第30話 新たな旅路 ~セーラ視点~
今回はセーラから見た視点となります。
'セーラ視点'
夜が明け、宿屋『木陰亭』は昨日までとは打って変わって、慌ただしい活気に満ちていた。
出発の朝。傭兵たちの武具がぶつかり合う硬質な音、これからの仕事について話し合うざわめき、バルガスが厨房で朝食を準備する匂い。その全てが混じり合い、奇妙な熱気を生み出している。
セーラは食堂の壁に寄りかかり、腕を組みながらその喧騒の中心に立つ男を、どこか他人事のように眺めていた。
「マルコ! 捕虜の見張りは三交代制だ。絶対に気を抜くな! 食事は交代で済ませろ!」
「おう、任せとけ!」
「バルガス! 町の連中には、食料の配給と仕事の割り振りを頼む! まずは瓦礫の撤去からだ! 動ける者にはどんどん仕事を振ってくれ!」
「ああ、わかってる! こっちも準備万端だ!」
特に声を張り上げるでもない。だが、ナオキの声は不思議とよく通り、その場にいる全員の耳に届いていた。的確に、淀みなく指示を飛ばし、巨大な機械の歯車を噛み合わせるように、人々を動かしていく。
その姿に、セーラは初めてこの男に会った日のことを思い出していた。
'胡散臭い男'。それが第一印象だった。
数週間前、バルガスに「腕の立つ用心棒がいる」と紹介された時、彼女は内心で舌打ちしたものだ。どうせ口先だけの流れ者だろう、と。
そして実際に目の前に現れたのは、予想通りの、どこか影のある、人生に疲れたような中年男だった。覇気のない目に、着古した服。金払いも悪そうで、とてもじゃないが頼りになるとは思えなかった。
事実、街道の盗賊に追われた時も、みっともなく逃げ惑うばかりだったではないか。あの時は本気で、バルガスの人を見る目のなさを呪ったほどだ。
'……それが、どうしてこうなった'
今のナオキは、あの頃の面影すらない。
傭兵団を人心掌握し、騎士団を戦略一つで壊滅させ、町の復興計画をぶち上げる。その瞳には、かつての無気力さの代わりに、揺るぎない意志の光が宿っていた。
まるで別人だ。
この短期間に、この男に一体何があったのか。いや、あるいは、最初からこの姿こそが本性だったというのか。
セーラは、ナオキという男の底知れなさに、改めて当惑していた。
* * *
'……仲間、か'
ナオキが口にしたその言葉が、セーラの心の古傷を、容赦なく抉る。
彼女にも、かつて仲間と呼べる者たちがいた。
薄暗いダンジョンの通路。黴と湿った土の匂いが鼻をつく。松明の心許ない光が、汗と泥に汚れた仲間たちの顔を揺らめきながら照らしていた。
リーダーのガストンが、目の前の古びた宝箱を前にして、汚れた歯を見せてニヤリと笑った。
「やったな、セーラ! これで当分は遊んで暮らせるぜ!」
「ああ。やっと、でかいお宝にありつけたな」
セーラも、全身を包む疲労の中に確かな達成感を滲ませて笑みを返した。
信頼できる仲間たち。剣の腕は立つが頭は単純なガストン。小心者だが斥候としての腕は一流のキール。無口だがいつも的確な治癒魔法で皆を救ってくれたリナ。
この四人で、いくつもの死線を潜り抜けてきた。背中を預けられる、唯一の家族だと信じていた。
ガストンが宝箱の錠をこじ開ける。軋んだ音の後、中から金貨や宝石の眩い光が溢れ出した。
「うおおっ!」
全員が歓声を上げた、その瞬間だった。
背中に、灼けつくような激痛が走った。
「がっ……!?」
息が詰まる。肺から空気が無理やり押し出され、熱い鉄の杭を打ち込まれたかのような痛みが全身を貫いた。
信じられない思いで、ぎこちなく振り返る。そこには、血に濡れた短剣を握りしめ、氷のように冷たい目をしたキールが立っていた。
「……悪いな、セーラ。分け前は、三人の方が多くなるんでな」
「キール……お前……!」
