第55話 王命の監察官
'……完璧な、罠だ'
背後で響いた地鳴りのような足音。それが止んだ瞬間、謁見の間の入り口は、抜身の剣を構えた衛兵たちによって完全に塞がれていた。その数は三十を超えるだろうか。鎧が擦れる無機質な音、荒い呼気、そして俺たちに向けられる敵意が、血と死の匂いがこびりついた空気をさらに重くする。
彼らの剣先が、一斉に俺たち四人に向けられる。じりじりと、まるで狩りの獲物を追い詰めるように、包囲の輪が狭まってくる。
「賊め! 観念しろ!」
人垣の中から、隊長らしき男が前に進み出た。血に濡れた床をブーツで汚すのも構わず、その目は侯爵の無残な亡骸と、その傍らに立つ俺たちを交互に見やり、燃えるような憎悪に満ちている。状況を理解しようと努める理性よりも、主君を殺された怒りが完全に上回っている顔だ。
「言い訳は聞かん! 貴様らが侯爵閣下を手にかけたのは明白だ!」
「待て、話を聞け! これは罠だ!」
俺の叫びは、怒りに燃える男の耳には届かない。
「問答無用! 賊どもを捕らえよ! 抵抗する者は斬り捨てて構わん!」
隊長の号令に、衛兵たちが一斉に鬨の声を上げる。空気がビリビリと震え、殺意が肌を刺す。
キン、とヒルダが静かに矢を番える音が聞こえた。セーラは逆手に握った短剣の柄を強く握りしめ、その瞳が獣のように細められる。バルクは巨大な盾を構え、いつでも突撃できるよう低く身を屈めた。その背中が、俺たちを守る壁のように頼もしい。
だが、多勢に無勢。もはや、これまでか。ここで衛兵隊と事を構え、消耗したところを叩かれる。それがレナードの描いた筋書きなのだろう。完璧に、俺たちは嵌められた。
だが、隊長がまさにその剣を振り下ろそうとした、その刹那。
「――待て」
凛として、それでいて腹の底に響くような重みのある声が、謁見の間の喧騒を切り裂いた。
たった一言。しかし、その声が響き渡った瞬間、殺気立っていた衛兵たちの動きが、まるで時が止まったかのようにぴたりと止まる。誰もが声の主を探し、互いの顔を見合わせる。
衛兵隊長が苛立たしげに振り返った。
「何者だ! 邪魔をするな!」
だが、その怒声はすぐに驚愕に変わる。
包囲を固めていた衛兵たちが、まるで見えざる力に押されたかのように、自発的に左右へと分かれていく。モーゼの海割りのように道が開かれ、その向こうから一人の騎士が姿を現した。
カツ、カツ、と静かで規則正しい足音が、血溜まりを踏み越えて響く。
現れたのは、窓から差し込む月光を反射して白銀に輝く、壮麗な全身甲冑をまとった騎士だった。その肩当てや胸当てには緻密な彫金が施されているが、それは単なる装飾ではない。実戦で鍛え上げられた機能美と、高貴な身分を同時に示す、威厳の塊だ。腰に下げた長剣の柄には、この国の頂点を示す王家の紋章が、鈍くも確かに刻まれている。
「き、貴官は……一体……」
衛兵隊長の声が、先程までの怒声が嘘のように上ずっている。
騎士は兜のスリットの奥から氷のように冷たい視線を隊長に注ぐと、一言だけ、静かに告げた。
「下がれ」
その言葉には、有無も言わせぬ威圧感があった...。
経験と身分に裏打ちされた、逆らうことを許さない絶対的な権威が宿っていた。隊長は一瞬言葉に詰まり、唇を噛み締めた。その表情は悔しさに歪んでいたが、それでも、ゆっくりと剣を下げ、後方へと退いた。衛兵たちもそれに倣い、一歩、また一歩と後ずさる。
騎士は、今度は俺たちへと向き直る。兜のスリットの奥から放たれる視線が、俺、セーラ、ヒルダ、バルクを順に射抜く。まるで値踏みをするかのような、鋭く、そして冷徹な眼差し。最後に、その視線は足元に転がる侯爵の亡骸へと注がれた。
'……誰だ?'
