第127話 廃棄搬入口
俺はマリエクの半透明なウィンドウに、次々とキーワードを叩き込んでいた。
武器じゃない。敵を倒すための道具でもない。
今この場を切り抜けるために必要なのは、敵の目をくらませ、時間を稼ぎ、弱った仲間を運ぶための実用品だ。
'出し惜しみしている場合じゃない'
右手の南部搬出門側には、巡回中の帝国兵がいる。
左手の資材搬入口側からは、先ほど聞こえた別働隊の軍靴の音が近づいている。
背後のどこかでは、猟犬が別経路からこちらを追っている。
真正面からぶつかれば、救出した三人を守り切れない。負傷したあの左腕で、バルクに何度も受けさせるわけにはいかない。
だから、逃げる。
逃げるために、買う。
[検索:折りたたみ平台車、充電式LED作業灯、防災訓練用スモーク缶、ボルトクリッパー、布テープ、結束バンド、厚手ブルーシート]
[検索結果:
折りたたみ平台車2台 18,000円
充電式LED作業灯2台 16,000円
防災訓練用スモーク缶3本 9,000円
大型ボルトクリッパー 8,000円
布テープ・結束バンドセット 3,000円
厚手ブルーシート2枚 4,000円]
[送料:2,000円]
[合計:60,000円]
【現在の残高:27,451,000円】
だが、これだけ買っても、稼げるのは生き残るためのほんの数十秒だ。
「……ナオキ、何を買ったの?」
セーラが俺の顔を覗き込む。
俺はアイテムボックスから平台車を引き出しながら、短く答えた。
「逃げるための道具だ」
「逃げるって……この状況で?」
「だからだ。まともに戦ったら詰む。煙と光で目をくらませて、廃棄搬入口へ滑り込む」
俺は二台の平台車を広げる。石畳の上に車輪が乗り、鈍い音を立てた。
「ライアン、廃棄搬入口までの道を頭に入れろ。煙の中で迷ったら終わりだ」
「分かりました。この分岐から下層へ向かう通路です。距離は長くありませんが、扉が残っている可能性があります」
「ヒルダ、先導を頼む。煙で見えなくなっても、床の轍と壁の感覚で進めるか?」
「当たり前だ。斥候を舐めんな」
ヒルダは短く言い、通路の奥を睨んだ。
「バルク」
「ああ」
「一番重い方を頼む。犬種の女を平台車に乗せる。左腕は無理に使うな。押すのは右手と体でいい」
「問題ない」
バルクはそれだけ言い、犬種の若い女を見た。
彼女は悔しそうに唇を噛んでいたが、自分から平台車に腰を下ろした。
「……足で遅れるよりは、こっちの方がいい」
「助かる」
俺は厚手のブルーシートを平台車の上に敷き、布テープと結束バンドで簡単な固定を作った。縛りつけるというより、揺れて落ちないように支えるだけだ。
もう一台には、兎耳の少女と狐耳の少年を乗せる。
兎耳の少女はセーラの服をぎゅっと握り、狐耳の少年はリーネの袖を離さなかった。
「大丈夫。すぐ終わる」
リーネがそう言った。
声は震えていたが、少年は小さく頷いた。
左の通路から聞こえる軍靴の音が、近づいてくる。
もう時間はない。
俺は充電式LED作業灯を二つ取り出した。明るさを最大にし、照射角を通路の奥へ向ける。
「いいか。作業灯は前方と左側に向ける。スモーク缶はその後だ。煙が出たら、ヒルダの声だけを頼れ。見えなくても止まるな」
「ナオキ、手は?」
セーラが低く聞いてきた。
さっきヒールをかけてもらった手は、まだじくじくと痛む。平台車の取っ手を握るだけで、傷口が開きそうだった。
「痛い。でも、動く」
「無理しないで、なんて言っても聞かないんでしょ」
「無理しないと死ぬ」
「……そうやって、自分のことを後回しにする……」
セーラはそう言いながらも、俺の手に巻かれた包帯を一度だけ強く結び直した。
「戻ったら、説教だから」
「予約が増えていくな」
「全部聞いてもらうから」
そのやり取りで、ほんの一瞬だけ息ができた。
だが、すぐに現実が戻ってくる。
コツ、コツ、コツ。
左からの足音が、もう分岐の近くまで来ていた。
「行くぞ」
俺は静かに告げた。
* * *
動き出せば、一瞬だった。
俺は壁の影から身を乗り出し、南部搬出門側の通路へLED作業灯を滑らせた。同時に、ヒルダが左の資材搬入口側へもう一台を蹴り込む。
床を滑った作業灯が、兵士たちの足元で止まった。
次の瞬間、白い光が地下の闇を破った。
「なんだ!?」
「明かりだ!目を逸らせ!」
暗さに慣れていた兵士たちの視界が、一瞬で白く潰れる。
松明の赤い揺らぎとは違う、冷たい光。地下の薄暗さに頼っていた者ほど、反応が遅れた。
俺はすぐにスモーク缶のピンを抜き、南部搬出門側と資材搬入口側へ転がした。
プシューッ!
