第105話 偏屈な鍛冶師
扉の向こうから突き放すように響いた声に、俺の隣でヒルダの眉がぴくりと吊り上がった。
「あんだとコラ! てめぇ、こっちが誰だか分かってんのか!」
「ヒルダ、待て」
今にも扉を蹴破りそうな勢いで拳を握りしめるヒルダの肩を、俺は片手で制する。ここで力ずくで押し入っても、ろくなことにはならない。相手は、あのガレスがわざわざ紹介状を書くほどの人物なのだ。ただの頑固者とは訳が違う。
俺は扉に向かって、努めて落ち着いた声をかけた。
「突然すまない。俺たちは冒険者ギルドのガレス様の紹介で来た。どうしても、あなたに頼みたい仕事がある」
ギルドマスターの名前を出せば、少しは態度も軟化するだろう。そう思った俺の期待は、次の瞬間、木っ端微塵に砕け散った。
「ガレスだとぉ?」
扉の向こうから、先ほどよりもさらに数段、不機嫌さを増した声が返ってくる。
「あの熊ジジイの紹介なんざ、なおさらお断りだ! 用件も聞く価値もねえ! とっとと失せろ!」
ガチャン、と内側からさらに閂をかけるような重い音が響いた。完璧な門前払いだ。
「……おい、ナオキ。どうすんだよ、これ」
ヒルダが呆れたように俺を見る。セーラは不安そうに眉を寄せ、俺の上着の裾をそっと掴んでいる。ライアンは冷静に状況を分析するかのように、顎に手を当てて黙考していた。
そして、バルクは――ただじっと、目の前の鉄の扉を、その巨体と同じくらい静かに見つめていた。その瞳の奥に宿る感情は、俺にはまだ読み取れない。だが、諦めとは程遠い、燃えるような何かがそこにあることだけは確かだった。
このまま引き下がるわけにはいかない。
俺は一つ深呼吸をして、もう一度扉に声をかけた。今度は、少しだけ挑発の色をにじませて。
'普通の頼み方じゃダメだ。この手のプライドの高い職人には、そのプライドを逆撫でするか、くすぐるしかない。一か八かだが…'
「……そうか。残念だ。俺たちが持ち込んだ素材は、あなたの腕でなければ、到底加工できない代物だと思っていたんだが」
一拍おいて、俺は続ける。
「このアルテナで最高の腕を持つという評判も、どうやらただの噂だったらしい。まあいい、他の鍛冶師を探すさ。この素材の価値が分かる、本物の職人をな」
シン、と扉の向こうが静まり返った。
風が吹き抜け、錆びついた工房の看板が小さく軋む音だけが聞こえる。仲間たちが、固唾をのんで俺の次の言葉を待っているのが分かった。俺自身の心臓も、少しだけ速く脈打っている。
やがて、重い沈黙を破り、扉の向こうからくぐもった声が聞こえてきた。
「……おい、小僧」
「なんだ」
「……その素材とやらを、まず見せてみろ」
声のトーンは相変わらず不機嫌だが、そこには先ほどまでなかった、職人としてのわずかな好奇心が混じっていた。
'……食いついた'
「もしそれが、俺の時間を無駄にするようなくだらんガラクタだったら……その舌、引っこ抜いて炉にくべてやるから覚悟しろ」
ギィィ……という重い音と共に、閂が外される。ゆっくりと、古びた鉄の扉が、俺たちの前に開かれた。
* * *
扉の隙間から現れたのは、俺の想像をある意味で裏切らない人物だった。
ずんぐりとした体躯。背は低いが、肩幅は広く、分厚い胸板をしている。ドワーフという種族がいれば、きっとこんな姿だろう。燃えるような赤毛の髪と、同じ色の豊かな髭。そして、何十年も炎と鉄に向き合ってきた者だけが持つ、鋭く、そして深い光を宿した瞳。
工房の中から漏れ出す熱気と共に、鉄と石炭の混じった独特の匂いが鼻をついた。
彼が、偏屈な鍛冶師ヴォルグ。その人だった。
「……で、自慢の素材とやらはどこだ?」
ヴォルグは俺たち一人一人を値踏みするように睨みつけ、吐き捨てるように言った。その視線はヒルダの好戦的な構えを一瞥し、ライアンの知的な雰囲気を鼻で笑い、セーラの怯えた様子には興味も示さず、最後にパーティで最も体格のいいバルクでぴたりと止まる。
「お前が、その素材の使い手か?」
バルクは何も答えず、ただ静かに頷き返す。その巨躯から放たれる威圧感に、ヴォルグは少しも臆した様子はない。
俺は黙って一歩前に出ると、アイテムボックスに意識を集中させた。
「放出」
ゴトンッ、という鈍い音と共に、センチネル・クロウラー・クイーンの胸部を覆っていた、黒曜石の一枚板のような巨大な外殻が、工房の前に姿を現した。地面がわずかに揺れ、土埃が舞う。
ヴォルグの鋭い目が、カッと見開かれる。
それまで腕を組んでいた太い腕が、ゆっくりと下ろされた。彼は無言で黒い外殻に近づくと、節くれだった指で、その滑らかな表面をそっと撫でた。そして、懐から小さなハンマーを取り出すと、躊躇なく外殻を叩いた。
キィンッ!
