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異世界ネットショッピング  作者: たにやん
第2章 帝国の闇編

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第122話 命令刻印処置室

「いやっ……! いやああああああっ!」


リーネの絶叫が、冷たい通路に響き渡る。

セーラが彼女を強く抱きしめるが、その体は小刻みに震え、まるで目に見えない何かに責め苛まれているかのようだった。


「リーネ、私を見て! 大丈夫、ここにいるから!」


セーラの呼びかけも、リーネの耳には届いていない。彼女はただ、開かれた扉の向こう、白い光に満ちた部屋を恐怖に見開かれた目で見つめ、首筋の古傷を血が滲むほどかきむしっていた。


ドンッ! ガンッ!


背後で、閉ざしたはずの鉄扉が凄まじい音を立てて揺れる。

追ってきた七号が、扉をこじ開けようと暴れているのだ。


「ナオキ、どうする! 後ろの扉が持たねえぞ!」


ヒルダが叫ぶ。


行く手には、リーネが死ぬほど恐れる処置室。

背後には、ネットを引き裂いた化け物。


『さあ、どうぞ。あなた方なら、まだ進めるでしょう』


金属管から聞こえたレナードの声が、頭の中で反響する。

奴は分かっていた。俺たちがこの部屋に入るしかないことを。そして、この部屋がリーネにとって地獄そのものであることも。


「くそっ……!」


俺は歯を食いしばり、リーネを抱えるセーラの背を押した。


「中へ入れ! ここにいても挟まれるだけだ!」


「でも、リーネが!」


「分かってる! だからこそ、ここを抜けるんだ!」


リーネを無理やり地獄へ押し戻すようで、胸が痛んだ。

だが、背後の扉はもう限界だった。


俺はライアンとヒルダも中に入らせ、最後にバルクを振り返る。


「バルク! 扉を頼む!」


「承知!」


俺たちが処置室へ転がり込むと同時に、バルクが振り返り、重厚な鉄扉を内側から閉めた。閂をかける時間はない。彼はそのまま、黒い大盾を扉に押し当て、全体重をかけて侵入を阻む。


直後、ゴオオオォン! という轟音と共に、扉が大盾ごと数センチ押し込まれた。バルクの足が床を削り、火花が散る。


「ぐっ……! こいつ……!」


外の化け物をバルクに任せ、俺は部屋の中を見渡した。

そこは、俺が想像していた手術室とは少し違っていた。部屋の中央には黒曜石のような光沢を放つ処置台が一つ。壁や天井からは無数の金属管が伸び、その台へと接続されている。


そして、部屋全体が揺れていた。

キィィン、という耳鳴りのような高い音と、腹の底に響く低い唸りが混じり合い、立っているだけで気分が悪くなる。


「う……っ」


セーラに支えられたリーネの体が、ひときわ大きく跳ねた。


「ひっ……あ……いや……!」


パニックがさらに悪化している。まるで、この部屋そのものが彼女を拷問しているかのようだ。

俺は即座にスキルを発動した。


'鑑定!'


俺が視線を向けたのは、リーネではない。

彼女を苦しめている、この部屋そのものだ。


半透明のウィンドウが、黒い処置台と、それに繋がる金属管の上に浮かび上がる。


〔名称〕刻印処置台

〔状態〕稼働中

〔効果〕刻印痕に残る魔力反応を音と振動で刺激し、共鳴によって恐慌、身体硬直、強制服従反応を誘発する。

〔危険度〕高


〔備考〕音、振動、魔力を媒介として、焼き印状の刻印痕に干渉している。長時間さらされれば、意識混濁や強い精神負荷を引き起こす危険がある。


「そういうことか……!」


俺は歯噛みする。リーネが怯えているだけじゃない。

この部屋そのものが、彼女の首筋に残った傷を無理やり呼び起こしているのだ。


'耳から入る音だけでも遮れれば……!'


刻印の影響を受けているのはリーネだけだ。

今必要なのは、彼女の耳を守るものだ。


俺はマリエクを起動し、キーワードを叩き込んだ。


[検索:イヤーマフ、工業用、遮音、強力、1個]

[検索結果:高遮音イヤーマフ 5,000円]

[送料:2,000円]

[合計:7,000円]


【現在の残高:27,543,000円】


手の中に、ずしりと重いイヤーマフが一つ現れる。


「リーネ、これを着けるぞ! 音を少しでも遮断するんだ!」


俺はリーネに駆け寄り、彼女の耳を覆うようにイヤーマフを強く押し当てた。

着けた瞬間、俺の声はもうほとんど届かないはずだ。

だから俺はリーネの視界に入るように膝をつき、自分の胸を指し、それから彼女を指して大きく頷いた。


大丈夫だ。

声ではなく、表情と動きでそう伝える。


イヤーマフを着けた瞬間、リーネの激しい震えが、ほんのわずかに、だが確かに和らいだ。首筋をかきむしっていた手も、力が抜けて下がる。


「……少し、落ち着いた……?」


セーラが俺に視線を向け、安堵の息を漏らす。だが、リーネの瞳はまだ虚ろで、焦点が合っていなかった。


* * *


「ダメだ、ナオキ! 完全には消えねえ!」


ヒルダが叫んだ。


「骨を伝わって、頭の中に直接響いてくるみてえだ!」


その通りだった。耳障りな高い音は軽減されたが、腹に響く低い振動は残っている。リーネの体も、まだ小さく震え続けていた。


ガゴンッ!


