第104話 報酬
ギルド職員に促されるまま、俺たちは彼の後についてアルテナの街を歩く。
道行く人々の視線が、以前とは明らかに違うものになっているのを肌で感じた。
「おい、あれが……」
「『女王殺し』のパーティだ……」
憐れみや好奇ではない。畏敬と、そして少しの恐怖が混じった囁き声が、俺たちの周りを取り巻く。その変化に、ヒルダは「どうだ」と言わんばかりに胸を張り、セーラは居心地が悪そうに俺の背中に隠れた。
「まあ、有名人だな」
「当然だろ! あれだけの化け物を倒したんだからな!」
ヒルダがニヤリと笑う。
すぐに冒険者ギルドに到着し、職員は俺たちを勝手知ったる様子で奥へと案内した。普段、一般の冒険者が立ち入ることのない、ギルドの心臓部へと続く廊下だ。重厚な木の扉の前で、職員は深々と一礼して立ち止まった。
「ギルドマスターが、この奥でお待ちです」
俺が頷くと、職員は緊張した面持ちで扉をノックする。
「マスター、ナオキ様御一行をお連れしました」
「うむ、入れ」
中から聞こえてきたのは、熊の唸り声にも似た、低く野太い声。扉が軋みながら開かれると、古い紙と革の匂いが鼻をくすぐった。
そこは書斎と応接室を兼ねた広々とした空間だった。壁一面の本棚、床には上質な絨毯。部屋の奥にはどっしりとした机が鎮座し、その向こうにギルドマスターのガレスが腕を組んで座っていた。
「おう、来たか。まあ、そこに座れ」
前回とは打って変わって、ガレスの顔には満面の笑みが浮かんでいる。百戦錬磨の熊が上質な獲物を前にしたような、満足げな表情だ。俺たちは勧められるまま、革張りのソファに腰を下ろす。
「単刀直入に言おう。お前たちが持ち込んだ女王の解体と査定、今朝方、無事に完了した」
ガレスがそう告げた瞬間、仲間たちの間に緊張と期待が走った。
「おおっ!」
ヒルダが思わず声を上げる。
「解体にはうちの腕利きを総動員させた。数日はかかると踏んでいたが……奴ら、寝る間も惜しんでやりやがった。おかげで予定より早く終わったというわけだ」
ガレスは愉快そうにガハハと笑う。それだけ、あの素材がギルドの解体屋たちをも奮い立たせる、途方もない代物だったということだろう。
「それで、報酬は!?」
一番に切り込んだのは、やはりヒルダだった。彼女の目は期待でキラキラと輝いている。
「まあ、焦るな。百聞は一見に如かず、だ」
ガレスは意味ありげにニヤリと笑うと、部下の一人に目配せした。
「ブツを運んでこい。お客様に、お披露目だ」
「はっ!」
部下が慌ただしく部屋を出ていく。静まり返った部屋に、俺たちの高鳴る鼓動だけが響いているようだった。
* * *
しばらくして、ギルドマスター室の扉が再び開かれた。
現れたのは、屈強なギルド職員たち数人。彼らは巨大な台車を二人掛かりで押し、慎重に部屋の中央へと運んできた。台車の上には、分厚い布がかけられている。
「さて、と。心して見るがいい」
ガレスが顎でしゃくると、職員の一人が布の端を掴んだ。
ゴクリ、と誰かが息を呑む音が聞こえる。
職員が布を一気に引き剥がした。
「「「…………っ!」」」
その場にいた俺たち全員が、言葉を失った。
目の前に現れたのは、魔物の素材という生々しいものではなく、もはや芸術品と呼ぶべきものの数々だった。
巨大な机の上に、部位ごとに丁寧に並べられている。
まず目に飛び込んできたのは、黒曜石のように深く、鈍い光を放つ巨大な外殻の数々。特に、女王の胸部を覆っていたであろう一枚板のような装甲は、傷一つなく完璧な状態を保っている。その表面は滑らかで、まるで磨き上げられた黒鏡のようだ。
