第74話 蜘蛛の巣の上の舞踏
男の貼り付けたような笑顔が、俺の返事を待っている。値踏みする視線が皮膚を舐めるようだ。この誘いに乗れば奴らの巣に引きずり込まれ、断れば『敵』と認定される。喉がカラカラに渇いた。
俺はゆっくりと息を吐き、完璧な商人としての笑みを口元に浮かべた。
「大変光栄なお申し出、感謝いたします。ですが…」
わざとらしく言葉を区切り、残念そうな表情を作る。
「誠に申し訳ないのですが、その『光を蓄える宝石』は、まだお客様にお見せできるような完成品ではございませんで」
「…ほう。未完成でございますか?」
男の目がわずかに細まる。その奥で俺の言葉の真偽を探っているのが分かった。
「ええ。あれはまだ試作品の段階で、安定性に欠けるのです。我々が納得した品しか、お客様へお出ししない主義でして。
特に、バルトリ伯爵家のような高貴な方に、不完全な品をお見せするわけにはまいりません」
俺は恭しく、しかしきっぱりと断る。嘘ではない。そもそも『光を蓄える宝石』など存在しないのだから。
「それは……なんとも残念なことで」
男は肩をすくめ、心底がっかりしたという表情を浮かべたが、その瞳に落胆の色は欠片もなかった。
「しかし、ナオキ殿のその職人としての誠実さ、我が主もきっとご理解くださるでしょう。完成の暁には、ぜひとも一番にお声がけいただきたい。今日のところは、これにて失礼いたします」
男はそう言うと、驚くほどあっさりと、そして綺麗に頭を下げて部屋を出ていった。引き留める素振りも、疑う様子も一切ない。
バタン、と扉が閉まる。
途端に、張り詰めていた部屋の空気がわずかに緩んだ。
「……行ったか」
「ええ……」
ライアンの声が微かに震えている。
「あまりにも、引き際が綺麗すぎやしませんか? こちらの嘘を見抜いた上で揺さぶりをかけてきたにしては、執着がなさすぎる」
「ああ、違和感しかないな」
俺もライアンの言葉に頷く。
「まるで、俺たちが断ることを分かっていたかのようだ。あるいは、どちらを選んでも奴らの想定内だということか……」
どちらに転んでも蜘蛛の巣からは逃れられない。どの糸に絡め取られるかを選ばされているだけだ。
* * *
その夜。俺たちはあえて、人通りの多いシルドの夜の街に繰り出していた。昼間の『お披露目』の効果か、すれ違う人々が好奇の視線を向けてくる。
「本当にいいのか、ナオキ? こんな無防備に歩き回って」
ヒルダが、周囲を警戒しながら小声で囁く。
「ああ。敵は俺たちがどう動くか見ている。宿に閉じこもっていては、何も始まらん」
夕食と情報収集を兼ねて賑やかな大通りを歩く。だが、目的はもう一つあった。
「……来たわ」
不意に、セーラが呟いた。
「三時と八時の方向に、二人。さっきからずっと同じ距離を保ってる」
「うむ。こちらの歩調に合わせてくる。素人ではないな」
バルクも静かに応じる。やはり監視は続いていた。昼間の雑踏に紛れていた連中とは質の違う、プロの尾行だ。
「監視が付く可能性は高いと思ってた。なら、こっちで戦場を選ぶ。ライアン、予定通りだ。一番複雑な路地裏に誘導するぞ」
「はい。この先のパン屋を右に曲がれば、入り組んだ区画に入ります」
俺たちは何気ない素振りで会話を続けながら、ライアンが示した路地へと足を踏み入れた。一気に人通りが途絶え、建物の影が暗く落ちる。
俺たちが路地の奥、少し開けた袋小路に入った瞬間だった。
前後から、音もなく複数の人影が現れ、退路を塞いだ。
その数、八人。全員が黒い衣服に身を包み、顔の下半分を布で覆っている。手には抜き身の短い剣。その動きには一切の無駄がなく、殺気すら感じさせない。冷徹な『作業』として俺たちを処理しようという意思だけが伝わってきた。
「へっ、やっとお出ましか!待ちくたびれたぜ!」
ヒルダが好戦的な笑みを浮かべ、腰の剣に手をかける。
「バルク、前衛を頼む! ヒルダは遊撃! セーラとライアンは俺の後ろに!」
俺が叫ぶのと同時に、バルクが雄叫びを上げて突進する。しかし、敵は怯まない。二人がバルクの巨大な剣を受け止め、残りの二人が即座にその脇をすり抜け、ヒルダに襲いかかった。
「ちぃっ!」
ヒルダが二本の剣を同時に捌くが、敵の連携は完璧だった。一人がヒルダの攻撃を受け流し、もう一人が懐に潜り込もうとする。その動きは、まるで一つの生き物のように連動していた。
「こいつら、殺す気じゃねえな! 動きが『捕らえる』ためのもんだ!」
バルクが敵の剣を弾きながら叫ぶ。奴らの狙いは俺たちの四肢。巧みに武器を絡め取り、動きを封じようとしてくる。殺意よりも、厄介な捕獲の意思がひしひしと伝わってきた。
数と連携に押され、ヒルダとバルクがじりじりと後退させられていく。
「くそっ、キリがねえ!」
* * *
乱戦の中、俺は前衛の二人に指示を飛ばしながら、後方で息を殺しているライアンに視線を送った。彼は戦闘に参加せず、鋭い目で敵の一挙手一投足を観察していた。
「ライアン、どうだ!?」
「……これは……!」
ライアンが、苦々しげに顔を歪めた。
「この動き……ただの傭兵や暗殺者じゃありません! まるで一つの生き物のように連携している。どこかで高度な集団訓練を受けているとしか考えられません!」
クラウスか、それとも諜報院の別系統か。少なくとも、ただの傭兵ではない。
「……上等だ。こっちも覚悟を決めるしかない!」
俺はスキルを発動する。
'身体強化、LV3!'
