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異世界ネットショッピング  作者: たにやん
第3章 獣人国編

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第144話 王女の帰還 ~リーネ視点~ 

ガルムの療養所には、乾かした薬草と新しい木の匂いが満ちていた。


ノーラは窓際の寝台に横たえられ、年配の薬師が右足の傷を診ている。ミナは隣の小さな寝台で、フィルは椅子に座ったまま毛布にくるまり、二人とも深く眠っていた。


リーネはフィルのそばに膝をつき、その手を握っていた。眠っていると分かっていても、指先を離すのが怖かった。


薬師はノーラの包帯を慎重に外し、傷口を覗き込んだ。


「深い裂傷だが、汚れがほとんど残っていない。出血もよく抑えられている。ここまで運んだ者たちは、随分と丁寧に手当てしたようだね」


薬師は包帯の下から現れた白い布を指先でつまみ、セーラへ目を向けた。


「これは、見たことのない布だね。どんな処置をしたんだい?」


「ナオキが持っていた道具を使って、みんなで処置しました。傷は薬液で洗って、この清潔な布を当てています。熱が出た時は体を冷やして、水分を少しずつ取らせました。私は治癒魔法で痛みを和らげた程度です」


「この薬液も、布も、あの商人が?」


「はい」


薬師は白い布を裏返し、感心したように目を細めた。


「傷口に張りついていないし、糸くずも残っていない。これなら汚れも入りにくい。なるほど、よく考えられているね」


それから、セーラへ穏やかに笑いかけた。


「ここまで悪化させずに運んだのは大したものだよ。残っている物があれば、あとで見せてもらえないかい? 後学のために、使い方も詳しく聞いておきたい」


「ナオキの持ち物なので、見せてもいいか確認します」


「もちろん、それで構わないよ」


薬師は助手へ薬湯と新しい包帯を用意するよう告げた。


処置が一段落すると、セーラはリーネたちの元へ歩いてきた。


「二人とも、よく眠ってるわ」


「はい」


「あなたも少し休んだ方がいいわ。ずっと、そのままでしょう」


リーネが返事を迷っていると、セーラは自分の外套を肩へ掛けた。


「今は体を冷やさない方がいいから。使って」


「でも、セーラさんが寒くなる」


「私は平気よ。それより、フィルが起きた時に、あなたまで倒れていたら困るでしょう?」


そう言って、セーラは眠るミナの額に触れた。髪をそっと払い、浮かんでいた汗を拭う。その仕草には、人間と獣人を分ける迷いがなかった。


リーネは肩に掛けられた外套を握った。


最初は、ナオキたちが怖かった。


見たこともない食べ物や道具を次々に取り出し、危険な状況でも迷わず動く。何を考えているのか分からず、親切にされるほど、その後に何を求められるのかと疑った。


けれど、彼らは何も求めなかった。


ミナが歩けなくなれば、セーラが背負った。フィルが足を痛めた時も、全員が立ち止まった。ノーラを運ぶために、バルクとライアンは何度も担架を持ち替えた。ヒルダは危険な道を先に進み、誰かが遅れれば必ず待った。


ナオキは、必要になれば不思議な品を惜しまず出した。


何者なのかは、今も分からない。


それでも、彼らが何をしたのかは、ずっと見てきた。


「どうして」


思わず漏れた声に、セーラが振り返る。


「どうしたの?」


「どうして、そこまでしてくれるんですか。あたしたちは獣人で、ナオキたちとは何の関係もないのに」


セーラは少しだけ目を丸くした。それから、眠るミナを見て、当たり前のことを言うように答えた。


「助けたかったからよ。それじゃ駄目?」


リーネは何も返せなかった。


難しい理由も、立派な言葉もなかった。


ナオキも、きっと同じように答える。


放っておけなかったから。


ただ、それだけだと。


療養所の扉が開いた。


入ってきたのはラドと、もう一人の獣人だった。


白に近い銀灰色の髪を肩の辺りで揃え、首元には小さな石と獣骨を組み合わせた飾りを下げている。細身で落ち着いた佇まいだが、リーネを見た瞬間、その青灰色の目が大きく揺れた。


