第106話 現代知識という武器
翌朝。
宿屋の食堂には、香ばしいパンの匂いと、仲間たちの賑やかな声が満ちていた。
「しかし、ヴォルグのジジイ、あと二日で本当に盾を仕上げられるのかね」
ヒルダが焼きたてのソーセージを頬張りながら、疑わしそうに言う。
「腕は確かだと、ガレスさんも言っていました。信じて待ちましょう」
ライアンが冷静に答える。その視線の先では、バルクがいつも通り黙々と、しかし心なしか嬉しそうにパンを口へと運んでいた。
彼の新しい盾。そして俺自身も、二日後までにはヴォルグへ答えを出さなければならない。
「バルクの盾は本当に楽しみね。そしてナオキは、どんな武器を考えてるのかしら」
セーラが期待に満ちた瞳で俺を見る。その純粋な眼差しが、少しだけ痛かった。
「……それが、まだ何も決まってない」
俺がパンとスープを食べながら答えると、ヒルダが訝しげな顔を向けた。
「はあ? 昨日、武器屋に行ったんだろ? 何もピンとくるやつがなかったのかよ」
「ああ。剣も、槍も、斧も……。どれも、自分の手足みたいに扱える気がしなかった」
昨日の武器屋での違和感が、まだ腕に残っているようだった。店主が勧めてくれたどの武器も、素晴らしく、そして恐ろしく俺には似合わなかった。まるで、他人の服を無理やり着せられているような感覚。
「ナオキさんの場合、選択肢が多すぎるのが逆に悩みどころですね」
ライアンが腕を組み、思案顔で呟く。
「ま、焦るこたねえよ。ヴォルグのジジイも、三日やるって言ってたんだしな」
ヒルダの気楽な言葉に、俺は曖昧に頷くことしかできなかった。
ヴォルグに渡したあの牙のことが、頭から離れない。
'武器にするのか――まだ、決めてない'
そう答えた自分の声が、今になって重く響く。
答えは俺の中にある。分かってはいるが、その答えが見つからない。
「……少し、一人で考えたい。街を歩いてくる」
俺は席を立つと、仲間たちにそう告げた。
「なんだよ、付き合ってやろうか?」
「いや、いい。すぐに戻る」
ヒルダが言うが俺は断りを入れる。
心配そうなセーラの視線を背中に感じながら、俺は一人で宿を出た。
* * *
アルテナの街は、朝の活気に満ちていた。
俺は目的もなく、人々の流れに身を任せて歩く。そして、無意識のうちに、昨日訪れた武器屋の前で足を止めていた。
『もう一度……。一晩考えた今なら、昨日と違う景色が見えるかもしれない』
そんな淡い期待を抱いて、俺は再び店の扉を開けた。
「おや、お客さん。昨日の……」
恰幅のいい店主が、俺の顔を覚えていたらしい。
「何か、心に決まったものはありましたかな?」
「いや……。もう一度、見させてくれ」
俺は店主の言葉を遮り、壁に掛けられた武器を一つ一つ、じっくりと見て回った。
ロングソード、スピア、バトルアックス……。
もう一度手に取ってみる。だが、昨日感じた違和感は、少しも消えていなかった。むしろ、より強く、はっきりと「これは俺の武器ではない」と主張しているようだった。
'ダメだ……。やはり、どれも違う'
俺は静かに武器を棚に戻し、店を出ようとした。
「お客さん」
店主に呼び止められる。
「もし、既存の武器に合うものがないのでしたら……いっそ、ご自分の戦い方に合わせて、オーダーメイドで武器をあつらえるという手もありますぞ」
「オーダーメイド……」
「ええ。少々値は張りますが、最高の職人を紹介できます。その武器で、どんな戦いをしたいのか。それさえ決まっていれば、ですが」
結局、話は振り出しに戻る。
ヴォルグと同じことを言われてしまった。
「……考えておく」
俺はそれだけ言うと、今度こそ店を出た。
昨日とは違う迷いを抱えたまま、俺は宿への道を歩いた。
'俺の戦い方……。一体、何なんだ……'
答えの出ない問いが、頭の中をぐるぐると回り続けていた。
* * *
宿に戻ると、広間で仲間たちが俺を待っていた。
「おかえり、ナオキ。何か、見つかった?」
セーラが心配そうに駆け寄ってくる。俺は力なく首を振った。
「……いや。やはり、物理的な武器は俺には合わないのかもしれない」
俺がぽつりと呟くと、隣にいたライアンが眼鏡の位置を直した。
「では、やはり魔法を主軸に据える、という方向で考えてみますか?」
「ああ。ライアン、昨日の話の続きを聞かせてもらえるか。この世界の魔法について、もっと詳しく知りたい」
俺の言葉に、ライアンは待ってましたとばかりに頷いた。
「ええ、もちろんです」
ライアンは一度周囲を見渡すと、声の調子を少し落とした。
「少し長くなりますが、お付き合いください」
俺たちは食堂のテーブルにつき、ライアンの即席魔法講座が始まった。
「私が読んだ文献では、魔法の威力は単純な魔力量だけでは決まらないと言われています。」
「術者の魔力制御や経験も関係すると考えられています。」
「そして近年では、術者のイメージが大きく影響するという説もあります。」
ライアンは指を一本立てた。
「一つ目は、術者の『総魔力量』です。魔法を維持し、威力を支える燃料のようなものですね。ナオキさんは一般的な冒険者と比べれば十分高い部類ですが、それだけで全てが決まる訳ではありません」