敵か、味方か。判断がつかない。
この絶望的な盤面に、突如として現れた全く新しい人物。
* * *
騎士は静かに懐から羊皮紙の巻物を取り出すと、それを広げ、謁見の間全体に響き渡る声で高らかに宣言した。
「王命である! これより、アッシュベルク侯爵領における全ての不法行為に関する調査及び裁定の全権は、王都直属監察官、アルフォンス・フォン・クライネルトが代行する!」
その名乗りと共に、彼は巻物に記された、蝋で固められた王の印璽を、衛兵隊長と、そして俺たちにこれ見よがしに見せつけた。
「お、王都直属……監察官、だと……!?」
衛兵隊長が絶句する。それは国王直々の勅命によってのみ動く、絶大な権限を持つ役職。地方の小領主など、その命令には絶対に逆らえない。
「そうだ」
アルフォンスと名乗った監察官は、巻物をしまいながら淡々と続けた。
「我々は数ヶ月にわたり、アッシュベルク侯爵の不正を内偵していた。……そして、今夜、この屋敷の異変を察知した」
「異変……?」
「ああ。我々が到着した時、この屋敷は既に死の静寂に包まれていた。あまりにも静かすぎたのだ。まるで、墓場のように」
彼の言葉は、俺たちが突入する前から、この虐殺に気づいていたことを示唆していた。
「我々が壁の崩落音を頼りに駆けつけた時、見たのはこの惨状だ。衛兵隊長、貴官は早計に過ぎる。この者たちが全ての元凶だと断じるには、不可解な点が多すぎる」
「し、しかし! 現に侯爵閣下は殺害され、賊はここに!」
「ならば問う」
アルフォンスは、血の海と死体の山を指差した。
「この屋敷の警備兵数十名を、たった四人で、音もなく皆殺しにすることが可能か? それに、この者たちがそれほどの手練れなら、貴官らがこうして突入した時点で、とっくに逃げおおせているはずではないか?」
その冷静な指摘に、衛兵隊長はぐっと言葉を詰まらせる。アルフォンスの言う通り、状況には不自然な点が多すぎるのだ。
アルフォンスは、再び俺たちに視線を戻した。
「状況を整理する必要がある。貴様ら、武器を収めよ。これは命令だ。ここで抵抗すれば、王への反逆と見なす」
「……ふざけないで! あんたの話が本当だって証拠がどこにあるのよ!」
セーラが反発の声を上げる。彼女の言い分も分かる。いきなり現れた素性の知れぬ騎士の言葉を、そう簡単に信じられるはずがない。
「セーラ、やめろ」
だが、俺は彼女を制した。
アルフォンスの瞳の奥に、嘘や欺瞞の色は見えない。そして何より、この状況で彼に逆らうのは最悪手だ。ここで王の代行者に逆らえば、正真正銘の反逆者になってしまう。
'だが、勘だけで全てを賭けるわけにはいかない。確証が欲しい。'
俺は内心で、目の前の男に『鑑定』スキルを発動した。
目の前に、半透明のウィンドウが浮かび上がる。
[名前:アルフォンス・フォン・クライネルト]
[年齢: 43]
[性別: 男]
[種族: 人間]
[職業:王都直属監察官]
[LV: 40]
[HP: 850/1100]
[MP: 80/80]
攻撃力: 450
守備力: 300
力: 350
素早さ: 250
知力: 340
運の良さ: 120
[スキル:剣術(LV7)、指揮(LV3)、威圧(常時)、真実の瞳(常時)、正義の加護(常時)]
[称号:誠実なる剣]
[状態::普通]
[状態:王命によりアッシュベルク侯爵領の調査]
「……ッ!強!」
思わず息を呑む。レベルとステータス値もさることながら、そのスキルと称号……。『真実の瞳』は、相手の嘘を見抜くスキルか。そして『正義の加護』。これは、悪人には決して付与されない類のパッシブスキルだ。!?さすが監査官と言った所か。
'この男は、本物だ。'
「……分かった。武器を収める」
俺がそう言って率先して手を空にすると、バルクとヒルダも、渋々といった様子で武器を下げた。セーラも、不満げな顔をしながら短剣を鞘に納める。
俺たちの行動を確認したアルフォンスは、兜の奥で満足げに一つ頷いた。
「よろしい。賢明な判断だ」
* * *
アルフォンスは部下である二人の騎士に目配せすると、厳かに命じた。
「彼らを“保護”せよ。侯爵殺害、及び屋敷内で起きた虐殺事件の、重要参考人として丁重にな」
'保護、か'
拘束や逮捕ではない、その言葉の選択に、俺はアルフォンスの意図を測りかねていた。
俺たちは武器を取り上げられることはなく、ただ監察官の騎士たちに前後を固められる形で、謁見の間から連れ出される。血の匂いが充満する廊下を歩きながら、俺の頭は目まぐるしく回転していた。
真の黒幕、レナードは逃走した。
だが、奴は俺たちが侯爵殺しの犯人に仕立て上げられると確信していたはずだ。この監察官の登場は、奴にとっても計算外だったに違いない。
'盤面が、変わった'
武力による絶体絶命の状況は、一旦回避された。
だが、代わりに現れたのは、王権という巨大な権力を背景にした人物。
これからの戦いは、剣や魔法ではない。情報と駆け引きによる、交渉の舞台だ。
俺はアイテムボックスの中に静かに収められている、ある物を意識する。
レナードの執務室から持ち出した、侯爵の不正が記された裏帳簿の束。
'……これだ'
これが、俺たちの命運を握る、唯一にして最強の切り札になる。
監察官という新たな権力者の登場により、戦闘から交渉へと舞台が移ったことを、俺は確信した。そして、自らが持つ「裏帳簿」という切り札を、いつ、どこで、どのように使うべきか、思考を巡らせ始めた。
残金695万円(貸付金1,000万円、期限:残り6日)
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