第111話 神隠し
黒い外套の男たちが去った後、ギルドの中は水を打ったように静まり返っていた。誰もが凍りついたように動きを止め、ただ男たちが出ていった扉を見つめている。嵐が過ぎ去った後の、不気味な静寂そのものだ。
その沈黙を破ったのは、ヒルダの怒声だった。
「なんなんだよ、ありゃあ! ふざけんじゃねえぞ! ギルドの中で冒険者が理由もなく連れて行かれてるのに、なんで誰も何もしねえんだよ!」
ヒルダの叫びが、がらんとしたホールに響き渡る。その声に、周囲の冒険者たちはびくりと肩を揺らし、気まずそうに視線をそらした。何人かはそそくさと立ち上がり、逃げるようにギルドを出ていく。
「おい、あんた! ギルドの人間だろ! 何とか言えよ!」
ヒルダは近くの受付カウンターに詰め寄り、青ざめた顔で立ち尽くす受付嬢に食ってかかった。
「やめろ、ヒルダ」
俺はヒルダの肩を掴んで制止する。
「やめてたまるか! ナオキ、あんたも見たろ! これがおかしいって分かんねえのかよ!」
「分かってる。だが、ここで騒いでも意味がない。彼女を困らせるだけだ」
俺の言葉に、ヒルダはぐっと唇を噛み、悔しそうに拳を握りしめた。俺は受付嬢へと向き直る。
「……すまない。少し聞かせてほしい。今の連中は一体何者なんだ? ギルドは、なぜ彼らの横暴を黙って見ている?」
できるだけ穏やかな声で尋ねた。だが、受付嬢は震える声で、ただ首を横に振るだけだった。
「……申し訳ありません。私には、何も……」
「何も言えない、か」
「……お答え、できません」
その声は恐怖で固く閉ざされていた。彼女の瞳の奥に、逆らえば次は自分の番だという、骨の髄まで染みた怯えが見て取れる。これ以上の追及は無意味だろう。
「……そうか。分かった」
俺は短く言うと、仲間たちに目配せをした。
「行くぞ。ここにいても得るものはない」
「……ちっ」
ヒルダが忌々しげに舌打ちする。セーラは心配そうに俺の服の袖を掴み、ライアンは眼鏡の奥で鋭い視線をギルドの奥へと向けていた。バルクは、いつの間にか背中の大盾に手をかけ、いつでも動ける体勢を取っている。
俺たちは、重い沈黙が支配するギルドを後にした。後ろ手で扉を閉める瞬間、他の冒険者たちの、安堵と憐れみが混じったような視線を感じた。
* * *
ギルドの外へ出ると、夕暮れの喧騒が俺たちを包み込んだ。活気のある街並みと人々の笑い声。だが、そのどれもが今の俺たちにはひどく空々しく響く。
「胸糞悪ィ……! なんだってんだ、この街は!」
ヒルダが地面を蹴りつけ、悪態をつく。
「結局、何も分からずじまいだったな」
俺が呟くと、ライアンが静かに、しかし確信を込めて言った。
「……いいえ、ナオキさん。分かったこともあります。あの黒服の連中は、冒険者ギルドさえ黙らせるほどの権力を持っている。そして、ギルドはその権力に屈している。……これは、非常に大きな情報です」
「それが分かったからって、どうにもならねえだろ!」
「今は、ですがね」
ライアンの冷静な言葉に、俺は頷いた。感情的になっても始まらない。一つ一つ、事実を積み上げていくしかない。
「とにかく、一度宿に戻る。今日のところはもう──」
俺がそう言いかけた、その時だった。
雑踏の中から、すっと一人の男が俺たちのすぐそばに現れた。しわがれた声が、俺の耳元で囁く。
「……旅の人だな?」
咄嗟に身構え、声の主を見る。みすぼらしい恰好をした、小柄な老人だった。その目は、年のせいか、あるいは別の理由か、ひどく濁っている。
「……誰だ、あんたは」
俺が低い声で尋ねると、老人は周囲を素早く見回し、さらに声を潜めた。
「わしは、あんたがたの味方でも、敵でもない。ただ……少し、気になることがあってな」
老人の視線が、俺たちの顔を一人ずつ、値踏みするように舐めていく。
「あんたがたの目……この街の連中とは違う。まだ、死んでおらん目だ」
「……何が言いたい?」
「ここでは話せん。少し、ついてきてもらえんか。」
老人はそう言うと、俺たちの返事を待たずに、人混みを縫うようにして歩き出した。その足取りは、老体とは思えないほど素早い。
「どうする、ナオキ? 明らかに怪しいぜ」
ヒルダが警戒を露わにする。
「罠、かもしれませんね」
ライアンも同意する。だが、俺は老人が消えた方角を睨み据えていた。
