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異世界ネットショッピング  作者: たにやん
第3章 獣人国編

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145/169

第145話 恩と信用

一刻を告げる鐘の余韻が、木造の客室に低く残っていた。


寝台に横になってはいたが、眠れた気はしない。目を閉じるたびに、地下施設の白い壁と、排水路の暗闇が浮かんだ。


体を起こすと、まだ湿った服が肌へ張りつく。歩き通した足は重く、背中も鈍く痛んでいた。


窓際にいたヒルダが外から視線を戻す。ライアンは壁際で荷物を整理しながら、何度も扉へ目を向けていた。バルクは寝台に腰を下ろし、大盾を手の届く位置へ立てかけている。


休んでいるというより、次に呼ばれる時を待っているだけだった。


「腹減ったな」


ヒルダが沈黙に耐えかねたように呟く。


「今それを言いますか」


「減るもんは減るだろ」


ライアンが小さく息を吐いた直後、扉が開いた。


戻ってきたセーラの顔を見て、俺はすぐに立ち上がる。


「リーネたちは?」


「ノーラさんの傷は、薬師が診てくれてる。悪化もしてないわ。ミナとフィルは眠ってる。リーネも、大きな怪我はない」


そこで一度、セーラの言葉が止まった。


「ただ、首の刻印にはまだ嫌な魔力が残ってるみたい。マナが、あとで詳しく調べるって」


「マナ?」


「銀灰色の髪をした獣人よ。リーネと昔から知り合いみたいだった」


ひとまず、全員を生きてガルムまで連れてきた甲斐はあった。


俺が息を吐くと、セーラは迷うように視線を伏せた。


「それから、リーネのことなんだけど」


「やっぱり、普通の立場じゃなかったのか」


門前で聞いた「リーネ様」という呼び方が、頭から離れていなかった。


セーラは頷く。


「リーネは、ガルムを治める大族長の娘なんですって。人間の国でいえば、王女にあたる立場よ」


「王女だぁ?」


ヒルダが素っ頓狂な声を上げた。


「正確には、王女に相当する立場ということでしょう。獣人国と王国では、統治の仕組みも呼び方も異なるはずです」


ライアンが補足する。


バルクはほとんど表情を変えなかった。


「身分は関係ない」


短い言葉だった。


確かに、帝都の檻で震えていたリーネを見つけた時、俺たちは彼女の身分など知らなかった。知っていたとしても、置いていく理由にはならなかっただろう。


だが、ガルム側から見れば話は別だ。


俺たちは、帝国の地下施設から大族長の娘を連れ帰った人間だ。恩人にも、誘拐犯にも、身分を利用して入り込んだ工作員にも見える。


「これからの話は、正確に残しておいた方がいいな」


「残す?」


俺はマリエクを開いた。


証拠を持ち出せなかったことは、何度考えても痛かった。せめて、これから交わす証言まで記憶違いで崩したくはない。


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アイテムボックスから箱を取り出し、中に入っていた黒い小型の機械へ付属の乾電池を入れた。


