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異世界ネットショッピング  作者: たにやん
第2章 帝国の闇編

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125/137

第125話 袋小路のその先に

パキンッ。


三本目のラチェットベルトが断ち切れる音が、通路の奥から響いた。

続いて、鉄格子が嫌な音を立てて軋む。


あと一本。

あれが切れれば、格子扉はもう扉ではなくなる。


俺は錆びた梯子と、背後の闇を交互に見た。

梯子は細く、古い。大人が一人ずつ登るのがやっとだ。救出した獣人は三人。兎耳の少女、狐耳の少年、そして足を痛めた犬種の若い女。自力で素早く登れる状態ではない。


全員が上がるには、どう考えても時間が足りない。


'誰かが下で止めるしかないのか'


その考えが頭をよぎった瞬間、バルクが何も言わずに一歩前へ出た。

黒い大盾を床に叩きつけるように構え、縦坑の入口を背にする。


「上げろ」


低い声だった。


「子供たちを先に上げろ。ここは、俺が塞ぐ」


「バルク!」


「俺は速く走れん。だが、止めることならできる」


自分を捨てる声ではない。

仲間を通すために、己の役目を選んだ声だった。


ヒルダが歯を食いしばる。


「置いていく、なんて言ったら、ぶん殴るぞ」


「置いていけとは言っていない。急げと言っている」


俺は奥歯を噛みしめ、迷いを切り捨てた。

バルクが自分の役目を選んだなら、その時間を絶対に無駄にしない。


「分かった!全員で上がるぞ。誰も置いていかない!」


俺は即座にマリエクを起動した。


'救助用具。ロープ、ハーネス、引き上げに使えるやつ!'


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手元に、ロープと金具の束が現れる。

武器ではない。だが今、この場ではどんな剣より必要なものだった。


「ライアン、固定できるか!」


「梯子ではなく、上の横梁に固定します!あそこなら荷重に耐えられるはずです!」


「ヒルダ、先に登れ!上の安全確認とロープ固定!」


「分かった!全員上げるぞ!」


ヒルダは錆びた梯子に飛びついた。

足場の錆を見切り、壊れそうな段を避けながら上へ駆け上がっていく。


パキンッ!


四本目のベルトが切れた。

次の瞬間、格子扉が大きくひしゃげる。

濁った咆哮。

七号だ。


その奥から、乱れのない足音が重なる。


コツ……コツ……。


猟犬が来る。

狼種獣人の形をしたそれは、二足で立っているのに、肩と膝だけが獣のように低く沈んでいた。吠えもしない。ただ、獲物へ最短で届く姿勢だけを取っている。


「急げ!」


俺が叫ぶと同時に、バルクが大盾を構え直した。


「来い」


その一言の直後、格子扉が破られた。


* * *


「上は狭い!でも通れる!」


縦坑の上からヒルダの声が落ちてきた。


「外じゃねえ!だが空気は流れてる!先に上げろ!」


上から、横梁に通されたロープが降りてくる。

ライアンは即座にそれを受け取り、結び目とカラビナを確認した。


「兎耳の子が先です!一番軽い!セーラさん、ハーネスを!」


「分かった!」


セーラは震える兎耳の少女の肩を抱き、目線を合わせた。


「大丈夫。目を閉じてて。絶対に落とさないから」


少女は声も出せず、ただ小さく頷いた。

簡易ハーネスを体に通し、カラビナをかける。ライアンが結び目を確認し、俺とセーラでロープを握った。


「引きます!」


ロープが軋み、少女の体がふわりと浮いた。

ヒルダが上から引き、俺たちが下から支える。錆びた梯子を一段ずつ登らせるより、はるかに速い。


ゴッ!


背後で重い衝撃が響いた。

猟犬の鉤爪が、バルクの盾を叩いた音だ。


盾は傷つかない。

だが、バルクの足が床を削った。石の床に溝が刻まれ、彼の肩がわずかに沈む。


「続けろ!」


少女が上へ引き上げられた。ヒルダが受け取り、すぐにロープを投げ返す。


次は狐耳の少年だった。

少年は震えたまま、リーネの袖を握っている。


リーネの顔も青ざめていた。

それでも、彼女は少年の手を両手で包み込む。


「大丈夫……上に行けば、ここより息ができる」


「……ほんと?」


「うん。手、離さないで。あたしも、離さないから」


声は震えていた。

でも、その震えた声だからこそ、少年には届いたのかもしれない。

少年は小さく頷き、ハーネスを受け入れた。


ゴッ、ガンッ、ゴオオンッ!


