第15話 陽動作戦の誤算
こうして、俺の最初の仲間が決まった。
過去から逃げたい臆病な分析官。
過去を忘れたい腕利きの猟師。
そして、過去にすべてを失い、この世界で悠々自適を目指す、俺。
「さて、と」
俺はテーブルに広げられた羊皮紙に目を落とす。バルガスがどこからか持ってきた、町の簡単な地図だ。
「改めて、参謀殿の考えを聞かせてもらおうか」
俺がそう言うと、ライアンはびくりと肩を震わせたが、すぐに意を決したように顔を上げた。その目から、先程までの絶望の色は消えている。
「は、はい…!」
彼は震える手で炭を握り、羊皮紙の上に線を走らせる。その線は、トラウマの記憶をなぞるように、迷いなく『嘆きの岩』の地形を描き出していく。
「まず、敵の待ち伏せ地点は、間違いなくここです。街道が最も狭まる隘路。両側は切り立った崖で、上からの一方的な攻撃が可能になります」
セーラが腕を組み、その地図を鋭い目つきで覗き込む。
「猟師の俺から見ても、最高の狩場だな。獲物は袋のネズミだ」
「はい。だからこそ、奴らは絶対にここに現れる。そして、僕が……僕が逃げた時、敵の指揮官らしき男は、崖の西側、一番視界の開けた大岩の上から指示を出していました」
ライアンの声が、わずかに震える。
「僕がもし奴らの指揮官なら……陽動の荷車が現れた瞬間、まず街道の前後を弓兵で封鎖します。数は……少なくとも、左右の崖に五人ずつ。退路を断ち、確実に仕留めるために」
「ふん。随分と具体的じゃないか」
セーラの言葉には、もはや侮蔑の色はなかった。純粋な感心が滲んでいる。
ライアンはそれに気づく余裕もないのか、さらに言葉を続けた。
「おとりの荷車は、朝日が昇ってから二時間後に出発させます。その時間なら、『嘆きの岩』に差し掛かる時、太陽を背にする形になる。崖の上の敵からは、荷車の細かい部分まで見えづらくなるはずです」
「なるほど。ガラクタだとバレにくくするわけか」
「はい。そして襲撃が始まったら、御者はすぐに荷車を捨てて、東側の崖を駆け上がります。一見、ただの崖に見えますが……」
ライアンは、崖の一点に炭で印をつけた。
「ここに、人が一人やっと通れるだけの獣道がある。臆病だったから……逃げ道だけは、必死で探したんです。奴らは気づいていないはずです」
彼の言葉に、俺とセーラは顔を見合わせた。
'臆病さゆえの観察眼か。これは……勇猛なだけの兵士にはない、最高の武器だ'
「……あんた、本当にあの『裏切り者のライアン』かい?」
セーラが、呆れたように、しかしどこか楽しそうに言った。
ライアンはきょとんとした顔でセーラを見返し、それから俺に視線を移す。俺は静かに頷いた。
「それでこそ、俺が見込んだ参謀だ。よし、作戦はそれでいこう」
俺の決定に、ライアンの目に確かな光が宿る。
「本隊は、おとりの出発から一時間後、この南の森を抜ける迂回ルートで『嘆きの岩』の先を目指します。敵が陽動に食いついている間に、一気に駆け抜ける」
「ああ、わかった」
セーラが頷く。
「だが、その前に一つ確認が必要だ。敵の練度がどれほどのものか、事前に、この目で見ておきたい。斥候は私が行く」
「危険じゃないか?」
「猟師をなめるなよ。獣相手だろうが人間相手だろうが、獲物の品定めは基本中の基本だ」
セーラは不敵に笑い、腰の弓にそっと触れ、現地へ赴いていった。
* * *
夜が更け、木陰亭の食堂が静寂に包まれる頃。
作戦の最終確認を終え、俺たちが息を詰めて待っていると、店の扉が音もなく開き、影のような人影が滑り込んできた。セーラだ。
「……どうだった」
俺が小声で尋ねると、彼女は無言で頷き、水差しを一気に呷る。その表情は険しく、昼間の不敵さは見る影もない。
「おい……どうしたんだ、セーラ」
ライアンが心配そうに声をかける。
「……ライアン、あんたの言った通りだ。いや、それ以上かもしれねえ」
セーラはテーブルに両手をつき、低い声で言った。
「ありゃ、ただの山賊じゃねえ。統率された、私兵団だ」
食堂の空気が、一気に張り詰める。
「『嘆きの岩』の崖の上には、見張り台まで作ってあった。斥候が二時間おきに周囲を巡回し、合図を交わしてる。動きに一切の無駄がねえ。まるで軍隊だった」
「……!」
「指揮官らしき男もいた。月明かりで顔までは見えなかったが、他の連中とは明らかに違う。鎧の質も、立ち姿も……そこらのごろつきとは格が違う」
セーラの報告は、俺たちの想定をわずかに、しかし確実に上回っていた。ライアンの顔が青ざめる。
「やっぱり……僕の考えは、甘かったんじゃ……」
「いや」
俺は首を振った。
