第137話 消えた焚き火跡と休息
今回少し長めです
地図にない道は、道というより、草の隙間だった。
一人なら通れる。二人なら肩が触れる。担架を運ぶには、何度も枝を押しのけなければならない。けれど、完全な獣道ではない。草の倒れ方、土の踏み固められ方、枝の折れ方。誰かが長い間、見つからないように使ってきた道だった。
草を分け入って数分も進むと、背後の丘陵はもう見えなくなった。左右からも頭上からも枝が伸び、視界は緑と湿った影に塞がれる。昨日の雨を吸った土はぬかるみ、一歩ごとに靴底へまとわりついて、夜通し逃げ続けた体からさらに力を奪っていった。
「くそっ、担架が……!」
ライアンの焦った声が漏れる。ノーラを乗せた担架の片側が、地面から突き出た太い根に引っかかったのだ。
「待て。無理に引くな」
バルクが低く制し、担架をわずかに持ち上げる。俺とライアンが反対側を支え、根を越えさせた。それだけの動きで、ライアンの額には汗が滲んでいる。
「……すまない」
担架の上で、ノーラが悔しそうに唇を噛んだ。
「あんたのせいじゃない。道が悪いだけだ」
そう返しながらも、それが気休めにしかならないことは分かっていた。これは負傷者を運ぶための道じゃない。追われる者が、帝国の目から逃れるために、身を潜めて通り抜ける道だ。
「ナオキ、上」
セーラの短い声で見上げると、茨の絡んだ枝が担架の真上を塞いでいた。
「バルク、少し屈むぞ」
「ああ」
バルクとライアンが腰を落とし、担架を低く構える。俺は以前買った折りたたみノコギリをアイテムボックスから取り出し、道を塞ぐ細い枝を切った。硬い枝が折れる音が、湿った森の中に小さく響く。
「音を立てすぎるな」
先頭のヒルダが、振り返らずに釘を刺した。
「分かってる。けど、このままだと担架が通らない」
「……だろうな」
ヒルダはそれ以上言わず、足元の泥と草の倒れ方へ視線を戻した。風の向き、枝の揺れ、鳥の声が途切れる場所。彼女はそれらを拾いながら、俺たちの少し前を進んでいる。
リーネはフィルの手を握り、ぬかるみに足を取られそうな彼を支えていた。
「フィル、こっち。石の上に乗って」
「……うん」
フィルは小さな歩幅でついていく。ミナはセーラの背負子に揺られながら、不安そうに木々の奥を見ていた。
帝都から離れた安堵は、もう薄い。この道の先に本当に希望があるのか。その不安が、湿った空気のようにまとわりついていた。
「休む場所を探す。長くは止まれないが、このままだと先に足が潰れる」
俺が言うと、ライアンは息を整えながら頷いた。
「賛成です。ですが、開けた場所は避けるべきです。道そのものが隠されている以上、休む場所も同じように隠されている可能性があります」
「ヒルダ」
「ああ。探してる」
短い返事のあと、ヒルダは少し先で膝をついた。草をかき分け、地面に残る黒ずんだ粒を指で拾い上げる。
「……ここだ」
そこは大きな岩の陰だった。一見すると、ただの湿った窪地にしか見えない。だが、よく見ると地面がわずかに平らにならされ、灰らしきものが土と落ち葉で隠されていた。岩の裏には、布を結んでいたような擦れ跡もある。
「焚き火の跡か?」
「消してある。雑じゃねえ」
ヒルダは草の根元に残った小さな炭の欠片を見せた。
「雨の前に使われてる。二、三日前かもしれん。帝国兵の野営なら、もっと堂々と跡が残る。けど、獣人ともまだ決めつけるな」
「見つかりたくない誰か、か」
「そういうことだ」
ここなら岩が風を遮る。木々も低く、上から見下ろされにくい。休むには、今までで一番ましな場所だった。
俺はマリエクを開く。
[検索:折りたたみタープ、簡易ポップアップテント、大判ボディシート、大判ウェットタオル、ミネラルウォーター、個包装おにぎり、惣菜セット、カットフルーツ、防臭ゴミ袋]
[検索結果:
折りたたみタープ・ダークグリーン 7,000円
簡易ポップアップテント・目隠し用 8,000円
大判ボディシート30枚入り 4,000円
大判ウェットタオル20枚入り 2,000円
