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異世界ネットショッピング  作者: たにやん
第2章 帝国の闇編

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131/135

第131話 檻の外の夜

「行くぞ」


声を出した途端、夜の風が頬を冷たく撫でた。

草地はぬかるみ、ブーツが一歩ごとに重く沈む。地下道とは違う、湿った土と草の匂いが肺に入ってくる。けれど、それを喜んでいる余裕はなかった。


遠くで、帝都の警鐘が鳴り続けている。

背後には帝都の外壁。その下には、俺たちが抜け出してきた地下施設がある。猟犬も、七号も、レナードも、あの闇の中に残っている。


「ヒルダ、先を見てくれ」


「分かってる」


ヒルダは短く答えると、黒いポンチョのフードを深く被り直し、草の影へ滑り込むように先行した。

斥候としての動きは、夜の草地に溶け込むほど静かだった。


ライアンとバルクが、犬種の若い女性を乗せた担架を支える。彼女は荒い息を殺しながら、担架の上で唇を噛んでいた。バルクの左腕は震えている。それでも、担架はほとんど揺れない。背負った黒い大盾が、月明かりを鈍く返していた。


セーラは兎耳の少女を抱き、リーネは狐耳の少年の手を離さない。二人の子供は何度も背後の帝都を振り返り、そのたびに怯えたように肩を縮めた。


石の天井ではない。

頭上には、雲の切れ間から覗く月と、まだ消え残った星がある。

それだけで、俺たちは確かに外に出たのだと分かる。


だが、自由になったわけじゃない。


「伏せろ。灯りが来る」


先行していたヒルダの声が、低く飛んだ。

俺たちはすぐに近くの窪地へ身を沈める。草が頬に触れ、冷たい泥が膝を濡らした。


松明の光が、さっきまで俺たちが歩いていた草地を舐めるように動く。

鎧の擦れる音。馬の鼻息。捜索隊だ。


「……少なくとも二組は動いています」


ライアンが息を殺して呟いた。


「外壁沿いだけではなく、外堀の先まで広がっています。地下から出たところで捕まえるつもりだったのでしょう」


「猟犬は?」


俺が小声で聞くと、ヒルダは背後の暗がりを睨んだまま答えた。


「まだ遠い。けど、長くはない」


長くはない。

それだけで十分だった。


捜索隊の灯りが遠ざかるのを待ち、俺たちは再び動き出した。疲労が足にまとわりつく。犬種の若い女性は担架の上で浅い呼吸を繰り返し、兎耳の少女はセーラの腕の中で震え続けている。狐耳の少年も、リーネに手を引かれなければ倒れそうだった。