「本当に、リーネなのね」


「マナ」


名前を呼ぶと、マナは足早に近づいた。抱き締める寸前で止まり、リーネの肩や腕を確かめるように見つめる。


「怪我は?」


「あたしは大丈夫」


「大丈夫な顔には見えないわ」


厳しい声だった。それでも、リーネの肩へ触れた指先は震えていた。


リーネは、ガルムを治める大族長の娘だった。


人間の王国でいえば、王女にあたる立場だ。


大族長の名代として各地の集落を巡り、民の声を直接聞く役目を任されていた。


それが、ナオキたちには伏せてきたリーネの本当の身分だった。


ラドは少し離れた場所に立ち、眠っている子供たちとノーラを確認した。それから、セーラへ視線を向ける。


「ここから先は、獣人国の内情に関わる話だ」


セーラが一歩下がろうとしたが、リーネは首を横に振った。


「セーラさんは、ここにいて。ナオキたちに隠すつもりはないわ。セーラさんにも聞いてほしいの」


ラドはしばらくセーラを見たあと、リーネへ視線を戻した。


「分かりました。無理に全部話す必要はありません。話せる範囲で構いません。あの日、南部巡察隊に何があったんです」


胸の奥が強く縮んだ。


あの日、リーネは護衛隊長と護衛兵、治療役を伴い、大族長の名代として正式な巡察隊を率いていた。


南部では獣人の失踪が相次いでいた。リーネたちは集落を回り、消えた者たちの足取りと帝国兵の動きを調べていた。


「巡察を終えて戻る途中、南部守備隊からの緊急伝令が届いたの」


リーネはフィルの手を握ったまま、ゆっくり話し始めた。


「さらわれた子供たちが、国境近くの古い監視所へ逃げ込んだって。夜明けには帝国兵が来るから、すぐに保護してほしいって書かれてた」


「その伝令を、隊長も信じたんですか」


「うん。伝令書には、大族長の紋章を使った封印があった。月ごとに変わる合言葉も正しかった。それに、前日にガルムへ報告したばかりの変更後の巡察路まで知っていた」


ラドとマナの表情が変わった。


紋章だけなら偽造できるかもしれない。だが、月替わりの合言葉に加え、巡察隊とガルムの一部の者しか知らない経路変更まで漏れていた。


護衛隊長も、偽物だとは見抜けなかった。


「大勢の兵を国境へ動かせば、帝国への侵攻と受け取られる。だから巡察隊だけで監視所へ向かったの」


リーネは護衛隊長と相談し、子供たちの救出を優先した。大部隊を国境へ動かさず、巡察隊だけで向かう。その時は、それが最も危険の少ない選択だと思えた。


「でも、監視所に子供はいなかった」


リーネの手に力が入る。


「中へ入った直後に出入口を塞がれて、煙を流された。鼻も利かなくなって、立っていられなくなった。帝国兵は、最初からあたしたちが来ると分かってた」


護衛たちはすぐに応戦した。


護衛隊長はリーネを裏口へ逃がそうとした。だが、そこにも帝国兵が待ち構えていた。獣人を絡め取る重い網と、魔力を乱す杭まで用意されていた。


「護衛たちは?」


マナが尋ねた。


「分からない。最後に見た時は、まだ戦ってた」


声は震えなかった。


震えないことの方が、リーネには苦しかった。


「荷車の中で目を覚ました時、帝国兵が話してた。監視所を焼いて、巡察隊が全滅したように見せかけるって」


ラドが拳を握る。


「大族長の紋章、月替わりの合言葉、変更後の巡察路。それだけじゃない。全滅を偽装する準備までしていたのか」


誰も続きを口にしなかった。


ガルムの内側から、帝国へ情報を流した者がいる。


それも、大族長の名代であるリーネの行動予定と、南部の警備情報に触れられる者が。


リーネは首筋に手を添えた。そこに残る刻印痕が、皮膚の下で疼いた気がした。


「帝国は、あたしを殺すつもりじゃなかった」


マナの視線が首筋へ向く。


「何をされたの?」


「研究員たちは、捕らえた獣人を強く作り替えて、命令だけに従う兵にするつもりだった」


施設へ運び込まれた獣人の多くは、肉体を強化し、命令刻印で自我を抑えるための実験に使われていた。


けれど、リーネだけは扱いが違った。


「でも、あたしについては、『姿も記憶も残したまま完成させろ』って、研究員たちが話してたの」


マナの表情が強張る。


「どうして、あなただけ……」


帝国が目をつけたのは、リーネの立場と、民から寄せられていた信頼だった。


大族長の名代として南部の集落を何度も訪れ、辺境の部族にも顔を知られている。死んだと思われていた大族長の娘が、姿も記憶も失わずに生還すれば、疑われることなくガルムの中枢へ戻れる。


「術具は近くからしか使えないから、ガルム周辺に工作員を潜ませるって聞いた。その術具で刻印へ命令を送り、南の守りを薄くさせる。大族長を会談へ連れ出して、帝国軍が来た時には内側から門を開けさせるつもりだった」


マナの顔から、僅かに血の気が引いた。


ラドの声は静かなままだった。


「大族長の娘としての姿と信用を残したままガルムへ戻し、外から操って守りを崩すつもりだったのか」


「うん。でも、刻印は完全には定着しなかった。命令に逆らおうとすると体が動かなくなるところまでは効いていたけど、あたしの意思を奪って、命令どおりに動かすことはできなかった」


だから何度も、あの白い部屋へ連れていかれた。


音と振動が響くたび、首筋へ流し込まれる魔力が傷を焼いた。意識を失うまで、同じ命令を何度も繰り返された。


研究員たちは、獣人の種族や体質によって、肉体強化と命令刻印の効き方が違うと話していた。別の獣人たちが次々に運び込まれたのも、帝国に従う強化兵を完成させるためだったのだろう。