その時、バルクが押さえる扉がひときわ大きく歪んだ。


「まずい! こじ開けられるぞ!」


バルクが大盾に全体重をかけて耐えているが、扉の隙間から七号の鉤爪が覗き、火花を散らしている。


「ライアン、ヒルダ! 振動の原因を探せ! この部屋のどこかにあるはずだ!」


「了解!」


「探してみる!」


ライアンとヒルダは、それぞれ壁際と部屋の中央へ散った。ライアンは壁に張り巡らされた配管の構造を追い、ヒルダは鼻と耳を頼りに、音と振動が最も強い場所を探る。


「ナオキさん! こっちです!」


先に声を上げたのはライアンだった。


「全ての配管が、あの処置台の下に集中しています! あれが動力源か、もしくはこの部屋の中枢です!」


ほぼ同時に、ヒルダも処置台を指差して叫んだ。


「ここだ! この台の下から、一番でけえ振動が来てる!」


俺はタキタのディスクグラインダーを再び構えた。処置台へと伸びる、一番太い金属管を睨みつける。


「あれを切れば、弱まるかもしれねえ……!」


「やるのか、ナオキ!?」


「他に手はねえだろ!」


俺が処置台に駆け寄ろうとした、その時。


「ナオキ、危ない!」


セーラが叫んだ。処置台の周囲の床が、淡い光を放ち始めた。


'鑑定!'


〔名称〕対被検体用 魔力拘束陣

〔状態〕待機中

〔効果〕対象が処置台に接近すると起動。強力な魔力で対象の動きを封じる。


「くそっ、罠か!」


レナードの用意した、二重三重の罠。この部屋は、ただ通り抜けさせる気すらない。


「ナオキさん、距離を取って切断は出来ませんか!?」


「無理だ! このグラインダーじゃ届かねえ!」


どうする。

バルクは扉を押さえている。ヒルダは薬品霧の影響が残って動きが鈍い。セーラはリーネを支えている。


万事休すか。


「……ナオキ」


か細い声が、俺を呼んだ。

セーラに支えられたリーネだった。彼女は虚ろな目で、処置台の下へ伸びる金属管を見ていた。


「そこまでなら……行ける……」


「リーネ!?」


「平気……じゃない。でも……あたしなら……あの陣が光り切る前に、抜けられる……」


あの魔法陣が完全に立ち上がる前なら、リーネの脚なら抜けられる。

そう言いたいのだと分かった。


だが、今の彼女の状態では自殺行為だ。


「馬鹿言うな! お前を一人で行かせるわけにはいかねえ!」


叫んでから、俺は気づいた。

イヤーマフを着けたリーネには、俺の声がまともに届いていない。

それでも、俺の表情だけで意図を察したのか、リーネは小さく首を振った。


「……もう、いやなんだ……。震えてるだけなのは……」


その瞳に、わずかな光が宿る。恐怖ではない。怒りの光だ。

セーラが息を呑む。俺も、言葉を失った。


「……分かった。だが、一人じゃねえ」


俺はリーネの正面に回り込み、イヤーマフの片側をほんの少しだけ浮かせた。

高い音が漏れ込んだのか、リーネの肩がびくりと跳ねる。


「すぐ済ませる。俺が切る。お前は俺をそこまで連れていけるか?」


リーネは一瞬だけ驚いたように目を見開き、そして、力強く頷いた。

俺はすぐにイヤーマフを戻し、ライアンを見た。


「ライアン、起動の間隔は読めるか!」


「完全ではありません。ですが、床の光が強まる直前に、一瞬だけ紋様が暗くなります!」


「そこを抜ける!」


「一度きりです!」


俺はグラインダーを固く握りしめた。

セーラがリーネの肩を支え、立たせる。彼女の足はまだ震えていたが、その目はまっすぐ前を向いていた。


バルクは扉を押さえ続けている。

七号の爪が鉄を削る音が、背後で嫌な響きを立てていた。


「三、二、一……今です!」


ライアンが叫ぶ。

リーネには聞こえていない。だから俺は彼女と目を合わせ、処置台を指して短く頷いた。

リーネも小さく頷く。


俺はリーネの腰を抱え、彼女の動きに合わせて床を蹴った。


「行くぞ!」


声は届かなくても、動きは伝わった。

風を切るように、俺たちの体が床を滑る。床の魔法陣の光が足元から迫るが、完全に起動するよりも一瞬早く、俺たちは処置台の懐に滑り込んだ。


「おおおおおっ!」


俺は体勢を立て直すのももどかしく、グラインダーのスイッチを入れた。


ギャリリリリリリリリッ!


