第14話 臆病者の切り札と、神の御業
張り詰めた沈黙が、食堂の空気を支配する。
セーラの燃えるような瞳と、ライアンの絶望に歪んだ顔。バルガスは固唾を飲んで俺たちを見守っている。
交渉は、決裂寸前だった。
その沈黙を破ったのは、意外にもライアンだった。
床を見つめていた彼が、震える声で、しかしはっきりと口を開く。
「……その計画では、全滅します」
「……え?」
セーラが訝しげな声を出す。俺は黙ってライアンの次の言葉を待った。
「フェルムへ荷物を運ぶだけ……山賊が出ても、腕の立つ護衛がいれば切り抜けられる……そう考えているなら、甘い」
ライアンはゆっくりと顔を上げた。その目には、恐怖と奇妙なほどの確信が宿っていた。
「奴らの狙いは、積荷じゃない」
「……どういうことだ?」
「グルフから出てくる、新しい商売の芽を……徹底的に潰すことです。二度と立ち上がれないように」
食堂の空気が凍りつく。バルガスの顔から血の気が引いていくのがわかる。
「……なんでお前がそんなことを知ってる」
セーラの低い声には、もはや怒りではなく純粋な疑問が滲んでいた。
ライアンは自嘲するように唇を歪め、自分の過去を抉り出すように語り始める。
「俺が……仲間を見捨てて逃げた時……聞いたんです。茂みに隠れて、震えながら……」
彼の声は、記憶の恐怖に再び震え始める。
「山賊どもは、奪った積荷のほとんどをその場で燃やしていました。価値のあるものだけ懐に入れ……あとは全部。奴らは笑いながら言っていました。『フェルムの旦那方も安心するだろう』と。『これでまたしばらく、涸れ谷から台頭しようと考える馬鹿はいなくなる』って……!」
「……!」
「奴らは、ただの追い剥ぎじゃない。組織です。フェルムの……おそらく、有力な商人が金を払って雇った、私兵のようなものだ」
ライアンは、俺の目をまっすぐに見た。
「だから、無駄なんです。どれだけ屈強な護衛を雇っても。奴らは街道の『嘆きの岩』と呼ばれる隘路で確実に待ち伏せをしています。そこは逃げ場のない一本道。弓兵を配置されたら、荷車ごと蜂の巣にされるだけです」
「……それが、お前が逃げ帰った商隊の末路か」
バルガスが静かに問うと、ライアンはこくりと頷き、再び顔を伏せた。
「俺は……死ぬのが怖くて……一人だけ……」
その言葉は、悲痛な響きを伴って床に落ちた。もはや、誰も彼を「裏切り者」と罵る者はいないだろう。単なる販路開拓は、巨大な敵対勢力との情報戦に変貌していた。
* * *
「……どうなってやがる」
バルガスが、カウンターに突っ伏したまま呻いた。
「そんなデカい話だったとは……。これじゃ、まるで勝ち目がねえじゃねえか」
セーラも腕を組んだまま黙り込んでいる。彼女の表情は険しい。猟師としての経験から、ライアンの言う待ち伏せがいかに絶望的か、理解しているのだろう。
'フェルムの商人ギルドか、利権組合か。新しい競合相手を物理的に排除する。合理的だが、えげつないやり方だ'
だが、俺の口元には、自分でも気づかぬうちに笑みが浮かんでいた。
絶望的な状況。しかし、敵の目的と行動が明確になった。これほどやりやすいことはない。
「ライアン」
俺が声をかけると、彼はびくりと肩を震わせた。
「お前のその情報は、銀貨百枚以上の価値がある」
「……え?」
「敵の狙いが『積荷』ではないのなら、話は早い。奴らが欲しがっている『グルフからの新規参入者が潰された』という事実を、くれてやるんだ。ただし、こちらの被害はゼロでな」
俺はバルガスに向き直った。
「バルガス、銅貨を1枚貸してくれ」
「はぁ? 銅貨1枚? そんなはした金で、一体何ができるってんだ!」
「おとりを作るにも金はかかるんだぞ。馬鹿にしてんのかい」
セーラが吐き捨てるように言う。
「まあ見てろ。これも未来への投資だ」
俺はバルガスから銅貨を受け取ると、意識を『マリエク』に集中させた。検索窓に思考を巡らせる。
'最も安く、最もかさばり、最も無価値に見えないもの……あった。産業廃棄物、ジャンク品詰め合わせ。送料手数料のみ、100円'
俺は迷わず、そのボタンを押した。
「『商品』は、俺が今、発注した」
俺がそう言って何もない空間を指さすと、三人が「何を言っているんだ」という顔で俺を見た。セーラに至っては「いよいよ頭がイカれたか」と憐れむような目をしている。
数秒の沈黙。
その瞬間だった。俺が指差した食堂の隅の空間が、水面のようにぐにゃりと揺らめいた。
「なっ……!?」
バルガスが最初に気づき、目を見開く。空間の歪みから、青白い光が漏れ出し始めた。
「ひっ……!」
ライアンが短い悲鳴を上げ、椅子から転げ落ちる。セーラは瞬時に腰の弓に手をかけ、未知の現象に最大級の警戒を示した。
「ま、魔法……か!? いや、こんな馬鹿げた規模の転移魔法なんて……!」
光は急速に強まり、一同は思わず目を細める。
ズシンッ!!
