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異世界ネットショッピング  作者: たにやん
第2章 帝国の闇編

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第77話 監視都市シルド

宿の部屋に戻った俺たちは、まるで馬車の中から亡霊でも連れてきたかのように、重苦しい空気を引きずっていた。全員が無言のまま、豪華な衣装を脱ぎ捨て、いつものラフな服装に戻っていく。その解放感ですら、鉛のように沈んだ心を軽くするには至らない。


「もう二度とあんな窮屈な服は着たくない」


「でも似合ってたわよ?」


セーラが笑う。


「やめろ。思い出させるな」


「ナオキは綺麗って言ってたじゃない」


「服をだ!」


「また言い直した!」


セーラが呆れたように肩をすくめる。


ヒルダは大きく伸びをしながら、ソファに全身を預ける。


「本当に、食事をした気がしない。あれは晩餐会なんかじゃないわ。言葉と視線で人を切り刻む戦場よ」


セーラもぐったりとこめかみを押さえている。


「うむ。剣を交える方が、よほど気楽だ」


バルクの言葉に、俺も心の底から同意した。あの屋敷にいたのは、ほんの数時間。だが、精神的な消耗は、丸一日死線をさまよったかのようだ。


「ライアン」


俺が声をかけると、窓の外の闇に視線を落としていた彼が、静かに振り返った。


「馬車の中での話、もう一度整理させてくれ。あの屋敷は、普通じゃない……よな?」


俺の言葉に、ヒルダとセーラが息を呑んでライアンを見た。


「ええ。間違いありません」


ライアンは揺るぎない確信を込めて頷く。


「使用人の数も異常でしたが、決定的なのは彼らの『動き』です。すれ違うメイド、廊下の隅に立つ従者、その一人残らずが、訓練された兵士特有の統率された足運びをしていました。重心が低く、常に周囲を警戒し、いつでも動ける体勢を崩さない。あれは、ただの従僕の動きなどでは断じてない」