甲高い絶叫のような音を立て、回転する刃が金属管に食い込む。火花が白い床を走り、焼けた鉄の臭いが立ち込めた。


硬い。だが、切れる!


金属管が断末魔の悲鳴を上げ、ついに切断される。

その瞬間、部屋を支配していた不快な振動が、大きく乱れた。


耳鳴りのような高い音は、まだ残っている。

だが、リーネの首筋を締め上げていた見えない力だけは、ふっと弱まった。


「……弱まった」


セーラの声が、少しだけ静けさを取り戻した部屋に響く。

俺の腕の中で、リーネが大きく息を吸った。


「……声が、遠くなった……」


その呟きは、こちらに返した言葉ではなかった。

イヤーマフの下で、彼女自身が確かめるように漏らしたものだった。


セーラがリーネの正面に回り込み、ゆっくりと口を動かす。


――大丈夫。


声は届いていないかもしれない。

それでも、リーネはセーラの唇の動きと表情を見て、小さく頷いた。


俺はリーネの様子を確かめ、イヤーマフを片側だけ少し浮かせた。

高い音はまだ残っている。完全には外せない。

だが、さっきのように崩れ落ちるほどの干渉は、もうない。


「まだ怖い……でも、動ける……」


俺はすぐにイヤーマフを戻した。

リーネはセーラにもたれかかりながら、自分の足で、ゆっくりと、だが確かに一歩を踏み出した。


その一歩は小さい。

けれど、この部屋で奪われたものを、リーネが自分の足で取り返そうとした一歩だった。


俺は振り返って叫んだ。


「バルク、奥へ下がれ! もうそこは持たなくていい!」


「……承知!」


バルクは大盾で扉を一度強く押し返すと、傍らに倒れていた金属製の器具棚を蹴り飛ばした。

器具棚が扉の隙間に噛み込み、嫌な音を立ててひしゃげる。


長くは持たない。

だが、数十秒でも稼げれば十分だ。


バルクが大盾を構えたまま、俺たちの後ろへ合流する。

その背後で、七号が再び扉を叩きつけた。


* * *


処置室を横断し、奥の出口へと向かう。床には、おびただしい数の書類が散乱していた。そのほとんどが、俺たちが以前見たようなおぞましい実験記録だった。


ふと、リーネが足を止めた。彼女の視線の先、床に落ちた一つのファイルに、俺は気づいた。

それは他の書類とは違い、丁寧に装丁されたファイルだった。表紙には「再処置予定リスト」と記されている。


俺はそのファイルを拾い上げ、必要な箇所だけを乱暴に開いた。

じっくり読んでいる暇はない。

それでも、無機質な文字列が目に飛び込んできた。


【再処置予定個体】

【識別番号:猫種雌個体 十二号】

【状態:旧命令刻印に対し、強い抵抗反応あり。自我の崩壊なし】

【処置方針:抵抗反応を抑制した上で、再刻印を実施予定】


リーネが息を呑んだ。


「……それ、あたしだ」


その声は、震えていた。

だが、目を逸らしてはいなかった。


「……こいつら」


俺の口から、自分でも驚くほど低い声が漏れた。

怒りで、腹の底が煮えくり返る。


怒鳴りたい。

今すぐこの部屋ごと叩き壊したい。


だが、それだけでは足りない。

こいつらが何をしたのか、外に持ち出さなければならない。


俺はファイルを閉じると、何も言わずにアイテムボックスへとしまい込んだ。これは、奴らの罪を暴くための、何よりの証拠だ。


やがて、俺たちは通路の突き当たりへたどり着いた。

ここが、この地獄の区画の出口らしかった。


左右に、二つの鉄扉が並んでいる。

左の扉には「搬出口」、右の扉には「被検体収容区画」とプレートが掲げられていた。


「どっちへ行くんだ……?」


ヒルダが、二つの扉を交互に見ながら呟く。

常識的に考えれば、選ぶべきは「搬出口」だ。外へ繋がっている可能性が高い。


その時だった。


「……いる」


リーネが、右の扉――「被検体収容区画」をじっと見つめて、呟いた。


「まだ、誰か……いる……。あたしと同じ……ううん、もっと弱い……気配がする」


彼女の言葉を裏付けるように、右の扉の奥から、かすかな音が聞こえてきた。

それは、壁を引っ掻くような、弱々しい音。


そして、声が聞こえた。


「……たす……けて……」


子供だろうか。か細く、途切れ途切れの声が、厚い鉄扉の向こうから、確かに聞こえてくる。


レナードの声は、もう聞こえない。

背後の通路の奥からは、七号が障害物を叩き壊す音が迫っている。


逃げるなら、今しかない。

左の「搬出口」から、この地獄を脱出する。それが最も合理的で、生還率の高い選択だ。


だが、右の扉の向こうには、まだ助けを待つ者がいる。


逃げるなら、左だ。

助けるなら、右だ。


理屈では分かっている。

分かっているのに、俺の足は、左へ動かなかった。


右の扉の向こうから、もう一度、かすかな声が聞こえた。


「……たす……けて……」


俺は、奥歯を噛みしめた。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、

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