第18話 起死回生の黒胡椒
第18話 起死回生の黒胡椒
フェルムの活気は、まるで麻薬のように俺の心を高揚させた。
これだけの人がいて、これだけの物が行き交う。グルフで思い描いた転売計画は、ここでなら間違いなく成功する。俺はそう確信した。
「まずは市場調査だな」
俺は仲間たちと一旦別れ、一人で大通りに面した市場へと向かった。
確かに門番が言っていたように、咳をする人を何人か見た。
そんな人々が色とりどりの野菜や果物、革製品、素朴な陶器。そして、鍛冶屋が作ったであろう鉄製の道具を売買していた。
どれもグルフのそれとは比べ物にならないほど品質が良い。
'例えば、この鉄鍋。グルフに持ち込めば、飛ぶように売れるだろうな'
年季の入った鉄鍋には、銀貨二枚という値札がつけられている。グルフの連中が現金を持っていないという現実に一旦目を瞑り、俺は思考の中でマリエクを起動し、似たような品質の鉄鍋を検索した。
[検索結果:鋳鉄製キャンプ用ダッチオーブン 20cm 3,500円]
一瞬、頭に血が上りそうになったが、俺はすぐさま冷静さを取り戻す。
'待て……。銀貨二枚は、マリエクのレートで2,000円。このダッチオーブンの原価は3,500円……赤字じゃないか!'
危うく浮かれて買い占めるところだった。額から冷や汗が流れる。
一つの失敗で焦ってはいけない。俺は気を取り直し、隣の店に目を移した。丈夫そうな麻布が一反、銀貨一枚で売られている。
'麻布……原価はいくらだ?'
マリエクで検索すると、数百円程度のものが見つかる。その向かいの武具屋では、実用本位のナイフが銀貨三枚。これもマリエクで調べると、原価は数百円だ。
'こっちならいける!'
この世界での銀貨一枚の価値は1000円相当。鉄鍋のことは忘れよう。麻布やナイフなら、手数料を考えても数倍の利益が見込める。
「ふぅ……なんだ、焦らせやがって」
借金返済の道筋が再び見え、思わず安堵のため息が漏れた。
その瞬間だった。俺の思考に、無慈悲なウィンドウが割り込んできたのは。
[信用ランクE ペナルティ: 商品購入時の高額送料の発生 (ランクE: 1点毎に10,000円)]
「……あ」
俺の思考が凍りついた。
麻布一反、数百円。それに送料が10,000円。
ナイフ一本、数百円。それに送料が10,000円。
何を仕入れようと、原価に10,000円という馬鹿げた足枷がつくのだ。
これでは、どれだけ高く売れたとしても利益など出るはずがない。売れば売るほど赤字が膨らむ一方だ。
'……頓挫、か'
さっきまで輝いて見えた市場の活気が、急に色を失い、意味のない喧騒へと変わる。
天国から地獄へ。そのあまりの落差に、俺は眩暈を覚えて立ち尽くした。返済期限は、残り七日。
* * *
絶望的な状況の中、俺は必死に思考を巡らせた。
'何か、何かあるはずだ'
送料10,000円のペナルティ。それを乗り越えられるほど、圧倒的な利益率を持つ商品。
この世界では手に入らないか、極端に高価だが、元の世界ではありふれていて安価なもの……。
'歴史……そうだ、歴史だ'
俺は、学生時代にかじった歴史の知識を必死で手繰り寄せる。
大航海時代。コロンブスやマゼランが、命の危険を冒してまで手に入れようとしたもの。ヨーロッパの貴族たちが金と同じ重さで取引したという、あの黒い粒。
「……香辛料」
そうだ、黒胡椒だ。
この世界でも貴重なはずだ。味付けのバリエーションなどたかが知れている。そこに、黒胡椒のような強烈な風味と香りを持つ香辛料が現れたら……どれほどの価値を持つだろうか?
俺は市場の喧騒をかき分け、高級そうな食材を扱っていそうな店を探した。
やがて、大通りから一本外れたひっそりとした佇まいの店を見つけた。店の中には乾燥した薬草や、見たこともない木の実が並んでいる。
「すみません。香辛料を探しているんですが」
カウンターにいた人の良さそうな老店主が、俺の姿を値踏みするように一瞥し、やがて口を開いた。
「香辛料ねえ。色々あるが、あんたさんが探してるのはどんなもんだい?」
俺は恐る恐る聴いてみる...