白煙が床を這い、狭い通路を一気に満たしていく。
敵の視界を奪う。だが、同時にこちらの視界も奪われる。
「ヒルダ!」
「こっちだ!壁から離れるな!」
ヒルダの声が煙の中から飛ぶ。
俺たちはその声を頼りに動き出した。
バルクが、犬種の女を乗せた平台車を右手と体で押す。左腕には黒い大盾を構えたままだ。完全には動かせないはずなのに、その巨体が前に出るだけで、煙の中に壁が動いているようだった。
「進め」
バルクは短く言った。
俺とライアンは、兎耳の少女と狐耳の少年を乗せた平台車を押す。セーラとリーネが左右につき、二人が落ちないように支えた。
静音のはずの車輪が、石畳の上ではガタガタと鳴る。
平台車の一つが古いレール跡に引っかかり、狐耳の少年が短く悲鳴を上げた。
「持ち上げるぞ!」
俺とライアンで前輪を少し浮かせる。
手のひらに痛みが走った。包帯の下で、傷がまた開いた感覚がある。
「ナオキ!」
「止まるな!」
痛みを噛み殺し、平台車を押し出す。
煙の向こうから兵士の怒号が飛んだ。
「いたぞ!こっちだ!」
「煙の中にいる!」
兵士の一人が煙を割って飛び出してきた。
だが、バルクが半歩前に出る。
ガンッ!
兵士の剣が大盾に弾かれた。
バルクは追撃しない。押し返すだけだ。相手を倒すためではなく、道を開けるための一撃。
「進め」
また、それだけだった。
ヒルダが廃棄搬入口へ向かって走る。
彼女は煙の中でも足を止めない。床の轍、壁の傷、空気の流れを拾っているのだろう。
「右!そのまま三歩!次、段差!」
「段差!持ち上げろ!」
俺たちは平台車を持ち上げるように押し、低い段差を越えた。
リーネが狐耳の少年の肩を押さえ、セーラが兎耳の少女を抱き込む。
「もう少し……!」
ライアンの声が上ずる。
その先に、下層へ続く古い鉄格子の扉が見えた。
↓ 廃棄搬入口
案内板が示した、最後の道だった。
* * *
「鎖だ!」
ヒルダが叫ぶ。
廃棄搬入口の扉は、太く錆びついた鎖で固定されていた。
俺はアイテムボックスから大型ボルトクリッパーを取り出す。九百ミリの長い柄が、狭い通路では邪魔になるほど大きい。
だが、音の出るディスクグラインダーを使う余裕はない。今は、力で切るしかない。
「ナオキ、早く!」
セーラの声が煙の中で揺れる。
背後から兵士たちの足音が近づいてくる。
俺はボルトクリッパーの刃を鎖に食い込ませた。
両手で柄を握った瞬間、右手の傷が熱を持った。
「っ……!」
痛い。
だが、ここで止まれば全員が終わる。
「ライアン、押せ!」
「はい!」
俺とライアンで柄に体重をかける。
金属が軋む。
ミシ……。
「もう少し!」
バチンッ!
鎖が一本切れた。
続けて、もう一本。
バチンッ!
固定が外れる。
ヒルダとバルクが扉に手をかけた。
ギギギギギ……ッ!
