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異世界ネットショッピング  作者: たにやん
第2章 帝国の闇編

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第129話 横を抜ける

黒い腕具から伸びた鉤爪が、夜の光を受けて鈍く光った。


排出口の鉄格子一枚を隔てた向こうに、猟犬がいる。

背後では、七号が歪んだ扉を叩き続けている。


ゴンッ。


重い音が、廃棄通路の壁を震わせた。

戻る道はない。

前へ出れば、猟犬に狩られる。

止まれば、七号に追いつかれる。


俺は、最初に勝つことを捨てた。

こいつを倒す方法を考えた瞬間、全員が死ぬ。


「……倒すんじゃない」


自分に言い聞かせるように呟く。


「横を抜ける」


セーラが息を呑む気配がした。

ヒルダがこちらを一瞬だけ見る。

ライアンの視線が、鉄格子とその枠を素早く走った。


猟犬は動かない。

だが、その黄金色の瞳は、俺たち全員を順番に見ていた。

兎耳の少女。狐耳の少年。足を庇う犬種の女。盾を構えるバルク。そして、俺の右手。


見られている。

負傷者も、守る順番も、誰が動けば逃走が止まるのかも。


「ライアン、格子の弱いところは」


「右上の蝶番です。錆びて浮いています。下はまだ生きているので、全部は外れません。ですが、片側をこじれば、人ひとり通れる隙間は作れるはずです」


「十分だ」


俺はマリエクを開いた。

戦うための道具ではない。

逃げ道をこじ開けるための、無骨な道具だ。


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小型油圧ジャッキ 12,000円

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ワイヤー入り防獣ネット 8,000円

牽引用ロープ10m 5,000円

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【現在の残高:27,400,000円】


手元に、ずしりと重い金属の塊が現れる。

油圧ジャッキ。平バール。ロープ。厚手の作業マット。そして、金属線の入った防獣ネット。


「ヒルダ、猟犬の初動を見ろ。どこを狙うか教えろ」


「分かってる」


「バルク、格子の前だ。防御を頼む!ただし正面だけ見るなよ。こいつは盾を避けてくる」


「ああ」


バルクはそれだけ言い、黒い大盾を前に出した。

左腕はまだ震えている。それでも、足は引かない。


「セーラ、リーネ。三人を壁際へ。破片が飛ぶ」


「分かった」


セーラは兎耳の少女を抱き寄せる。

リーネは狐耳の少年の肩を抱き、犬種の女も歯を食いしばって壁へ寄った。


「ナオキ、手」


セーラの目が、俺の右手に向く。

手袋の中が、もう湿っていた。


「今は見なかったことにしてくれ」


「できるわけないでしょ」


「じゃあ、あとで怒れ」


「絶対怒る」


その声が震えていた。

俺は答えず、バールを握った。


* * *


ライアンが、鉄格子の右上へ油圧ジャッキを噛ませる。

俺はその下の錆びた枠へ、平バールの先端をねじ込んだ。


「押します」


「合わせる」


ジャッキのレバーが動く。

ミシ、と錆びた金属が嫌な音を立てた。


その瞬間、猟犬が動いた。


「右。腕じゃない、道具だ!」


ヒルダの声が飛ぶ。


格子の隙間から、鉤爪が滑り込んだ。

狙いは俺ではない。ジャッキの根元だった。

これを外されれば、全部やり直しになる。


「来る」


バルクが半歩出る。


ガギンッ!


鉤爪が黒い大盾に弾かれた。

盾は傷つかない。だが衝撃はバルクの体を通り、足元の錆びた鉄板を軋ませた。


「急げ」


バルクの声は低い。

それ以上は言わない。


俺はバールに体重をかけた。

右手の傷が裂ける。手袋の中で、ぬるいものが広がった。


「ナオキ!」


「止めるな!」


叫んだ直後、猟犬の鉤爪が下から走った。

今度は足場を狙っている。


「下!」


ヒルダの声に、バルクが盾を叩き下ろす。

鈍い衝撃。

足場が跳ね、俺の膝がぐらついた。


こいつはバルクを倒そうとしているんじゃない。

俺たちの作業を止めようとしている。

誰を殺せばいいかではなく、何を止めれば逃げ道が消えるかを見ている。


「ライアン、まだか!」


「もう少しです。右上が浮いています!」


ゴンッ!