休ませないと、夜明けまでもたない。

けれど、止まれば追いつかれる。


その矛盾が、見えない鎖のように俺たちの足を引いていた。


「こっちだ」


ヒルダが手招きする。

彼女が見つけたのは、古い農地の跡に残された崩れかけの石垣だった。人の背丈ほどの高さがあり、風と視線を少しだけ遮ってくれる。


「ここで数分だけ止まる。長居はしねえ」


「助かる」


俺は石垣の影に入り、仲間たちに頷いた。

バルクが担架を静かに下ろす。セーラは兎耳の少女を横たえ、リーネは狐耳の少年を自分のポンチョで包み込むように座らせた。


本物の夜空の下にいる。

それなのに、胸の奥の息苦しさはまだ消えなかった。


* * *


「手当てするわ。まず、この子たちから」


セーラがすぐに動いた。

その声に迷いはない。疲れているはずなのに、倒れ込むより先に手が伸びる。


俺はマリエクを開いた。


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手元に現れた箱を開け、消毒液、ガーゼ、包帯を取り出す。

傷を塞ぐためじゃない。

これ以上、悪くしないための道具だ。


「名前、言える?」


セーラが兎耳の少女に優しく尋ねた。

少女はセーラの服を掴んだまま、震える唇を動かす。


「……ミナ」


「ミナね。大丈夫。今は私に掴まってて」


セーラは携帯浄水ボトルで濾した水に経口補水液を溶かし、ミナに少しずつ飲ませた。一気に飲ませない。むせないよう、唇を湿らせるように。


リーネの隣では、狐耳の少年が膝を抱えていた。

リーネはその手を握ったまま、小さく声をかける。


「あなたは?」


少年はしばらく俯いていたが、やがて蚊の鳴くような声で答えた。


「……フィル」


「フィル」


リーネはその名前を確かめるように繰り返し、少年の手を握り直した。


担架の上の犬種の若い女性は、悔しそうに俺たちを見ていた。

俺が声をかけようとすると、彼女の方が先に口を開いた。


「ノーラだ。……自分で歩けなくて、すまない」


「謝るな。生きてる。それで十分だ」


ミナ、フィル、ノーラ。

名前を聞いた瞬間、胸の中で何かが少し重くなった。

ただ連れ出しただけでは終われない。

この三人が安心できる場所まで運ばなければならない。


俺はノーラの右足に視線を落とした。

腫れ方と出血だけでは判断しきれない。負傷している部分だけに意識を絞り、鑑定を使う。


【右足:挫傷/裂傷あり/骨折なし/洗浄推奨/歩行負荷注意】


「骨は折れてない。けど、無理に歩かせる状態じゃない」


「分かったわ」


セーラは消毒液でノーラの傷を丁寧に洗い、滅菌ガーゼを当てて包帯を巻いた。それから、足首に手をかざす。


「ヒール」


淡い光がノーラの足を包む。

傷が消えるわけではない。腫れも痛みも残る。それでも、荒かった呼吸が少しだけ落ち着いた。


その光が、以前より少しだけ濃く見えた。

気のせいかとも思ったが、セーラの手元に流れる魔力の安定感が、これまでと違う。


俺は思わず、セーラへ鑑定を向けた。


【セーラ】


LV:38

HP:512/530

MP:198/220

攻撃力:245

守備力:185

力:185

素早さ:220

知力:100

運の良さ:110


スキル

・短剣術 LV5

・激励 LV3

・ヒール LV3(NEW)

