第50話 代償
ヒルダの懐に潜り込んだ男の手が、黒い短剣を逆手に持ち替え、閃光のように振るわれた。
ガキン、と硬い音が響く。
ヒルダが咄嗟に腰の短剣で受け止めた音だった。だが、力の差は歴然。
「ぐっ……!」
ヒルダの体がくの字に折れ曲がり、屋根の上を数メートルも滑って瓦に叩きつけられた。
受け止めた短剣は、半ばからへし折れている。
「ほう。今のを防ぐか」
男は感心したように呟き、ゆっくりとヒルダに歩み寄る。
「だが、いつまで持つかな?」
「……舐めるなよ」
ヒルダは折れた短剣を構え直し、低い姿勢で男を睨みつける。その目は、まだ死んでいない。
だが、男はそんなヒルダを意にも介さず、屋根の縁から、俺と、腕の中で冷たくなっていくセーラを見下ろす。
その目が、はっきりと俺を次の獲物だと定めた。
男の姿が再び消えた。
「ヒルダ、後ろだ!」
俺の叫びと、ヒルダが振り返る動作はほぼ同時だった。だが、それよりも早く、男の蹴りがヒルダの脇腹を捉えていた。
「がはっ……!」
短い悲鳴と共に、ヒルダの体が屋根から宙に放り出される。まるでゴミのように、彼女は石畳の地面へと叩きつけられた。
ピクリとも動かない。
「……ああ」
俺の口から、乾いた声が漏れた。
セーラが倒れ、バルクが吹き飛ばされ、そしてヒルダが地に伏した。
全滅。
その二文字が、脳を鈍器で殴りつけたかのように響く。
「さて、と」
男が屋根から音もなく飛び降り、俺の目の前に着地した。その整った顔には、何の感情もない。ただ、邪魔な玩具を片付けるかのような、冷たい無関心が浮かんでいるだけだ。
「貴様が最後か。随分と面白い道具を使うようだが、それも終わりだ」
'終わり……?'
そうだ、終わりだ。
俺の浅はかな計画が、仲間を死地へ追いやった。
俺を信じてくれた、数少ない仲間を。
まただ。また俺は、何も守れなかった。グルフの街道でチンピラを土に埋めた時とは違う。あの時は生きるためだった。だが今回は……俺が殺したようなものじゃないか。
「……」
絶望が、俺の全身を支配する。
もう、どうでもよかった。
「死にたいか? 安心しろ。すぐに楽にしてやる」
男が、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
その一歩一歩が、俺の死刑執行へのカウントダウンだった。
* * *
'……本当に、それでいいのか?'
諦めきった俺の脳裏に、ふと声が響いた。
セーラの笑顔が、ヒルダの不敵な笑みが、バルクの無言の信頼が、次々と浮かんで消える。
'ここで死んだら、誰がこいつらを助ける?'
俺は、死んでもいい。
だが、彼女たちは違う。
「……馬鹿を、言うな」
俺は震える声で呟いた。
「俺だけの事ならどうでもいい……だけど、仲間が信じてくれたんだ! 頼ってくれたんだ! それなのに俺が、死んでたまるかよ……!」
顔を上げる。その目には、諦めではない、黒い炎が宿っていた。
「ほう?」
男の眉が、初めてわずかに動いた。
「まだやる気か」
「ああ……」
俺はゆっくりと立ち上がった。
「常識的に考えて勝てないなら、常識を捨てるだけだ!遠慮なんて、もういらない!」
綺麗事で仲間が助かるかよ!
俺が守りたいのは、そんな綺麗なものじゃない。血を流し、地に伏している、あの仲間たちだ。
'だが、どうする? 俺には軍事的な知識なんてない。どんな兵器が有効かなんて……'
思考が止まる。そうだ、知識がないなら、買えばいい。
「マリエク! スキルリスト!」
脳裏に浮かんだウィンドウから『スキル取得リスト』を呼び出す。
[スキル取得リスト:C]
[- アイテムボックスLV.3 (容量: 1000㎥) …… 金貨10枚 (1,000,000円)]
[- 鑑定 (Lv.3) …… 金貨10枚 (1,000,000円)]
[- 身体強化 (Lv.1) …… 金貨3枚 (300,000円)]
[- 生活魔法入門 …… 金貨1枚 (100,000円)]
[- 魔法各種 …… 金貨10枚~]
[- 現実世界の知識、参考書各種 …… 金貨2枚 (200,000円)]
[- 現代知識経験インストールパック各種 …… 金貨1枚~]
'これだ!'
