第31話 焚き火と告白
グルフの町を出て、数日が過ぎた。
クローウェル子爵がいるフェルムを目指す旅。昼は乾いた街道をひたすら歩き、夜はこうして野営を繰り返す。単調だが、どこか満たされた道中だった。
ぱちぱちと小気味よく爆ぜる焚き火の音が、満天の星が広がる夜の静寂に響く。俺は火の番をしながら、時折、向かいに座るセーラに視線を送った。
彼女は、膝に置いた剣の柄を指でゆっくりと撫でながら、ただ黙って揺れる炎を見つめている。その横顔は、炎に照らされて様々な表情を見せた。
グルフを出てから、俺たちの間に他愛のない会話はほとんどなかった。だが、その沈黙は決して気まずいものではない。背中を預け合う者同士だけが共有できる、奇妙な心地よささえあった。
やがて、セーラがふと顔を上げた。その真剣な眼差しが、夜の闇を貫いてまっすぐに俺を射抜く。
「なあ、ナオキ」
「……なんだ?」
「あんたさ、フェルムでゲルトの爺さんとのやりとりも、騎士団を壊滅させた時も、瀕死のライアンを助けた時も……まるであたしらの世界の人間じゃないみたいだった」
セーラの静かな声が、焚き火の音に混じって鼓膜を揺らす。
俺の心臓が、どくりと大きく跳ねた。来るべき時が来た、と直感した。
「なのに、だ。あんたはこの大陸の名前も、アステル王国がどこにあるかも知らなかった。まるで、昨日今日この世に生まれてきた赤ん坊みたいに、基本的な常識がすっぽり抜け落ちてる」
彼女の言葉は、俺という存在の歪な部分を的確に、容赦なく抉り出していく。常識外れの有能さと、信じがたいほどの無知。その極端なアンバランスさ。
「……あんた、一体何者なんだ?」
その問いには、侮蔑も嘲りもなかった。ただ、純粋な好奇心と、そして無視できないほどの真剣さが込められていた。
'ごまかしは、効かない。この目からは、逃げられない'
彼女は俺の全てを見透かそうとしている。そして、それだけの権利が彼女にはあった。
俺は小さく息を吐き、観念したように両手を軽く上げた。
「……そうだな。いつかは、話さなきゃいけないと思ってた」
セーラの真っ直ぐな目を見て、俺は覚悟を決めた。
* * *
「これから話すことは、普通に考えたら、到底信じられるような話じゃない。頭がおかしくなったと思われるかもしれない。それでも、聞いてくれるか?」
俺の問いに、セーラはただ黙ってこくりと頷いた。その目は、何が来ようと受け止めてやると、雄弁に語っていた。
「……俺は、この世界の人間じゃない」
夜のしじまに、静かな告白が溶けていく。
セーラの眉がわずかに動いた。だが、その瞳に浮かんだのは驚きの色よりも、むしろ「やはりそうか」とでも言いたげな、納得の色だった。まるで、ずっと考えていたパズルの最後のピースがはまったかのように。
「俺がいたのは、ここじゃない。……全く別の世界だ」
俺は言葉を続ける。自分の声が、どこか遠くで響いているように感じた。
「ある日突然、ここに飛ばされてきた。理由はわからない。どういう仕組みなのかも、さっぱりだ」
「別の、世界……」
「ああ。俺には『マーリーエクスプレス』……通称『マリエク』っていう、ちょっと特殊なスキルがあってな」
俺は一つ一つ、自分の秘密を解き明かしていく。もう後戻りはできない。
「この世界の金貨や銀貨を、俺がいた世界の金に換金できる。そして、その金を使って、俺の世界のあらゆるものを買うことができるんだ。商品は、注文すれば一瞬で、指定した場所に届く」
セーラの目が、わずかに見開かれる。彼女の知る常識の範疇を、完全に超えた話だろう。
「騎士団を無力化したあの煙が出る筒も、ライアンを助けたあの医療機械も、全部その力で手に入れたもんだ。」
「……じゃあ、あのアイテムボックスってのも」
「それも、マリエクの機能が拡張されて使えるようになっただけだ。収納した土砂を放出して壁を作ったり、穴を埋めたり……まあ、応用みたいなもんだな」
俺は自嘲気味に笑った。まるで神のような力だが、所詮は借り物だ。
「それだけじゃない。俺も良く分かってないんだが、信用ランクってのがあって、上がれば、もっと色んなスキルが手に入るらしい。ちなみに今は、ランクCだ。ライアンを助けた時の医療知識も、そうやって買ったものだ。俺は医者でも何でもない」
俺の告白に、セーラはしばらく黙り込んでいた。ただ、燃え盛る炎を見つめている。やがて、ふっと息を漏らすように笑った。
