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異世界ネットショッピング  作者: たにやん
第2章 帝国の闇編

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124/136

第124話 猟犬

「……この音……」


リーネの唇が震えた。


「……知ってる……」


その呟きは、俺の背筋を冷たく撫でた。


「リーネ、何を知ってるんだ!?」


「……あの音が聞こえると……檻の中が、静かになるの……」


リーネの言葉は途切れ途切れだった。

説明というより、檻の中で刻み込まれた恐怖が、声になって漏れているようだった。


「みんな、声を出さなくなって……目も合わせないようにして……息を殺してた……」


リーネの指が、震えながら自分の腕を掴む。


「連れていかれた子は……戻ってこなかった……」


リーネの視線は、搬送路の奥から響く冷たい靴音に釘付けになっている。


「……まさか」


ライアンの声が、かすかに震えた。


「先ほどの記録にあった、完成検体一号……。けれど、問題はそこだけではありません」


ライアンは唇を噛み、闇の奥から近づいてくる足音を見つめた。


「三年前のアルマ行き商隊護衛任務……。あの時、俺たちを壊滅させた“何か”と、同じ気配がします。俺の事件も……帝国の実験に繋がっていたのかもしれません」


俺はヘッドライトの光を闇の奥へ向け、即座にスキルを発動した。


'鑑定!'


闇の中から、一つの影がゆっくりと姿を現す。

それは、七号のような歪な怪物ではなかった。


狼の耳と尾を持つ、獣人。

だが、普通の獣人とも違う。

背筋は真っすぐ伸び、腕は自然に垂れている。歩幅は一定で、足音にも乱れがない。両腕には黒い腕具がはめられ、その先に鋭い鉤爪が伸びていた。


何より異様なのは、その目だった。

怒りも、憎しみも、苦痛もない。

黄金色の瞳が、ただ順番に、俺たち一人一人を捉えていく。


俺の視界に、半透明のウィンドウが浮かび上がった。


〔名称〕完成検体 一号

〔識別名〕猟犬

〔種族〕狼種獣人

〔LV〕58

〔状態〕命令刻印:安定/感情抑制/追跡命令遂行中

〔危険度〕極めて高い


〔HP〕1680/1680

〔MP〕測定不能

攻撃力:440

守備力:310

力:460

素早さ:560

知力:220

運の良さ:判定不能


〔備考〕強化処置と命令刻印が安定している。命令対象を追跡し、捕獲または排除するまで停止しない。過去の外部実戦投入において、遭遇したAランク冒険者パーティ『銀狼の牙』を完全殲滅。検体は無傷で帰投。類似する戦闘痕跡は、他の未解決護衛隊壊滅事件にも残されている可能性がある。


「……化物め」


俺の口から、乾いた悪態がこぼれた。

七号は壊れていた。だが、目の前のこれは違う。

数値の高さ以上に、状態欄の『安定』という文字が気味悪い。

壊れていないまま、人を狩るために使われている。


それが、何より気持ち悪かった。


「戦うな!こいつとやり合ったら全滅する!」


俺は叫んだ。


「生存者を連れて逃げるぞ!勝つんじゃねえ。逃げ切るんだ!」


仲間たちが一瞬だけ息を呑む。

だが、異論を唱える者はいなかった。

目の前の存在が、真正面からぶつかって勝てる相手ではないことを、全員が肌で感じ取っていたからだ。


「行くぞ!」


セーラは兎耳の少女を抱き寄せ、リーネは狐耳の少年の手を取る。

ヒルダが犬種の若い女を支え、バルクは大盾を構えたまま最後尾に回った。

俺たちは、崩れた壁の向こうに続く搬送路へと動き出した。

そこは、ただの一本道ではなかった。

古い搬送路らしく、左右には細い作業通路が伸び、ところどころに区画を仕切る格子扉が残っている。


* * *


「ナオキ、音で釣れねえのか!?」


走りながら、ヒルダが叫ぶ。

俺はアイテムボックスから、以前使った防犯ブザーを一つ取り出した。


「やるだけやってみる!」


ピンを抜き、通路の横手へ投げつける。


ジリリリリリリッ!


