第107話 バルクの誓い
約束の三日目の朝。
宿屋の食堂は、いつもと少し違う、そわそわとした期待感に包まれていた。
「おいバルク、今日の主役は緊張してんのか? 飯のペースがいつもより速いぜ?」
ヒルダがニヤニヤしながら、山盛りのパンを平らげていくバルクの肩をどんと叩く。
「……別に」
バルクは短く答えるが、その耳が微かに赤くなっているのを俺は見逃さなかった。それに、ヒルダの言う通り、食べるペースがいつもより速い。
「まあまあ、ヒルダ。バルクだって楽しみなのよ。ね?」
セーラが微笑みながらバルクに話しかける。バルクはこくりと一度だけ頷き、再びパンに集中するフリをした。その姿がおかしくて、セーラもくすくすと笑っている。
「それにしても、あの女王の外殻から作った盾……一体どんな代物なんだろうな。ヴォルグのジジイ、大口叩いてたし」
「ガレスさんも認める腕です。きっと、我々の想像を超えるものが完成しているでしょう」
ライアンがスープを飲みながら、冷静に、しかし確かな期待を込めて言った。
三日前、頑固な職人ヴォルグに預けたセンチネル・クロウラー・クイーンの胸部外殻。それが今日、バルクの新たな力となって帰ってくる。仲間たちが浮き足立つのも無理はなかった。
「ナオキさんは、ご自分の武器のことはもう決めたんですか?」
ふと、セーラが俺に視線を向けた。その瞳は、俺自身の答えにも期待しているようだった。
「……いや、まだだ。今は片手剣でも十分だしな」
俺は肩をすくめて答える。
正直、武器のことは後回しでいい。マリエクと鑑定さえあれば、戦い方はどうとでもなる。
「はあ? そんなんでいいのかよ」
ヒルダが拍子抜けしたように言う。
「無理に拘る必要もないだろ。今日の主役は俺じゃない」
俺はバルクへ視線を向けた。彼は、いつもより速いペースでパンを口に運んでいる。
「よし、腹ごしらえは済んだな! 行くぞ、お前ら!」
ヒルダが最後のパンを口に放り込み、勢いよく立ち上がった。
「目指すはヴォルグの工房だ! 主役、準備はいいか!?」
「……ああ」
バルクが、静かに、しかし力強く頷いた。その大きな背中からは、今まで感じたことのないほどの期待と、わずかな緊張が伝わってきた。
* * *
ヴォルグの工房は、アルテナの街の職人街の一角にあった。
カン、カン、というリズミカルな金属音が、工房の中から響いてくる。俺たちが扉を開けると、むわりとした熱気と鉄の匂いが俺たちを出迎えた。
工房の奥で、巨大な金床に向かっていたヴォルグが、俺たちに気づいて手を止めた。
「……来たか。約束通り、三日だ」
ヴォルグは汗を拭いもせず、無愛想に言った。その視線は、まっすぐにバルクに向けられている。
「品物は、できているんだろうな?」
ヒルダが焦れたように尋ねる。
「ふん。誰に口を利いている。これだ」
ヴォルグは顎で工房の隅を示した。そこに、分厚い布がかけられた大きな塊が置いてある。
バルクが、ごくりと喉を鳴らすのが聞こえた。
ヴォルグはゆっくりと布に手をかけ、一気にそれを引き剥がした。
「「「…………っ!」」」
現れたそれに、俺たちは全員、息を呑んだ。
それは、盾だった。
だが、俺たちが知るどんな盾とも違う。
黒曜石のように深く、鈍い光を放つ巨大なタワーシールド。その表面には、まるで生きているかのような禍々しい文様が浮かび上がっている。センチネル・クロウラー・クイーンの外殻が持っていた、あの生命力と威圧感を、そのまま封じ込めたような異様な存在感。
「……これが……」
セーラが呆然と呟く。
「美しい……ですが、同時に恐ろしいほどの力を感じます」
ライアンが眼鏡を押し上げ、食い入るように盾を見つめている。
「どうだ。これが、あの女王の素材から生まれた、お前の新しい力だ」
ヴォルグが、バルクに向かって言った。
バルクは、まるで聖遺物にでも触れるかのように、ゆっくりと盾に手を伸ばした。その指先が黒い表面に触れた瞬間、盾の文様がぼうっと淡い光を放ったように見えた。
バルクは盾を手に取ると、その重量を確かめるように、ゆっくりと構えた。巨漢のバルクが持ってなお、その存在感は少しも揺るがない。むしろ、持つべき主を得て、その真の力を解放するのを待っているかのようだ。
俺は鑑定スキルを発動させた。
【センチネル・ガーディアン】
真価看破:あらゆる攻撃を七割近く弾く、国宝級の守りの化身。傷は自ら塞がり、纏う威圧は敵の足を竦ませる。
'……は?'
七割軽減……?
表示された鑑定結果に、俺は自分の目を疑った。もはやチートの領域だ。
「おい、ナオキ。どうなんだ、そいつは」
ヒルダが俺の様子に気づいて尋ねる。
「……ああ。とんでもない代物だ」
俺が鑑定結果を伝えると、仲間たちは再び絶句した。
「ダメージを……7割もカットするの……?」
「これでは、もはや動く要塞ですね……」
「よし、試してみるか」
ヴォルグがニヤリと笑う。
「おい、そこの嬢ちゃん。その腰の短剣で、思いっきり突いてみな」
「あたしが? いいのか、ジジイ。傷がついても知らないぞ」
ヒルダはそう言いながらも、嬉々として短剣を抜いた。
「ふん、やれるもんならやってみな」
バルクが盾を構える。ヒルダは深く息を吸い込むと、全身のバネを使って、鋭い突きを繰り出した。
キィィィンッ!
甲高い金属音と共に、火花が散る。
ヒルダの渾身の一撃は、センチネル・ガーディアンの表面に、白い傷一つ残すことができなかった。
「なっ……!?」
ヒルダが信じられないという顔で後ずさる。
「嘘だろ……あたしの突きが、全く通じない……」
「どうだ。これが女王の硬度だ」
ヴォルグが満足げに腕を組む。
バルクは、自分の新しい盾をじっと見つめている。その無表情の奥で、燃えるような感情が渦巻いているのが、俺には分かった。
彼はゆっくりとヴォルグの方を向き、そして、深く、深く頭を下げた。
「……感謝する」
その一言には、彼のありったけの想いが込められていた。
「ふん。礼なら、仕事で返せ」
ヴォルグはぶっきらぼうにそう言うと、ふいと顔をそむけた。だが、その口元には、確かな満足の笑みが浮かんでいた。
* * *
バルクの盾の完成を見届け、工房内には満足げな空気が満ちていた。
「さて、そっちの坊主の武器は、どうするんだ?」
ヴォルグが思い出したように、俺へ視線を向けた。
「……まだ決めてない。今は片手剣でも十分だ。必要になったら、また頼む」
「ふん。まあ、お前さんの場合、剣がなくても何とかなりそうだしな」
ヴォルグは小さく笑うと、預けたままの牙にちらりと目をやった。
「この牙も、急ぐ必要はねぇ。腐るもんじゃねぇからな」
「……ああ、頼む」
俺は牙を見つめながら、小さく頷いた。
今の俺に必要なのは、特別な一本の武器じゃない。マリエクと、鑑定と、この世界にはない知識。それさえあれば、十分に戦える。
工房を出ると、外はすでに夕暮れに差し掛かっていた。
バルクが、新しい盾を背に、いつもより少しだけ大きな歩幅で歩いている。その背中を見ながら、俺たちは宿への道を歩いた。
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