バルクが、その黒い装甲から目を離せずにいる。いつもはポーカーフェイスの彼の巨体が、わずかに前のめりになっているのが分かった。その瞳には、今まで見たこともないほどの熱が宿っている。あれが、彼の新しい盾になるのだ。
その隣には、無数の複眼が並べられていた。子供の拳ほどの大きさの一つ一つが、内部で妖しい紫色の光を明滅させている。まるで最高品質のアメジストの原石が、脈動しているかのようだ。
「綺麗……」
セーラが、うっとりとした声でため息を漏らす。
そして、見るからに凶悪な、巨大な牙と鎌のような脚。特に一対の巨大な顎の牙は、それ自体が一振りの大剣に匹敵するほどの大きさだ。先端は鋭く尖り、ミスリルですら容易く切り裂くだろうと想像させる。
「こ、こいつは……すげえな……」
ヒルダが、その牙に手を伸ばしかけ、あまりの迫力に寸前で止めた。
ガレスは、俺たちの反応に満足したように頷く。
「どうだ。これがセンチネル・クロウラー・クイーンの素材だ。これでも、ほんの一部だがな」
彼は立ち上がると、それぞれの素材を指し示しながら説明を始めた。
「その外殻は、並の魔法や物理攻撃を完全に無効化する。特にその胸部装甲は、伝説級の強度だと言っていい。これを加工できれば、国宝級の盾が出来上がるだろう」
ガレスの言葉に、バルクの肩がピクリと動いた。
「その複眼は、高純度の魔力結晶体だ。高位の魔法使いや錬金術師が、喉から手が出るほど欲しがる代物。この複眼だけで、この街の年間の税収に匹敵する価値がある」
「ひっ……!」
ヒルダが小さな悲鳴を上げた。
「そして、その牙と鎌。それ自体が高級な武器素材だ。適切に鍛えれば、現存する武器素材の中でも上位に位置するだろう」
俺たちはただ、目の前の光景に圧倒されるばかりだった。自分たちが戦い、そして討ち取った相手が、これほどの価値を持つ存在だったのだという事実が、今更ながらに重くのしかかってくる。
「これだけのものを、一体どうやって……」
ライアンが、信じられないというように呟く。
「ナオキさんの『あの力』がなければ、この状態で持ち帰ることは不可能でした。通常なら、解体の過程で価値は半減してしまうでしょうから」
彼の冷静な分析が、俺のスキルの異常さを改めて浮き彫りにした。
* * *
「さて、本題だ」
ガレスは席に戻ると、机の上に置かれた一枚の羊皮紙を俺たちの前に滑らせた。
「クイーンの素材のうち、お前たちが希望した外殻と魔石を除く全ての部位を、ギルドが買い取るつもりだった。市場価格を基に厳正に査定し、解体費用とギルドへの手数料を差し引けば、買い取り額は金貨百五十枚になる」
羊皮紙には、びっしりと細かい査定内容が並び、一番下には『金貨百五十枚』と記されていた。
「百五十枚!?」
ヒルダが思わず声を上げる。
「……待ってください」
俺は机の上に並ぶ素材へ視線を移した。
その中でも、一対の巨大な顎の牙が目に留まる。
「その牙……やはり手元に残したいんだが、構わないか?」
ガレスが片眉を上げた。
「ほう? 武器にでもする気か?」
「まだ分かりません。ただ、これほどの素材を全部売ってしまうのは惜しい気がして。何かに使うかもしれませんし、手元に残しておきたいんです」
ガレスはしばらく牙を見つめると、小さく頷いた。
「いいだろう。牙一本を返却対象に加えよう。本来なら百五十枚だったが、それを差し引いて――最終的な買い取り額は、金貨百二十枚だ」
ガレスは平然と言ってのける。
ヒルダは指を折りながら必死に桁を数えているが、その指は途中で止まり、顔がみるみる青ざめていく。
「ひゃ、百二十枚!?」
