退か!?」
ヒルダが、いつになく焦燥を滲ませた声で叫ぶ。
「しかし、今来た道を引き返せば、崩落に巻き込まれるか、生き残った私兵と鉢合わせになる可能性が!」
ライアンが絶望的な表情で反論する。
「どちらにせよ、道は俺が開く。覚悟を決めろ」
バルクが斧槍を構え、低く唸った。
進むも地獄、退くも地獄。俺たちが言葉を失った、その時。
「おや、お困りのようですね」
不意に、俺たちの背後、通路の奥の闇から、場違いなほど落ち着いた声がした。
全員が弾かれたように振り返る。いつの間にそこに立っていたのか。銀色の髪を揺らし、まるで観劇でも楽しむかのような余裕の笑みを浮かべた男――帝国諜報院クラウスが、そこにいた。
「クラウス……! なぜ、お前がここに……!」
俺が驚愕に目を見開くと、クラウスは肩をすくめた。
「ここまでたどり着くのに、少し手間取りすぎですよ、ナオキさん。全く……遅かったですね。」
その謎めいた言葉が、何を意味するのか。俺が問い返すよりも早く、事態は最悪の形で動いた。
ドンッ!
背後の巨大な扉が、内側から凄まじい力で叩かれた。一度ではない。
ドン! ドンッ! ドン! ドンッ!
まるで巨大な攻城兵器で殴りつけられているかのように、立て続けに衝撃が走り、扉全体がミシミシと悲鳴を上げる。表面に刻まれた帝国の紋章に、ついに亀裂が走った。
「まずい! 扉が破られるぞ!」
ライアンの悲鳴が響く。
赤い光が、亀裂から血のように溢れ出す。その光の向こうで、無数の影が蠢いているのが見えた。一つじゃない。扉を叩いているのは、複数だ。
扉の向こうに広がる本当の地獄が、今、その顎をこじ開けた。
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