・心眼 LV1


「……セーラ、ヒールが上がってる」


「え?」


セーラは自分の手を見下ろした。


「言われてみれば……」


セーラは一瞬だけ目を丸くした。

けれど、驚いている場合ではないと判断したのだろう。すぐにノーラの足へ視線を戻す。


「……そうみたい。でも、完全には治せないわ。痛みを少し抑えて、呼吸を落ち着かせただけ。担架は続ける」


「……助かる」


ノーラは短く答え、目を伏せた。

その声には悔しさが残っていたが、もう拒まなかった。


リーネはフィルにアルミブランケットをかけてやる。銀色の面が外へ出ないよう、黒いポンチョの内側に入れ込む。フィルの震えが、ほんの少しだけ小さくなった。


「寒くない?」


「……うん」


リーネは頷き、空を見上げた。

地下の腐臭ではない、土と草の匂いを吸い込むように。

その目が、わずかに潤んでいた。


「外って……こんなに広かったんだ」


誰も、すぐには答えなかった。

その一言だけで、彼女がどれだけ長く狭い場所に閉じ込められていたのか、分かってしまったからだ。


「次はあなた」


セーラが俺の前に立った。


「手と背中。見せて」


「先に全員終わっただろ」


「だから次はあなた」


言い返す余地はなかった。

俺が右手の破れた手袋を外すと、セーラの表情が険しくなる。血と泥と繊維が傷口にこびりついていた。


「……これでよく平気な顔してたわね」


「平気ではない」


「なら、もう少し痛そうにしなさい」


「それはそれで怒るだろ」


「怒るわよ」


短いやり取りの後、セーラは水で傷口を洗い、小さなピンセットで繊維を取り除いた。消毒液が染みて、思わず息が詰まる。


「ヒールで先に塞がなくてよかった。この汚れを閉じ込めたら、あとでひどくなる」


「分かった。任せる」


「最初からそう言いなさい」


セーラは清潔なガーゼを当て、その上から包帯を巻いた。最後に、痛みを散らす程度のヒールを重ねる。傷口は残っている。だが、脈打つような痛みがわずかに引いた。


俺も光属性は使える。

なら、同じことができるのかもしれない。


試しに、右手の傷へ細く魔力を流してみる。

けれど、浮かんだ光は頼りなく揺れただけで、痛みは変わらなかった。


「……駄目だな」


「今それを試す余裕ある?」


セーラに睨まれ、俺は大人しく手を下ろした。


攻撃魔法とは違う。

治す魔法は、ただ光らせればいいわけじゃないらしい。


「背中は?」


「浅い」


「見てから決める」


俺が背を向けると、セーラは裂けた服の隙間から傷を確認し、低く息を吐いた。


「浅いけど、長い。あとでちゃんと洗い直すから」


「了解」


「返事だけは素直ね」


「今は逆らうと怖いからな」


セーラは一瞬だけ目を細めたが、すぐに傷へガーゼを当てた。

怒っているというより、心配している顔だった。


「ありがとう」


俺が小さく言うと、セーラは手を止めずに答えた。


「礼はあとで聞くわ。今は、生きて戻る方が先」


その言い方が、少しだけ胸に残った。


* * *


「来る」


石垣の上で見張っていたヒルダが、低く告げた。

その一言で、空気が変わる。


「猟犬か」


「ああ。匂いの乱れを抜けてきてる。まだ距離はあるが、こっちを選んだ」


やはり、完全には撒けなかった。

あいつはただの獣じゃない。匂いを追うだけではなく、痕跡を選別してくる。


ライアンが地図を広げた。

これまで通った経路と、帝都周辺の記憶を重ねた簡易地図だ。細かいところは空白だらけだが、今はそれだけでも命綱になる。


「選択肢は三つです」


ライアンが声を落として続ける。


「一つ目は南の街道へ出る道。距離は稼げますが、封鎖される可能性が高い。二つ目は東の森です。隠れやすいですが、暗闇で分断される危険があります。ノーラさんたちを連れて進むには厳しい」


「三つ目は?」


「古い農道です。遠回りで道も荒れていますが、巡回の密度は一番低いはずです。担架でも進める幅はあります」


「方角は?」


ライアンは地図の空白部分、帝都の北側を指でなぞった。


「北寄りです。帝都から離れながら、外堀沿いを迂回できます」


その時、担架の上のノーラが小さく息を呑んだ。


「古い農道……」


「心当たりがあるのか?」


俺が聞くと、ノーラは苦い顔で頷いた。


「はっきりとは分からない。でも、帝都へ運ばれた時、正規の街道じゃなかった。車輪の音が、石畳じゃなくて、土の上だった。何度も曲がって、古い畑の匂いがした」


リーネの指が、フィルの手を強く握った。

フィルも顔を伏せる。

どうやら、ただの逃げ道ではなさそうだった。


ライアンが、北へ抜ける農道の先を見つめる。


「帝都の正規街道を避けるための裏道。あるいは、表に出せない荷を運ぶ道……」


言葉の続きは、誰も言わなかった。

それがどこへ続く道なのか、今の俺にはまだ分からない。

ただ、リーネとフィルの反応だけで、普通の農道ではないことは分かった。


「なら、なおさらだ」


俺は立ち上がった。


「今は逃げるために使う。だが、この道は覚えておく」


ヒルダが鼻で笑った。


「逃げながら次の喧嘩の種を拾うなよ」


「拾いたくて拾ってるわけじゃない」


「どうだかな」


バルクが担架の持ち手を握り直す。


「進める」


それだけだった。

その一言で十分だった。


ノーラが俺を見た。


「……私たちのせいで、すまない」


「違う」


俺は即座に首を振った。


「あんたたちを連れてきたのは、俺たちの判断だ。なら、最後まで運ぶ」


セーラが静かに頷く。

リーネも、フィルとミナを見て、小さく頷いた。


「決まりだ」


俺は黒いポンチョを被り直し、右手の包帯を握った。


「夜が明ける前に、北の農道へ入る」


* * *


俺たちは再び動き出した。

アルミブランケットは銀色の面が出ないよう、黒いポンチョの内側に入れ込んでいる。外から見れば、ただの黒い影だ。風で鳴らないよう、養生テープで端を軽く留めた。


ヒルダが先導し、ライアンとバルクが担架を担ぐ。

セーラはミナを抱き、リーネはフィルの手を引く。

俺は最後尾についた。


背後を振り返ると、帝都の灯りが遠くに揺れていた。

あれはもう、街の灯りには見えなかった。

俺たちを飲み込もうとした、巨大な檻の輪郭だ。


警鐘の音は薄れている。

だが、猟犬の気配は消えていない。

見えない鎖のように、背中にかかり続けている。


それでも、俺たちはもう、あの石と鉄の腹の中にはいない。

頭上には本物の夜空があり、隣には信じられる仲間がいる。

そして、俺たちが連れていくと決めた命がある。


ここからは、ただの逃走じゃない。

守りながら引き、次の道を選ぶための撤退戦だ。


夜明けまで、あと数時間。

俺たちは帝都の灯りを背に、北へ続く古い農道の闇へ踏み込んだ。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


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