「また知らない物を出したわね」


セーラが呆れたように言う。


「今度は、話した声をそのまま残す道具だ」


録音ボタンを押し、試しに口を近づける。


「ヒルダは腹が減っている」


停止して再生すると、小さな機械から俺の声が流れた。


ヒルダが目を見開く。


「おい。なんで最初にそれを入れた」


「事実だからだ」


「消せ」


「使い方を覚えてからな」


「今すぐ覚えろ」


張りつめていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。


その時、扉が三度叩かれた。


笑っている時間は終わりらしい。


「入ってくれ」


扉が開き、ラドとマナが入ってきた。護衛の獣人二人は、室内へ入らず扉の外に残る。


ラドは部屋の中央まで進むと、ビーコン全員を見渡した。


そして、静かに頭を下げた。


「リーネ様と、囚われていた同胞たちを救い、ここまで連れ帰ってくれた。まずは、その礼を言う」


マナも隣で頭を下げる。


門前で向けられた警戒とは違う。形だけの礼ではないことが、その声で分かった。


「頭を上げてくれ。俺たちは、できることをしただけだ」


ラドは顔を上げた。


「だが、恩人であることと、信用できるかどうかは別だ」


柔らかくなりかけた空気が、再び引き締まる。


「当然だ」


俺は答えた。


「俺があんたの立場でも、同じことを言う」


ラドの目がわずかに細くなった。


「話が早くて助かる。なら、いくつか確認させてもらう」


「その前に、こっちからも頼みがある」


俺はICレコーダーを机へ置いた。


ラドとマナの視線が、小さな黒い機械へ集まる。


「これからの会話を、この道具で記録させてほしい。後から互いの話が食い違わないためだ」


「記録?」


「声を、そのまま残せる」


俺は先ほどの録音を再生した。


『ヒルダは腹が減っている』


「だから消せって言っただろ!」


今度は本物のヒルダの怒声が、部屋に響いた。


マナが機械へ手を近づけ、目を閉じた。しばらくして、怪訝そうに眉を寄せる。


「魔力は感じないわ。これ、本当に術具じゃないの?」


「俺が扱っている商品の一つだ。詳しい仕組みは商売上の秘密だが、声を記録して、あとから再生するだけの道具だ」


「ずいぶん秘密の多い商人だな」


ラドが言う。


「商人は、仕入れ先を全部話したら食っていけない」


しばらく考えたあと、ラドは頷いた。


「構わない。ただし、記録を俺たちに無断で外へ渡すな」


「分かった」


録音を開始し、机の中央へ置く。


小さな赤い灯りが点いた。


ラドは俺の正面へ座った。


「まず、あんたたちについて聞かせてもらう。ビーコンってのは、王国の組織か」


「いや。俺たち五人で決めた一行の名前だ。俺は商人。セーラ、ヒルダ、バルク、ライアンは仲間だ。王国の兵でも騎士団でもない」


「なら、なぜ帝都にいた?」


来たか。


王命も、マリエクも話せない。だからといって、辻褄を合わせるための嘘を重ねれば、いずれ崩れる。


「王国側の依頼で、帝国の動きを調べていた。詳しい内容は、俺の判断だけでは話せない」


ラドの目が鋭くなる。


「こっちに信用を求めながら、自分たちの目的は明かせないってことか?」


「信用しろとは言ってない。話せる事実を確認してくれと言っている」


ラドは黙った。


マナも俺を見ているが、口は挟まない。


俺は続けた。


「王国で、レナードという男が帝国の密偵だと分かった。侯爵の会計監査官として身分を隠し、その領地を裏から動かしていた男だ」


「帝国まで、その男を追っていたのか?」


「レナードの目的を探ることも、調査の一つだった。帝都で再会した時、奴は帝国兵を従えていた。俺たちは追い詰められ、地下搬送路へ逃げ込んだ。その先で、獣人たちが閉じ込められている施設を見つけた」


「偶然入り込んだ、と?」


「逃げ込む道を選んだのは俺たちだ。だが、その先に施設があるとは知らなかった」


嘘ではない。


ラドは次の質問へ進んだ。


「リーネ様の身分は、いつ知った?」


「ガルムの門で、あんたが『リーネ様』と呼んだ時だ」


「私も、さっき療養所で初めて聞いたわ」


セーラが続ける。


ラドはマナへ目を向けた。マナが小さく頷く。リーネから聞いた内容と一致しているのだろう。


「なら、なぜ彼女たちをガルムまで?」


「帝都を抜けたあとも、俺たちはまだ帝国領の中にいた。王国へ戻る正規街道は検問に捕まる危険が高く、東や南へ進む道も選べなかった。だから北西へ向かい、帝国領北部にあるという獣人の村を探した。その途中でギルザ峡道へ辿り着き、ギルザの長から、怪我人と子供を休ませるならガルムへ向かえと言われたんだ」


「見返りは?」


「助けた相手から金を取る趣味はない」


ヒルダが鼻を鳴らした。


「こいつは、そういう時だけ金勘定が雑になるからな」


「余計なことを言うな」


「嘘じゃねえだろ」


ラドの表情は変わらない。だが、マナの口元がほんの少し緩んだ。


その後、地下施設で見たものを、順番に話した。


ライアンは施設の構造と規模を説明した。


「収容区画、処置を行う区画、兵の待機場所が分けられていました。一時的な牢ではありません。多くの者を長期間捕らえ、計画的に何かを行うための施設だったと考えています」