甲高い、澄んだ金属音が工房の前に響き渡る。その余韻は、まるで鐘の音のように長く続いた。
「…………」
ヴォルグは何も言わない。だが、その目は外殻に釘付けになっていた。まるで、何十年も探し求めていた恋人に出会ったかのような、熱を帯びた眼差しで。
「……なるほどな。センチネル・クロウラー。それも、ただの個体じゃねえ。巣を統べる女王か」
彼は、まるで目の前の素材と対話するかのように呟いた。
「これほどの素材を、傷一つなく持ち帰るとはな。ガレスの爺が紹介してくるだけのことはある」
初めて、彼の口からほんの少しだけ、感心したような響きが漏れた。
その時、ずっと黙っていたバルクが、重い口を開いた。
「……これを、盾に」
短く、しかし強い意志のこもった言葉だった。
「盾、だと? こいつは、そんなもんじゃ収まりきらんぞ」
「どういう意味だ?」
俺が聞き返すと、ヴォルグは外殻を軽く叩いた。
「長年鉄を叩いてりゃ分かる。素材には、それぞれ向いてる形ってもんがある。この外殻は、使い手次第で真価を発揮する代物だ」
彼は再び、バルクを真正面から見据えた。その視線は、まるで魂の奥底まで見透かそうとするかのように鋭い。
「おい、そこのデカブツ。お前、その盾で何を守るつもりだ? その答え次第じゃ、この素材は預かれねぇ」
工房の前に、再び沈黙が落ちる。
仲間たちの視線が、バルクの背中に集まった。
バルクは、ヴォルグの鋭い視線をまっすぐに受け止めると、静かに、しかしはっきりと答えた。
「仲間を。」
その言葉に、嘘や飾りは一切なかった。ただ、揺るぎない事実だけが、そこにあった。彼の声は、工房の前の空気を震わせ、俺たちの心に直接響いた。
ヴォルグは、バルクの答えを聞くと、しばらく黙って彼の目を見つめていた。やがて、その厳しかった口元が、ほんのわずかに緩んだように見えた。
「……ふん。お前の覚悟は見えた」
ヴォルグはそう言うと、外殻をもう一度ハンマーで軽く叩いた。
キィン――。
長く澄んだ音が工房に響く。
「この外殻なら問題ねぇ。最高の盾に仕上げてやる」
バルクの表情が、ほんのわずかに緩んだ。
俺はその様子を見届けると、アイテムボックスへ再び手を伸ばした。
「それと、もう一つ頼みがある」
ゴトッ。
今度は一本だけ残しておいた巨大な牙を地面へ置く。
ヴォルグの目が細くなる。
「ほう」
「これも預かってくれ」
「武器にするのか?」
「まだ決めてない」
ヴォルグはしばらく牙を見つめた後、小さく鼻を鳴らした。
「なら急ぐ必要はねぇな」
そう言うと牙を持ち上げる。
「腐る素材でもねぇ。必要になったら使えばいい」
「分かった」
「盾は三日だ」
ヴォルグは外殻を軽く叩く。
「こっちは面白ぇもんができそうだからな」
ギィィ……。
俺は閉ざされた扉を見つめ、小さく息を吐く。
まずはバルクの盾だ。話はそれからだろう。
俺たちは工房を後にした。
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