耳障りな音が、狭い搬送路に反響した。

七号なら、この音に食いついた。

だが。


コツ……コツ……。


猟犬の足音は、一切乱れなかった。

それどころか、転がったブザーを一瞥しただけで、脅威ではないと判断したかのように俺たちへ視線を戻す。


「効かねえのかよ……!」


ヒルダが歯噛みする。

音ではない。

こいつは、目標だけを見ている。


その時、壁際の金属管が、かすかに鳴った。


『音では釣れませんよ。完成品ですから』


レナードの声だった。

淡々としていて、愉快そうですらない。ただ、実験結果を読み上げる研究者の声。


『七号とは違います。あれは、命令だけを追います』


それだけ言うと、金属管の奥で、ぷつりと音が途切れた。


次の瞬間、猟犬が動いた。

消えたわけではない。

ただ、速すぎた。


「前だ!」


俺が叫ぶより早く、バルクが動いていた。

彼は救出者たちの前に割り込み、黒い大盾を構える。


直後、猟犬の鉤爪が大盾に叩きつけられた。


ゴッ!


轟音ではない。

硬いもの同士がぶつかり合った、重く凝縮された音だった。


盾は傷一つ負わない。

だが、衝撃を受け止めたバルクの巨体が、床を削りながら後ろへ押し込まれる。石の床に足跡のような溝が刻まれ、周囲の壁がびりびりと震えた。


「ぐっ……!」


バルクの腕が軋む。

それでも、盾は下がらなかった。


「バルク!」


セーラが悲鳴を上げる。

バルクは歯を食いしばったまま、低く答えた。


「……盾は問題ない。だが、衝撃が重い……!」


盾は防げる。

だが、受け止めた力までは消えない。

その重さが、バルクの肉体と床へまともに流れ込んでいるのだ。


背後から、七号の濁った咆哮が近づいてくる。


「ギシャアアアア!」


前には、命令に従う猟犬。

後ろには、壊れた七号。


俺たちは、挟み撃ちにされかけていた。


* * *


「ライアン、道は!?」


「この先、二十メートルほどに古い格子扉があります!区画を分けるためのものです!」


「そこまで下がる!バルク、もう少しだけ持たせろ!」


「任せろ!」


バルクが大盾を構え直す。

俺たちは衰弱した獣人たちを支えながら、ライアンが示す格子扉へ向かった。

猟犬が再び距離を詰める。狙いは、兎耳の少女を抱えたセーラだった。


「させん!」


バルクが進路に割り込み、猟犬の爪を大盾で受け止める。

盾はびくともしない。

だが、バルクの足が床を削り、肩が大きく沈んだ。


その一瞬で、俺たちは格子扉へたどり着く。


「ナオキさん、この扉です!」


目の前には、錆びついた鉄格子の扉があった。

頑丈そうだが、完全に足止めできるほどではない。

それでも、時間は稼げる。


俺は即座にマリエクを起動した。


'扉を固定するもの……今すぐ使えるやつ!'


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手の中に、金具のついた頑丈なベルトの束が現れる。

荷物を縛るための道具。

だが今は、命を繋ぐための扉の鎖になる。


「ライアン、手伝え!これで扉を縛る!」


「はい!」


「ヒルダ、セーラ!生存者を先に奥へ!」


「分かった!」


セーラが兎耳の少女を抱え、リーネが狐耳の少年の手を引く。ヒルダは犬種の若い女を支えながら、格子扉の向こうへ急いだ。


俺とライアンは扉の向こう側へ回り込み、格子と壁際の太い配管へベルトを通す。


ガチャ、ガチャ、ガチャ!


