表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界ネットショッピング  作者: たにやん
第1章 第2の人生のはじまり

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/24

第4話 予期せぬ感謝と心の揺らぎ

・2026/04/08 内容修正しました

第4話 予期せぬ感謝と心の揺らぎ


夜の帳が下り、安宿の一室が冷たい薄闇に沈んでいく。俺は軋むベッドに腰掛けたまま、木枠の窓から見える、活気のない町並みをぼんやりと眺めていた。


昼間の取引は、完璧な成功だった。

修理工の老人から受け取った銅貨は四枚。俺のスキル『マリエク』によれば、それは日本円で四百円の価値を持つ。そこから仕入れ値であるノミの価格、百円を差し引く。純利益は三百円。それに加えて、ガラクタ同然とはいえ鉄くず一式も手に入れた。

数字の上では、文句のつけようがない成果だ。


'なのに、どうしてだ……'


胸に広がるのは、達成感ではない。むしろ、得体の知れない空虚さが渦巻いていた。老人の最後の呟きが、耳の奥で不快に反響する。

『あんた、一体何者なんだ……』

何者でもない。ただの、通りすがりの男だ。俺は自分の利益のために行動しただけで、そこに他人の感情が入り込む余地などない。


'少し夜風に当たって散歩でもしよう...'


俺は思考を振り払い、静かに立ち上がった。軋む床板に体重をかけないよう、忍び足で部屋を出る。今夜、確かめなければならないことがある。このスキルが、本当に俺だけの、誰にも汚されない『聖域』であることを。


ひんやりとした夜気が、火照った肌を撫でる。

昼間の喧騒が嘘のように静まり返った町を、俺は足早に宿屋の中庭へと向かった。石畳を蹴る自分の足音だけが、やけに大きく響く。


'これはビジネスだ'


何度も、何度も自分に言い聞かせる。呪文のように、心の中で繰り返す。

あの老人にノミを売ったのは、善意じゃない。金のためだ。

俺のスキルは、誰かを助けるための力じゃない。俺が、誰にも頼らず、誰とも関わらず、このクソみたいな世界で静かに生きていくための力だ。


'そうだ。人助けなんて、まっぴらごめんだ'


期待は裏切りの始まりだ。善意は利用されるための弱さだ。会社で、家庭で、俺が学んだ唯一の真理。もう二度と、あの絶望を味わうわけにはいかない。

だから、非情に徹する。感情を殺す。このスキルだけが、俺を裏切らない唯一の相棒なのだから。


中庭の隅、枯れ木がうら寂しく枝を伸ばすその根元に、目的の物を見つけた。

ビニールに包まれた、見慣れた円筒形のスナック菓子。昼間、マリエクの残高から十円だけを使い、実験のために転送しておいたものだ。


「……あった」


震える手でそれを拾い上げる。

元の世界では見向きもしなかった駄菓子が、今はこの世のどんな宝よりも輝いて見えた。これで、俺の計画は完璧になる。異世界のどこにいようと、通貨さえあれば、俺は飢えることなく生きていける。


* * *


安堵と満足感を胸に、俺は宿屋への帰路についた。

その時だった。

道の向こうから、見覚えのある人影が、小さな影を連れて歩いてくるのが見えた。


'……あのじいさんか'