ミネラルウォーター2リットル6本セット 3,000円
個包装おにぎり30個セット 9,000円
惣菜パック12人前・唐揚げ、卵焼き、焼き魚、煮物入り 14,000円
カットフルーツ・野菜スティックセット 5,000円
防臭ゴミ袋・紙皿・割り箸セット 3,000円]
[送料:2,000円]
[合計:57,000円]
【現在の残高:27,169,000円】
周囲から見れば、俺がアイテムボックスから品物を取り出しているようにしか見えない。現れた箱から、まずダークグリーンのタープを取り出す。木と岩の間に低く張り、上から枝と草を軽く乗せた。完全に隠れるわけではないが、遠目には岩陰の茂みに見えるはずだ。
「……アイテムボックス」
ノーラが、思わずというように呟いた。
その反応は、今さら意外でもなかった。この世界でアイテムボックスは、王族や、過去の英雄が持っていたと語られるほど珍しいスキルだ。獣人たちにも、その話は伝わっているのだろう。
リーネも、俺の手元を見たまま固まっていた。
「ナオキは……王族なの?」
「違う」
即答すると、リーネは少しだけ目を瞬かせた。
「でも、アイテムボックスは、王族か英雄に連なる人しか持てないって……」
「俺は王族じゃない。英雄でもない。ただの商人だ」
「ただの商人は、こんな量の荷物を何もない場所から出せないと思うけど」
ノーラの声には、警戒よりも呆れに近い響きがあった。セーラが小さく肩をすくめる。
「慣れるしかないわ。ナオキは、だいたいこういう顔でとんでもない物を出すから」
「おい」
「事実でしょ」
ヒルダがタープの端を押さえながら、短く笑った。
「まあ、今は助かってる。ありがたく使わせてもらえばいい」
本格的に体を洗えるなら、それが一番いい。帝都の地下からここまで、俺たちは泥も汗も、血の匂いも抱えたままだ。
だが、ここで水を浴びるのは無理だ。水音がする。濡れた服は体温を奪う。地面には水の跡が残る。簡易シャワーを使うなら、もっと安全な場所に着いてからだ。
「飯の前に、せめて手と顔だけでも拭く。泥と血の匂いも落とせるだけ落とすぞ」
簡易ポップアップテントを岩陰に立て、布を一枚重ねて目隠しにする。中で着替えるわけではない。泥だらけの手足や顔、首筋を拭くための場所だ。それでも、外から視線を遮れるだけで、ノーラたちの表情が少しだけ緩んだ。
セーラは大判ボディシートとウェットタオルを受け取り、ミナとフィルを先に呼んだ。
「冷たいけど、我慢してね。ごはんの前に、手だけは綺麗にしましょう」
「……水じゃないの?」
ミナが不思議そうに白いシートを見つめる。
「汚れを拭き取る布みたいなものよ。痛くないから大丈夫」
セーラが先に自分の手を拭いて見せると、ミナは少し安心したように頷いた。フィルはリーネの袖を掴んだままだったが、リーネが一緒に入ると、おとなしく手を差し出した。
ノーラの番になると、彼女は少し困ったように俺を見た。
「こんなものまで、アイテムボックスに入っているの?」
「商人だからな」
「その言葉、便利に使いすぎじゃないかしら」
否定はできなかった。
携帯座布団を岩陰に並べ、ノーラと子供たちを冷たい地面から離す。セーラはウェットタオルでノーラの傷口周辺も慎重に確かめた。
「傷は開いてない。でも、揺れた分だけ痛むはずよ」
「ヒールは?」
「少し痛みを和らげるくらいなら。無理に閉じる傷じゃないわ」
セーラは短く詠唱し、ノーラの足に手をかざす。淡い光が一瞬だけ灯り、すぐに消えた。ノーラの眉間の皺が、わずかに緩む。
「……助かる」
「完全に治ったわけじゃないから、動かさないで」
「分かっている」
手と顔を拭いただけでも、空気は少し変わった。服は汚れたままだ。髪も乱れている。だが、泥で固まった指先が動き、頬の汚れが落ちるだけで、人間らしさが少し戻る。
俺は紙皿を広げ、個包装のおにぎりと惣菜パックを並べた。
