第101話 帰還と祝宴への序曲
長く続いた坑道の闇から、ようやく外の光が差し込んできた。
じっとりとした湿気とカビ臭さ、そして死の匂いが混じった空気が、一歩外へ出るだけで嘘のように澄んだものへと変わる。
「……はぁーっ! やっと出られた!」
ヒルダが大きく伸びをしながら、全身で太陽の光を浴びた。その顔には、死線を乗り越えた安堵と疲労、そして達成感が混じり合っている。
「本当ね。もう二度とあんな場所はごめんだわ」
セーラも、どこか吹っ切れたような表情で空を見上げる。彼女の顔色はまだ万全ではないが、坑道に入る前のような怯えの色はもうない。その瞳には、新しい朝を迎えたような清々しささえ感じられた。
俺たちの後ろから、カイトたちもぞろぞろと出てくる。彼らの顔にも、一様に深い疲労が刻まれていた。
「……生きて、戻ってこれたな」
誰からともなく漏れた言葉に、全員が無言で頷く。
坑道で張り詰めていた空気が、外に出た途端、ぷつりと切れたように萎んでいく。誰もが口数は少なく、ただ黙々とアルテナの街へと続く道を歩き始めた。
時折聞こえるのは、ヒルダが腹の虫を鳴らす音と、それに対するセーラのくすくすという笑い声だけだ。
「もう、ヒルダ。さっきからお腹鳴りっぱなしよ」
「しょうがねえだろ! マジで腹ペコなんだって! 街に戻ったら、真っ先に酒場に直行だ!」
「賛成! 肉厚のステーキが食べたいわ!」
「いいですね。私はとりあえず、エールをジョッキで」
いつの間にか隣を歩いていたライアンが、静かに会話に加わる。その声には、戦闘中には決して見せない穏やかな響きがあった。
「ライアンも飲むのか?」
「ええ、嗜む程度には。……正直、今回は少し飲みすぎたい気分ですよ」
彼はそう言って苦笑し、眼鏡の位置を直した。その横顔は、いつもの冷静沈着な分析官ではなく、ただの一人の青年の素顔を覗かせている。
「それにしても……本当に、ナオキさんは規格外ですね」
ライアンは、俺のマリエクやアイテムボックスを思い返しているのだろう。彼の視線には、驚きと尊敬が入り混じっていた。
「ナオキさんと一緒にいると、常識が常識じゃなくなりますね」
「大げさだな」
「いいえ、事実です。……ですが、不思議と悪い気はしません」
ライアンは静かに息を吐き、小さく笑った。
「少なくとも、退屈だけはしなさそうです」
その言葉が、俺の心の奥にじんわりと染み渡る。
バルクは相変わらず無言で俺たちの後ろを歩いているが、その大きな背中からは、いつもよりリラックスした雰囲気が感じられた。
死闘の後の静かな時間。仲間たちとの間に流れる、言葉はなくとも心地よいこの空気が、今は何よりもありがたかった。
* * *
しばらく歩くと、アルテナの街の城壁が見えてきた。
門の近くまで来たところで、カイトがふいに足を止めた。その様子を見て、ヒルダが「げっ」と顔をしかめる。
「なんだよ。まだ何かあんのか?」
「まあまあ、ヒルダ。きっと話があるのよ」
セーラがヒルダをなだめる。
カイトは意を決したように一歩前へ出た。その顔つきは、いつもの傲慢さはなく、どこか神妙な面持ちだ。
「……ナオキ」
カイトは俺の目の前で立ち止まり、一度深く息を吸い込むと、今まで誰にも見せたことのない真剣な顔で、深く頭を下げた。
「……すまなかった。そして……助かった。本当に、ありがとう」
その潔い謝罪と感謝の言葉に、俺だけでなく、ヒルダやセーラも驚いて目を見開く。カイトの仲間たち――ジン、リナ、マルコも、彼の後ろで気まずそうに、しかし同じように頭を下げていた。
「……別に、あんたたちを助けるためにやったわけじゃない。俺たちは、仲間を守っただけだ」
俺がぶっきらぼうに言うと、カイトは顔を上げて苦笑した。
「ああ、わかってる。だが、結果的にあんたたちに救われたのは事実だ。……特に、セーラ」
カイトの視線が、セーラへと向けられる。
「俺は……三年前、お前を見捨てた。言い訳はしない。あの時の俺の判断は、リーダーとして間違っていた。いや、人として、仲間として、最低だった」
セーラは何も言わず、ただ静かにカイトの言葉を聞いていた。
