第41話 反撃の狼煙
尋問室に、重い沈黙が落ちる。
グスタフが、静かに俺の隣に来た。その鋼のような顔には、もはやライマンへの怒りはなく、複雑な憐れみが浮かんでいるように見えた。
「……どうする」
グスタフが短く問う。
俺は精神的に完全に崩壊したライマンを一瞥し、そしてグスタフに向き直った。
「さて、これで使い勝手の良い手札が一つ手に入りました」
俺の言葉に、グスタフはわずかに眉をひそめた。
「俺たちの戦うべき相手はアッシュベルグ侯爵だ。だが、正面からぶつかるのは愚の骨頂。敵の懐に、こちらの意のままに動く者を送り込む必要がある」
俺は顎で、抜け殻のようになったライマンを示した。
「こいつには、侯爵への『本当の復讐』をさせる。俺たちのスパイとして、侯爵の元へ送り返すんです」
「正気か? 一度裏切った男だぞ」
「今の彼には、クローウェル子爵を裏切る理由はない。あるのは、自分の家族と故郷を破滅に追いやったアッシュベルグ侯爵への、本物の憎しみだけです。私たちが、その復讐の道筋を正しく示してやればいい」
俺の非情ともいえる提案に、グスタフは言葉を失い、俺の顔をじっと見つめた。その目には、畏怖と戸惑いが入り混じっている。
俺が陰謀の巨大さに戦慄していると、それまで天を仰いでいた子爵が、ゆっくりと顔をこちらに向けた。
その鷲のような目は、もはや絶望や疲労の色を消し、敵を前にした領主の鋭い光を取り戻していた。
「……面白い。実にお面白い策だ、ナオキ殿」
子爵はゆっくりとこちらへ歩み寄り、俺の肩に力強く手を置いた。その手に込められた熱と力が、俺に彼の決意を伝えてくる。
「お主の策に乗ろう。このフェルムに、ナオキという名の刃を振るう機会を与えよ」
子爵の手が、俺の肩を強く掴む。その瞳には、獲物を狩る獅子の獰猛な光が宿っていた。
'上等だ'
俺たちの反撃は、今、静かに始まった。
* * *
ライマンが騎士たちに連れ出され、尋問室から再び書斎へと戻ると、部屋の空気は一変していた。先ほどまでの重苦しい雰囲気は消え、代わりに熱を帯びた緊張感が満ちている。
子爵は重厚な執務椅子に深く腰掛け、指を組んで俺を真っ直ぐに見据えた。
「ナオキ殿、まずは今回の働き、見事であった。心から感謝する」
「俺は、俺のできることをしただけです」
「謙遜は不要だ。お主がいなければ、このフェルムは今頃、疫病と混乱の内に崩壊していただろう。ライマンの裏切りにも、我々は最後まで気づけなかったに違いない」
子爵は机の引き出しから、ずしりと重そうな革袋を取り出した。その革袋を俺に差し出す。受け取った俺は革の口を緩め、中を確認する。目も眩むような黄金の輝きが、光を反射してきらめいた。金貨だ。それも、相当な数。
「これは、今回の働きに対する報酬だ。金貨100枚。今後の活動資金として、自由に使ってほしい」
「金貨、100枚……」
思わず声が漏れた。マリエクのレートで換算すれば、一枚が十万円。つまり、一千万円。個人への報酬としては破格すぎる。
「多すぎます。それに、俺は」
「受け取れ。これは単なる報酬ではない。お主への『投資』だ」
子爵の目が、鋭く俺を射抜く。
「お主も理解しているだろうが、我々の敵はアッシュベルグ侯爵。一介の子爵家が正面から挑んで勝てる相手ではない。王家も、確たる証拠がなければ動かぬ。いや、動けぬだろう」
彼の言葉には、貴族社会の力関係に対する苦々しい諦観が滲んでいた。
「侯爵の権威を失墜させるには、奴が密かに行っている不正、今回の疫病騒ぎ以上の決定的な証拠を掴み、王家に突きつける必要がある。それも、奴がもみ消しようのない形でだ。そのための第一歩を、我々は踏み出さねばならん」
子爵は俺の肩に置いた手を、さらに強く握った。
「ナオキ殿。お主の持つその未知の力、常識外れの発想、そして冷徹なまでの判断力……それこそが、我々が侯爵という巨象を倒すための唯一の刃だ。この金は、その刃を振るうための軍資金。遠慮なく受け取ってくれ」
その真摯な瞳を見ていると、断ることはできなかった。これは、子爵の覚悟の証なのだ。
「……分かりました。ありがたく、お預かりします」
俺が礼を述べると、子爵は満足げに頷き、続けた。
「うむ。だがナオキ殿、資金だけでは戦えん。お主の力は認めるが、侯爵の領地へ潜入し、情報を探るとなれば、護衛も案内役も必要になるだろう」
「確かに、その通りです」
「そこで、だ。これは私からの、更なる『投資』でもある。グスタフ」
子爵に名を呼ばれ、背後に控えていた騎士団長が、一歩前に進み出る。
「はっ」
「グスタフ。騎士団長であるお前を、この非常時に私の側から離すわけにはいかん。代わりが必要だ。お前の部下の中から、最も信頼でき、かつ腕の立つ者を選出せよ。その者を、お前の代理としてナオキ殿の指揮下に置く。これは領主としての命令だ」
子爵の言葉は予想外だった。
「いいのですか? 騎士団長の腹心を、俺のような素性の知れん男に」
俺の問いに、子爵は鷹揚に頷いた。
「構わん。素性は知れずとも、お主の器は我々がこの目で見定めた。お主の持つその『道具』とやらと、騎士団の技を組み合わせれば、あるいは……」