セーラは、救出した獣人たちの状態を話した。


「ひどく衰弱していたわ。傷を放置された人もいた。首や体に、不自然な刻印の痕がある人も。子供まで同じ場所に閉じ込められていた」


ヒルダは腕を組んだまま、低い声で続ける。


「異常なまでに強化された狼種の獣人もいた」


ヒルダがそう告げた瞬間、ラドとマナの表情が変わった。


「狼種……?」


マナが息を呑む。


ラドは険しい目でヒルダを見た。


「その獣人に、名はなかったのか?」


「本名は知らねえ。研究記録には、完成検体一号、コードネーム『猟犬』と書かれてた」


「猟犬……」


ラドの声が低くなる。


マナは、信じられないものを見るように首を横に振った。


「まさか……。あの男は、大族長に敗れたあと、姿を消したはずよ」


「知っているのか?」


俺が尋ねると、ラドはすぐには答えなかった。


「かつて、武力で大族長の地位を奪おうとした狼種の獣人がいた。反乱は現大族長が鎮め、その男も直接敗れた。それから先の行方は分かっていない」


「同じ奴かは知らねえ」


ヒルダが腕を組み直す。


「だが、あれは人の命令を理解して、どれだけ傷を負っても止まらなかった。普通の獣人を、帝国が無理やり作り替えたような姿だった」


「その研究記録を、あんたたち全員が確認したのか?」


「ああ。持ち出すことはできなかったが、俺たち全員が読んだ。狼種の獣人を元に、肉体強化と命令刻印を施した完成検体だと書かれていた」


物証は持ち出せなかった。


それでも、俺たち全員が同じ記録を読み、実際に『猟犬』と戦っている。


ラドとマナが思い浮かべた男と、『猟犬』が同一人物なのかは分からない。


だが、もし本当にそうなら、帝国は獣人国の内情を知る者まで手に入れ、兵器へ作り替えていたことになる。


ラドは一つずつ確認し、必要な部分だけをマナへ尋ねた。感情で決めつけるのではなく、証言を重ねて形を作ろうとしている。


「負傷者と子供を連れて逃げれば、追手から逃げ切れない可能性もあったはずだ」


ラドがバルクを見る。


「なぜ、全員を連れてきた?」


バルクはラドを見返した。


「助けると決めた」


それだけ言い、口を閉じる。


ラドはしばらくバルクを見ていたが、それ以上は尋ねなかった。


やがて、話はレナードへ戻った。


「その名前なら、俺たちにも心当たりがある」


ラドの言葉に、俺は姿勢を正す。


「どこで知った」


「以前、南部で帝国兵を一人捕らえた。そいつが持っていた獣人の移送に関する命令書に、レナードという名が記されていた」


「本人の署名か?」


「そこまでは分からない。ただ、命令書の中にその名が記されていた。役職も顔も、当時は特定できなかった」


王国では侯爵の裏にいた男が、獣人国の南部でも名を残していた。


別人とは考えにくい。


「レナードは、王国では侯爵の会計監査官を装っていた。裏では帝国の密偵として動き、侯爵さえ操っていた。帝都では帝国兵を従え、地下施設にも関わっていた」


ラドの目が険しくなる。


「王国だけじゃない。獣人国への工作にも関わっていた可能性がある」


「少なくとも、今出ている情報をつなげればそうなる」


レナードを追ってきたはずの線が、リーネの誘拐とガルム内部の内通者にまで伸び始めている。


録音中の赤い灯りが、机の上で静かに点滅していた。


すべての確認を終えると、ラドはしばらく考え込んだ。


「あんたたちの証言は、リーネ様から聞いた話と、俺たちが把握している帝国側の動きに大筋で一致している」


完全に信じた、とは言わなかった。


それでいい。


「大族長へ報告するまでの暫定措置として、ビーコンの五人をガルムの客人として扱う。武器は今までどおり持っていて構わない。ただし、緊急時を除き、ガルム内では抜くな。住民ともめ事を起こすな。療養所とこの建物、その周辺なら自由に動いていい。それ以外へ行くなら、案内役を付ける」


「ガルムを出るのは?」


「大族長への報告と判断が済むまでは、待ってもらう」


客人という名の、監視付きの滞在だ。


だが、怪我人と子供が安全な場所で休める。今は、それで十分だった。


「分かった。条件を受け入れる」


ラドは静かに頷いた。


「あんたたちが恩人なのは認める。だが、それで警戒を解いたわけじゃない」


「それでいい」


俺は録音を止めた。


小さな赤い灯りが消えた、その直後だった。


扉が強く叩かれる。


ラドが入室を許可すると、外にいた護衛とは別の獣人兵が入ってきた。息は乱れていたが、俺たちを見ると口を閉ざした。


ラドが立ち上がり、兵士のもとへ歩み寄る。


低い声で交わされた報告までは聞き取れなかった。


ただ、報告が進むにつれて、ラドの表情からゆっくりと温度が消えていった。


「間違いないのか」


兵士が緊張した面持ちで頷く。


「この件を知る者を増やすな。記録に触れることのできた者を、気づかれないよう調べろ」


「はっ」


兵士が退出する。


ラドは扉が閉じたことを確認してから、しばらく考え込んだ。


「今の報告は、本来ならあんたたちに話す内容じゃない」


「なら、話さなくていい」


俺が答えると、ラドは首を横に振った。


「だが、リーネ様とあんたたちの安全にも関わる」


ラドは席へ戻らず、立ったまま告げた。


「変更後の巡察路を記した報告書は残っていた。だが、それを受け取った者と回覧先を記した受領簿から、該当する頁だけが切り取られていたそうだ」


誰も、すぐには口を開かなかった。


リーネの巡察路を知り、偽の伝令で彼女を罠へ誘い込んだ者。


その人物へつながる記録だけが、意図的に消されている。


いつ切り取られたのかは分からない。リーネの帰還を知って動いたのか、それより前に証拠を消していたのかも分からなかった。


だが、一つだけ確かなことがある。


帝国へ情報を流した者か、その協力者は、ガルムの記録へ手を伸ばせる場所にいた。


「今の話は、口外するな」


ラドが低い声で言った。


「聞かなかったことにはできる」


俺は答えた。


「だが、忘れるのは無理だ」


ラドは否定しなかった。


ようやく安全な場所へ辿り着いたと思っていた。


だが、違ったのかもしれない。


俺たちは、リーネを守ってくれる場所へ連れ帰ったのではない。


彼女を帝国へ差し出した者が潜む街へ、連れ戻してしまったのかもしれなかった。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


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