表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界ネットショッピング  作者: たにやん
第1章 第2の人生のはじまり

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/74

第36話 盤上の駒

鋼の剣先が、俺の喉元に突きつけられる。冷気を帯びた切っ先が、肌に触れるか触れないかの距離でぴたりと止まった。隊長の目が、冷徹な殺意を宿して俺を射抜く。まるで、社会の秩序を乱す不届き者だと断罪しているかのようだ。

希望の光を見出したばかりの群衆の熱が、急速に冷え、霧散していく。代わりに、じわりと空気を支配し始めたのは、どうすることもできない無力感と、死を連想させる冷たい恐怖だった。


「……セーラ、ハインツ。下手に動くな」


隣でセーラが柄に手をかけ、ハインツが息を飲む気配を感じ、俺は静かに声をかけた。衝動的な行動は、状況を悪化させるだけだ。


「だが、ナオキ! こいつらは……!」


食い下がるセーラに、俺は視線だけで「大丈夫だ」と制する。俺の落ち着き払った態度に、彼女は悔しそうに唇を噛み、渋々ながらも手を下ろした。


「分かりました。ご同行しましょう」


俺は両手を肩の高さまでゆっくりと上げ、抵抗の意思がないことを示す。そのあまりにもあっさりとした態度に、隊長の眉が訝しげにピクリと動いた。民衆からも「え……?」「捕まっちまうのか……?」という困惑の声が漏れる。


「しかし、その前に一つだけ」


俺は兵士たちが踏み込んでくるより早く、再び身をかがめた。ぐったりとした少女を不安げに抱きしめる母親の前に、膝をつく。


マリエクを起動し、懐に抗生物質の薬と

青いパッケージで有名な飲料水「スポーツドリンク」をマリエクで購入。音もなく出現させ母親に渡した。


「これを。帰ったらすぐに、娘さんに飲ませてあげてください」


「こ、これは……?」


母親が、震える手で薬と、青いパッケージの飲料水を受け取る。脱水症状には塩分が、弱った体には最低限の栄養が必要だ。


「信じるかどうかは、あなた次第。……いや」


俺はゆっくりと立ち上がり、ざわめく群衆全体を見渡した。そして、一人一人に語りかけるように、はっきりと聞こえる声で言った。


「ここにいる全員の、信頼が試される時だ」


その言葉は、母親に、民衆に、そして背後で全てを見ているであろう黒幕に向けた、俺からの挑戦状だった。


「何をゴチャゴチャと! さっさと連れて行け!」


隊長が苛立ちを隠さずに叫ぶ。その声に反応し、二人の兵士が俺の両腕を掴み、背後へ荒々しく捻り上げた。関節に鈍い痛みが走るが、俺は表情一つ変えなかった。

人垣がモーゼの海のように割れ、俺は子爵の館へと引きずられていく。遠ざかる群衆の中から、少女の母親の「ありがとうございます……! 必ず……!」という悲痛な声と、セーラの怒りと無念に歪んだ顔が見えた...。


* * *


石畳の道を、俺は兵士たちに両脇を固められて歩く。

周囲の民衆は、希望と不安が入り混じった目で俺たちを遠巻きに見つめ、ひそひそと何かを囁き合っていた。

俺の身を案じる声、当然の報いだと蔑む声、そして「やはりただの詐欺師だったのか」と落胆する声。


'……どっちでもいい'


俺は腕を掴む兵士に意識を向け、気づかれぬよう一瞬だけ鑑定スキルを発動させた。


'鑑定'


〔鑑定結果:人体(健康状態)。汚染された水源からの摂取履歴なし。定期的に浄化された専用水源の水を摂取〕


'……面倒なのが来たな'


もう片方の兵士も、先頭を歩く隊長も、結果は同じ。

こいつらは、民衆が使っている広場の井戸とは別の、安全な水を飲んでいる。

この町の支配者層と、被支配者層の間には、命を隔てる明確で冷酷な壁が存在していた。


背筋に冷たいものが走る。

これは、ただの疫病騒ぎじゃない。貧しい者、弱い者だけを狙って殺す、極めて悪質な選別だ。

井戸に毒を流し込み、民衆が苦しみ死んでいく様を高みから見物する外道がいる。


'子爵は、これを知っているのか? 知っていて放置しているなら、奴も同罪だ。だが…もし、子爵自身もこの状況を把握しきれていないとしたら?'


俺を捕らえたのは、秩序を乱す不届き者として排除するためか。それとも、その力を確かめ、利用価値を測るためか。


'どっちに転ぶか......'