子爵はそう言うと、グスタフに顎で示した。
「グスタフ、部下を紹介してやれ」
「御意」
グスタフは子爵に一礼すると、俺に向き直った。その口元には、新たな戦術を思い描く、戦士の獰猛な笑みが浮かんでいる。
「紹介しよう。二人いる。一人は、ヒルダ。森での追跡と隠密行動にかけて、右に出る者はいない女だ。獣の足跡からその日の食事まで読み解く。もう一人は、バルク。口数は少ないが、その巨体と大盾は、文字通り『歩く城壁』だ。どんな攻撃からも仲間を守り抜く」
ヒルダとバルク。追跡の専門家と、絶対的な守護者。
「彼らは、私の命令であれば死をも厭わん。そして今、閣下のご命令により、ナオキ殿に従うよう命じる。……どうだ? この駒、使ってみる気はあるか?」
資金、そして人材。クローウェル子爵とグスタフは、俺に全てを賭けようとしている。
「……これ以上ない申し出です。謹んで、お受けします。.......あと、「駒」ではありません!これから行動を共にする「仲間」です!」
俺がそう言って頭を下げると、子爵とグスタフは満足そうにニヤリとして頷き合った。
こうして、アッシュベルグ侯爵という巨大な敵に立ち向かうための、俺だけのチームが結成されることになった。
* * *
子爵とグスタフとの密談を終え、俺はセーラが待機しているという別室へと向かった。重厚な扉を開けると、部屋の隅の椅子で、セーラが小さな体をさらに縮こまらせるようにして座っていた。俺の姿を認めるなり、彼女は弾かれたように立ち上がる。
「ナオキ!」
駆け寄ってくる彼女の瞳は不安に揺れていたが、俺の姿を上から下まで確認し、怪我がないと分かると、心の底から安堵したように息を吐いた。
「……よかった。無事だったんだな」
「ああ、心配をかけたな」
「ううん……。それで、どうなったんだ?」
彼女が聞きたいことは分かっている。俺は部屋の扉を閉め、ゆっくりと彼女に向き直った。
「疫病の原因は、井戸への毒物の混入だった。犯人も捕らえた。これで、ひとまず町は落ち着くだろう」
「本当か!? よかった……!」
セーラは胸の前で手を組み、心から喜んでいる。だが、話はそれで終わりではない。
「だが、問題はそこからだ。全ては、アッシュベルグ侯爵っていう大貴族が仕組んだ陰謀だった」
俺は、これまでの経緯――ライマンの裏切り、侯爵の狙い、そして、これから俺が何をしようとしているのかを、かいつまんで話した。セーラの表情が、驚き、怒り、そして再び不安へと目まぐるしく変わっていく。
「……そんな、でかい話に……」
「ああ。だから俺は、この町を離れて、侯爵の領地へ向かうことにした。奴の不正の証拠を掴むために」
俺は一呼吸置き、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。
「セーラ。これは、お前を巻き込んでいい戦いじゃない。危険な旅になる。だから、お前は……」
「行く」
俺の言葉を遮り、セーラは凛とした声で言った。その瞳には、先ほどまでの不安の色はなく、揺るぎない決意が宿っている。
「え……?」
「あたしも、行く。ナオキがどこへ行くとしても、あたしはついて行く。足手まといになるかもしれないけど、身の回りの世話くらいはできる。料理も、洗濯も……あたしにできることなら、何でもやる。だから、置いていかないでくれ」
彼女は深く頭を下げた。その小さな肩が、わずかに震えているのが見えた。彼女は『覚悟』が決まっているようだ。
こいつは、俺が初めてこの世界で出会い、共に旅をしてきた仲間だ。危険だからと切り捨てるのは、簡単だ。だが、それは俺のやり方じゃない。’俺も『覚悟』決めよう’
「……分かった。一緒に行こう」
俺がそう言うと、セーラは勢いよく顔を上げた。その目に、みるみるうちに涙が溢れ出す。
「! うんっ……! ありがとう……!」
彼女の涙は、悲しみのものではなく、安堵と喜びから来るものだった。
俺は彼女の頭にそっと手を置き、これからの戦いに思いを馳せた。
'さて、仲間も揃った。軍資金もある。だが、その前に……'
俺は窓の外に広がるフェルムの町を見下ろした。活気はまだ戻らず、あちこちで病に苦しむ人々の気配が感じられる。
「セーラ。侯爵の領地へ向かう前に、やることが一つある」
「やること?」
「ああ。この町には、まだ毒の影響で苦しんでいる人たちが大勢いる。まずは、彼らを助けるのが先だ」
俺の言葉に、セーラはきょとんとした後、ふわりと微笑んだ。
「うん! さすが、ナオキだな!」
'マリエク、起動。広範囲の汚染水浄化フィルター、抗生物質、栄養補助食品……リストアップ開始だ。金ならある'
俺たちの本当の戦いは、この町を完全に救うことから始まる。アッシュベルグ侯爵への反撃の狼煙は、まずこの地で、人々の命を救うという形で上げるのだ。
俺はセーラと共に部屋を出て、新たな始まりへの第一歩を踏み出した。その足取りは、不思議と軽かった。
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