俺は黙って頷く。
「二つ目は、『魔力制御の精密さ』。同じ魔力量でも、それをどれだけロスなく術式に変換できるか。これは修練によって向上します。ナオキさんの現在の課題は、主にここですね」
手合わせで完敗した時のことを思い出し、耳が痛くなる。
「三つ目は、『想像力』です」
「想像力?」
聞き慣れない言葉に、俺は首を傾げた。
「はい。魔法とは、突き詰めれば『己の意思を世界に反映させる技術』です。その際、どれだけ明確に、鮮明に、術が完成した状態を『イメージ』できるか。それが、魔法の威力、効果、さらには成功率そのものを大きく左右するのです」
ヒルダやセーラは、難しい話に少し退屈そうな顔をしている。だが、俺はライアンの言葉に強く引きつけられていた。
「例えば」とライアンは続けた。
「同じ火魔法でも、ただ『燃えろ』と念じる者と、炎の動きや熱の伝わり方まで鮮明に思い描ける者では、完成する魔法はまるで別物になります」
その言葉が、俺の頭に突き刺さった。
「……つまり、より鮮明にイメージできるほど、魔法は強くなるってことか?」
「私は、その可能性が最も高いと考えています。ですが、そこまで詳細を理解している者はいません。ほとんどの魔法使いは、長年の経験と勘、そして師から受け継いだ漠然としたイメージに頼っているのが現状です」
炎。
爆発。
放電。
凍結。
学校で当たり前に学んできた知識。
この世界では、その当たり前を知る者はいない。
俺は、それを誰よりも具体的にイメージできる。
現代日本で培った知識こそが、この世界では俺だけの武器になる。
「……ナオキさん? どうかしましたか?」
俺が突然黙り込んだのを、ライアンが不思議そうに覗き込む。
「……いや。とんでもないヒントをもらった」
俺は興奮で高鳴る胸を抑え、ニヤリと笑った。
暗闇の中に、確かな光が差し込んだ気がした。
***
「なあ、お前ら! やっぱ昨日のパーティ名はダサすぎだって!」
宿に戻る道すがら、ヒルダが不意に話を蒸し返した。
「クリムゾン・ファングのどこが悪いんだよ! カッコいいだろうが!」
「だから物騒だって言ってるでしょ。私は、やっぱり『希望の翼』みたいなのがいいわ」
セーラが少し頬を染めながら反論する。
「それもなんだか気恥ずかしいな……。実用性を鑑みれば、やはり『ナオキ隊』が最も合理的かつ効率的かと」
「ライアンは黙ってろ!」
「…………守護者」
バルクがぼそりと呟くと、また皆で吹き出した。昨日から、これがすっかり天丼ネタになっている。
「もう! バルクさんまで!」
結局、この日も俺たちのパーティ名は決まらなかった。だが、そんな他愛ないやり取りが、今は心地よかった。
宿に戻ると、ライアンがギルドで新しく手に入れてきたという羊皮紙をテーブルに広げた。それは、この大陸の東部一帯を記した詳細な地図だった。
「皆さん、こちらを。これが、我々が今いるアルテナです」
ライアンが指さした場所から、彼はゆっくりと指を東へと滑らせる。
「そして、この大陸の政治経済の中心、帝都ガルダスはここ。東にあります」
地図には、アルテナと帝都の間に、いくつかの街、そして赤インクで×印がつけられた広大な領域が描かれていた。
「この『赤の荒野』と呼ばれる盗賊の支配域が、帝都への最大の難所です。この一帯は危険地帯として知られ、多くの旅人が遠回りを選ぶほどです」
「うへえ、マジかよ。こりゃあ長旅になりそうだな」
ヒルダが肩をすくめる。
「王都と帝都というのは、どう違うんだ?」
俺が尋ねると、ライアンは簡潔に答えた。
「我々がいた王国は、諸侯の力が強い封建国家です。一方、帝都を中心とする帝国は、皇帝陛下による強力な中央集権体制が敷かれています。文化も、法も、そして人々の気質も大きく異なると聞きます」
未知の土地、新たな冒険。
地図を眺めているだけで、胸が高鳴るのを感じた。
* * *
その夜。
俺は自室のベッドに腰掛け、一人静かに天井を見上げていた。
昼間のライアンの話が頭から離れない。
魔力量。
魔力制御。
そして想像力。
炎が燃える仕組み。雷が走る仕組み。氷が凍る仕組み。
日本では当たり前に学んできた知識だが、この世界ではそうではない。
もしかすると俺が本当に伸ばすべきなのは、剣の腕じゃないのかもしれない。
「……武器、か」
ふと、ヴォルグへ預けた牙のことを思い出す。
だが考えてみても答えは出なかった。
剣なのか。槍なのか。それとも別の何かなのか。正直、まだ分からない。
そもそも俺は剣士になりたい訳じゃない。
魔法もある。マリエクもある。鑑定もある。
使える手札は十分すぎるほど持っている。
「まあ、焦る必要もないか」
俺は小さく息を吐いた。まずはバルクの盾だ。話はそれから考えればいい。
あと二日。ヴォルグがどんな盾を作り上げるのか。
今はそちらの方が楽しみだった。
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