「……道理で、やけに突き刺さるような視線を感じたわけだ」


ヒルダが気味悪そうに自分の腕をさする。


「歓迎されている空気は欠片もなかった。あれは査定よ。私たちがどれほどの価値があるのか、どれほど危険なのかを、あの屋敷にいる全員で値踏みしていたんだわ」


「つまり、バルトリ伯爵はただの貴族じゃない。…...ということですか」


ライアンの分析に、俺は静かに頷いた。


「ああ。そして、俺たちがクラウスに接触されていることも知っていた。奴が敵か味方か、あるいはクラウスとグルなのか……まだ何も見えない」


「じゃあ、どうするのよ? 下手に動けば、また監視されるだけじゃない」


「だからこそ、動くんだ」


俺はテーブルを拳でコン、と叩いた。


「敵の正体が分からない以上、こちらから情報を集めるしかない。明日から、このシルドの街と、バルトリ伯爵という男を徹底的に洗うぞ」


俺は覚悟を決めた仲間たちを見回す。


「俺とライアンは商人や役人を装って、市場やギルドで情報を集める。バルクは傭兵が集まりそうな酒場を頼む。ヒルダとセーラは…」


「あたしたちは、お買い物客ってところかしら?」


「いや、違う」


俺は首を振った。


「お前たちには、この街の奥様方が集まるような高級な茶会やサロンに潜り込んでもらう。貴族の夫を持つ女たちの口は、時にどんな諜報員より多くの情報を漏らすからな」


「……なるほどね。面白そうじゃない」


セーラが不敵な笑みを浮かべる。蜘蛛の巣の中心で踊らされてきた鬱憤を、晴らす時が来たのだ。


* * *


翌朝、俺たちは早速行動を開始した。街は昨日と変わらぬ活気に満ちているが、俺たちの目には昨日までとは全く違う風景が映っていた。


「バルトリ伯爵様? ああ、あの方のおかげで、俺たちみたいな行商人も安心して商売ができるのさ」


市場で果物を売る恰幅のいい商人は、朗らかに笑う。


「昔はこの街も荒れててね。チンピラや盗人がうろついて、夜なんかはとても歩けたもんじゃなかった。それが、伯爵様が領主になられてからは、ピタリと止んだんだ」


「それはすごい。何か特別な政策でも?」


俺が尋ねると、商人は声を潜めた。


「『伯爵家私兵』だよ。腕利きの兵隊さんたちが、昼も夜も街を見回ってる。おかげで悪党は息もできない。税金はちと高いが、この安全が買えるなら安いもんさ」


商人たちの多くは、バルトリ伯爵を好意的に見ていた。治安の良さは、彼らにとって何よりの恩恵なのだ。


一方、バルクが向かった裏通りの酒場では、全く違う声が聞こえてきた。


「へっ、バルトリだと? 息が詰まってかなわねえよ」


昼間からエールを煽っていた、傷だらけの元傭兵らしき男が吐き捨てる。


「ちょっと大声を出しただけで、どこからともなく兵隊が飛んでくる。喧嘩なんかしようもんなら、問答無用で牢屋行きだ。ここは街じゃねえ、巨大な兵舎さ」


「だが、治安は良くなったんだろう?」


バルクが尋ねると、男は鼻で笑った。


「そりゃあな。狼がいなけりゃ、羊は安心だろうよ。だがな、俺たちみてえな、牙を持つ人間にとっちゃ、面白くもなんともねえ。自由を奪われた檻の中だ」


******

ヒルダとセーラが潜入した貴婦人たちのサロンでも、噂は様々だった。


「まあ、バルトリ様は素晴らしい方よ。おかげで夜会からの帰り道も、護衛を気にせず歩けるくらいですもの」


「でも、あの私兵の方々、少し怖くないかしら? いつも感情のない目で見られているようで……」


「それに、伯爵様は領内の鉄や石材を、ほとんど全て買い上げておられるとか。一体、何にお使いになるのかしらね……」


バルトリ伯爵への評価は、見事に真っ二つに割れていた。彼がもたらす『安全』という蜜を享受する者たちと、その徹底されすぎた管理体制を『檻』だと感じる者たち。だが、どちらの意見も、見えない部分で動く巨大な力への漠然とした恐怖を滲ませていた。


そして、集まった全ての情報が、パズルのピースのように一つの絵を完成させていく。

バルトリ伯爵は、このシルドの街で、まるで独立した王のように振る舞っている。

まぁ、領主だから、あながち間違ってはいないが……

しかし、その力の源泉は、街の規模には不釣り合いなほど巨大な『私兵』組織だ。


* * *


聞き込みを終え、宿に戻ろうと中央広場を横切っていた時だった。

広場の一角で、怒声が上がった。


「離せ! 俺は何もしてねえ!」


「往来で騒ぎ立てるな。大人しくしろ」


見れば、商人風の男と旅行者らしき男が揉み合っている。よくある喧嘩だ。周囲の人々は、面倒事に関わりたくないとばかりに遠巻きに見守っている。


その瞬間だった。

人垣を割って、音もなく現れた三人の兵士が、あっという間に二人を取り囲んだ。その動きには一切の無駄がない。


「バルトリ家の名において、狼藉を禁ずる」


兵士の一人が冷たく告げる。だが、興奮した男たちは収まらない。


「うるせえ! こいつが俺の財布をすったんだ!」


「言いがかりだ!」


男の一人が、兵士を突き飛ばそうと手を伸ばす。

その腕を、兵士は川の流れのように受け流し、相手の体勢が崩れた一瞬を見逃さなかった。最小限の動きで懐に潜り込み、男の腕を捻り上げる。


「ぐあっ!」


一瞬で地面に押さえつけられる男。もう一人の男も、別の兵士によって全く同じ動きで制圧されていた。抵抗を許さない、完璧な関節技。暴力的な印象は全くない。ただ、冷徹なまでに効率的な『作業』がそこにあった。


騒ぎは、発生からわずか数十秒で完全に鎮圧された。兵士たちは、無言で二人を連行していく。


俺はその光景を、息を詰めて見つめていた。隣で、ライアンが震える声で呟く。


「……見ましたか、ナオキさん。今の動き……」


「ああ、見た」


俺は彼の言葉を遮る。ライアンの目が、獲物を見つけた狩人のように鋭く光っていた。


「あの体捌き、相手の力を利用する関節技、そして寸分違わぬ連携……昨夜、我々がバルトリの屋敷で見た『使用人』たちの動きと、完全に一致します!」


ライアンの指摘が、俺の中で霧散していた最後のパズルピースをはめ込んだ。

物々しい警備。値踏みする視線。そして、完璧に統率された使用人たち。


「……そういうことか」


俺は乾いた喉で呟いた。


「あの屋敷の使用人は、全員が『伯爵家の私兵』だ。そして、街を巡回している兵士も、同じ組織の人間。あの屋敷は、やはり砦みたいなものか?……いや、奴らの司令部そのもの……なのかもしれない」


'蜘蛛の巣の中心だと思っていた場所は、蜘蛛そのものの体内だったのだ。俺たちは、一体、どれほど巨大な組織に目をつけられてしまったのか。背筋を冷たい汗が伝った。'


* * *


重い足取りで宿への階段を上る。集めた情報は、どれも俺たちを楽観させてくれるものではなかった。部屋の扉を開け、中に足を踏み入れた瞬間、俺は立ち止まった。


セーラが「どうしたの?」と声をかけるより早く、ライアンが気づいた。


「……ナオキさん、あれを」


ライアンが指さす先、部屋の中央にあるテーブルの上。そこには、俺たちが出る前には確かになかったはずの、一通の簡素な封筒が置かれていた。


「誰だ!?」


バルクが即座に剣に手をかけ、部屋の隅々まで鋭い視線を走らせる。だが、侵入者の気配はどこにもない。窓も扉も、俺たちが出た時と同じように閉まっている。


俺は警戒しながらテーブルに近づき、その封筒を手に取った。何の変哲もない羊皮紙の封筒。宛名も、差出人の名もない。蝋による封もされていなかった。


そっと中身を滑り出させる。中には、折りたたまれた一枚の紙片が入っているだけだった。


紙を開くと、そこにはインクで書かれた、たった一行の短い文章があるだけだった。


『蜘蛛の巣を覗くなら、毒には気をつけよ』


'その言葉が持つ意味を、俺は測りかねていた。これは警告か? それとも、新たな罠への招待状か?

クラウスか、バルトリか。

あるいは、そのどちらでもない、第三の『観察者』がいるというのか。'


俺の手の中で、その紙片が、まるで嘲笑うかのように静かに揺れていた。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


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