個包装を開くと、白い米を黒い海苔が包んでいる。醤油の匂いがする唐揚げ。甘く焼かれた卵焼き。小さく切られた焼き魚と、柔らかく煮られた野菜。野菜スティックとカットフルーツも、皿の上に分けていく。派手な料理ではない。だが、泥と血と鉄格子の匂いの中を逃げてきた者たちにとっては、それだけで信じられないほど眩しく見えた。
「……これ、本当に食べていいの?」
ミナが、卵焼きを見つめたまま聞いた。
「ああ。遠慮するな。足りなければまだ出す」
「まだ……?」
ノーラが思わず聞き返す。
「ある。だから、取り合う必要も、誰かに譲る必要もない。ただ、急に詰め込みすぎると体が驚く。ゆっくり腹に入れろ」
セーラが卵焼きを小さく切り、ミナの皿へ乗せる。
「甘いけど、変なものじゃないわ。私も食べたことがあるから」
「甘い……卵が?」
ミナは恐る恐る口に入れた。噛んだ瞬間、目が丸くなる。
「……甘い」
その声は、泣きそうなほど小さかった。
フィルはおにぎりを両手で持ったまま、じっと固まっていた。
「どうした?」
俺が聞くと、フィルは小さく首を傾げる。
「……白いのに、黒い」
「白い方は米だ。穀物だな。黒い方は海苔。海で取れる草みたいなものを薄く乾かした食べ物だ」
「黒い草……食べて大丈夫なの?」
「大丈夫だ。俺も食う」
俺は自分用のおにぎりを一つ取り、先にかじって見せた。ぱり、と海苔が小さな音を立てる。
ヒルダが横から覗き込む。
「外が黒い飯ってのは、なかなか怪しいな」
「言い方」
「でも、匂いは悪くねえ」
リーネも、フィルの手元を見つめながら息を呑んだ。
「こんなに白い穀物も、黒い食べ物も、見たことない……」
「苦手なら、海苔を外してもいい」
フィルは少し迷ってから、小さく首を振った。
「……食べてみる」
おそるおそる一口かじる。しばらく噛んでから、フィルは目を丸くした。
「……甘くないのに、おいしい」
その言葉に、リーネの表情が少しだけ崩れた。自分の分を食べる前に、フィルがもう一口食べるのを見ている。
「リーネも食え。フィルの分も、ミナの分も、ノーラの分もある。足りなければ追加する」
「でも……」
「食べるのも、守るためだ。倒れたらフィルの手も引けないだろ」
リーネは一瞬だけ迷ったあと、小さく頷いた。
「……分かった」
リーネは自分のおにぎりを両手で持ち、ゆっくりとかじった。少し遅れて、喉が小さく震える。
「……あったかくないのに、おいしい」
火も鍋も使っていない。ただ買ったものを並べただけだ。それでも、これは食事だった。生きるために押し込むだけの餌じゃない。誰かと同じものを食べて、少しだけ息をつけるものだった。
ミナは自分のおにぎりを見つめ、黒い海苔の端を指でつついた。
「これ、黒いのに苦くない」
「そこがいいんだ」
「ナオキのアイテムボックス、変なものばかり出てくる」
「食べながら言うな」
その素直な反応に、セーラが小さく笑った。さっきまで張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩む。
ヒルダは唐揚げを一つ口に放り込み、眉を上げた。
「骨がねえ。冷めてるのに硬くもねえ。どういう肉だ、これ」
「鶏肉だ」
「鳥の肉が、ここまで柔らかいのか?」
「調理済みだからな」
「その“ちょうりずみ”ってのが便利すぎるんだよ」
ライアンは卵焼きを箸で割り、断面を真剣な顔で眺めていた。
「卵をここまで均一に焼くには、相当な火加減が必要なはずですが」
「そこを分析するのか」
「職人技です」
「買っただけなんだが」
「買っただけで、この品質ですか」
ライアンが真顔で言うものだから、セーラが小さく吹き出した。ノーラは唐揚げではなく、俺の手元と皿の上の食事を見比べている。
「アイテムボックスに、こんな食事まで入れて持ち歩いているの?」
「商人だからな」
「商人って、そういうものだったかしら」
「俺の場合は、少し変わってる」
「少し?」
セーラが横から口を挟む。
「少し、ではないわね」
「そこは味方しろよ」
「味方として言ってるの。変な人だって認めた方が、説明が早いもの」
「ひどくないか」
「でも、悪い人ではないわ」
セーラはそう言って、俺の紙皿へ唐揚げを一つ乗せた。