「今回、あんたたちの戦い方を見てよくわかった。本当の強さってのが、どういうものなのか……。俺が今まで信じてきたものは、ただの独りよがりなプライドだったんだ」
カイトは自嘲気味に笑うと、もう一度セーラに向き直った。
「セーラ、本当に……すまなかった」
今度の謝罪には、嘘や誤魔化しは一切感じられない。彼の心の底からの言葉だった。
セーラは、そんなカイトをじっと見つめていたが、やがて、ふわりと穏やかに微笑んだ。
「……もう、いいの」
その一言に、カイトはハッとしたように顔を上げた。
「私は、もう大丈夫。あの時のことは確かに辛かった。でも、今の私には信じられる仲間がいるから。……だから……もう終わりにしましょう。」
セーラの穏やかな声は、その場に張り詰めていた空気を静かにほどいていく。
その声は、その場にいた全員の心を優しく包み込み、過去のしがらみをふっと解いていくようだった。
「……そうか」
カイトは、何かを堪えるようにぐっと唇を噛みしめ、そして、ようやく吹っ切れたように笑った。
「……そうだな。……ありがとよ、セーラ」
その笑顔は、俺が今まで見た中で、一番素直で、人間らしい笑顔だった。
「よし! じゃあ、話はまとまったな!」
それまで黙っていたヒルダが、わざと大きな声で空気を変える。
「借りは返すって言ったよな! 今夜は全部お前の奢りだ!」
「肉! 酒! 腹いっぱいな!」
「……へっ、望むところだ。いくらでも飲め! 食え! 今夜は朝まで付き合ってやる!」
カイトもニヤリと笑って、ヒルダの挑発に乗る。
そのやり取りを見て、セーラもライアンも、そしてカイトの仲間たちも、皆が弾けるように笑い出した。
三年前から止まっていた歯車が、ようやく、ゆっくりと動き出した気がした。
* * *
「おい、見ろよ! あのパーティ、『呪われた坑道』から生きて帰ってきたぞ!」
「嘘だろ!? あの死地から……しかも、全員生きて帰ってきたのか!?」
「まさか……あの依頼をクリアしたっていうのか!?」
アルテナの街に入った途端、俺たちは周囲から驚愕と畏怖の入り混じった視線を一身に浴びた。坑道へ向かう時の、憐れむような視線とは大違いだ。
噂はあっという間に街中へ広がり、道行く人々が次々と足を止めて俺たちを見つめていた。
「すげえ……本当に帰ってきた……」
「あの『蒼き流星』だけじゃない。どこのパーティだ?」
「知らん! だが、とんでもない実力者たちだってことは確かだ!」
賞賛と好奇の言葉に、ヒルダはまんざらでもない顔で胸を張り、セーラは少し恥ずかしそうに俯いている。カイトたちも、久しぶりに浴びる英雄のような扱いに、どこか照れくさそうだ。
そんな喧騒の中、俺たちは冒険者ギルドに到着した。
ギルドの中は、俺たちの姿を見た冒険者たちのどよめきに包まれていた。
しかし――
俺たちが中へ足を踏み入れた瞬間、その喧騒は一瞬にして静まり返った。
そこにあるのは、信じられないものを見るような、驚きと尊敬の眼差しだけだった。
俺はそんな視線を意にも介さず、まっすぐに受付カウンターへと向かう。対応してくれたのは、昨日と同じ受付嬢だった。彼女もまた、俺たちの姿を見て、信じられないというように目を丸くしている。
「……お、おかえりなさいませ! ご無事で……何よりです!」
「ああ。依頼は完了した。報告に来た」
俺が淡々と告げると、彼女はゴクリと息を呑んだ。
「依頼完了……と、申しますと……まさか、ボス個体を討伐されたのですか?」
「ああ。センチネル・クロウラー・クイーンだ。討伐した。」
俺の言葉に、ギルド内が再び大きくどよめいた。
「そ、そんな馬鹿な……!」
「証拠なら、ここにある」
俺はそう言うと、アイテムボックスに意識を集中させた。
'放出'
次の瞬間。
ドォォォンッ!!
ギルドの床が大きく震えた。
アイテムボックスから現れたセンチネル・クロウラー・クイーンの巨体が、ギルドのカウンター前をほとんど埋め尽くした。
解体場は、水を打ったような静寂に包まれた。
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