崩れ落ちるセーラの視界の端で、ガストンとリナは、ただ黙ってそれを見ていた。裏切りを、肯定するように。彼女は二人の顔に後悔や躊躇の色を探したが、そこにあったのは宝の山に向けられた、醜い欲望のぎらつきだけだった。
「セーラ、お前はいつも、目障りなんだよ。……邪魔だ、消えてくれ。」
ガストンの吐き捨てるような言葉を最後に、彼女の体は背後から蹴り落とされ、深い奈落の闇へと飲み込まれていった。
幸運にも一命は取り留めたが、心は完全に死んだ。信じていた者たちからの裏切りは、彼女の魂を根こそぎ腐らせた。
それからの日々は、ただ生きるためだけの時間だった。流れ着いたこのグルフの町で、日銭を稼いでは酒を呷る。明日を考えることさえ、億劫だった。
'……もう、誰も信じない'
そう固く誓ったはずだった。
なのに、どうだ。
盗賊に追われたあの夜。ナオキは無様だったが、決して諦めなかった。生きようと、もがいていた。
あの時、凍り付いていたはずの自分の心が、ほんの少しだけ動いたのを、セーラは自覚していた。
* * *
セーラの視線に気づいたのか、ナオキがこちらへ歩いてくる。
彼女は思考を中断し、壁から背を離した。
'改めて考えても、異常な男だ'
セーラは、ナオキのこれまでの行動を冷静に分析する。
商業都市フェルムで、大物である金獅子商団のゲルトと対等に渡り合う交渉術。
アイテムボックスという、ただでさえ希少なスキルを持っている事、落とし穴や土塁といった奇策に転用する異常な発想力。
騎士団を無力化した、未知なる物。
そして、瀕死のライアンを治療した、神の御業としか思えない道具と知識。
どれもこれも、恐ろしく有能で、合理的で、常軌を逸している。
だが、その一方で。
この男は、この大陸の名前すら知らなかった。王国の政治体制も、貴族の力関係も、人々が信仰する神々の名前さえも。
それは単なる無知ではない。まるで、昨日今日この世界に生まれ落ちたかのように、基本的な常識がすっぽりと抜け落ちているのだ。
'有能と無知。その二つが、何の矛盾もなく一人の人間に同居している'
その極端なアンバランスさこそが、ナオキ・カワダという男の正体不明さを際立たせている。
一体、何者なんだ、あんたは。
流れ者の傭兵か、どこかの国の密偵か、それとも――。
「……セーラ」
ナオキの声に、セーラはハッと顔を上げた。いつの間にか、彼は目の前に立っていた。
* * *
「準備はいいか?」
ナオキが静かに問う。その背後では、バルガスやゴードン、そしてマルコたちが見送りのために集まっていた。
「ああ。いつでも行ける」
セーラは短く答える。
「そうか。……セーラ」
ナオキは真っ直ぐに彼女の目を見て、言った。
「あんたには、俺の用心棒として代官がいる街まで同行してもらう。道中、何があるか分からん。頼りにしてる」
その言葉には、何の裏も駆け引きもなかった。ただ、純粋な信頼だけが込められていた。
かつて仲間だった男たちの、欲望に濁った目とは違う。
セーラの胸の奥が、小さく、だが確かに熱くなった。
'……ああ、もう、仕方ない'
彼女は小さく息を吐き、腹を括った。
この男が何者であろうと、もはや関係ない。
この旅が、自分の停滞した人生を変えるきっかけになるのかもしれない。腐りきった過去を振り払い、もう一度だけ、人を信じてみる。
これは、そんな自分の再起を賭けた、大きな賭けだ。
「……分かってるよ。あんたの背中は、あたしが守ってやる」
セーラはそう言うと、先に立って宿屋の出口へと歩き出した。
ナオキが少しだけ驚いたように目を見開き、やがて口元に確かな笑みを浮かべて後に続く。
グルフの町を出ていく二人の背中を、バルガスやマルコたち、新しい仲間が見送っていた。
セーラは、一度も振り返らなかった。朝日が、彼女の進むべき道を照らしているようだった。
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