「例えば……黒胡椒とかは?」
その言葉を聞いた瞬間、店主の目がわずかに見開かれた。
「旦那、ご冗談でしょう。黒胡椒だなんて、そんな代物、このフェルム広しといえど、まともに扱っている店はありゃしませんよ」
「……ないんですか?」
「ああ。たまに南の国から隊商が命懸けで運んでくることもあるがね。着いた途端、貴族様か大商人がすぐに全部買い占めちまう。俺たちみたいな小物が扱える代物じゃないのさ」
店主は、まるで夢物語でも語るように続けた。
「指先ひとつまみで銀貨十枚でも買えれば安い方さ。なにせ、料理の味を劇的に変える『黒い魔法の粉』だからな」
'指先ひとつまみで、銀貨十枚……!'
銀貨十枚は10,000円。
俺は店主に礼もそこそこに、店の外へ飛び出してマリエクを起動した。
'検索、黒胡椒!'
[検索結果:S&C テーブルコショー 20g 200円]
[検索結果:CABAN ブラックペッパー グラウンド 100g 600円]
[検索結果:CABAN業務用 ブラックペッパー 1kg 5,000円]
'……あった!'
原価は数百円から数千円。それがこの世界では、何十倍、何百倍もの価値になる。送料10,000円を差し引いても、まだ莫大な利益が生まれる。絶望の闇の中に、確かに一筋の光が見えた。
俺は覚悟を決め、マリエクのウィンドウに意識を集中させる。
'CABAN業務用 ブラックペッパー 1kgを、購入する!'
[購入確認]
[商品: CABAN業務用 ブラックペッパー 1kg]
[商品代金: 5,000円]
[信用ランクE:送料: 10,000円]
[信用ランクE:追加融資手数料20%: 3,000円]
[- 転送機能の遅延、及び失敗率の上昇 (現在ランクE: 50%)]
[合計消費額: 18,000円]
'クソが……。だが、やるしかない!'
俺は強く『購入』を念じた。
しかし、手に重みが生まれることはなかった。代わりに、非情なシステムメッセージが目の前に点滅する。
[転送に失敗しました。商品はロストしました。]
「は……?」
全身から血の気が引いていく。18,000円。一瞬にして、18,000円分の借金がただの電子の藻屑と化した。
'そうだ……ペナルティ……転送失敗率50%……!'
完全に忘れていた。いや、希望的観測で無視していた。成功率50%ということは、失敗率も50%。コイントスと同じだ。
息が詰まる。心臓が嫌な音を立てて脈打つ。
だが、ここで諦めるわけにはいかない。もう一度だ。
'もう一度……CABAN業務用 ブラックペッパー 1kgを、購入する!'
再び、ウィンドウに同じ内容が表示される。
[合計消費額: 18,000円]
これが失敗すれば、借金は合計でプラス36,000円。背筋が凍る。
'頼む……頼む……!'
俺は祈るように『購入』を念じた。
ウィンドウが明滅する。そして――
[転送に失敗しました。商品はロストしました。]
「……っ!」
声にならない呻きが漏れた。膝から崩れ落ちそうになるのを、必死でこらえる。
冗談じゃない。二回連続の失敗。借金はすでに36,000円。さらに元の借金11,200円を合わせれば、合計47,200円。
返済期限は六日。もう後がない。
'……これが、最後だ'
俺は震える手で、三度目の購入操作を行う。
'頼む……!'
全ての神経を指先に集中させるかのように、強く、強く『購入』を念じた。
今度こそ、ずしり、と左手に確かな重みが生まれた。
見慣れた銀色と青っぽい色のブランドの袋。その感触に、俺は全身の力が抜けるのを感じた。
'成功……した……'
借金は合計65,200円に膨れ上がっていた。とてつもない額だ。だが、今は目の前の『黒胡椒』が全てだった。
「配送遅延の効果が出なかっただけ良しとしよう」そう前向きに捉え
俺はそれを懐に隠し、ふらつく足で、再び老店主の店へと向かった。
「これで配送に六日以上かかるってなったら、本当にヤバかった...。」
* * *
「旦那、またあんたかい。黒胡椒は無いと言ったはずだが」
店主は訝しげな顔で俺を見る。
「ええ。無いのはわかっています。だから、売りに来ました」
俺はそう言って、懐から小さな革袋を取り出し、カウンターの上に黒胡椒を数粒、こぼしてみせた。
店主の目が、カッと見開かれる。
「なっ……こ、これは……!」
彼は震える指で一粒をつまみ上げ、まじまじと観察し始める...。次の瞬間、驚愕と恍惚が入り混じった表情で絶句した。
「……本物だ。間違いねえ、『黒胡椒』だ……! ど、どこでこれを!?」
「それは言えません。それより、買ってくれますか? 指先ひとつまみで銀貨十枚、でしたか?」
俺が不敵に笑うと、店主の顔から血の気が引いた。
「ま、待ちなされ! そりゃ貴族様に売る時の値段だ! いくらなんでも……」
「では結構です。このまま領主様のお屋敷にでも持ち込んでみますので」
俺が背を向けようとした瞬間、店主はカウンターから身を乗り出して俺の腕を掴んだ。
「わかった! わかったから! 商談をしようじゃねえか! どれだけあるんだい!?」
その必死の形相に、俺は口の端を吊り上げる。懐から1kgの袋を取り出し、ドン、とカウンターに置いた。
店主は、信じられないものを見る目で袋と俺の顔を交互に見比べ、やがてゴクリと喉を鳴らした。
「……金貨、十枚。いや、十五枚だ! これが俺に出せる限界だ!」
'金貨十五枚……! 日本円にして、150万円か!'
