第37話 濁水の源流
「わしに力を貸せ、ナオキ殿。このフェルムを、共に救う気はないか?」
子爵の鷲のような目が、俺を真っ直ぐに射抜く。それは懇願ではなく、取引相手を見定める視線だ。俺は静かに、しかしはっきりと頷いた。
「ええ。ですが、俺の治療にはあなたの全面的な協力が不可欠です」
「よかろう。だが、わしからも条件がある」
子爵はゆっくりと執務机に戻り、椅子に腰を下ろした。
「治療行為の許可と協力する代わり、お主にはこの疫病の『犯人』を特定してもらう」
「……犯人、ですか」
「うむ。お主の言う通り、これが人災であるならば、罪なき民を苦しめる大罪人がいるということだ。そやつを白日の下に晒し、厳罰に処さねば、この町の安寧は取り戻せん」
'……この男は、本気で民のことを案じている。'
「分かりました。その条件、飲みましょう」
俺が承諾すると、子爵は満足げに頷き、扉に向かって声を張った。
「入れ」
重厚な扉が開き、一人の男が入ってくる。年の頃は四十前後。日に焼けた肌と鋼のような肉体を持つ、歴戦の猛者。何より、その目が違う。俺を値踏みする子爵とは別の、不純物を許さない刃物のような光を宿している。
「紹介しよう。わが騎士団長、グスタフだ」
グスタフと呼ばれた男は、俺を一瞥すると、子爵に向かって無言で片膝をついた。その動きに一切の無駄がない。
「ナオキ殿、お主が犯人を見つけ出すまで、グスタフを監視役として付けよう。調査に必要な権限は、彼を介して与える。兵も自由に使うがいい」
「監視役、ね……」
俺はグスタフに視線を送る。彼は表情一つ変えず床の一点を見つめている。
「異論はあるかな?」
子爵の問いに、俺は口の端を上げて笑ってみせる。
「いえ、光栄ですよ。騎士団長殿が直々とは....」
状況は好転したが、今度は首輪をつけられた。
'だが、それでいい。利用されるだけでは終わらん'
俺は内心で気を引き締め直し、子爵に向き直った。
「実は、閣下。今回の疫病の件とは別に、ご報告したいことがありました」
俺の唐突な切り出しに、子爵は訝しげな視線を向ける。
「もともとは、それを陳述するために閣下にお会いしたいと考えておりました」
「ほう……続けてみろ」
「道中、『涸れ谷のグルフ』という町にしばらく滞在しました。ご存知かとは思いますが、新しい街道ができたせいで寂れた、打ち捨てられたような場所です」
俺の言葉に、子爵は無言で頷く。
「ですが、そこで驚くべき事実を掴みました。意図は分かりませんがアッシュベルグ侯爵が絡んでいるようです。彼は自らの騎士団に盗賊を装わせ、グルフの町を封鎖させていたのです。意図的に町を貧困に陥らせ、そこから産出される高品質なカオリン系粘土を独占し、密輸していました。そして、その密輸品の取引相手が、このフェルムにいたヴァーミリオン商会のボルマンだったのです」
その言葉が出た瞬間、子爵の纏う空気が再び張り詰めた。鷲のような目が、さらに鋭く細められる。
「彼らの正確な意図までは分かりませんでしたが、子爵の領地へ何らかの介入があったのは間違いありません。」
子爵は黙って俺の話を聞いていたが、やがて重々しく口を開いた。
「……侯爵、だと? 詳しく話せ。お前が見たもの、聞いたこと、全てだ」
'.................'
* * *
騎士団長の護衛兼監視の下、俺の捜査が始まった。
子爵の館から一歩外に出ると、グスタフは影のように、常に三歩後ろを静かについてくる。その無言の存在感は、むしろ頼もしささえ感じさせた。
疫病の発生源である広場の井戸に着くと、俺は早速調査に取り掛かった。
「まずは現状確認ですよ。敵を知らずして、戦はできないでしょう?」
俺が独り言のように呟くと、背後のグスタフは何も言わず、ただ静かに頷いた。その目は、俺の行動を冷静に観察している。言葉を交わさずとも、俺の頭はフル回転していた。この男の監視下で、どうやってマリエクを使うか。
俺は井戸の周りを歩き回り、石組みや水の流れを観察するふりをする。その間も、グスタフの視線は俺の動きを静かに追っていた。
'……隙がないな'
だが好都合にも、井戸の周りには多くの民衆が遠巻きに俺たちを窺っていた。ゲルトを救った治療師が騎士団長と共に現れたのだ。注目しない方がおかしい。
俺はその人垣を静かに利用することにした。わざと人の多い場所を抜け、群衆の注意がこちらに向く一瞬を狙う。グスタフの意識が、俺ではなく周囲の警戒に向いた、ほんの数秒。それで十分だった。
'マリエク! 水質検査キット、超小型盗聴器、高耐久ドローン!'