「むしろ好都合だ」
「は? 好都合だと?」
セーラが怪訝な顔をする。
「敵が有能で、組織的であればあるほど、陽動は効果を発揮する。奴らは『グルフから出てきた商隊を叩き潰した』という『戦果』を、雇い主に報告する必要があるからな。獲物が目の前に現れれば、見過ごすわけにはいかない」
俺の言葉に、ライアンがはっと顔を上げた。
「そうです……組織だからこそ、命令系統と報告義務がある。襲撃は、必ず行われるはずです」
彼の声には、再び力が戻っていた。
俺はセーラに向き直る。
「作戦は変更しない。予定通り、明朝決行だ」
俺の目を見たセーラは、やがてふっと息を吐き、口の端を吊り上げた。
「……面白え。上等な酒のためだ。付き合ってやるよ」
その夜、俺たちはほとんど眠らずに、夜明けを待った。
* * *
翌朝。まだ薄暗い中、木陰亭の前に一台の荷車が準備されていた。おとり役の荷車だ。
バルガスに連れられてきた御者役の男は、ゴードンと名乗った。四十代半ばだろうか、痩せてはいるが、その目には奇妙な落ち着きがあった。
「……ナオキ、だったな。話はバルガスの旦那から聞いた。この役目、俺にやらせてくれ」
ゴードンは静かに頭を下げる。彼の背後で、バルガスが気まずそうに言った。
「こいつ……女房が重い病気でな。稼ぎもほとんど薬代に消えちまう。もう長くねえ自分に、何かできることはねえかって……」
つまり、死に場所を探している、ということか。
「最善を尽くすが……覚悟できてるのか?」
俺が率直に告げると、ゴードンは穏やかに微笑んだ。
「構わねえ。どうせ、このままじゃ女房を看取ることさえできねえ。だが、あんたの『奇跡』を見た。この町が蘇るって未来に、どうせ尽きる命なら賭けてみてえのさ」
俺は黙ってゴードンを見つめ、隣に立つバルガスに視線を送った。俺の意図を汲み取ったバルガスは、覚悟を決めたように一つ頷くと、懐から銀貨を数枚取り出す。
「前金だ」
バルガスがゴードンに差し出す。
「……!」
ゴードンが驚きに目を見開く中、バルガスは静かに言葉を続けた。
「これは、お前が請け負った仕事への正当な対価だ。決して、命の値段じゃない。生きて帰って、残りの報酬も受け取れ」
バルガスの言葉に、ゴードンは震える手で銀貨を受け取った。彼はそれを固く握りしめると、すぐにバルガスに手渡し返す。
「旦那。これは、女房に……」
「……おう。必ず届けちまうとも」
バルガスは鼻をすすり、ゴードンの肩を力強く叩いた。
ゴードンは俺たちに深く一礼すると、迷いのない足取りで御者台に乗り、ゆっくりと荷車を走り出させた。...
朝日へと向かうその背中は、悲壮なだけではない、確かな覚悟に満ちていた。
****
一時間後。俺とセーラ、そしてライアンは、町の南側にある森の中に身を潜めていた。
息を殺し、じっと待つ。
やがて、遠くの『嘆きの岩』の方角から、甲高い鬨の声と鈍い金属音が風に乗って届いた。
「……始まった」
セーラが短く呟く。
ライアンはごくりと喉を鳴らし、その音に耳を澄ませていた。
「成功です……! 敵は食いつきました!」
作戦通り、敵は陽動に完全に引っかかった。あとはこの戦闘が終わるのを待って、俺たちが駆け抜けるだけだ。
だが。
「……妙だ」
セーラが眉をひそめた。
「戦闘の音が、早すぎる。もう止んだぞ」
確かに、あれだけ盛大に始まった戦闘音は、あっという間に静まり返っている。まるで、一瞬で決着がついたかのようだ。
嫌な予感が、背筋を走る。
「セーラ、様子を見てきてくれ」
「言われなくても!」
彼女は音もなく木々の闇に消える。残された俺とライアンは、息を殺して待ち続けた。
数分が、数時間にも感じられる。
不意に、茂みが激しく揺れ、セーラが血相を変えて転がり込んできた。
「おい、ナオキ! やばいぞ!」
「どうした!」
「奴ら、撤退してねえ! それどころか……こっちに向かって包囲網を広げてやがる!」
セーラの言葉に、俺は最悪の事態を悟った。
崖の上から様子を窺うと、無数の剣や鎧が光に反射してきらめき、街道から外れ、俺たちが隠れるこの森に向かって、じりじりと距離を詰めてくるのが見えた。
'積荷がガラクタだと一瞬で見抜いたのか……! 陽動だと判断した上で、撤退するどころか、逆に俺たち本隊を炙り出すための狩りを始めたというのか!'
こちらの策が、敵の知略によって、俺たちを追い詰める罠へと変わってしまった。
敵の包囲網が、すぐそこまで迫っている。
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