最初の取引としては上々すぎる。俺は満足して頷いた。
「交渉成立ですね」
店主は奥から金貨の入った重い革袋を持ってきた。俺はそれを受け取ると、店の外へ出る。
借金はまだ残っているが、ひとまずの軍資金と、何よりこの世界で稼げるという確かな手応えを得た。
「これだよ、これ。最初の村、グルフが難易度高すぎ、ヘルモードすぎる....。」
* * *
仲間たちと合流すべく指定された宿屋『銀の人魚亭』に着くと、食堂は夕食時でごった返していた。
その一角で、仲間たちがテーブルを囲んでいる。
「ナオキ、こっちだ!」
セーラがエールのジョッキ片手に手招きする。テーブルの上には簡単な料理が並んでいたが、彼らの表情は市場で別れた時よりも少しだけ現実を帯びていた。
「ナオキさん、聞いてください」
俺が席に着くと、ゴードンが少し沈んだ、しかし諦めてはいない目で口を開いた。
「薬屋で話を聞いてきました。妻の病に効く薬はとても貴重だそうですが、確かにこの町にあるそうです。……ですが、金貨が一枚は必要だと。今の僕には、夢のまた夢です」
その言葉に、場の空気がわずかに重くなる。セーラもライアンも、慰めの言葉が見つからないようだ。
「そうか。金貨一枚か」
俺は静かに呟くと、懐から革袋を取り出し、テーブルの上に金貨を置いた。
ゴトン、重々しい音を立てて、金貨がテーブルに現れる。
「「「なっ……!?」」」
三人が、信じられないといった顔で固まった。
「ゴードン。これで足りるか?」
俺は金貨を一枚、彼の前に滑らせる。
「あ……あ……」
ゴードンは震える手で金貨に触れ、やがてわっと泣き崩れた。
「おい、ナオキ! てめえ、どっからこんな大金を……まさか、盗んできたんじゃねえだろうな!」
セーラが椅子を蹴立てるようにして立ち上がり、俺の胸ぐらを掴む。
「稼いだんだよ。俺なりのやり方でな」
俺はセーラの腕を静かに外し、彼女とライアンの前にも金貨を一枚ずつ置いた。
「これは、グルフからここまで来たあんたたちへの報酬だ。」
「……」
セーラもライアンも、目の前の金貨と俺の顔を呆然と見比べている。
俺はそんな彼らを尻目に、席に着くとエールを注文した。
「さあ、飯にしようぜ。腹が減った」
「セーラにも極上の酒を奢ってやるっていっただろ!」
俺が笑いかけると、セーラはふっと息を吐き、乱暴に椅子に座り直した。
「……わけがわからねえ野郎だ、あんたは。だが、まあいい。お言葉に甘えさせてもらうぜ!」
「おい!酒だ!店一番の酒を沢山持ってきてくれ!!」
彼女はニヤリと笑い、金貨を懐にしまい込んだ。
ライアンは、まだ信じられない様子で金貨を見つめている。
「こ、こんな大金……僕が、もらっていいんでしょうか……」
「仕事の対価だ!俺と一緒に来れば「未来」を変えてやるって言っただろ!?遠慮するな。お前の目と、セーラの足がなきゃ、俺たちは今頃森の肥やしだった」
俺の言葉に、ライアンの目に涙が浮かぶ。
だが、目の前には温かい食事と、少しずつ絆を深めていく仲間たちがいる。
こんな人生も、悪くないのかもしれないな。
俺は久しぶりに心からそう思いながら、運ばれてきたエールのジョッキを高く掲げた。
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