第11話 価値の支配者と、新たな契約
第11話 価値の支配者と、新たな契約
食堂の喧騒が、一人の男の悲痛な叫びにかき消された。
刃こぼれのひどい斧を握った木こりの男が、俺の前にひざまずく勢いで懇願する。
「頼む! 俺にも、明日を生きるための『道具』を売ってくれ!」
その言葉は、宿屋にいた全員の心に突き刺さった。漁師だけではない。この町に住む誰もが、同じ渇望を抱いているのだ。
俺は男を見下ろし、静かに口を開いた。
「金は、あるのか?」
俺の冷たい一言に、男の顔から希望が消える。
「……そりゃあ……。日銭を稼いで、その日の食い扶持にするのがやっとだ。そんな大金、あるわけが……」
「だろうな」
俺はこともなげに言い放つ。周囲から「なんて無慈悲な」「やっぱり金か」という囁きが聞こえた。バルガスも心配そうに俺を見ている。
'違う。これは施しじゃない。ビジネスだ。持続可能でなければ意味がない'
俺はボロボロの斧を一瞥し、男の目を見据える。
「なら、取引の方法を変えよう」
「……え?」
「お前に最高の斧を『投資』する。金はいらん」
「か、金はいらねえだと!?」
男だけでなく、周囲の町民たちもどよめく。俺はそれを手で制した。
「ただし、タダじゃない。契約だ」
俺は人差し指を一本立てる。
「その斧を使って稼いだ木材の売上の『二割』を、俺に支払ってもらう。お前が木こりを続ける限り、ずっとだ」
「……に、二割?」
男は信じられないといった顔で俺を凝視した。周囲のざわめきが一層大きくなる。
「なんだそりゃ! 奴隷契約じゃねえか!」
「稼ぎの二割をずっと奪い続ける気か!」
非難の声が浴びせられる。だが、木こりの男は動かなかった。彼はただ、俺の目をじっと見つめている。頭の中で、必死に計算しているのがわかった。
「今のこの斧じゃ、一日働いてもまともな木は一本も切れねえ。稼ぎは鉄貨数枚……家族が腹を空かせる日もある」
男が絞り出すように言った。
「だが、もし……もし、あんたの言う『最高の斧』とやらで、昔みたいに一日で十本、二十本と木が切れるようになったら……」
「二割払っても、今よりずっと稼げる。そういうことだ」
俺が告げると、男はごくりと喉を鳴らす。その目には、自力で未来を掴もうとする者の光が宿っていた。
「……わかった。その契約、乗った!」
男の決断に、食堂の空気が再び凍りついた。非難の声を上げていた者たちも、口をつぐむ。彼らもまた、気づき始めたのだ。これは搾取ではない。金を持たない者でも参加できる、唯一のチャンスなのだと。
* * *
「はっ……ははは! はーっはっはっは!」
突然、バルガスの大爆笑が食堂に響き渡った。彼は腹を抱えて涙を流している。
「最高だぜ、ナオキ! お前、とんでもねえ天才かよ!」
一頻り笑った後、バルガスは立ち上がり、俺の肩を掴んだ。その目は尊敬と興奮に輝いている。
「なるほどな! 『奇跡の粉』が売れなかったのは、町に金がなかったからだ! だから、まず金を生み出す『道具』を投資する! しかも、初期投資ゼロで参加できる成功報酬型! これなら、やる気さえあれば誰だって成り上がれるじゃねえか!」
バルガスはそのまま食堂にいる全員に向き直り、高らかに宣言した。
「みんな、聞いたな! こいつが俺の相棒、ナオキだ! こいつは、この涸れ谷のグルフを救うために現れた男だ!」
バルガスの力強い言葉に、町民たちは息を呑む。
「この『木陰亭』は、今日からナオキの事業の拠点とする! 道具が欲しいヤツ、自分の腕で稼ぎたいヤツは、ここに集まれ! 俺とナオキが、お前たちの未来に投資してやる!」
その言葉は宿屋の主人のものではなく、町を導くリーダーの宣言だった。俺を非難していた男たちの目が、畏怖と期待の色に変わる。
俺は黙ってバルガスを見た。彼も俺を見て、ニヤリと笑う。
「どうだ、相棒。俺の投資も、悪くなかっただろ?」
「……ああ。最高の相棒だ」
俺たちが固く握手を交わすのを、町民たちは歴史的瞬間を目撃するように見守っていた。
* * *
その夜、部屋に戻った俺はすぐに『マリエク』を起動した。興奮した頭で、ウィンドウに思考を巡らせる。
'木こりには斧、漁師には釣り針。これで終わりじゃない'
俺は検索窓に、思いつく限りの「生産性を上げる道具」を打ち込む。
'鍬'
[検索結果:人間工学設計 高炭素鋼製鍬 3000円]
'鋤'
[検索結果:軽量合金製 三角ホー 2500円]
'裁縫針'
[検索結果:高強度チタン製 裁縫針セット 500円]
次々と表示される、この世界の常識を覆す品々とその価格。釣り針の購入で残高はゼロ。手元には魚の売上である鉄貨数十枚分しかない。
'資金が圧倒的に足りない……'
まずは、木こりの男に渡す斧だ。俺は『斧』と検索し、リストを吟味する。
[検索結果:サバイバルアックス(多機能型) 5000円]
[検索結果:林業用両刃斧(プロ仕様) 12000円]
[検索結果:グラスファイバー製手斧 4000円]
'高いな……。だが、ここでケチるわけにはいかない。圧倒的な性能差を見せつけなければ、二割という契約の説得力が薄れる'
俺は意を決し、再びバルガスに借金を頼むことにした。銀貨四枚、4000円。事情を話すと、彼は二つ返事で快諾してくれた。
「おう、任せとけ! 未来への投資だからな!」
銀貨を受け取り、俺はすぐに『グラスファイバー製手斧』を発注した。残高はほぼゼロに戻る。
'綱渡りだな。だが、これが成功すれば、木こりの売上の二割が継続的に入ってくる。その金で次の投資をする。雪だるま式に、この町の生産性を上げていくんだ'
俺は羊皮紙に炭でリストを作り始める。
グルフ再生計画
1.漁業:釣り針(投資済)、投網、釣り竿
2.林業:斧(投資済)、ノコギリ
3. 農業:鍬、鋤、作物の種
4.裁縫:針、糸、ハサミ
リストを眺め、俺は次の戦略を練る。これは、死にかけた町を舞台にした壮大な経営シミュレーションゲームだ。
* * *
翌日の昼過ぎ、注文の品が『木陰亭』に届いた。俺とバルガス、木こりの男が固唾を飲んで見守る。
俺が段ボールの梱包を解くと、中から黒く鈍い光を放つ一本の手斧が現れた。
流線型のフォルム。柄は木ではなく奇妙な光沢を放つ黒い繊維。鏡のように磨かれた刃は、不気味な鋭さを漂わせている。
「こ、これが……斧……?」
バルガスが呆然と呟く。
「持ってみろ」
俺が促すと、木こりの男がおずおずと手を伸ばした。
男が震える手で斧を手に取った瞬間、目を見開く。
「……軽い。嘘みてえに軽い……!」
彼は斧を軽く振ってみる。完璧な重心が、吸い付くように手の中に収まった。その尋常ならざる刃の鋭さに、これが単なる道具ではなく、未来そのものであることを悟ったかのように、男は言葉を失い立ち尽くすのだった。
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