一撃ごとに、盾ではなく、受け止めるバルクの腕と膝へ負担が積み重なっていく。

その背後で、七号が涎を散らしながら突っ込んできた。


「ギシャアアアア!」


七号の巨腕が、猟犬の背後から振り下ろされる。

だが猟犬は振り返りもしない。最小限の動きで避け、七号の腕は壁を砕いた。


猟犬の黄金色の瞳が、少し上を向く。


猟犬が見ているのは、縦坑と梯子。そして、上へ引き上げられていく子供たちだった。


「まずい!逃げ道を狙ってる!」


俺が叫んだ瞬間、猟犬が壁を蹴った。

バルクの脇を抜け、梯子の根元へ跳ぶ。


「させん!」


バルクが盾を横へ振る。

猟犬は盾の縁に鉤爪をかけ、弾かれる力すら利用して、軌道を上へ変えた。


「アイスバインド!」


俺は反射的に氷魔法を叩きつけた。

倒す魔法ではない。

一秒でいい。二秒でもいい。今は、少しでも時間が欲しい。


猟犬の着地点に白い霜が走る。

鉤爪が錆びた梯子に届く寸前、猟犬の足がわずかに滑った。


ギャリィッ!


爪が梯子の下段をかすめ、錆びた鉄が嫌な音を立てて歪む。

完全には折れない。

だが、下から三段目は裂け、もう人が体重をかけられる状態ではなくなった。


「梯子が!」


上のヒルダが怒鳴る。


「ロープで上げるしかねえ!急げ!」


狐耳の少年が上がった。

次は犬種の若い女だ。


彼女は片脚を庇いながら、悔しそうに唇を噛んだ。


「……あたしは最後でいい。足が邪魔になる」


ヒルダの声が上から飛ぶ。


「邪魔かどうかは、助ける側が決める。黙って掴まれ!」


犬種の女の目がわずかに揺れた。

それでも彼女は黙ってハーネスを掴む。


俺たちは、滑車を通した反対側のロープを引いた。

負傷した大人一人分の重さが、ロープ越しに手のひらへ食い込む。横梁の金具が軋み、犬種の女の体が少しずつ持ち上がっていく。


「もっと引いて下さい!」


ライアンが叫ぶ。

俺、セーラ、リーネは必死にロープを引いた。上ではヒルダが犬種の女を受け止めようと、身を乗り出している。


バルクの盾に、猟犬の爪が再び叩き込まれた。

衝撃で、バルクの膝が一瞬落ちる。


「まだ、立っている!」


返ってきた声は荒かった。

左腕が痺れているのか、盾の角度がわずかに遅れる。

それでも彼は下がらない。


犬種の女が上へ引き上げられた。

ヒルダが受け止め、すぐに声を落とす。


「次!セーラ!」


セーラはハーネスを付けられながら、俺を睨んだ。


「ナオキ、絶対に下で死なないでよ!説教の予約、まだ終わってないんだから!」


「生きて戻ったら、まとめて聞いてやるよ!」


俺とライアン、リーネでロープを引き、セーラを上げる。

上に回ったセーラは、すぐにロープを握った。


「次、リーネ!」


リーネは一瞬だけ、縦坑の下を見た。

バルクの盾に、猟犬の爪がまた叩き込まれる。


ゴオンッ!