脳内で矢継ぎ早に商品を検索・購入する。それらが懐に音もなく転送されるまで、一秒もかからない。
路地を抜けた瞬間、グスタフが静かに隣に並んだ。
「……何か分かったか?」
彼の声は低く、感情が読めない。
「ええ、まあ。少しだけ」
俺はしれっと答え、両手を広げてみせた。
グスタフはそれ以上何も問わず、ただ「そうか」とだけ呟いた。証拠がない以上、追及するつもりはないらしい。あるいは、俺の行動に何かを期待しているのかもしれない。
'これで、道具は揃った'
再び井戸の前に戻った俺は、マリエクで入手した水質検査キットを取り出した。細長いガラス管、試薬の小瓶などを見ても、グスタフは黙ってその様子を見守っている。
「まあ、見ていてください。」
俺は兵士に命じて井戸から水を汲ませ、手早く分析を始める。採取した水をガラス管に入れ試薬を数滴垂らすと、透明だった水は、みるみるうちに薄気味悪い紫色に変色した。
「……!」
グスタフが、わずかに息を飲むのが分かった。
「特定のアルカロイド系毒物に反応する試薬です。思った通りだ」
俺はもっともらしく嘘を並べる。現代科学の知識など、この世界の人間には魔法と区別がつかない。
「だが、問題はこれだけじゃない」
俺は懐から、手のひらサイズの奇妙な機械を取り出した。四方に小さな羽根がついた、金属の虫のような代物だ。
「『ドローン』という道具です。こいつを飛ばせば、人が直接見れない井戸の底の様子を、この場にいながらにして確認できる」
俺が指で操作すると、機械は静かな羽音を立てて宙に浮き、青白い光を放ちながら井戸の暗闇へとゆっくりと降下していった。グスタフは、まるで魔法の生き物を見るかのように、その光景から目を離せずにいる。
俺は懐から取り出した小さな板―端末を操作する。すると、その黒い表面に淡い光が走り、その場にいる誰もが見える画面に映像が浮かび上がった。やがて、映像の揺れが止まり、井戸の底がはっきりと映し出された。
「……なんだ、これは」
グスタフが、言葉少なに驚きを漏らす。
「『映像記録』という技術です。光を捉え、この板に再現するだけの単純な仕掛けですよ」
'よし、底に着いたな'
ドローンは静かに井戸の内部を下降していく。さらに深くへ。
そして、水面下数メートルの地点で、それを見つけた。
石壁の隙間に巧妙に隠された、細い鉛の管。それは地下水路に繋がっており、そこから定期的に、少量の毒物が滴り落ちる仕組みになっていた。
'……継続的かつ、少量ずつ。これなら異常に気づかれにくい。なんと悪質な……'
この手口は、井戸の構造と町全体の地下水路を把握していなければ不可能だ。
'犯人は内部の人間。それも、インフラを管理する立場の、かなり上の役職の誰かだ'
俺はドローンを回収し、静かに立ち上がった。
「どうやら、思った以上に根が深いようです、騎士団長殿」
俺の言葉に、グスタフは静かに頷いた。その横顔は、常に冷静さを保っていたが、今は事態の深刻さを理解した騎士の厳しい表情に変わっていた。
* * *
その夜、俺は与えられた宿舎の一室で、得た情報を整理していた。ドアの外には、グスタフが静かに控えている気配がした。
'継続的な毒物の投入。町のインフラに精通した内部犯。そして、被害者は民衆のみ'
ピースを繋ぎ合わせると、犯人の輪郭が浮かび上がる。
これは、単なる無差別殺人やテロじゃない。もっと狡猾で、明確な政治的意図を持った犯行だ。
民衆が疫病で倒れれば、不満の矛先は領主であるクローウェル子爵に向かう。さらにゲルトのような大商人が倒れれば、町の経済は麻痺し、混乱は加速する。やがて子爵の求心力は失われ、内外からの圧力に耐えきれなくなるだろう。
'……そうか。犯人の真の狙いは、疫病そのものじゃない。子爵の失脚だ'
背筋が凍る結論に、俺は思わず乾いた笑いを漏らした。
どうやら俺は、ただの疫病騒ぎの火消しに来たのではないらしい。領主の座を巡る、血生臭い権力闘争の真っ只中に足を踏み入れてしまったのだ。
'面倒くさい事になってきた........'.
人間不信の俺が、皮肉にもこの町で最も根深い人間の闇に挑むことになるとは。
俺は窓の外の、静まり返った夜の町を見つめた。この静寂の下で、一体どんな巨大な陰謀が渦巻いているのか。
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