第42話 規格外の刃 ~クローウェル子爵視点~
ナオキが子爵邸を後にし
書斎にはクローウェル子爵とグスタフだけが残された。先ほどまでの熱を帯びた緊張は消え、代わりに奇妙な静寂が満ちている。
沈黙を破ったのは、グスタフだった。
「……『仲間』、ですか」
彼の鋼のような貌に、わずかな困惑が浮かんでいる。普段は揺らぐことのないその瞳が、理解しがたいものに直面したかのように微かに揺れた。
「うむ」
子爵は短く応じ、執務椅子に深く身を沈めた。指を組み、天井を仰ぐ。脳裏に、ナオキの目が蘇る。全てを見透かすような、それでいて底の知れない、冷徹なまでの静けさを湛えた瞳。
「あの男は、人を道具として見ていない。少なくとも、我々が思うような意味ではな」
「駒という言葉に、あれほど明確に釘を刺してくるとは。……我々が試されている、と?」
「そういうことだ。我々が彼を、そして彼が率いる者たちをどう扱うか。その一点を、あの男は値踏みしている。極めて用心深く、そして鋭敏にな」
子爵は言葉を切る。
「あれほどの力を持ちながら、警戒を一切解かぬ。それでいて、見ず知らずの町の人間を救うために、自ら動く。矛盾しておりますな」
グスタフの言葉に、子爵は静かに首を横に振った。
「矛盾ではない。あれが、あの男の本質なのだ。一度懐に入れた『仲間』は命を懸けて守る。だが、敵対する者、利用しようとする者には、容赦なく牙を剥く」
子爵は組んでいた指を解き、机を軽く叩いた。
「面白いだろう? あの男は、金貨100枚よりも、グスタフ、お前が口にした『駒』という一言の方を重く見ている。我々の価値観では測れん」
「……扱いを誤れば、我々が喰われかねませんな」
グスタフの低い声には、確かな実感がこもっていた。
「その通りだ。あれは猛毒にも、良薬にもなる。ナオキという刃は、我々が振るうのではない。我々が、その刃が進むべき道を照らし、共に戦うのだ。……決して、手綱を握ろうとしてはならん」
子爵の言葉に、グスタフは深く頷いた。一人の男を巡る密談は、領主と騎士団長の胸に、新たな覚悟を刻んだ。
* * *
それから、わずか数時間後のことだった。
執務室の扉が、儀礼も忘れたかのように激しく叩かれた。
「失礼いたします! 申し上げます、閣下!」
血相を変え、息を切らしながら飛び込んできたのは、若い騎士の一人だった。
「何事だ、騒々しい」
グスタフが鋭く咎めるが、騎士の興奮は収まらない。
「ナ、ナオキ殿が! 広場で、奇跡を……いえ、奇跡そのものを起こしております!」
「奇跡だと?」
子爵は眉をひそめ、椅子から立ち上がった。グスタフと共に、執務室の窓辺へと歩み寄る。
そこから見下ろした光景に、歴戦の騎士団長も、老獪な領主も、等しく言葉を失った。
疫病の中心地であった広場は、いつの間にか大勢の人々でごった返していた。だが、そこに漂っていたはずの絶望の色はない。あるのは、嗚咽と入り混じった歓声、そして熱狂だった。
その中心に、ナオキがいた。
「あれは……なんだ?」
子爵の指が、無意識に窓ガラスをなぞる。
ナオキは、巨大な筒状の機械のようなものを井戸に突き立てていた。兵士たちが必死に汲み上げていた鉛色の濁水が、その機械を通ると、まるで魔法のように清らかな水流となって溢れ出しているのだ。人々がその水を器に受け、泣きながら飲んでいる。
さらに、彼は小さなガラス瓶を次々と取り出し、セーラと共に、病で衰弱した人々に手渡していた。死の淵をさまよっていた老婆が、その液体を飲んだ途端、激しい咳が嘘のように収まり、浅かった呼吸が深くなる。熱に浮かされた子供の瞳に理性の光が戻り、かすれた声で母を呼ぶ。その光景が、広場の至る所で連鎖していた。
「閣下……あれは……」
グスタフの声が、驚愕に震えている。
「これほどとは……!」
次から次へと、見たこともない道具や薬品が、ナオキのアイテムボックスという手の中に現れては消えていく。
民衆が「ナオキ様!」「救世主様!」と叫び、彼にひれ伏そうとするのを、ナオキは面倒臭そうに手で制している。
子爵は、自分の体が興奮に打ち震えているのを感じていた。
「……グスタフ」
「はっ」
「金貨100枚の投資は……どうやら、人生で最も安い買い物だったらしいな」
その鷲のような目は、眼下で繰り広げられる常識外れの光景に、畏怖と、そして何よりも強い歓喜の色を宿していた。
* * *
執務室に戻った子爵は、高ぶる感情を抑えるように、ゆっくりと息を吐いた。
窓の外から聞こえてくる歓声が、まだ夢ではないことを告げている。
「グスタフ、お前はどう見る」
冷静さを取り戻した領主の問いに、騎士団長は背筋を伸ばして答えた。
「……怪物です。ですが、我々の味方である限り、これほど頼もしい存在はおりません」
「うむ。だが、逆もまた然りだ」
子爵は再び執務椅子に腰を下ろす。
「あれを力で縛り付けようなど、愚の骨頂。アッシュベルグ侯爵と同じ轍を踏むことになる。あの男は、敵対する者には一切の容赦をせん」
ライマンの、魂が抜け落ちたかのような最後の姿が脳裏をよぎる。ナオキは、人の心を折る術さえ心得ているのだ。
「我々は彼に『投資』した。見返りを求めるのは当然のこと。だが、それは支配ではない」
子爵は指を組み、確信を込めて言った。
「対等な協力者として、彼の望むものを与え、我々の利を得る。彼の『仲間』として認められることこそが、あの規格外の力を御する唯一の方法だ」
それは、貴族としてのプライドを一部捨て去る決断。だが、子爵に迷いはなかった。領地と民を守るためなら、悪魔とさえ手を組む。それが領主というものだ。
子爵は静かに立ち上がり、再び窓辺へと向かった。
夕暮れの光が、活気を取り戻し始めたフェルムの町を優しく照らしている。広場から聞こえるのは、もはや病の苦しみではなく、復興へ向かう人々の力強い槌音と笑い声だった。
悪夢のような疫病を、たった一日で収束させた男。その男が今、自分たちの刃として、巨悪に立ち向かおうとしている。
「期待しようではないか、グスタフ」
「はっ」
「あの男が振るう刃が、アッシュベルグの喉元にどこまで届くのかを」
クローウェル子爵の口元に、静かだが確かな笑みが浮かんだ。
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