軋む床と地響きにも似た重い音と共に、光が収束する。後には、巨大な段ボール箱が数箱、忽然と姿を現していた。
「……あ、あ、悪魔の……仕業か……?」
バルガスは巨体を震わせ、へなへなとカウンターにもたれかかる。
ライアンは腰を抜かし、尻餅をついたままカタカタと歯を鳴らしている。
セーラは弓に手をかけたまま、信じられないものを見る目で箱と俺を交互に見つめた。
「……あんた……一体……何者なんだ……?」
俺は三人の反応を意に介さず、段ボールの一つに歩み寄り、その封を破った。中から床にぶちまけられたのは、錆びついた鉄くず、割れたガラス瓶、ボロボロの古着の山。正真正銘のガラクタだった。
三人はさらに混乱する。「こんなガラクタのために、今の奇跡を……?」
「これが、おとりだ。敵はこのガラクタの山を、俺たちの虎の子の財産だと信じて襲うだろう」
「....今は多く語れないが、これは俺のユニークスキルだ」
俺の言葉に、最初に反応したのはバルガスだった。
「ユ、ユニークスキルだとぉ!? おいおい、相棒! それってのは、伝説の勇者様とかが持ってるっていう……!」
バルガスが興奮気味に叫ぶのを、セーラが冷ややかな声で遮る。
「馬鹿言ってんじゃないよ。スキルだかなんだか知らないが、こんな途方もない現象、聞いたこともない。……あんた、本当にただの人間なのかい?」
セーラの鋭い視線が、俺の素性を探るように突き刺さる。
一方、尻餅をついたままのライアンは、震える声で呟いた。
「か、神の……御業……? だから……だからあなたには、『確定した未来』が見えるんじゃ……」
俺は三人の反応を軽く受け流し、ライアンに向き直った。
「お前は、臆病者だ。だからこそ、誰よりも慎重に敵を観察し、分析できる。お前はもう護衛じゃない。この作戦の参謀だ。敵の動きを予測し、おとり部隊の最適なルートとタイミングを割り出せ」
「お、俺が……参謀……?」
ライアンは、自分の耳を疑うように呟いた。その目には、長年彼を縛り付けていた絶望ではなく、戸惑いと、そして微かな光が宿り始めていた。
* * *
俺がライアンと作戦を詰めている間、セーラは腕を組んだまま、ただ黙って俺たちを見ていた。
目の前で起こった人知を超えた現象。そして、あの『裏切り者のライアン』が、過去のトラウマを武器に変え、必死に頭を働かせている。敵の数、装備、指揮系統、そして『嘆きの岩』の地形。臆病さゆえに彼の脳に焼き付いた情報が、今、この作戦の根幹を築き上げていた。
『博打じゃない。確定した未来だ』
俺の言葉が、彼女の頭の中で反響する。
日当銀貨一枚の確実だが退屈な未来と、成功するか不明だが胸が躍るような、このとんでもない計画。どちらが本当に『上等な酒』の味がするか、彼女の中で答えはもう出ていた。
不意にセーラが声を上げた。
「……面白くなってきたじゃないか」
見れば、彼女は腕組みを解き、不敵な笑みを浮かべていた。その目は、大物を見つけた猟師のそれだ。
「あんたのその博打、乗ってやるよ」
「だから博打じゃない!まぁ……いいのか? 成功報酬だぞ?」
「ああ。その代わり、成功した暁には、フェルムで一番高い酒を樽ごと飲ませてもらう。いいな?」
その言葉には、揺るぎない自信が満ちていた。
俺は口の端を吊り上げて、頷いた。
「交渉成立だ」
こうして、俺の最初の仲間が決まった。
過去から逃げたい臆病な分析官。
過去を忘れたい腕利きの猟師。
そして、過去に全てを失い、この世界で悠々自適を目指す、俺。
目的も性格もバラバラな三人の、危険な旅が始まる。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
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