「見るな!早く上がれ!」


ヒルダの怒鳴り声が落ちてくる。


リーネは唇を噛み、ハーネスを受け入れた。

ヒルダとセーラが上から引き、俺とライアンが下から支える。リーネの体が縦坑の上へ消えた。


下に残ったのは、俺とライアンとバルクだけ。


「ライアン、次だ!」


「ナオキさんが先です!」


「上で引く人数が要る。行け!」


ライアンは一瞬だけ迷い、それでも頷いた。

ハーネスを体に通し、カラビナをかける。


「上に着いたら、すぐ引け!」


「分かりました!」


ライアンが上がる。

これで、下に残ったのは俺とバルクだけになった。


「バルク、次だ!」


「最後でいい……」


「お前を最後にするわけには――」


「行け……」


短い言葉だった。

だが、それ以上の反論を許さない重さがあった。


猟犬の爪が、再び盾に叩き込まれる。

衝撃でバルクの膝が沈む。それでも、黒い盾は縦坑の入口を塞いだまま動かない。


「行け」


バルクはそれだけ言った。


「くっ!」

俺はバルクの覚悟と、己の無力さと悔しさを感じ、奥歯を噛みしめ、ハーネスを体に通した。

上から落ちてきたロープにカラビナをかける。


「引き上げろ!」


体が宙へ浮く。

その直後、猟犬が跳んだ。


鋭い鉤爪が、俺の足元をかすめた。

次の瞬間、腰に回したハーネスの補助ベルトが、一本、音もなく裂ける。


「っ……!」


体が一瞬、縦坑の中で沈んだ。

ロープが軋み、上からセーラの悲鳴が落ちてくる。


あと数センチ。

あと一瞬遅ければ、俺は引き上げられる前に、あの爪に引き戻されていた。


「ふんっ!」


バルクが盾を押し込む。

猟犬の爪が盾に弾かれ、縦坑の壁を削った。


俺はロープにしがみつく。

手のひらに焼けるような痛みが走った。体重を支えるロープが皮膚に食い込み、裂けたところから血が滲む。


痛い。

だが、離せば終わりだ。


「ナオキ!もう少し!」


俺の体が縦坑の縁に引き上げられた。

床に転がりながら、俺はすぐに身を起こす。


「バルクを!」


下では、バルクが一人で盾を構えていた。

猟犬が低く身を沈める。

七号の濁った咆哮が、その背後で響いている。


バルクは一歩も下がらない。

黒い盾を構えたまま、最後に残った男として縦坑の下に立っている。


「バルク!」


「引け」


バルクは短く言い、片手でハーネスを体に通した。

完全ではない。だが、迷っている時間はない。


俺たちは全員でロープを掴んだ。

ヒルダ、セーラ、ライアン、リーネ、そして俺。全員で、滑車を通したロープを引く。


バルクの巨体が、ゆっくりと浮いた。

重い。大盾まで抱えているのだから、普通の大人一人分どころではない。

横梁がミシミシと鳴り、ロープの繊維が悲鳴を上げる。


猟犬の瞳が、宙に浮いたバルクではなく、ロープを捉えた。


「ロープを狙ってる!」


俺が叫んだ瞬間、猟犬が壁を蹴った。

鉤爪が、張り詰めたロープへ伸びる。


「引け」


バルクが低く言った。


吊られたまま、バルクが体を捻る。

黒い大盾が、ロープと猟犬の間に割り込んだ。


ガギンッ!


猟犬の爪が、盾の縁を叩く。

衝撃でバルクの巨体が縦坑の中で大きく揺れ、ロープが悲鳴のように軋んだ。


「ふんっ!」


バルクは盾を押し返す。

言葉はそれだけだった。

だが、その背中が言っていた。


ここは、まだ通さない。


俺たちは全員でロープを引いた。

手の皮が裂けそうになる。それでも、誰一人として力を緩めなかった。


猟犬が、もう一度跳ぶ。

だがその爪がロープに届く前に、バルクの体が縦坑の縁を越えた。


「今だ!」


俺とライアンがバルクの腕を掴む。

ヒルダとセーラがロープを引き切る。リーネも、震える手で必死にロープにしがみついていた。


バルクの巨体が、床へ転がり込む。


その直後、ヒルダとライアンが重い鉄蓋を閉め、古い閂を落とす。


ガチャン。


金属音が、狭い保守通路に響いた。

それは一瞬だけ、助かったのだと思わせる音だった。


だが次の瞬間、下から何かが鉄蓋を叩いた。


ゴンッ。


鉄蓋が歪む。

全員が息を呑んだ。


続いて、金属を引っかくような音がした。

力任せに壊そうとしている音ではない。

継ぎ目を探している音だった。


「……あいつ、開け方を探してやがる」


ヒルダの声が、わずかに掠れた。


下では七号の濁った咆哮も響いている。

狭い縦坑の中で暴れる七号が、猟犬の動きまで塞いでいるのだろう。


それでも、猟犬は止まっていない。

ただ叩いているのではない。

次に壊す場所を、選んでいる。


「……早く離れるぞ」


バルクが低く言った。

左腕を押さえている。盾は傷一つないが、受け止めた本人の腕は小さく震えていた。


セーラが俺の右手を見て、顔色を変える。


「ナオキ、手!」


「あとでいい。動ける」


「よくない。でも、今は縛るだけ」


セーラは自分の布を裂き、俺の手のひらに巻いた。

きつく縛られ、痛みで息が詰まる。


救出した三人は、通路の壁際でアルミブランケットに包まれていた。

兎耳の少女はまだ震えている。狐耳の少年はリーネの袖を握ったまま離さない。犬種の女は痛む足を押さえながらも、周囲を警戒している。


完全に助かったわけではない。

ただ、下から上へ移っただけだ。


狭い保守通路の奥から、冷たい風が流れてくる。

鉄と油。

古い木材。

そして、どこか獣臭い、湿った空気。


リーネが、ふと顔を上げた。


「……この匂い……」


彼女は震える指で、保守通路の奥を指した。


「……あたしが運ばれた時……檻の中で、何度も嗅いだ匂い……」


セーラが息を呑んだ。

俺には、鉄と油と古い木材の臭いにしか分からない。

だが、リーネの顔から血の気が引いていくのを見れば、それがただの通路の臭いではないことだけは分かった。


ライアンがヘッドライトの光を壁へ向ける。

ひび割れた石壁に、古びた文字が残っていた。


旧南部搬送路 保守区画


「……旧南部搬送路」


ライアンの声が低く沈む。


「帝国南部と帝都を繋ぐ、古い物資搬送路です。表向きは、ですが」


そこで言葉が止まった。

その先を、誰も聞き返せなかった。

リーネの震える指が、もう答えを示していたからだ。


背後で、鉄蓋がもう一度大きく歪んだ。


ゴンッ。


猟犬は下にいる。

七号も、まだ止まっていない。


そして前には、かつて檻を積んだ台車が通ったかもしれない、暗い搬送路が続いている。


出口だと思った場所は、自由への道ではなかった。

俺たちはただ、帝国の闇の一層下から、さらに古い闇の入口へ移っただけだった。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


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