彼女の口から意味をなさない音が漏れる。やがて、ヒルダはがくりと膝から崩れ落ちそうになり、隣にいたセーラに支えられた。
「うそ……でしょう……?」
セーラの声も上ずっている。
依頼報酬とは別に、素材の売却だけで金貨百二十枚。
十分すぎるほどの大金だった。
「さて、約束通り、外殻は全てお前たちに返却する。好きに使うがいい」
ガレスがバルクの視線の先にあった黒い装甲を指さす。そして、もう一つ、厳重に鍵のかかった黒檀の箱を取り出した。
「そして、これがおそらく今回最大の戦利品だ」
彼が箱を開けると、中から禍々しいほどの魔力を放つ、巨大な魔石が現れた。人の頭ほどの大きさがあり、その中心で深紅の光が脈打っている。
「センチネル・クロウラー・クイーンの魔石だ。これほどの代物は、俺も数十年ギルドマスターをやっているが、ここまでの物はなかなかお目に掛かれない逸品だ」
ガレスは真剣な顔で俺を見つめる。
「いいか、ナオキ。こいつは絶対に手放すな。金に困っても売るんじゃない。お前ほどの規格外の男なら、いずれこの魔石の真価を引き出せる時が必ず来る。その時まで、お守りだと思って持っておけ」
俺は黙って頷き、金貨が入った革袋と魔石が入ったずっしりと重い箱を受け取った。
【現在のマリエク残高:28,035,000円】
脳内に表示された数字を見て、俺は改めて自分たちがとんでもないことを成し遂げたのだと実感した。
* * *
「……で、問題はその外殻だが」
莫大な報酬にまだ頭が追いついていない俺たちに、ガレスが現実的な問題を突きつけてきた。
「手に入れたはいいが、どうするつもりだ? 見たところ、お前たちのパーティに鍛冶師はいないようだが」
「……盾に」
短く、しかし力強く答えたのはバルクだった。
「ふむ。だろうな。だが、アルテナの並の鍛冶屋じゃ、あの外殻に傷一つ付けられんぞ。下手に触らせれば、貴重な素材をダメにするだけだ」
その言葉に、俺たちは顔を見合わせる。最高の素材は手に入れた。だが、それを加工する術がなければ宝の持ち腐れだ。
「……幸い、このアルテナには、その化け物じみた素材を加工できるかもしれん鍛冶師が一人だけいる」
ガレスはそう言うと、まるで歯に挟まったものを舌で探るような、面倒くさそうな顔をした。
「腕は確かだ。かつては王族の武具も手掛けたという。だが……とんでもない偏屈でな。自分の気に入らない依頼は、たとえ王の命令であろうと鼻で笑って突っぱねるような男だ」
「なんだそりゃ。面倒くせえジジイだな」
ヒルダが呆れたように呟く。
「その通りだ。だが、腕だけは本物だ」
ガレスは懐から一枚の紹介状と、簡単な地図を取り出した。
「俺から紹介状を書いておいた。これがあれば、門前払いということはないだろう。……まあ、仕事を受けるかどうかは、お前さんたちの器量次第だがな」
ガレスはニヤリと笑い、それを俺に手渡した。
俺たちはガレスに礼を言うと、ギルドを後にした。
***
地図が示すのは、職人たちが集まる街の一角。カン、カン、と金属を打つ音が響くその地区の、一番奥まった場所にその鍛冶屋はあった。
他の工房と違い、そこだけはやけに静かだ。
「……ここか」
俺は古びた鉄の扉の前に立つ。
意を決して、重い扉をノックした。
コン、コン。
中で響いていた微かな物音が、ぴたりと止まる。
しんと静まり返った後、地の底から響くような、不機嫌極まりない声が扉の向こうから聞こえてきた。
「今日は休みだ! 帰れ!」
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