「あなたも食べて。まだ十分あるんでしょ?」
「ああ。そこは心配いらない」
「なら、なおさらよ。遠慮してるのはナオキの方じゃない」
返す言葉に詰まり、俺は唐揚げを口に入れた。冷めているのに、醤油と生姜の味がしっかり残っている。
「……分かったよ」
「よろしい」
短いやり取りだったが、ミナの表情がほんの少し緩んだ。フィルも、おにぎりを大事そうに食べている。重い空気の中で、その小さな変化だけでも十分だった。
使ったボディシートや食べ終えた容器、袋は、すぐに防臭ゴミ袋へ入れて口を縛った。匂いを完全に消せるわけではない。それでも、焚き火を起こすよりはずっとましだ。
休息のあいだ、ノーラが焚き火跡を見つめたまま口を開いた。
「帝国領北部には、村名簿から外された集落があるって聞いたことがある」
ライアンが地図を広げ、顔を上げる。
「村名簿から外された、ですか」
「帝国に税を払わない代わりに、存在しないものとして扱われる場所。もちろん、噂よ。実際に見たわけじゃない」
ノーラはそこで一度息を整えた。
「獣人が隠れている村もあるかもしれない。でも、帝国兵に見つかれば村ごと消される。だから、外の人間を簡単には信用しない。獣人同士でも、知らない相手なら警戒するはずよ」
「助けてもらえる、とは限らないわけか」
俺が言うと、ノーラは小さく頷いた。
「むしろ、あなたたちを連れている私たちは、向こうからすれば危険かもしれない」
その通りだった。俺たちは助けを求める側だ。だが、帝国に追われる九人組が隠れ里へ近づけば、その村ごと巻き込む可能性がある。助かりたいからといって、相手の生活を壊していいわけじゃない。
それに、俺たちにはもう一つ決めなければならないことがあった。
ノーラ、ミナ、フィル。そしてリーネ。助け出した以上、この先どこまで連れていくのかを曖昧なままにはできない。
「ノーラ。戻れる場所はあるのか?」
俺が聞くと、ノーラはすぐには答えなかった。ミナは卵焼きの残りを見つめ、フィルはリーネの袖を握っている。
「……分からない。少なくとも、今すぐ戻れる場所はないわ。村が残っているかも、家族がいるかも、分からない」
重い答えだった。
「ミナとフィルは?」
「この子たちに、今それを聞くのは酷よ」
ノーラの声は静かだったが、はっきりしていた。俺は頷く。無理に聞き出す場面じゃない。
「リーネは?」
リーネは一瞬だけ唇を開いた。だが、言葉は出てこない。フィルの手を握り直し、視線を落とす。
「……今は、フィルを離したくないわ」
答えになっているようで、なっていない。けれど、今のリーネには、それが精一杯なのだろう。彼女の沈黙には、ただの迷子とは違う何かがある。今ここで暴くことじゃない。
「分かった」
俺は短く言った。
「まずは安全な場所まで行く。獣人の集落が本当にあるなら、そこで保護先を探す。戻れる場所があるか、行きたい場所があるかは、その後で本人に聞く。俺たちが勝手に置いていくことはしない」
リーネが顔を上げる。ノーラも、わずかに目を細めた。
「……約束できるの?」
「できる範囲ではな。俺たちも逃げている身だ。全部を保証するとは言えない。ただ、ここまで連れてきて、途中で投げ捨てるつもりはない」
それが今言える、ぎりぎりの本音だった。
ライアンが地図の空白を指でなぞる。
「選択肢は三つです。一つ、街道へ戻る。移動は早いですが、帝国兵に見つかる可能性が高い。二つ、道を外れて森へ入る。隠れやすいですが、負傷者と子供には厳しすぎます。三つ、このまま地図にない道を進む。危険はありますが、誰かに接触できる可能性もある」
「結論は?」
「この道を進むしかありません。ただし、村を見つけても正面から踏み込むべきではありません。我々が助かるために、相手の隠れ場所を危険に晒すわけにはいきません」
ライアンらしい、慎重な整理だった。
「接触するなら、逃げ道を残した形で。相手がこちらを拒むなら、それ以上踏み込まない。その前提が必要です」
「分かった」
俺は頷いた。
「助けを求めるにしても、押しかけるわけにはいかないな」
