第51話 反撃の狼煙
しんと静まり返った裏路地に、俺の荒い息遣いだけが響いていた。
白リンの燃えカスが放つ、鼻を突く異臭がまだ微かに漂っている。目の前には意識のない仲間たち。そして、脳裏に焼き付いて離れない、マリエクが叩き出した莫大な借金額。
非道に堕ち、禁忌の兵器に手を染めて、ようやく敵を屠った。仲間も、なんとか救うことができた。だが、その事実に安堵するよりも早く、俺は自らが犯した行いへの底知れぬ恐怖に支配されていた。
その重苦しい静寂を破ったのは、か細い声だった。
「……う……ん……」
声の主は、セーラだった。彼女がゆっくりと瞼を開ける。
「セーラ! 気づいたか!?」
俺は我に返り、彼女のそばに駆け寄った。
「ナオキ……? あたし……生きてるの……?」
「ああ、生きてる! 大丈夫だ、もう終わったんだ!」
セーラはおぼつかない様子で上半身を起こすと、自分の胸元に視線を落とした。服には、短剣が突き刺さった穴が黒く空いている。だが、その下の肌には傷跡一つ残っていなかった。
「嘘……。あんなにひどい傷だったのに……。それに、毒も……」
信じられない、といった表情で自分の手を見つめるセーラ。彼女は自身のステータスウィンドウを開き、その内容に目を丸くした。
「レベルが……34に!? なにこれ、一体どうなってるの!?」
その声に呼応するように、瓦礫の中からバルクが、地面に倒れていたヒルダが、それぞれ呻き声を上げながら身を起こした。
「……ぐっ、全身が軋むようだ……。だが、動く」
「いった……! 蹴られた脇腹が……って、あれ? 痛くない……いや、痛むけど、骨が砕けたような激痛じゃない?」
ヒルダも自分の脇腹をさすりながら、驚きの声を上げる。俺が施した外科手術キットと、凄まじい経験値によるレベルアップでの全回復が相まって、三人の負った致命傷は奇跡的に塞がっていたのだ。
「全員、レベルが30以上も跳ね上がっている……。あの化け物、一体どれだけの経験値を持っていたんだ……」
バルクが呆然と呟く。
「すごい……! あたし、『ヒール』っていうスキルを覚えてる!」
セーラが声を弾ませ、まだ痛みに顔をしかめるヒルダに手をかざした。
「やってみるね! 『ヒール』!」
セーラの掌から放たれた柔らかな光が、ヒルダの脇腹を優しく包み込む。
「……ああ。温かい……。ジンジン響く痛みが、すっと引いていくのが分かる……」
ヒルダは心地よさそうに目を細めた。死線を乗り越えた安堵感が、ようやく俺たちの間に広がっていく。
* * *
だが、その穏やかな空気は長くは続かなかった。
「……で、ナオキ」
ヒルダが真剣な眼差しで俺に向き直る。仲間たちの視線が、俺に突き刺さった。
「説明してもらおうか。あの化け物は、どうなった?」
俺は一瞬言葉に詰まった。乾いた唇を舐める。
どう説明すればいい? 俺の持つこの力のことは、ヒルダとバルクは知らない。
だが、お前たちが死にかけているのを見て、俺はもう手段を選んでいられなかった。あの化け物を倒すためなら、どんな非道な手でも使うしかなかった。
「……俺が持っていた、最後の切り札を使った。決して、人前で使うようなものじゃない……非道なやり方で、始末した」
俺のぼかした説明に、セーラは血の気の引いた顔で、ぐっと拳を握りしめた。
「……やりすぎよ。あんた、自分が何をしたか分かってるの?」
「……セーラ」
ヒルダが、セーラの肩にそっと手を置いた。
「気持ちは分かる。だが、ナオキは間違っちゃいない。あれは、そうでもしなきゃ絶対に勝てない相手だった。現に、あたしたちは全員殺されかけたんだ」
「……でも」
俯いたままのセーラに、俺は覚悟を決めて言った。
「そうだ。俺がやったことは、決して褒められたことじゃない。綺麗事だけじゃ、誰も守れない。俺は、お前たちを生かすためなら、いくらでも非道に堕ちてやる」
俺の覚悟に、仲間たちは息を呑んだ。
重い沈黙を破り、バルクが口を開く。
「……ナオキ。お前が一人で背負うというのなら、俺たちも共に背負おう。お前は、俺たちの命の恩人だ」
「ああ。とんでもない借りができちまったからな。お前がどんな業を背負うっていうのか知らないが、付き合ってやるさ。簡単に死なせちゃやらないぜ」
ヒルダも悪戯っぽく笑う。
セーラも、やがて顔を上げ、涙の滲んだ瞳で俺を真っ直ぐに見つめた。
「……ごめん、ナオキ。あたし、分かってなかった。一番、辛くて、怖かったのはナオキだったんだよね……」