修理工の老人だ。

その隣には、小さな女の子が手をつないで歩いている。昨日、彼の作業場では見かけなかった顔だ。


ばつの悪い思いがこみ上げ、咄嗟に路地の物陰に隠れようとしたが、間に合わなかった。老人の目が、まっすぐに俺を捉える。


「おお……あんた!」


老人は驚いたように目を見開き、俺の方へ駆け寄ってきた。その皺だらけの顔は、昨日見た疲労と焦りの色ではなく、純粋な喜びに満ちている。


「よかった、また会えるとは……!」


「……どうしたんだ、そんなに慌てて」


努めて冷静に返すが、心臓が嫌な音を立てていた。


「どうしたもこうしたもねえ! あんたのおかげなんだよ!」


老人は興奮した様子で、俺の両肩をがっしりと掴んだ。骨張った指が食い込む。その力強さに、思わずたじろいだ。


「あんたが売ってくれた、あのノミ……ありゃあ、本物の『逸品』だ! おかげで、頼まれていた仕事が嘘みてえに早く終わってな! 孫の薬代を、稼ぐことができたんだ!」


老人は涙ぐみながら、隣に立つ少女の頭を優しく撫でた。

少女は不思議そうな顔で、俺と祖父を交互に見上げている。昨日聞いた「孫の薬代」という言葉が、頭の中で警鐘のように鳴り響いた。


'まさか……偶然だ。俺には関係ない'


「見てくれ! この通り、すっかり元気になった!」


老人が自慢げに言う。

少女は、痩せてはいるが血色の良い顔で、こてんと首を傾げた。その黒曜石のような瞳には、この町の他の住人にはない、子供らしい好奇の光が宿っている。


俺は、意図せず人の命を救ってしまったという事実に、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。


'違う……俺はただ、商品を売っただけだ'

'ビジネスだ。これは、ただの取引だったはずだ……!'


必死に自分に言い聞かせる。これは計算外の出来事だ。俺の計画には、こんな要素は含まれていない。だが、目の前の現実が、俺が築き上げたはずの理屈を無慈悲にぐらつかせる。


* * *


「じいじ、このおじちゃんが?」


少女が、老人の擦り切れた服の袖をくいっと引っ張った。


「ああ、そうだ。このお方が、わしらを助けてくれた恩人様だ」


「恩人なんかじゃ……」


俺が何か言う前に、少女は老人から離れ、てくてくと俺の目の前までやってきた。そして、小さな両手でおずおずと何かを差し出す。


「……?」


戸惑う俺に、少女ははにかみながら言った。


「おじちゃん、ありがとう」


その小さな手の中に握られていたのは、道端にでも咲いていたのだろう、一輪の小さな白い花だった。夜露に濡れ、淡く光っているように見える。

少女はそれを、そっと俺の手に握らせた。


「…………」


思考が、完全に停止した。

手のひらに伝わる、か細い茎の感触と、少女の指先の微かな温もり。

金銭のやり取りではない。打算も、計算もない。ただ、純粋で、混じり気のない感謝だけが、そこにあった。


'……なんだ、これ'


今まで築き上げてきた、人間不信という名の分厚い氷の壁に、鋭い杭が打ち込まれたような、鈍い衝撃。パキリ、と微かな亀裂が入る音が、頭の奥で響いた気がした。


* * *


「さあ、行こう。恩人様も、お引き止めしては申し訳ない」


老人は名残惜しそうに何度も頭を下げると、孫娘の手を引いて去っていく。

少女は何度もこちらを振り返り、小さく手を振っていた。


俺は、その場から一歩も動けずに立ち尽くす。

周囲の音が遠のき、世界から切り離されたような感覚に陥った。


'……ビジネスだ'


そう呟こうとしたが、喉が張り付いて声にならなかった。

代わりに、胸の奥から熱い何かが込み上げてくる。

それは、怒りでも、悲しみでもない。元の世界で妻と息子を失い、心を殺したあの日から、一度も感じたことのない、戸惑いを伴う温かい感情だった。


ふと、自分の手の中にあるものに気づく。

少女がくれた、一輪の白い花。

頼りなく、今にも萎れてしまいそうなその小さな花が、鉛のように重く感じられた。


人間は信じない。関わりたくもない。

俺を裏切らないのは、このスキルだけだ。

そう固く誓ったはずなのに。


手渡された一輪の花を、俺は無意識に強く握りしめていた。

花の柔らかな感触が、凍りついた俺の心を乱していく。

俺の「ビジネス」という冷徹な信念が、予期せぬ感謝によって、その根底から静かに、だが確実に揺さぶられていた。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