ラチェットの金具が噛み合うたび、ベルトがぎちぎちと締まっていく。

一本、二本、三本、四本。

鉄格子の扉が、無理やり壁へ縛り付けられていく。


「バルク、こっちへ!」


バルクが大盾で猟犬を押しとどめ、ぎりぎりのところで後退した。

彼が格子扉を抜けた瞬間、俺は最後のベルトを締め上げた。


コツ……。


扉の向こうに、猟犬が立っていた。

その後ろから、七号が涎を垂らしながら追いついてくる。


七号は格子を掴み、力任せに揺さぶった。

だが、猟犬は暴れない。

吠えもしない。

黄金色の瞳で、俺たちが巻き付けたベルトと、その先の配管を順に見ていた。


まるで、どこを壊せば一番早いのかを確かめているように。


やがて、猟犬はゆっくりと鉤爪を上げた。

狙いは、ベルトそのものではない。

ベルトが巻き付いている配管の固定具だった。


「まさか……」


ライアンが息を呑む。


ギャリッ!


甲高い音と共に、猟犬の爪が固定具に食い込んだ。


「まずい!壊されるぞ!」


俺は仲間たちを振り返る。


「奥へ進め!急げ!」


ラチェットベルトが稼げる時間は、長くない。

俺たちはライアンを先頭に、暗い搬送路を奥へと急いだ。

道は細く、古い。壁には錆びた金具や朽ちかけた車輪の跡が残っている。


「どこまで続くんだ、この道は……!」


ヒルダが苛立たしげに吐き捨てる。

その時、彼女がぴたりと足を止めた。


「……待て。この匂い……」


ヒルダは鼻を利かせ、天井近くの壁を指差した。


「外の空気だ!ここから、ごく僅かだが外の匂いがする!」


彼女が指差した先には、換気用だろうか、小さなスリットが開いていた。

その言葉に、俺たち全員の顔に緊張と希望が浮かぶ。


「ライアン!」


「ええ!この先に排気用の縦坑があるはずです!そこから地上へ出られるかもしれません!」


出口。

その言葉が、疲弊しきった俺たちの体に、最後の力を注ぎ込んだ。

俺たちは通路の奥へと急ぐ。


やがて突き当たりに、天井へ続く錆びた梯子がかかった縦坑が見えてきた。

ひんやりとした、新鮮な空気がそこから流れ込んでいる。


「あったぞ!」


「ここから出られるんだ!」


セーラが安堵の声を上げる。

だが、喜ぶには早かった。


梯子は細く、一人ずつしか登れない。

兎耳の少女はセーラの腕の中で震えたまま、足に力が入っていなかった。狐耳の少年も、リーネの手を握りしめたまま、今にも膝から崩れ落ちそうになっている。

犬種の若い女は、自分の片脚を見下ろし、悔しそうに唇を噛んだ。


「……あたしは、いい。子供たちを先に」


その言葉に、ヒルダが即座に噛みついた。


「ふざけんな。助けた命を、ここで置いてくわけねえだろ」


短い言葉だった。

だが、その一言で、犬種の女の目がわずかに揺れた。


出口は見えた。

だが、そこへたどり着くには、子供たちを一人ずつ、この細い梯子へ上げなければならない。

その間、誰かが下で猟犬を止める必要がある。


パキンッ!


背後、俺たちが来た通路の奥から、何かが断ち切れる乾いた音が響いた。


'この音は……'


ラチェットベルトが、一本、切れた音だ。


続いて、格子扉が低く軋む。

猟犬は叫ばない。

怒りもしない。

ただ、こちらへ来るための障害を、一つずつ処理している。


パキンッ。


二本目のベルトが切れた。

今度は、さっきよりも近く聞こえた。


鉄格子が、嫌な音を立ててひしゃげる。

その向こうで、七号の濁った咆哮が響いた。

だが、それよりも冷たい足音が、乱れることなく近づいてくる。


俺は錆びた梯子を見上げ、奥歯を噛みしめた。


出口は、目の前にある。

だが、全員がそこへ登り切るには、あまりにも時間が足りなかった。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


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