第75話 観察者の観察
足早に路地裏を後にする。自害した暗殺者の死体は、もう闇に溶けて見えなかった。街の喧騒に戻っても、先ほどの出来事が現実だったとは思えない。だが、アイテムボックスに仕舞い込んだ『遺物収納用特殊ケース』の確かな存在感が、全てが現実だと告げていた。
宿の部屋に戻り、俺は無言でそのケースをテーブルの上に置く。カタン、と乾いた音がやけに響いた。
「……これが、奴らの目的の一つか」
ライアンがテーブルに両手をつき、青ざめた顔でケースを食い入るように見つめている。
「ただの革ケースじゃないわ。作りが……異常よ。こんな精巧な細工、王宮の職人でも見たことがない」
セーラがケースの縁を指でなぞり、驚愕の声を漏らす。彼女の言う通り、縫い目一つ見当たらない滑らかな表面に、寸分の狂いもなく設計されたであろう内部の窪み。素人が見ても、これがただの物入れでないことは明らかだ。
「鑑定では『魔力干渉を遮断する機能を持つ』と出た。試しに何か入れてみるか」
俺はアイテムボックスから『灯火の石』を取り出し、ケースの窪みにはめ込む。まるで誂えたかのように、ぴったりと収まった。
蓋を閉めた瞬間、石が放っていた淡い光は完全に遮断され、部屋のランプの光だけが俺たちの強張った顔を照らす。
「……光が、消えた」
「ああ。魔力も完全に遮断されてる。外からは、中に何が入っているか探知できないだろう」
ライアンがゴクリと喉を鳴らす。
「ナオキさん、問題はそこです。これほどの機能を持つ特殊なケースを、一介の暗殺部隊が所持している。これは…」
「普通の犯罪組織や、貴族が私的に雇った傭兵のレベルじゃない。そういうことだな」
俺がライアンの言葉を引き継ぐと、彼はこわばった表情で頷いた。
「はい。これだけの技術と資金力……背後にいるのは、少なくとも、一地方貴族だけで動かせる規模ではありません」
「そんな大きな力が、あたしたちを狙ってるってのかよ……」
ヒルダが信じられないと呟く。
「うむ。厄介なことになったな」
バルクが腕を組み、低く唸った。部屋の空気が鉛のように重くなる。希望を胸に乗り込んできたはずの帝国は、すでに俺たちを捕獲対象としか見ていない巨大な捕食者だったのだ。
「だが、まだだ」
俺は重い空気を振り払うように言った。
「まだ敵の全てが見えたわけじゃない。クラウスという男が直接動いているのか、それとも別の勢力か。俺たちがすべきことは変わらない」
俺はテーブルの上のケースを掴み、不敵に笑う。
「敵が俺たちを観察しているなら、こっちも奴らを観察し返す。この『遺物』ケースは、そのための格好の餌だ」
* * *
翌日、俺たちは計画通り『逆観察作戦』を開始した。
「いいか、今日の目的は敵を誘き出すことじゃない。敵の『観察方法』を観察することだ」
宿の一室で作戦内容を最終確認する。
「俺がこのケースを持って、街一番の目抜き通りをこれ見よがしに歩く。陽動役だ」
「あたしの役目は?」とヒルダが逸るように聞く。
「ヒルダは買い物客を装って、俺の少し前から周囲の反応を探ってくれ。お前の美貌は最高のカモフラージュになる」
「美貌!! ……ふふふ。分かったわ。任せて」
ヒルダはどことなく機嫌が良さそうだ。
「バルクは、少し離れた建物の屋根から全体を俯瞰してくれ。個々の動きじゃなく、集団としての流れ、不自然な連携を見つけてほしい」
「承知した」
「そして、セーラとライアン」
俺は二人に視線を移す。
「お前たちは俺の後方、左右に分かれてついてきてくれ。ライアン、お前の分析眼で敵の監視網のパターンを暴き出してほしい。セーラはその援護を。お前は人の視線に敏感だ。同時に怪しい視線や、市場の噂話を拾ってくれ」
「承知しました。必ず、奴らの尻尾を掴んでみせます」
「ええ、面白くなってきたわね」
俺たちは頷き合い、それぞれの持ち場へと散った。
シルドの市場は、朝から活気に満ちている。俺は人混みの中、わざとらしくケースを落としそうになる三文芝居を繰り返した。ケースを大事そうに抱え直すたび、周囲から探るような視線が突き刺さるのを感じる。
'食いついてきたな'
すぐに、ヒルダから合図があった。視線の先にいる果物売りの男。客の相手をしながらも、その視線は一瞬たりとも俺から外れていない。昨日までの素人じみた監視とは、明らかに練度が違う。
俺は歩き続ける。一時間、二時間と経つうちに、異様な事実に気づき始めていた。
監視の数が増えている。それも、直線的にではない。俺が角を曲がるたび、広場を横切るたび、それまで俺を見ていた人物がスッと人混みに消え、代わりに全く別の場所にいた人物が、新たな監視役として俺を捉える。