背後で、七号がさらに扉を叩いた。

今度は金具が弾ける音が混じった。


「ギシャアアアアアッ!」


濁った咆哮が、廃棄通路の奥から反響してくる。

距離が近い。

もう時間はほとんどない。


猟犬の空気が変わった。

黄金色の瞳が細くなる。

次の一撃で、ジャッキごと潰すつもりだ。


「真ん中。重いのが来る!」


ヒルダが叫んだ。


猟犬が格子の隙間から、槍のように腕を突き出す。

狙いはバルクの盾の中心。

受けた瞬間、押し切って、その奥のジャッキを壊す軌道だ。


「ふんっ!」


バルクが両足を踏みしめた。


ゴォンッ!


これまでで一番重い衝突音が響いた。

バルクの膝が沈む。足元の鉄板が嫌な音を立てて歪んだ。

だが、盾は抜かせない。

センチネル・クロウラー女王の素材で作られた大盾は、伊達じゃない。

だが、それを受け切るバルクもまた、伊達じゃなかった。


「今だ!」


俺はバールに全体重をかけた。

ライアンも油圧ジャッキのレバーを押し込む。


バキンッ!


錆びた蝶番のボルトが一本、弾け飛んだ。

続けて、もう一つ。


ギギギギッ、と鉄格子が片側だけ外側へ歪む。

完全には開かない。


だが、格子の右端が壁枠から浮き、外側へ斜めに押し出された。

猟犬が塞いでいる真正面ではない。

その脇に、人ひとりが身を滑り込ませられるだけの細い隙間が生まれた。


「開いた!」


その瞬間、猟犬のもう片方の腕が格子を掴んだ。

歪んだ鉄格子を、外側から押し戻そうとしている。


「ヒルダ!」


「今しかねえ。網、顔だ!」


俺はワイヤー入り防獣ネットを掴み、格子の隙間越しに猟犬の頭部へ投げつけた。


バサッ!