錆びた蝶番が悲鳴を上げる。
扉は半分ほど開いたところで、歪んだ金具に引っかかって止まった。
「くそっ、ここまでか!」
ライアンが歯を食いしばる。
人が一人、身をかがめて通れる程度の隙間しかない。
平台車は通らない。
「台車から降ろせ!空になったら収納する!」
「そんな余裕あるの!?」
「残したら面倒なことになる!」
俺は叫んだ。
「セーラ、兎の子を!」
「分かった!」
セーラは兎耳の少女を抱え、隙間をくぐる。
リーネが狐耳の少年の手を引いて続いた。
「ヒルダ、犬種の女を頼む!」
「ああ!」
ヒルダとライアンが犬種の女の両脇を支える。痛む足を庇いながら、彼女も歯を食いしばって扉の隙間を抜けた。
俺は空になった平台車に手を触れ、まとめてアイテムボックスへ放り込んだ。
現代品を、こんな場所に残していくわけにはいかない。
背後の煙が薄くなり始めている。
兵士の影が見えた。
「いたぞ!」
「扉を塞げ!」
「バルク、先に入れ!」
「お前が先だ」
「盾が引っかかる!俺が後ろを見る!」
「先に行け」
バルクは短く言い、大盾を背から外す。
捨てるのではない。角度を変えて、体と一緒に押し込むつもりだ。
俺は一瞬だけ歯を噛みしめ、先に隙間へ体を滑り込ませた。
その直後、背後で金属音が鳴る。
ガッ!
黒い大盾が、歪んだ扉と壁の間に噛み込んだ。
「バルク!」
「……ふんっ!」
バルクが体を捻る。
大盾の縁が石壁を削り、鈍い音を立てた。
背後から兵士が迫る。剣先が煙の中から伸びる。
「盾を置いていけ!」
誰かが叫んだ。
兵士なのか、味方なのか、一瞬分からなかった。
だが、バルクは答えない。
黒い盾を押し込み、肩で扉をこじ開ける。
ギギッ、ゴリッ。
壁が削れる。
扉がさらに歪む。
「ふんっ!」
最後の一押しで、大盾が隙間を抜けた。
バルクの巨体が、こちら側へ転がり込む。
「閉めろ!」
ヒルダが叫ぶ。
俺たちは扉を引き戻そうとしたが、歪んだ扉は完全には閉まらない。
それでも、バルクが大盾を押し当てるようにして、兵士の手が入る隙間だけは塞いだ。
「長くは持たん。行け」
バルクが低く言う。
廃棄搬入口の先は、急な石の斜路だった。
足元は濡れていて、黒ずんだ汚水が薄く流れている。
「滑るぞ!」
叫んだ直後、足が取られた。
「うわっ!」
俺たちは、ほとんど転がるように斜路を滑り落ちた。
* * *
鼻を突いたのは、腐った布と汚水が混じったような強烈な悪臭だった。
数秒後、俺たちは斜路の終点に積もった廃材の山へ突っ込んだ。
壊れた木箱。腐った布。錆びた金具。動かなくなった小型の台車。
それらが、運よくクッションになった。
「……最悪」
ヒルダが顔をしかめる。
髪に何かの藁くずが絡んでいた。
「全員、いるか!」
俺が声を上げると、あちこちから呻き声が返ってきた。
兎耳の少女も、狐耳の少年も、犬種の女も無事だった。セーラとリーネも大きな怪我はない。バルクは最後に滑り落ちてきて、盾を抱えたまま廃材の上に膝をついた。
「動けるか?」
「ああ」
バルクは短く答えた。
左腕はまだ震えている。それでも、盾は離していない。
「……風」
狐耳の少年が、小さく呟いた。
俺たちは一斉に顔を上げる。
悪臭の中に、確かに違う空気が混じっていた。
地下の淀んだ空気ではない。湿ってはいるが、流れている。遠くから吹き込む、外の風だ。
「こっちだ」
ヒルダが奥を指す。
廃材の山の向こう、通路のさらに先に、細い光が見えた。
星の光ではない。帝都の外周にある灯りか、夜の空気を通して漏れ込む薄い明かり。
出口は近い。
そう思った。
その頃、俺たちが通り抜けてきた分岐点に、一つの影が静かに現れていた。
猟犬だった。
煙はまだ薄く残っている。
南部搬出門側には兵士たちの怒号。資材搬入口側には別働隊の足音。そして床には、平台車の轍と、廃棄搬入口へ向かう俺たちの足跡が残っている。
猟犬は、廃棄搬入口の前で足を止めた。
床に落ちていた小さな金属片を拾い上げる。
ボルトクリッパーで断ち切られた、鎖の破片だ。
黄金色の瞳が、案内板の文字を捉える。
↓ 廃棄搬入口
だが、猟犬はそこへ入らなかった。
狭い入口。
残る煙。
崩れかけた扉。
兵士の混乱。
そして、俺たちが進んだ先にあるはずの出口。
それらを順に見たあと、猟犬は静かに踵を返した。
追うのではない。
先に回るために。
吠えもしない。
急ぎもしない。
ただ、命令を遂行するための最短経路を選ぶ。
黄金色の瞳が一度だけ細くなり、猟犬は暗い保守用通路の奥へ消えていった。
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