'この街で、初めて向こうから接触してきた人間だ'
危険な賭けかもしれない。だが、この膠着した状況を打破するには、リスクを冒すしかない。
「……行くぞ。話を聞くだけだ」
俺の決断に、仲間たちは顔を見合わせたが、すぐに覚悟を決めたように頷いた。俺たちは、老人の後を追い、薄暗い路地裏へと足を踏み入れた。
* * *
老人に導かれたのは、建物と建物の間に挟まれた、日の当たらない細い路地だった。酸っぱいゴミの匂いと、湿ったカビの匂いが鼻を突く。大通りの喧騒が、嘘のように遠のいていた。
「……ここでいいじゃろう」
老人は立ち止まり、壁に背をもたせかけた。その顔には、深い疲労の色が浮かんでいる。
「単刀直入に聞く。あんたがた、黒服の連中を探っておるな?」
「……そうだとしたら?」
「やめておけ。死にたくなければな」
老人は吐き捨てるように言った。
「忠告だけなら、わざわざこんな場所に呼ばなくてもいいだろう。あんたは、何か知っている。違うか?」
俺が核心を突くと、老人はしばし黙り込んだ。そして、諦めたように、重い口を開いた。
「……奇妙な話がある」
その声は、ひどくかすれていた。
「あの黒服に連れて行かれた者たちは、ほとんどが二度と戻らん。じゃが……ごく稀に、戻ってくる者がおる」
「戻ってくる?」
セーラが息を呑む。
「ああ。何事もなかったかのように、ふらりと街に姿を現す。だがな……」
老人はそこで言葉を切り、濁った目で俺たちを見つめた。
「戻ってきた者は、誰も、連れて行かれていた間のことを一切話さん。いや、話せない、と言った方が正しいかもしれん。家族が聞いても、友人が聞いても、ただ虚ろな目で首を振るだけ。まるで、その記憶だけが、ごっそりと抜き取られたようにな」
「記憶が……抜き取られた……?」
ライアンが信じられないといった顔で呟く。恐怖で黙らせるのとは訳が違う。もっと別の、得体の知れない力が働いている証拠だ。
「そして、もう一つ」
老人は、さらに声を低くした。その目には、本物の恐怖の色が浮かんでいる。
「ここ最近……姿を消すのは、人間だけじゃなくなった」
「どういうことだ?」
「獣人じゃよ。この帝都にも獣人はおる。……もっとも、自由の身じゃない。ほとんどは奴隷として扱われとる。その獣人たちが、ここひと月で何人も姿を消しておるんじゃ。」
獣人。その言葉に、俺は眉をひそめた。初めて聞く情報だ。
「奴隷が……?」
「ああ。奴隷商人どもも首を傾げとる。売られた訳でも、逃げた訳でもない。ある日突然、煙のように消えるそうじゃ」
老人の言葉が、薄暗い路地裏に重く響く。
ただの権力による弾圧ではない。記憶を操作するような不気味な現象。そして、人間とは別に、獣人だけを狙った謎の失踪事件。
二つの異なる異常事態が、この帝都で同時に起きている。
* * *
「わしが知っているのは、これだけじゃ」
老人は壁から背を離し、ふう、と長い息を吐いた。
「これ以上は知らん。……いや、知ろうともしなかった」
老人は自嘲気味に笑う。
「臆病者じゃからな。深入りした者がどうなるか、この目で何度も見てきた」
そう言い残すと、老人は俺たちに背を向け、来た時と同じように音もなく闇の中へと溶けるように消えていった。
後に残されたのは、俺たちだけ。
そして、老人が残した、重く、不気味な謎。
「記憶を操作する……? そんなことが、本当に……」
セーラが震える声で呟く。
「魔法の類でしょうか……。あるいは、強力な薬物か……」
ライアンが腕を組み、険しい顔で思案している。
「どっちにしろ、ヤベえ話だってことだけは確かだな」
ヒルダの言葉に、誰も反論できなかった。
俺は、老人が消えた路地の闇を見つめていた。
バラバラに見えた点と点が、一つの歪な輪郭を結び始めようとしている。
'戻ってくるが、記憶がない人間。人知れず消えていく獣人。そして、それを支配する黒服の連中'
これは、単なる権力争いや汚職といった、分かりやすい話ではない。
もっと深く、得体の知れない何かが、この帝都の根底で蠢いている。
俺は固く拳を握りしめた。
帝都の闇。
その入口に、俺たちは足を踏み入れてしまったのかもしれない。
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