ノーラが俺を見る。その目に、わずかだが警戒とは別の色が混じっていた。信頼と呼ぶにはまだ早い。だが、少なくとも、俺たちが自分たちだけ助かればいいと考えていないことは伝わったはずだ。
休息は長く取れない。俺たちはタープを畳み、座布団とゴミを回収した。焚き火跡は元のように落ち葉で隠す。ここを使った誰かがいるなら、その痕跡を余計に目立たせるわけにはいかなかった。
再び歩き始めてから、森の空気が少し変わった。
道端の木の幹に、浅い三本傷が刻まれている。岩の陰にも、同じ角度の傷があった。それは派手な道標ではない。知っている者だけが、立ち止まって初めて気づく印だ。
「……本当に、続いてる」
リーネが小さく呟いた。フィルの手を握る指に、力が入る。
道はまだ険しい。それでも、ただ闇雲に進んでいるわけではないと思えるだけで、一行の足取りは少しだけ変わった。
三十分ほど進んだ頃だった。
先頭のヒルダが、ぴたりと止まる。
「止まれ」
低い声だった。全員がその場で動きを止める。
ヒルダは武器を抜かない。ただ、片膝をつき、足元の草に指を触れた。露が落ちている。だが、周囲に風はない。少し離れた枝が揺れた。鳥の声が、一瞬だけ途切れる。
「見られてる」
その一言で、空気が固まった。
「どこだ」
バルクが担架の前へ出る。声は低いが、盾にはまだ手をかけるだけだ。
「分からねえ。数も読めん。けど、こっちに気づいてる奴がいる」
セーラがミナを背負子ごと自分の後ろへ寄せ、リーネはフィルの手を引いて一歩下がった。ライアンは地図を畳み、周囲の退路を目で探している。
俺も森を見る。木々の影、濡れた草、低い枝。人影は見えない。だが、ヒルダが言うなら、何かがいる。
「敵意は?」
「殺気はねえ。ただ……見てる。品定めみたいにな」
品定め。その言葉が、妙に引っかかった。
相手はこちらを攻撃できる位置にいる。なのに、そうしない。ただ見ている。道標に従って進む俺たちが何者なのか、確かめているのかもしれない。
俺は仲間たちを手で制した。
「武器はまだ抜くな」
「ナオキ」
セーラが声を潜める。
「相手が獣人なら、こっちが先に構えた時点で終わる」
「帝国兵だったら?」
「その時は、俺の判断ミスだ」
自分で言っておいて、軽い言葉ではなかった。だが、ここで攻撃の意思を見せれば、もし相手が隠れ里の者だった場合、取り返しがつかない。
俺は一歩だけ前に出た。両手を軽く上げ、何も持っていないことを見せる。
「出てこいとは言わない」
森に向けて、できるだけ低く、通る声で言った。
「俺たちは帝国兵じゃない。だが、それを今すぐ信じろとも言わない」
返事はない。枝が一度だけ揺れた。
「怪我人と子供がいる。少しだけ、水場と休める場所を探している。近づくなと言うなら、近づかない。だから、石でも枝でもいい。進んでいい方向だけ教えてくれ」
自分たちは味方だ、とは言わなかった。信じてくれ、とも言わない。相手が逃げる道を塞がないことだけを、言葉にする。
しばらく、何も起きなかった。
森は静かだった。湿った葉から落ちる水滴の音だけが、やけに大きく聞こえる。失敗したかと思った、その時。
カラン。
小さな石が、茂みの奥から転がってきた。
全員の視線が集まる。石は俺たちの足元の少し手前で止まった。表面には、見慣れた三本の傷が刻まれている。
さっきまで進んでいた道の奥ではない。傷の傾きは、左手の谷間を示していた。
「……罠か」
バルクが低く呟く。
「それとも、答えか」
ヒルダは警戒を解かないまま、茂みの奥を睨んでいる。
俺はゆっくりと膝をつき、冷たい石を拾い上げた。三本の傷を指でなぞる。
誰かが、俺たちを見ている。
そして、俺たちを試している。
地図にない道は、まだ俺たちを受け入れたわけじゃない。
ただ、次の一歩だけを示していた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、
ブックマークしてもらえると励みになります!
評価や応援コメントは、とても励みになっています。