[- 現代知識・経験値インストールパック各種 …… 金貨1枚~]
「『現代知識・経験値インストールパック:軍事技術/兵器』! 購入!」
[金貨2枚を消費します。よろしいですか?]
「構うか!」
俺が叫んだ瞬間、膨大な情報が濁流のように脳内へ流れ込んできた。頭蓋骨が内側から割れるような激痛。数秒にも満たない時間だったが、永遠にも感じられた。
'……なるほど。そういうことか'
痛みと引き換えに、俺の頭には、人類が生み出した最も残忍で効率的な殺人の方法が、体系的に叩き込まれていた。
奴の透過能力。物理攻撃をすり抜けるなら、実弾や爆発では意味がない。
だが、化学的な反応なら? 奴の存在そのものに付着し、焼き尽くすものなら……。
'検索:軍用焼夷兵器、特殊粘着焼夷弾!'
新しい知識に基づいた、的確なキーワード。
[M34白リン手榴弾 (1ケース/12発入り): 投擲後、広範囲に燃焼する白リン粒子を飛散させる。粒子は付着し、消火困難な1300度の高温で燃焼を続ける。白リンは人体に付着すると骨まで貫通する重度の火傷を引き起こし、毒性の高い煙を放出するため、人に対して非常に危険。価格、金貨48枚(480万円)]
'……幽霊相手ならこれしかない'
所持金は金貨52枚。知識パックで2枚使ったから、残りは50枚。
これを買えば、ほとんどが消し飛ぶ。
'だが、構うもんか!'
* * *
「てめえが何者だろうと知ったことか」
俺の目の前に、緑色の木箱が出現した。躊躇なく蓋をこじ開け、中に入っているパイナップルのような形の手榴弾を一つ掴んだ。
「俺の仲間に手を出したこと、地獄で後悔しやがれ!」
安全ピンを引き抜き、男に向かって全力で投げつけた。
「無駄だと言っている」
男はそれを鼻で笑い、透過してやり過ごそうとする。
手榴弾は男の体をすり抜け、背後の石畳で甲高い音を立てて炸裂した。
パァン!
爆発と同時に、燃え盛る白い粒子が周囲一帯に撒き散らされる。
「なっ……!?」
男の体にも、その粒子が降り注いだ。透過しきれなかった微細な粒子が、まるでコールタールのようにべったりと付着し、ジュウウウッと音を立てて黒い戦闘服を、その下の皮膚を焼き始めた。
「ぐ、あああああっ! 熱い、熱い! なんだこれは!?」
初めて、男の絶叫が路地に響き渡った。
男は苦悶の声を上げ、燃え盛る体を地面に転がして火を消そうとする。だが、白リンは一度付着すれば水をかけても消えず、肉が焼け落ちるまで燃え続ける。
「消えろ! 消えろおおおっ!」
透過能力を使おうとしているのか、男の姿が何度も明滅する。だが、燃え盛る粒子は実体にも幽体にも関係なく、その存在そのものに食らいついて燃え続けていた。
「一発じゃ足りないか」
俺は木箱からさらに数個の手榴弾を掴み取ると、狂ったようにピンを抜き、のたうち回る男に向かって次々と投げつけた。
「食らえ!」
時間差で着弾した手榴弾が、路地を灼熱地獄に変える。
肉の焼ける異臭と、男の断末魔の叫びが混じり合う。
やがて、叫び声が途絶えた。
男がいた場所には、原型を留めない黒焦げの塊が横たわり、白く禍々しい煙を上げていた。
『幽霊』は、この世で最も残忍な形で、消滅した。
その瞬間、脳内にけたたましいファンファーレが鳴り響いた。
[レベルが上昇しました!]
[LV: 8 → 35]
[ステータスが上昇しました!]
川田直樹
[HP: 550]
[MP: 320]
[攻撃力:150]
[守備力:160]
[力:140]
[素早さ:150]
[知力:250]
[運の良さ: 180]
[スキル:全言語理解、マーリーエクスプレス、アイテムボックスLV2、鑑定LV2]
[称号『幽霊狩り』を獲得しました]
[称号『非道なる勝利者』を獲得しました]
立て続けに表示されるウィンドウ。だが、それだけでは終わらない。
俺の体だけでなく、地に伏している仲間たちの体からも、淡い光が立ち上るのが見えた。
[パーティメンバーのレベルが上昇しました!]