「……リレー形式か」俺は呟いた。
「ええ。完璧な連携です」後方から追いついてきたライアンが、低い声で応じる。「これでは、誰が本当の尾行かなんて掴めません。それだけじゃない…」
ライアンは通りの両側を顎で示した。
「見てください。通りの両脇に立つ露店の店主たちが、奇妙なほど均等な間隔で配置されています。一見、自分の商売に集中しているように見えますが、その視線は時折、蜘蛛の巣の糸のように交差し、ナオキさんという獲物を中心に巨大な情報網を形成しています」
「……すごいな。街全体が、奴らの監視網になっている――そんな錯覚すら覚える」
直接的な接触も威圧もない。ただ、静かに、確実に、俺たちの行動全てがデータとして吸い上げられていく。不気味なほどの徹底ぶりだった。見えざる敵は、俺たちが監視に気づいていることすら織り込み済みで、その上で巨大な観察網を広げているのだ。
日が傾き始め、俺は作戦の終了を告げた。結局、敵は最後まで姿を見せなかった。いや、姿を見せる必要がなかったのだ。俺たちは、巨大な実験室のネズミのように、ただ観察され尽くしただけだった。
* * *
疲労感を抱え、俺たちは全員で宿への帰路についた。
俺が部屋の扉に手をかけ、鍵を開ける。
扉を開けた瞬間、俺は息を呑んだ。
'……なんだ、この感じは'
部屋は俺たちが出て行った時と変わらない。しかし、空気が違う。誰かがいた、という濃密な気配が満ちていた。
「やられた……!」
俺が呟くと同時に、仲間たちも部屋の異常に気づき始めた。
「こっちもだ! 剣の手入れ道具の布の置き方が逆になっている!」
バルクが低く唸る。
セーラは化粧品の瓶を手に取り、絶句していた。
「……信じられない。全部調べられてる。でも、何も盗られてはいない」
ライアンがテーブルに置かれた一冊の本を指さす。昨夜俺が置いた場所から、数ミリだけずれていた。
「これは……わざと痕跡を残している。我々が気づくことを前提とした、心理的な揺さぶりです……!」
敵は、俺たちが仕掛けた逆観察作戦の裏で、やすやすとこの部屋に侵入していたのだ。俺たちが囮になって街を歩き回っている間に、奴らは悠々と俺たちの全てを検分し、わざと気づくか気づかないかギリギリの痕跡を残して去っていった。
これは警告だ。'お前たちの行動は、全て我々の掌の上だ'という、冷酷なメッセージ。
「我々の作戦は……敵に、部屋を調べる時間を与えるための口実だった、ということですか……」
ライアンが膝から崩れ落ちそうになる。俺たちの作戦すら、敵の計算の内だったのだ。
* * *
部屋に重苦しい沈黙が落ちる。完全にしてやられた。俺たちが狩人を観察しているつもりが、実際は檻の中で餌を啄む姿を、さらに高い場所から観察されていただけだった。
クラウス。あの銀髪の男の、氷のような目が脳裏に浮かぶ。奴は俺たちの思考を読み、二手も三手も先を行っている。
'これからどうする? 下手に行動すれば、また奴らの罠にはまるだけだ'
一行が袋小路の絶望感に包まれた、その時だった。
コン、コン。
控えめなノックの音が、部屋の扉から響いた。
全員の身体が、ビクリと跳ねる。バルクが音もなく剣に手をかけ、扉ににじり寄った。
「……誰だ」
「私めにございます。バルトリ伯爵家より参りました」
聞き覚えのある、感情の読めない丁寧な声。昨日の使者だ。
'このタイミングで……なぜ?'
バルクが俺に視線で問いかける。俺は短く頷いた。
扉が開かれると、昨日と寸分違わぬ笑みを浮かべた使者が、丁寧にお辞儀をした。
「夜分に失礼いたします、ナオキ殿。本日は、ぜひともお伝えしたい儀がありまして」
男はそう言うと、一通の封蝋された招待状を差し出す。
「我が主、バルトリ伯爵が、貴殿らとのささやかな晩餐の席を設けたい、と。もちろん、ご足労いただくのですから、相応の『誠意』はご用意させていただきます」
男の目が、俺をまっすぐに見据える。その瞳の奥に、昨日とは違う、確信に満ちた光が宿っていた。
俺は、差し出された招待状を睨みつける。敵の罠か、それとも千載一遇の機会か。このタイミングでの誘い。俺たちの混乱すら見越しているということか。
『蜘蛛の巣か。それとも、蜘蛛の巣の中心か――』
ここまで読んでいただきありがとうございます!
少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、
ブックマークしてもらえると励みになります!
評価や応援コメントは、とても励みになっています。