やがて、荘厳なクローウェル子爵の館の門が見えてきた。

俺は地下牢の冷たい石の床を想像していたが、案内されたのは意外な場所だった。


* * *


俺が通されたのは、薄暗くカビ臭い地下牢ではなかった。

暖炉の火が赤々と燃え、壁には高価そうな風景画が飾られた、広大な書斎。磨き上げられた床には分厚い絨毯が敷かれ、歩いても足音一つしない。俺の腕を掴んでいた兵士たちは、部屋の前で一礼すると、音もなく扉を閉めた。拘束は、いつの間にか解かれていた。


部屋の奥。大きな執務机の向こう側、重厚な革張りの椅子に、一人の男が深く腰掛けていた。

年の頃は五十代だろうか。手入れの行き届いた口髭を蓄え、貴族らしい豪奢だが嫌味のない服を着ている。だが、その身体からは、弛緩した貴族のものではない、武人のような隙のない圧が放たれていた。鷲のような鋭い目が、俺の一挙手一投足を値踏みするように観察している。

この男が、フェルムの領主、クローウェル子爵。


長い沈黙が、部屋を支配する。薪がはぜる音だけが、やけに大きく聞こえた。

先に口を開いたのは、子爵だった。


「私がこの地を治めるクローウェル子爵だ。……お主が、その『治療師』だと言うナオキか」


低く、地の底から響くような声だった。


「そうだ。俺がナオキだが」


「ほう。ゲルトを死の淵から救い、民衆を扇動しているという……」


「事実と悪意を混ぜるのはやめていただきたい。俺はただ、目の前で死にかけている人間を助けようとしただけだ。扇動などはしていない。」


俺の言葉に、子爵は鼻で笑った。


「見上げた博愛主義者だな。だが、お前のような素性の知れぬ男の『善意』ほど、信用できんものはない。目的は何だ? 金か、名声か? それとも、この混乱に乗じて何かを企む、どこぞの回し者か?」


矢継ぎ早に放たれる詰問。その一つ一つに、俺を罪人に仕立て上げようという明確な意図が感じられた。


「……あなたには、そう見えるのか」


「どう見えるかではない。事実が問題だ。お前は許可なく医療行為を行い、結果として民衆の間に無用な混乱と期待を煽った。これは領主たる私への、扇動していると受け取られても仕方ないことだぞ」


子爵はゆっくりと立ち上がり、机を回り込んでこちらへ歩み寄ってくる。その一歩一歩に、確かな威圧感がこもっていた。


「答えろ。お前の正体は何だ。一体、何を知っている?」


俺の目の前で足を止め、子爵はその鷲のような目で見下ろしてくる。逆らえば、次の瞬間には首が飛ぶ。そんな確信があった。


'……試されている'


ここで下手な嘘をつけば終わりだ。だが、すべてを話す必要もない。

俺は、覚悟を決めた。


「子爵へ許可なく医療行為をした事。そこについては謝る。申し訳ない。正体については、ただの通りすがりの男だ...。

だが、一つだけあなたより知っていることがある」


俺は子爵の目を真っ直ぐに見返し、静かに、しかしはっきりと告げた。


「この疫病は、天災じゃない。人災だ」


その瞬間、子爵の纏う空気が変わった。

値踏みするような視線が消え、鋼のような鋭さが宿る。


「……続けろ」


「あなた方、城の人間が飲む水と、広場で民衆が汲む水は、別物だ。疫病の原因は、民衆が口にする井戸水。何者かが、意図的に汚染させた」


俺が言い切ると、子爵は驚きもせず、ただ無表情に俺を見つめていた。だが、その瞳の奥で、激しい思考が渦巻いているのが分かった。


「……なぜ、それを知っている」


声の温度が、さらに数度下がった。疑念が、殺意へと変わり始めている。


「どうやって知ったかは重要じゃない。重要なのは、俺にはその汚染を浄化し、病を治す技術があるという事実だ」


俺は懐に隠し持っていた、マリエクで購入した錠剤型の浄水剤を一つ、指で弾いてみせた。


「俺を処刑すれば、この町は救われずに終わる。だが、俺を使えば、あなたは疫病を鎮めた英雄になれる。……取引しませんか、子爵閣下」


子爵は俺の指にある小さな錠剤と、俺の顔を交互に見比べ、やがて、その口元にかすかな笑みが浮かんだ。それは面白い玩具を見つけた子供の笑みではなく、獰猛な肉食獣が獲物を見定めた時の、冷たい笑みだった。


「……面白い。実によく回る口だ」


子爵は再び俺に向き直り、その鷲のような瞳で俺を射抜いた。


「よかろう。その取引、乗ってやる。だが、一つでも嘘があった場合はどうなるか……分かっているな?」


「わしに力を貸せ、ナオキ殿。このフェルムを、共に救う気はないか?」

ここまで読んでいただきありがとうございます!


少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、

ブックマークしてもらえると励みになります!


評価や応援コメントも、とても励みになっています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