「セーラ……」
仲間たちの温かい言葉が、罪悪感で凍りついていた俺の心を、少しずつ溶かしていくようだった。
俺は、まだ顔色の優れないセーラに向き直った。
「セーラ……」
声が、震えた。
「いや、謝るのは俺の方だ。お前を、一番危険な囮にして……死なせかけた」
'そうだ。俺が、一番謝らなければならない人間だ。'
特に過去のセーラを知る俺にとっては一番あってはならない事だ....。
「本当に、すまなかった」
* * *
「……待てよ」
感傷的な雰囲気を打ち破ったのは、ヒルダの鋭い声だった。
「そもそも、あれだけの化け物が、ただの会計監査官の護衛ってのはおかしい。どう考えても強さが釣り合ってない」
その言葉に、俺たちはハッとした。確かに、そうだ。
「ああ……。ザハルは言っていた。『レナードは筋金入りの臆病者だ』と。そんな小物の男が、どうやってあの『幽霊』を個人的に雇える?」
「じゃあ、逆だとしたら?」
ヒルダが、推理を楽しむように目を細める。
「レナードが雇ったんじゃない。レナードを『守るため』に、もっと上の誰かが遣わしたとしたら?」
「……侯爵か」
俺の口から、自然とその名がこぼれた。そうだ、金の流れを管理する懐刀だ。守る価値は十分にある。
「ただ守るだけじゃない。……監視も兼ねて、か」
「そういうことさ」
ヒルダは確信に満ちた声で頷いた。
「あの『幽霊』はレナードの護衛じゃない。侯爵が、自分の懐刀を誰にも触れさせないために放った、番犬であり、最強の切り札だったと見るのが自然だ」
「侯爵の……切り札……」
その言葉の重みに、息が詰まる。
「そうだ。そして、その誰もが恐れる最強の切り札を……」
ヒルダはニヤリと口の端を吊り上げた。
「あたしたちが、たった今、消しちまった」
その瞬間、俺たちの頭の中にあった絶望的な状況が、光と影が反転するように、一気にひっくり返った。
最大の脅威が、消えた。
それはつまり、アッシュブルクの支配者である侯爵が、丸裸になったに等しいことを意味する。
「今だ……。今しかない」
俺は拳を強く握りしめた。アドレナリンが全身を駆け巡るのが分かる。
「『幽霊』がやられたことが侯爵に伝わる前に、レナードの身柄を確保する! 奴が持っているはずの裏帳簿を奪えば、侯爵の悪事を白日の下に晒せる!」
「だが、奴も馬鹿じゃない。護衛が戻らないと知れば、すぐに高飛びするだろうな」
「だからこそ、急ぐんだ。奴が状況を把握して逃げ出す前に、奇襲をかける!」
俺の言葉に、全員が力強く頷いた。
作戦は決まった。もはや一刻の猶予もない。絶望の淵から掴んだ、この千載一遇の好機を逃すわけにはいかなかった。
* * *
俺たちは最低限の装備を整えると、夜の闇に紛れて安宿を飛び出した。
目指すは、ザハルから得た情報にあったレナードの隠れ家の一つ。表通りから離れた、貴族街の片隅にある屋敷だ。
建物の影から影へと、息を殺して駆け抜ける。やがて、目的の屋敷が見える場所にたどり着いた。
屋敷は静まり返っているが、二階の窓から、分厚いカーテン越しに揺れる明かりが漏れていた。
'……いるな'
俺は仲間たちに手で合図を送る。
猫のようにしなやかな動きでヒルダが先行し、屋敷の周囲を偵察してすぐに音もなく戻ってきた。
「裏口に見張り二人。おそらく正面玄関は無人。屋敷の中には……複数の気配。レナードと、残りの護衛が数人だろう」
「よし」
俺は小声で指示を出す。
「奇襲をかける。俺とバルクが正面から突入し、陽動を引き受ける。その隙に、ヒルダとセーラは裏口の二人を無力化して突入、レナードを確保しろ」
「「「了解!」」」
仲間たちの短い返事が、夜の静寂に溶ける。
俺は屋敷の正面、重厚な樫の扉の前に立つ。隣では、バルクが巨大な盾を構え、その全身から闘気をみなぎらせていた。
深呼吸を一つ。
ドクン、ドクンと、自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。
俺は、冷たい鉄のドアノブに、ゆっくりと手をかけた。
「――行くぞ!」
ここまで読んでいただきありがとうございます!
少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、
ブックマークしてもらえると励みになります!
評価や応援コメントは、とても励みになっています。