「……なるほどな。道理で、あんたのやる事なす事、めちゃくちゃなわけだ」
その声には、怒りも、失望も、恐怖もなかった。
「つまり、あんたは、ただ『異世界の品』とやらで、あたしたちを助けてたってことかい。……はっ、笑える話だ」
「笑ってくれて、助かるよ」
「別に、笑っちゃいないさ。むしろ、腑に落ちた」
セーラはそう言うと、剣の柄から手を離し、腕を組んだ。
「あんたの正体が何であれ、あんたがあたしたちを救ってくれた事実は変わらない。グルフの連中も、ライアンも、そして……あたしもだ。……それで、十分だ」
その言葉は、俺がずっと心のどこかで求めていた、救いそのものだった。誰かに受け入れてほしいという、見捨てられた世界で失くしたはずの感情。それが静かに満たされていくのを感じた。
* * *
俺の告白が終わると、今度はセーラがぽつりと口を開いた。
「……あんたが、そこまで話してくれるんなら、あたしも話さなきゃフェアじゃないな」
俺は黙って、彼女の次の言葉を待った。焚き火の炎が、彼女の横顔を赤く照らしている。その表情には、今まで見たことのない影が差していた。
「あたしにも昔、仲間がいたんだ。血は繋がってなくとも、家族みたいに信じてた連中がな」
それは、俺が知っているセーラからは想像もつかないほど、弱々しく、か細い声だった。
「リーダーのガストン、斥候のキール、治癒術士のリナ……。四人で、いつも一緒にダンジョンに潜ってた。馬鹿話しながら、いつか大物になって、楽隠居するのが夢だったんだ」
彼女は遠い目をして、過去の幻影を追っている。その口元には、かすかな笑みさえ浮かんでいた。
「……でもある日、裏切られた。ダンジョンの奥深くで見つけた、大きな宝を目の前にしてな。たかが金のために、背中から刺されて、深い奈落に突き落とされたのさ」
セーラの声が、微かに震える。楽しかった思い出を語る声から一転、凍てつくような冷たさが宿っていた。
「分け前は、三人の方が多くなる、だとさ。……笑えるだろ? 命を預け合ってきた仲間が、金貨数枚のために、あたしを殺そうとしたんだ。あの時の、ガストンの目が忘れられない」
俺は言葉を失い、ただ拳を握りしめることしかできなかった。人間不信だった俺でさえ、その裏切りはあまりに酷すぎた。
「幸い、奈落の底が水溜りだったおかげで命だけは助かった。けど、心は完全に死んだよ。それからだ。もう誰も信じないと決めて、一人で生きて、一人で死のうと決めた。グルフに流れ着いて、日銭を稼いでは酒を呷る……ただ、死んだように生きてた」
彼女の瞳から、一筋の涙が頬を伝って落ちる。これまで決して見せなかった、彼女の脆い部分が、そこにあった。
「でも、あんたは違った。あんたは……人を助けるために、そのデタラメな力を使った。瀕死のライアンのために、惜しげもなく大金を使っただろ? あたしには……それが、眩しすぎたんだよ」
セーラは腕で乱暴に涙を拭うと、一度だけ鼻をすすった。
「だから、賭けてみることにしたんだ。もう一度だけ……人を信じてみるってな。あんたという、一番訳の分からない男を」
* * *
互いの全てを曝け出した夜が明けた。
俺とセーラの間に流れる空気は、昨日までとは明らかに違っていた。用心棒と依頼人という乾いた契約関係ではない。もっと深く、確かなもので結ばれた、共犯者のような、あるいは戦友のような、不思議な連帯感が生まれていた。
フェルムへと続く街道を、二人並んで歩く。
セーラの足取りは、心なしか昨日よりも軽く見えた。時折俺に向ける視線にも、棘がすっかり抜け落ちている。
しばらく無言で歩いていたが、不意にセーラが口を開いた。
「なあ、ナオキ」
「ん?」
「あんたが話してくれた、その……マリエクだっけか。あれで買えるもんがあるってことは、あんたの世界じゃ、それが普通に売ってるってことだよな?」
「まあな。もっと凄いものも、当たり前のようにたくさんある」
俺の答えに、セーラは子供のように目を輝かせた。その表情は、俺が初めて見る、年相応の無邪気なものだった。皮肉屋の傭兵の仮面が剥がれ落ち、素顔が覗いている。
「じゃあ、教えてくれよ」
彼女は期待に満ちた目で、俺の顔を覗き込む。
「あんたの世界ってのは、一体どんなところなんだ?」
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