第2話 寂れた宿場町と最初の「取引」
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森を抜けると、不意に視界が開けた。
地平線の先に見えていた光は、もはや幻ではない。土埃が舞う道の先に、確かに人の営みが見える。
'着いた……!'
半日近く歩き続けた足は棒のようだったが、疲労よりも安堵が勝る。これでようやく、獣の気配に怯えながら夜を明かす生活から抜け出せるのだ。
「……ん?」
だが、町に近づくにつれて、胸に抱いた淡い期待は急速にしぼんでいった。
遠目には活気ある灯りに見えたものは、まばらに灯る松明やランプの、か細い光の集まりに過ぎない。
門と呼ぶには粗末すぎる木の柵をくぐり、俺は愕然として立ち尽くした。
「なんだ……ここは……」
そこは、町というより打ち捨てられた集落だった。
土壁は剥がれ落ち、骨組みが剥き出しになった家々。道の両脇にはゴミが散乱し、淀んだ水の匂いが鼻を突く。すれ違う人々は皆一様に痩せこけ、その目に光は宿っていなかった。
'冗談だろ……'
希望が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちる。
活気あふれる市場? 冒険者で賑わう酒場? 笑わせる。目の前にあるのは、死を待つばかりの寂れた宿場町じゃないか。
とんでもない極貧困の町だ...。
「こんな場所で、金が稼げるわけない……」
絶望が、再び心を黒く塗りつぶしていく。
パワハラ、裏切り、離婚……そして異世界転移の果てが、この掃き溜めか。希望を見せられては叩き落とされる。俺の人生は、結局その繰り返しだ。
'もう、どうでもいいか……'
人間は信じない。このスキルだけが頼りだと思ったが、それも金がなければただの絵に描いた餅。この死んだ町で金を稼ぐなど、不可能に思えた。
力なく道端に座り込むと、一人の老婆が汚れた布を被った顔で俺を睨みつけ、舌打ちをして去っていく。物乞いとでも思われたらしい。
誰からも歓迎されず、必要とされない。元の世界と何も変わらない。
俺は乾いた笑いを浮かべ、硬い土の地面に拳を一度だけ、無力に叩きつけた。
* * *
どれくらいそうしていただろうか。
ぎゅるる、と腹の虫が盛大に鳴った。情けないほど、現実的な音だった。
'……腹は、減るか'
死のうが生きようが、腹は減る。喉も渇く。生きている限り、この生理的欲求からは逃れられない。
俺は重い腰を上げ、再び町を歩き始めた。今度は、絶望に浸るためではない。
'どうすれば、このクソみたいな状況で金を稼げるか'
思考を強制的に切り替える。
この町に金がない。活気もない。それは事実だ。
だが、人が生きている以上、そこには必ず「需要」がある。問題は、それが何かを見極めることだ。
俺は幽霊のように町を徘徊し、住民たちを観察し始めた。
井戸端で、錆びた包丁を懸命に研いでいる主婦。
何度も繕われ、もはや元の色がわからない服を着た子供たち。
荷馬車の壊れた車輪を、すり減った工具で叩いている老人。
彼らに必要なものは、なんだ?
伝説の剣か? 一攫千金の宝の地図か?
違う。
'生活必需品だ'
彼らが切実に求めているのは、もっと身近で、ありふれたもの。
よく切れる包丁。丈夫な裁縫針と糸。料理の味を格段に引き上げる、まともな「塩」。
どれも、俺のいた世界では百円ショップで手に入るような代物だ。
だが、この世界では?
'もしかしたら……'
金がないのではない。質の良い品物が、この町に流通していないだけではないのか?