[セーラ: LV 13 → 34]
[ヒルダ: LV 25 → 35]
[バルク: LV 21 → 35]
「!!!!!?......」
格上の、それも異常な強敵を倒した経験値が、パーティ全体に分配された結果だろう。
全員のステータスが飛躍的に向上し、新たなスキルに目覚めた者もいるはずだ。
'一体、あの『幽霊』はどれだけ強かったんだ……? 一度に30半ばまでレベルアップするなんて'
まるで有名なRPGに出てくる、素早くて硬いアイツみたいだな..。
慌てていて鑑定スキルを使うのを忘れていたのが悔やまれる。一体どんな化け物だったのか。
'……まあ、いいか'
だが、そんなことはどうでもよかった。
しんと静まり返った路地に、俺の荒い息遣いだけが響く。
勝利の歓喜はない。
ただ、自らの行いに対する、背筋を凍るような恐怖だけが、俺の心を支配していた。
* * *
俺は震える手で木箱をアイテムボックスにしまい、我に返って仲間たちの元へ駆け寄った。
「セーラ! しっかりしろ!」
真っ先に彼女の元へ。その体は氷のように冷え切っている。
俺は鑑定スキルを起動した。
「鑑定!」
[対象: セーラ]
[年齢: 19]
[性別: 女]
[種族: 人間]
[職業: 軽戦士]
[LV: 34]
[HP: 3/450]
[MP: 150/180]
攻撃力: 210
守備力: 158
力: 158
素早さ: 185
知力: 80
運の良さ: 98
[スキル: 短剣術 LV.5、激励 LV.3、ヒール LV.1]
[状態異常: 黒牙蛇の神経毒(極) - 全身麻痺、呼吸不全、生命力減衰(致命)]
'黒牙蛇……蛇毒か! それなら、広範囲の毒に対応できる抗毒素剤が効くはずだ!'
残高は金貨2枚。これで買える最高の医療品を!
「マリエク!」
『軍用救急医療キット』 100,000円
『広域スペクトル抗毒素剤』 1,200,000円
「足らない.....!...できれば使いたくはないが緊急クレジット!」
[緊急クレジット機能を利用しますか?ランクC利用限度額:10,000,000円。利用しますか?]
[ランクC返済遅延ペナルティ (期限超過後):]
[- 7日につき残高の20%の延滞金が発生]
「……全額借りるぜ!購入!」
【残金890万円(貸付)】
目の前に現れたキットを開き、震える手で抗毒素剤の自動注射器をセーラの首筋に突き立てる。さらに止血剤を傷口に流し込み、滅菌パッドで強く圧迫した。
数秒後、セーラの唇にわずかに血の気が戻り、か細いながらも呼吸が安定し始めた。
'……よし。次はバルクとヒルダだ'
バルクとヒルダの元へ走った。
バルクには応急処置用のギプスと強力な鎮痛剤を。そして、最後にヒルダの元へ。
「ヒルダ!」
彼女を抱き起こすと、その脇腹の傷の深さに息を呑んだ。
戦闘服が大きく裂け、抉られた脇腹から大量の血が溢れ出ている。折れた肋骨が肺を傷つけているのか、呼吸も浅く不規則だ。
「マリエク!『携帯用外科手術キット』と血液パックを!」
『携帯用外科手術キット』 1,000,000円
『血液パック』 200,000円
「高いが仲間の命には代えられない!」
【残金770万円(貸付)】
俺は借金で得た金で、躊躇なく高価な医療品を次々と購入し、ヒルダに投与した。
自動縫合器が傷口を塞ぎ、輸血パックが失われた血液を補っていく。最新医療技術の粋を集めたキットが、見る見るうちに彼女の命を繋ぎとめていく。
やがて、ヒルダの荒かった呼吸が、穏やかな寝息に変わった。
命の危機は、脱した。
俺は、意識のない仲間たちに囲まれ、その場にへたり込んだ。
非道に堕ちて敵は倒した。仲間も、なんとか救うことができた。
だが、その代償としてマリエクのウィンドウに表示された、マイナス金貨100枚という莫大な借金が、その事実を冷酷に突きつけていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、
ブックマークしてもらえると励みになります!
評価や応援コメントは、とても励みになっています。