網が広がり、猟犬の視界を覆う。

だが、完全には絡まない。

鉤爪がすぐに網を裂き始める。


一秒。

いや、二秒もない。


「行け!」


* * *


ヒルダが最初に隙間を抜けた。

作業マットを排出口の縁に掛け、牽引用ロープを外側の錆びた支柱に回す。


「落差はあるが、下は廃棄物の山だ!受ける!」


外からヒルダの声が返る。


「子供たちから!」


セーラが兎耳の少女を抱え、猟犬の真正面を避けるように、右脇の隙間へ押し出す。

外側でヒルダが受け止めた。

続けて、リーネが狐耳の少年を支える。


「怖いなら、私の手を見て」


リーネの声は震えていた。

だが、少年は小さく頷き、その手を離さなかった。


「次、犬種の女!」


「支えてくれれば、行ける」


犬種の女は、痛む足を引きずりながらも自分で隙間へ向かった。

ライアンが肩を貸し、セーラが反対側を支える。


背後で、瓦礫が崩れる音がした。


七号の影が、通路の奥に見えた。

歪んだ扉の向こうから、太い腕が瓦礫を払いのけている。


「急げ!」


バルクが盾を構えたまま叫ぶ。

猟犬は網を裂き終えようとしている。

金属線が、ぷつぷつと切れる音がした。


「セーラ、リーネ、外へ!」


「ナオキは!?」


「すぐ行く!」


セーラは何か言いかけたが、唇を噛んで隙間を抜けた。

リーネもそれに続く。

ライアンが最後にロープを確かめてから外へ出た。


中に残ったのは、俺とバルクだけだった。


「バルク、行け!」


「お前が先だ」


「またそれか!」


「進め」


バルクは短く言い、盾で俺の背を押した。

抗う余裕はなかった。

俺は隙間へ身を滑り込ませる。


その瞬間、猟犬が網を引き裂いた。

黄金色の瞳が、真っすぐ俺を捉える。


鉤爪が伸びた。


「ナオキ!」


外からセーラの声がする。

俺はロープを掴もうと手を伸ばした。

右手の傷が焼けるように痛む。


爪が背中をかすめた。

服が裂け、熱い線が走る。


「ぐっ……!」


だが、次の瞬間、外側から誰かの手が俺の腕を掴んだ。

セーラだ。

ヒルダとライアンも一緒に引く。


俺は排出口から外へ転がり落ちた。

廃棄物の山が、嫌な音を立てて体を受け止める。


「バルク!」


俺が顔を上げた時、バルクはまだ内側にいた。

背後から七号の腕が迫る。

前からは、猟犬の鉤爪。


逃げ場は、ほとんどなかった。


「……ふんっ!」


バルクは盾を縦に構え、猟犬の鉤爪を受け流す。

そのまま盾の角度を変え、体を斜めにして隙間へ突っ込んだ。

前回のように引っかからない。

最初から、抜ける角度を決めていたのだ。


だが、七号の腕が背後から伸びる。


「バルク!」


七号の指先が、バルクの肩に触れかけた。

その寸前、猟犬がこちらへ伸ばした腕と、七号の腕が狭い排出口の内側で交差する。

ほんの一瞬、二体の進路がぶつかった。


戦っているわけではない。

ただ、同じ獲物へ伸びた腕が、同じ狭い出口で干渉しただけだ。


その一瞬を、バルクは逃さなかった。


「進め」


誰に向けた言葉か分からない。

だが、その声と同時に、バルクの巨体が外へ転がり出た。

黒い大盾が廃棄物の山に突き刺さり、鈍い音を立てる。


「全員、出たな!」


「ああ!」


ヒルダが答える。


出た。

俺たちは、確かに外へ出た。


* * *


外の風は、冷たかった。

汚水と腐臭にまみれた体に、その冷たさだけがやけに現実離れして感じられる。


だが、自由の風ではなかった。


ここは帝都外壁の下に広がる、廃棄物の集積場だった。

壊れた木箱。腐った布袋。錆びた鉄材。処分された台車。積み上げられた廃棄物の向こうには、高い外壁の影が黒くそびえている。


遠くで、松明の灯りが揺れた。

一つではない。

二つ、三つ。

巡回兵だ。


「……まだ帝都の管理内です」


ライアンが低く言った。


「外には出ました。ですが、ここはまだ外壁の影です。見つかれば、すぐに封鎖されます」


背後の排出口では、猟犬が裂けたネットを払いのけていた。

鉄格子の隙間から、黄金色の瞳がこちらを見る。

通路の奥では、七号の濁った咆哮が近づいている。


完全な安全など、どこにもなかった。


「動ける奴から、あの壁沿いの影へ」


ヒルダが短く言う。


「灯りがこっちを見る前に離れるぞ」


バルクが犬種の女を支え、リーネが狐耳の少年の手を握る。

セーラは兎耳の少女を抱き直し、俺の背中の傷を一瞬だけ見た。


「……あとで全部見るから」


「ああ」


「今度は逃げないでよ」


「逃げるなら、帝国からだけにする」


セーラは怒ったような顔をした。

だが、その目は泣きそうだった。


その時、壁際に埋め込まれた古い金属管から、かすれた声が漏れた。


『……そこまで出ましたか』


レナードの声だった。


たった一言。

だが、その声だけで、背中に冷たいものが走る。


俺は反射的に鑑定を向けようとした。

声の主。金属管。そこに繋がる何か。


だが、表示は浮かばなかった。

頭の奥に薄い膜を張られたような感覚だけが走り、文字になる前に情報が崩れる。


まただ。

レナードに関わるものだけ、鑑定が深く届かない。


「ナオキ?」


ライアンが俺を見る。

俺は首を振った。


「今はいい。走るぞ」


遠くの松明が、こちらへ向きを変える。

背後では、鉄格子が軋む音。

その奥から、七号の咆哮。

そして、黄金色の瞳。


外へは出た。

だが、帝国の闇は、まだ背中に爪をかけている。


俺は血の滲む右手を握りしめ、外壁沿いの暗い道を睨んだ。


ここから先は、もう檻の中じゃない。

なら、まだ逃げ道はある。


「走れ!」

ここまで読んでいただきありがとうございます!


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