もしそうなら、俺の『マリエク』は、とてつもない力を発揮する。
「……よし」
最初のターゲットは決まった。
俺は、先ほど見かけた修理工の老人の元へと向かう。
粗末な作業場の軒先で、老人はひび割れた木槌を片手に、苦々しい顔で車輪と格闘していた。時折、左手で右の手首をさすり、苦痛に顔を歪めている。その手元にある工具は、どれも使い古されて原型を留めていない。
'最初の客だ'
俺は息を一つ吐き、老人に声をかけた。
* * *
「じいさん。そのノミ、刃が死んでるな。仕事、捗らないだろ」
俺の声に、老人は訝しげな顔を上げた。汚れた作業着を着た見知らぬ男を、値踏みするように睨みつけてくる。
「……あんた、誰だね」
「ただの通りすがりだよ。それより、もしあんたのそれより百万倍はマシな道具があったら、どうする?」
俺は老人が持つ、先が潰れて丸くなったノミを指さして言った。老人はバツが悪そうに舌打ちをする。
「うるせえ。余計なお世話だ」
強がる言葉とは裏腹に、その顔には疲労と焦りの色が濃く浮かんでいる。
「口ではそう言っても、その手じゃまともに力も入らないんじゃないか? 俺が持ってる『逸品』と、あんたのその古い道具を交換してやると言ったら?」
俺は老人の右手をちらりと見て言った。もちろん、俺の懐にそんな便利な道具はない。マリエクの残高もゼロだ。
これは、ただのハッタリ。だが、確信はあった。
「……逸品だと? 見せてみろ」
「タダで見せるわけにはいかないな。価値がわかる人間にしか見せんことにしてる。もちろん、ただとは言わん。あんたの道具一式と、銅貨を数枚。それでどうだ?」
俺のふてぶてしい態度に、老人の目が疑念に細められる。
「現物も見せずに金を取ろうってのか。ふざけるな、詐欺師め」
「詐欺師なら、こんな寂れた町に来るかよ。もっと儲かる場所へ行くさ。いいか、じいさん。これはチャンスだ。俺はすぐにこの町を出る。このチャンスを逃すか、掴むか。あんた次第だ」
俺はそう言って踵を返し、その場を去るふりをした。
「俺は構わんぞ。他の奴に声をかけるだけだ」
老人の息を呑む音が聞こえた。
俺が数歩歩いたところで、背後から絞り出すような声が飛んでくる。
「……待て!」
振り返ると、老人は悔しそうに顔を歪め、自分の手と修理途中の車輪を交互に見ていた。
「……これを今日中に届けねえと、孫の薬代にもならねえんだ。……わかった。見せてみろ。だが、つまらん物だったら承知しねえぞ。銅貨三枚でどうだ」
'やはり、何か事情があったか'
俺は内心でほくそ笑み、首を横に振る。
「五枚だ」
「……っ、四枚! それが限界だ!」
「いいだろう」
取引は、成立した。
老人は渋々、腰の革袋から銅貨四枚と、ガラクタ同然の古い工具一式を差し出す。
俺はそれを受け取ると、同時に、『マリエク』を起動する。
そしてステータス画面を開き銅貨を入れた。
【残高:400円】
'よし……!'
俺は心の中でガッツポーズをした。
検索窓に目星をつけておいた商品名を打ち込み、購入する。
【家庭用ノミ:100円】
【購入しますか? YES / NO】
'YESだ!'
俺は老人に背を向け、懐を探るふりをしたまま、購入ボタンに意識を合わせた。
ポンッ、という軽い音と共に、懐の中に見えない手ごたえが生まれる。俺はそれを、最初から持っていたかのように自然に取り出した。
「ほらよ。約束の『逸品』だ」
俺が差し出したのは、鋭い鋼の刃を持つノミだった。老人はそれを訝しげに受け取る。
「こ、これは……ノミ、なのか?」
「ああ。あんたのそれより、百万倍はマシなノミだ」
俺は老人の手からそのノミをひょいと受け取り、その辺に落ちていた木片を拾う。そして、刃先を軽く木片に当て、力を込めずに押し出した。スッ、と抵抗なく刃が木に食い込み、綺麗な木屑が滑り落ちる。
「……なっ」
老人が息を呑んだ。
自分のボロボロのノミでは何度も木槌で叩かなければならなかった作業が、いとも簡単に行われたのだ。その目は、信じられないものを見るように見開かれている。
俺はニヤリと笑い、そのノミを老人に手渡した。
「ついでに、この辺りのことを少し教えてくれ」
老人はまるで宝物のようにそれを受け取り、恍惚とした表情で眺めながら、尋ねるままに答えた。
「この町の名前は?」
「……涸れ谷のグルフだ。見ての通り、寂れた宿場町さ」
「なぜこんなに寂れているんだ?」
「新しい街道が山の向こうにできてな。今じゃ、ほとんどの商隊はそっちを使いやがる」
手に入れた情報はわずかだが、価値はあった。
俺は老人に背を向け、その場を去る。背後から「あんた、一体何者なんだ……」という呟きが聞こえたが、振り返らなかった。
'人助けじゃない。ビジネスだ'
「人は信じない。だが、対価は裏切らない。」
自分にそう言い聞かせる。
手にした銅貨はもうないが、マリエクの残高は300円。そして、ガラクタとはいえ鉄くずを手に入れた。
これは、ただの利益じゃない。俺が生き抜くための確かな元手だ。
高評価して頂ければ幸いです。