体内の魔力が沸騰し、全身が灼熱のエネルギーに満ちる。
「セーラ、援護を!」
バルクの剣を避けるため、一瞬だけ隊列が歪んだ。
俺は床を蹴り、敵の一団に突っ込んだ。狙いは、わずかに連携が乱れた敵の一人。
「なっ!?」
俺の急加速に敵の反応が一瞬遅れる。その隙を逃さず、懐に飛び込み、剣を持つ腕を掴んで捻り上げた。
「ぐっ……!」
敵が苦痛の声を漏らす。俺はその勢いのまま、敵を壁に叩きつけた。
「よし、一人捕らえ…」
そう言いかけた瞬間だった。
壁に押さえつけられた男の目が、俺を嘲笑うかのように細められる。そして、男は躊躇なく、口の中に隠していた何かを強く噛み砕いた。
「しまっ…!」
男の口角から、黒い血が泡となって溢れ出す。身体は一瞬激しく痙攣し、次の瞬間にはぐったりと力を失った。目は見開かれたまま、その光は永遠に失われている。
自害。情報を守るため、捕虜になることを選ばず、一瞬のためらいもなく己の命を絶った。
その徹底ぶりに、俺は背筋が凍るのを感じた。
* * *
残りの敵は、仲間の一人が自害したのを見ると、潮が引くように一斉に闇の中へと姿を消した。深追いはしない。奴らの目的が分かった以上、無駄な消耗は避けるべきだ。
静まり返った路地裏に、敵の死体だけが残された。
「……なんて連中なの。捕まるくらいなら、迷わず死を選ぶなんて」
セーラが青ざめた顔で呟く。
「これが、帝国の諜報院……。噂以上だ」
ライアンもまた、目の前の現実に打ちのめされたように立ち尽くしている。
俺は敵の死体に歩み寄り、その懐を探った。金目のものはない。武器も帝国の量産品だ。だが、一つだけ、奇妙なものが見つかった。
黒い革で作られた、手のひらサイズの硬質なケース。内側には柔らかな緩衝材が貼られ、何か特定の『品』をぴったりと収納できるように、特殊な窪みが作られている。
'鑑定!'
[遺物収納用特殊ケース] レア度: D。外部からの衝撃や魔力干渉を遮断する機能を持つ。未知のアーティファクトを安全に輸送するために作られた。
「……これか」
俺はそれを手に取り、仲間たちに見せる。
「こいつらは、俺たちが持っているかもしれない『未知の品』を、これに入れて持ち帰るつもりだったんだ」
敵はこちらの正体を暴くだけでなく、その力を奪う準備まで周到に進めていた。俺たちが、この帝国でいかに『獲物』として見られているか。その事実が、冷たい物証となって俺たちの目の前に突きつけられた。
「……ナオキ」
ライアンが、絞り出すような声で俺を呼ぶ。
「我々は、どうすれば……」
仲間たちの視線が、不安と問いを乗せて俺に集まる。
俺は、手の中のケースを強く握りしめた。クラウスの氷のような目が、脳裏にちらつく。挑発に乗って、奴の土俵で踊らされるのはもう終わりだ。
「……変更だ」
俺は静かに言った。
「奴に挑戦するんじゃない。奴を『観察』するんだ。俺たちが獲物なら、奴は狩人だ。だが、狩人だって、油断すれば背後から喰われる」
俺は敵の遺留品をアイテムボックスにしまい込む。
「……まずは見極める。帝国も、クラウスも。そして、誰が本当の敵なのかを。」
手の中のケースが、冷たく、そして確かな重みをもって俺の覚悟に応えていた。
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