ノーラたちも、その実験のために捕らえられた可能性が高い。


リーネを大族長の娘として利用できなければ、最後は他の獣人たちと同じように体を作り替え、戦わせるつもりだった。


リーネだけが施設の最奥へ隔離されていたのは、獣人国を内側から崩すための特別な検体だったからだ。


マナはリーネの首筋へ手を近づけた。触れる寸前で止め、小さく息を吐く。


「まだ、嫌な魔力が残っているわ。すぐ消せるものではないけれど、ここなら調べられる」


「また、あの部屋みたいになる?」


「しない。絶対に、あんなことはしないわ」


マナはきっぱり答えた。


その言葉に、リーネはようやく息を吐いた。


「話してくれて、ありがとうございます。もう十分です」


ラドは、帝国で受けた処置についてはそれ以上聞かなかった。


代わりに、視線をセーラへ移す。


「あの人間たちは、帝都の施設でリーネ様を見つけたんですね」


「うん。ナオキたちが檻から出してくれた」


「人間を、そこまで信用しているの?」


マナの問いかけは穏やかだったが、その奥には警戒があった。


リーネは少し考えてから答えた。


「最初は疑ってた。人間が理由もなく助けるはずがないって。何か裏があるんじゃないかとも思った」


「なら、なぜ一緒に来たの?」


「見ていたから」


リーネは顔を上げた。


「ナオキたちが、何をしたのかを、ずっと見てた」


子供たちへ先に食べ物を渡した。ノーラを置いていくという話は、一度も出なかった。危険が迫っても、誰か一人を囮にしなかった。


「ナオキは、あたしが誰なのか知らなかった。今も、たぶん知らない」


ラドの目が僅かに細くなる。


「それでも、ここまで連れてきたと?」


「うん。あたしだけじゃない。ノーラも、ミナも、フィルも、全員を助けてくれた」


マナは眠る子供たちへ視線を移した。


「人間は、優しく見せることもできるわ」


「分かってる。また傷つくかもしれないことも分かってる」


リーネはセーラを見た。


「でも、言葉だけで信じたわけじゃない。ナオキたちは、途中で何度も逃げられた。あたしたちを置いていくこともできた。それでも、誰も置いていかなかった」


一度、フィルの寝顔へ目を向ける。


「だから、信じてもいいと思ったの」


部屋が静かになった。


セーラは少し離れた場所に立ち、口を挟まずにリーネを見ている。その目が僅かに柔らかくなったのを見て、リーネは急に恥ずかしくなった。


「変な人たちだけど」


思わず付け足す。


「ナオキは危ないことばかりするし、不思議な物を何でも持ってるのに、ちゃんと説明してくれない」


セーラが小さく笑った。


「そこは否定できないわね」


マナの口元も、ほんの少しだけ緩む。


「ずいぶん変わった人間たちね」


「でも、約束は破らなかった」


ラドは静かに目を伏せた。


「分かりました。最初から敵と決めつけるつもりはありません。話を聞いて、自分の目で判断します」


外で低い鐘の音が鳴った。


一刻が過ぎたことを知らせる鐘だった。


ラドは扉へ向かう。


「時間だ。あの人間たちから話を聞いてくる」


「ラド」


リーネが呼び止めると、ラドが振り返った。


「ナオキたちを、怖がらせないで」


「あの連中が、そう簡単に怖がるとは思えませんが」


「そういう意味じゃないの」


「分かっています。少し話を聞くだけです」


リーネは迷ったあと、もう一つだけ言った。


「それから、ちゃんとお礼を言って」


ラドの表情が僅かに止まる。


「それは、話を聞いてからです」


「助けてくれたことは、もう分かってるでしょう?」


「リーネ様」


「ラド」


二人の視線がぶつかった。


先に息を吐いたのはラドだった。


「……分かりました。礼は言います」


「約束して」


「そこまで念を押されなくても、分かっています」


それだけ答えると、ラドは扉を開けた。


マナも後に続こうとしたが、途中でリーネを振り返る。


「話の続きは、また後で聞かせて。刻印のことも、きちんと調べるわ」


「うん」


二人が去り、扉が閉じる。


セーラが隣へ来た。


「何も言わなくて、ごめんなさい」


リーネが謝ると、セーラは首を横に振った。


「話したくなった時でいいのよ。今は、ちゃんと休みなさい」


それ以上は何も聞かなかった。


リーネは再びフィルのそばへ座り、その小さな手を握った。


ガルムへ戻ったことで、止まっていた過去も動き始めた。


自分を罠へ誘い込んだ者が、今もこの街のどこかにいるかもしれない。


怖くないと言えば、嘘になる。


それでも、ナオキたちをこの街へ連れてきた以上、もう守られているだけではいられない。


ラドたちに、ナオキたちが何をしてくれたのかを伝える。


疑われた時は、自分が見てきたことを何度でも話す。


リーネは、ナオキたちがいる客室の方角へ目を向けた。


今度は自分が、あの人たちを守る番だった。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


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